第30話 市場の失敗
上級貴族のセレカは光の橋を渡りながら下で繰り広げられている混迷を見ていた。
「どうしたセレカ。急がないと遅れるぞ」
セレカの師匠である黒いローブを着た男が急かす。しかしセレカは立ち止まったままその鋭い視線を下方に向けている。彼女の銀縁眼鏡の奥にある目は獲物を狙う鷹のように厳しく工場の様子を見据えていた。その瞳は彼女の灰色の髪と相まって厳しく近寄りがたい印象を与えている。
「おい、セレカ。何をしている」
「……ねえ、ユイン。なぜ彼らはこんなに効率の悪いことをしているの?」
「なに?」
「もっと高度な魔法を使えばいいじゃない」
彼女は下方を指差した。
「これは要するに出来上がった製品を箱詰めして出荷しているのでしょう。魔法陣と精霊を駆使すればもっと簡単にできるはずよ。どうしてそうしないの?」
「ああいう方法しか知らないからだ」
「ではなぜ彼らの監督者や師匠は他の方法を教えないの?」
「無能な下層階級の浅知恵というやつですよ。セレカお嬢様」
ユインはおどけた調子で口元を歪めてにやけながら言った。セレカはユインの態度に眉をしかめる。貴族階級の割には世知に長けているから師匠として雇っているが、彼の選民思想じみた価値観ともったいぶった話し方はどうも好きになれなかった。
「時間がもったいないからだよ。監督者や師匠には彼らのために時間を割く余裕も義理もない。彼らに高度な技能を教えるよりも俸給を値切る方が合理的、という考えているのだ」
「……」
セレカはまだ納得がいかないようだった。
「あの杖」
「なんだ?」
「どうしてあんな粗悪な杖を使わせているの? あんな杖じゃ作業もままならないでしょう?」
「あれは使わせているんじゃない。彼らが自ら好んで買っているんだ」
「自ら好んで?」
「安いからね。彼らは安さに目がくらんで粗悪な品をつかまされたのだ」
「じゃあ、売る側は? 商会はなぜわざわざ安物を売るの? 高いものの方が利益も多く取れるんじゃないの?」
「そうでもない。粗悪な製品の方がすぐに壊れて買い換えられるから価格が安くても商売が成立するのだ。結果的に利益を回収できる」
「なによそれ。詐欺みたいなものじゃない」
「そうとも言う。しかし需要と供給さえ合致すれば、それは詐欺ではなく商売上手と言われるのだ」
「そんなの詭弁よ」
「君の言うこともわかるがね。しかしこの状況、粗悪だが安価な品が市場に満ち溢れているこの状況を望んだのは他でもない彼ら買い手なのだよ。商会も別に彼らに対して押し売りしたわけでは無い。ただ商品を店に並べただけだ。買ったのは彼ら自身だよ。たとえ彼らがどれだけ貧しくなろうともそれは商会の知ったことではない。自己責任というやつだ」
「自己責任? 自己責任ですって?」
「そうだよ。自己責任だ。どれだけ仕事の能率が下がり、どれだけ時間を浪費し、どれだけ賃金が下がろうとも彼らは粗悪な安物を買い続ける。当然商会としてもより安くて粗悪な製品を市場に供給せざるをえない。見たまえ、セレカ嬢」
ユインは世界の真実を示すように手を広げて地上の混迷を示して見せる。
「市場には粗悪な品物が溢れ返っている。これは彼らの望んだことだなのだ!」
工場の床には無残に壊れた杖があちこちに転がってゴミの山を築いている。
人々はなぜ自分たちがこんな目にあっているのかもわからず互いに傷つけ合っていた。
(何たる不条理! このような歪な世界、誰かが是正するべきではないのか)
セレカは歯ぎしりしながら地上を睨みつける。
「そんなことよりも君は自分の心配をしたまえ。課題のレポートはまだ提出してないんだろう? 特待生だからといって気を抜いているとすぐに落第するぞ」
「分かってるわよ。うるさいわね」
セレカは無力感にとらわれる。
(そう、みんな自分のことで精一杯なんだ。私にだって彼らを助けている余裕なんてない)
ふとセレカは他と様子の違う区画の存在に気づいた。作業員達は妙に落ち着き払っており、みんな比較的高価な杖を装備している。
(あれは……デイルの杖か)
セレカは作業員を指揮しているらしき二人の少年を注視する。歳は自分と同じくらいだろうか。ヤンチャそうなツンツン髪の子とおとなしそうな子で対照的な二人だった。
彼らはこれからどうするか相談しているようだった。彼らの眼の前には地盤の隆起によって崩れてしまった製品と疾風によって埃や砂まみれになってしまった製品がある。せっかく魔法によって作られた製品もあれでは出荷することはできないだろう。
(どうする気だ?)
セレカは観察を続けた。
「テオ、これどうする?」
「崩れた分を出荷するのは無理だな。こっちの埃まみれになった方をどうにかしよう」
「でもこれ掃除するのも大変だよ」
製品には大量の埃と砂がかぶさっている。すべて取り除くとなれば今日中には終わらないだろう。
「以前読んだ本に、ゴミに埋もれた街を復活させた魔導師の話が載っていたんだ。それによると竜巻を起こして全てのゴミを吹き飛ばしたらしい」
「竜巻って……、僕たちの魔力じゃ竜巻を起こすにはパワー不足だよ」
「何もそこまでする必要はないよ。要は埃と砂を吸い取ればいい。デイルの杖は重い物を運ぶためのものだけれど、細かいものでも運ぶことはできるはず。広範囲に魔法をかけて砂や埃だけ粒子単位で引っ張れるよう力を調整するんだ」
「でも、一概に砂や埃って言っても重さはそれぞれであって、一つ一つの重さに合わせて引っ張ることになるけれど……。そこまで細かい調節は無理だよ」
「うん。だから魔法陣で補助するんだ。そうすれば微調整できるはず」
「なるほど」
「リン。杖の操作を任せていいかい? パワーは僕の方があるけれど、君の方が細かい操作は得意なはずだ。魔法陣は僕が描く」
「うん。わかった」
テオは作業員に製品をしっかり固定するよう指示すると、自分は魔法陣を描き始める。
リンはテオの描いた魔法陣の上に立ち、気を集中させた。
(力を出しすぎちゃダメだ。ほんの少しだけ。そよ風をたてるように)
集中力が充分に高まったところで、杖を掲げ呪文を唱える。
「デイルの杖よ。製品にかぶさった砂や埃、その他微細な粒子を周辺の空気ごと浮き上がらせろ」
製品の山とリンの間に空気の流れが発生する。パラパラと砂や塵が浮き始め杖にまとわりつき始める。
「ダメだ。遅すぎるよ。これじゃ手で埃を払ったほうが早い。」
「よし。じゃあ、回転力も加えてみよう。」
テオが魔法陣を描き直して、リンが再び呪文を唱える。すると今度は製品とリンの間の空気が渦を巻き始める。物凄い勢いで砂と埃が空気ごと巻き上げられてリンの杖にまとわりつく。砂塵は勢い余って渦を巻きながらリンの体にも降りかかってきた。
「ぶっ」
リンは埃まみれになる。
「よし。成功だ」
製品からは綺麗に粉塵が取り払われ、出荷可能な状態に戻る。テオは再び梱包の指示を出した。
「これでとりあえずノルマ分は出荷できるな。それにしてもこの魔法はいいね。部屋の掃除にも使える。この魔法の名前はそうだな……、全自動掃除機と名付けよう」
「あのー、テオさん。今度は僕が埃まみれになってるんですが」
テオが一人で悦に浸っているとリンが抗議の声を上げる。
「ふむ。魔法発動者が埃まみれになってしまうのがこの魔法の課題だね。発動者と清掃対象の間に空気と埃を分離するフィルターのようなものが必要か」
「なるほど。それで発動者は塵埃から守られるね。……いやそうじゃなくて! テオ、自分がホコリまみれになりたくないから僕にやらせただろ!」
「ゴメンゴメン。今日は帰りに風呂と洗濯に行きな。入浴代と洗濯代、経費で落とされなかったら僕が払うからさ。」
なだめるようにテオが言った。
「うう。こっちはどうする?」
リンが横転してしまった製品群を指差す。なるべく多く守ろうとしたがやはり幾分かはおシャカになってしまった。
「こっちは製造部に返却だな。修復するか新しく作ってもらうかするしかない」
「これ修理代とか誰が払うんだろう」リンがげんなりしながら言う。
「あの上級貴族共に弁償させるに決まってるだろ。ったく堂々と器物破損しやがってあの七光り共が」
テオは悪態をつきながら破損した製品の数と製造ロットを手早く確認する。
「これどうすればいいか監督に聞いてくるわ。ちょっとここ頼んでいいか?」
「うん。任せて」
テオはリンにその後の処置についていくつか言伝すると人混みの合間を縫って駆け出した。
「ユイン見て。あの子たち」セレカは再びユインに声をかけてリンとテオの方を指差した。
「ん? なんだ? ……ほう。いい杖を使っているな」
「それに術式も工夫してる」セレカがテオの描いた魔法陣を指差して言った。
「優秀だな。貴族であればそれなりに上を目指せただろうが、あの身分ではな……」
ユインは肩をすくめながら言って、それきり興味を無くした。さっさと先に進んでしまう。
それでもセレカは救われたような気がして少しだけ元気が出た。
セレカはもう一度リンとテオの方を省みる。彼ら二人はこの地獄のような現場の中で遊ぶように仕事している。
(こんな劣悪な環境でもちゃんと工夫して頑張ってる子もいるんだ。私も頑張ろう)
リンは作業員達が忙しなく動いているのをぼんやり眺めながら先ほど上級貴族達が放っていた魔法を思い出す。
(すごい力だったな)
彼らは頭はあんまりよくなさそうだったが、力は本物だった。強力な精霊を従えているか、あるいは高度な魔法の知識を備えているに違いなかった。
(コネクションか……)
リンはユヴェンの言っていた言葉を思い出した。
(マグリルヘイムには上級貴族も含むエリートがたくさん所属している。ヘディンの森の探索隊。そこでまた彼らに会えるだろうか)
ヘディンの森探索はあと数日後にまで迫っていた。
次回、第31話「理不尽な徴税」
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