第27話

 茶葉の芳醇な香りが、エリックの鼻をくすぐる。エリックはそれを注意深く口に流し込み、喉を潤した。しかし、飲んだ気がしない。目はせわしなく、ベッドに横たえられているジェーンを盗み見ていた。

「お前は、ついて行くのか」

 エリックは問う。問われたエリーは、はいとすぐさま答えた。

「私は、ジェーン様の命をお預かりしています。ジェーン様が天寿を全うし、幸福のうちにキュセスの御許に行けるようお守りするのが私の役目。私にとっては、ジェーン様が絶対なのです。たとえそれが、トレヴィシックの掟に反しようとも」

「お前は、憎くないのか? 呪いの巫女が」

「憎いですよ。この手で、八つ裂きにしても足りないくらいに。でも、賭けていらっしゃったのは陛下ではないのですか。危険に晒してでも、呪いを解く鍵を見つけさせようとしていらっしゃったのは、陛下ではありませんか」

エリックは、ジェーンのかつて言っていたことをなぞる。

きみに近しいものが、キュセスの呪われたものだったとしたら?

 かつては、自分自身を想定していた。呪いを受けた自分自身を、ジェーンだったら、どう思うのかと。そしてジェーンはその人がその人であるなら、自分も変わりませんと答えた。事実、呪いかどうかはさておき、ロザリーの影に怯える自分を解き放とうと尽力してくれていた。それが今度は、レイチェルに変わっただけのこと。ジェーンは、何も変えてはいないのだ。エリックはそう自分自身に言い聞かせた。望んだ通りじゃないかと。

自分に呪いがかかっているなんて思いたくなくて、必死でかつて出会った巫女の残像を押しやって、貴族に押しつけていた。けれど、呪いは強迫観念となって、影のようにつきまとっていた。呪いの巫女を殺して、自分がそこから解放されるのか。自分でもそれは、答えは否だと思う。

だから、見つけてほしかったのだ。導いてほしかったのだ。その、青の瞳で。

「差し出がましいことを申し上げます」

 そのエリックの傍らで、アーノルドが声を発した。エリックはアーノルドを見る。

「ジェーン様に賭けられたのなら、最後まで信じて、賭けてみてはいかがですか」

 エリックは目を見開く。俺に意見するのかと、言いかけて口を噤む。わかっているのだ。アーノルドにも。

生まれたときからずっと、隣にいた。そして、弟のように可愛がってくれていた。ロザリーに遭遇するまでは。あの時、ロザリーは塔の地下の部屋で、エリックを待っていた。エリックを、呪うために。

彼女は言った。あなたたちを呪うために、全ての力を注いで、あなたに会いに来たのだと。ロザリーの存在は、トレヴィシックでもトップシークレットで、しかも妙な力を行使して抜け出してきた彼女に遭遇したのは、アーノルドには防ぎようのないことだったのだとエリックはわかっていた。けれどそれからアーノルドは変に責任を感じて、距離を置くようになった。となるとこちらも、とエリックは意固地になった。王権の庇護の薄い今、彼が最後の砦であるのに。だんだんと、積もった壁は高くなって、互いの姿が見えないほどになっている気がしていた。

それが今、アーノルドから歩み寄ろうとしてくれている。おそらくはジェーンが、壁にひびを入れて。

「――わかった」

 絞り出すように、エリックは言った。

 しばし、ジェーンの静かに眠る顔を見つめる。何かを払うように頭を振ると、トレヴィシックを何人か呼び、指示を出した。彼らが全て散っていくと、エリックは立ち上がり窓の外を見る。星がきらりきらりと南天にきらめいている。

 衣擦れの音が、静寂を破った。エリックはゆっくりと振り返る。まだ、額を押さえるようにして、ジェーンが起き上がった。

「起きたか」

 エリックは声を掛ける。ジェーンは辺りを見回して、状況を確認した。

「俺の部屋だ。倒れたから運んできた」

 そこまで聞くと、ジェーンは布団をはね飛ばすようにしてベッドからおりた。が、一瞬躊躇うようにエリックに視線を向ける。エリックは苦笑した。

「何だ」

「エリック、私は……」

 躊躇いを見せるジェーンに、エリックは少しだけ救われる。が、彼女が選ぶのは自分ではない。

「チャンスをもらえないか」

 ジェーンは唇を強く結んでいる。

「チャンス?」

「私に、呪いを解かせてくれ。それまで、レイチェルを私に任せてもらえないか。無茶な頼みなのはわかっている。けれど、エリックに必要なのは、呪いの巫女の死か? そうすれば、エリックの安寧は得られるのか?」

 詭弁だと、言っていてジェーンは自分でも思った。詭弁ですらなく、ただの言い訳かもしれないと。エリックにも、その思いはわかっていた。

 もし、呪いの巫女が存在しなかったら。

 エリックはふと思う。ジェーンと思いを交わすことはできたのだろうかと。しかし、平穏な世であったならば、自分の隣にはレイチェルがいたかもしれないし、はたまた他国の王家の娘がいたかもしれない。

「お前を王妃に選んだのは、俺だ。お前の代わりは、どこにもいない」

 ジェーンは、まじまじとエリックを見た。

「王妃として、行ってこい。そして帰ってこい。俺の背中は、お前に任せる。俺の呪いを、解け」

 緊張した面持ちで、ジェーンは頷いた。

「ありがとう、エリック」

 礼を言うが早いか、ジェーンはエリックからするりと離れる。エリックは、ジェーンのすり抜けていった手を、名残惜しそうに下ろした。

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