第21話

ジェーンは、広い城の中をエリーの先導で目的の部屋へと向かった。歴代の王が使用し、またエリックも使用している執務室とは少し離れた塔にその部屋はあった。エリーが錆びかかった鍵を開けると、室内に充満した埃のにおいが襲ってきて、ジェーンは思わずむせた。しかし、かまわず室内に入っていく。横からゆらゆらと天灯虫が飛んできて、足下を照らす。エリーはあたりをうかがうようにして、重い扉をそっと閉めた。

「知っている限りでいい、エリー。当時の状況を教えてほしい」

 エリーは頷く。

「前段階として、先王陛下は弱っておいででした。お一人では、立っていることすらできないほどに。宴の類は行われず、重要な式典以外はこの部屋でお一人で過ごされていました」

 ジェーンは、固い椅子に座り、埃がつくのもかまわずに背もたれに寄りかかる。先王が、執務室として使用していた部屋は、エリックのそれよりは幾分広いものの、今はがらんとしている。絵画は取り外されたような跡があり、机も椅子も、余計な装飾は施されていない。先王はこの椅子で、何を見ていたのだろう。今は封鎖され、誰一人この部屋に近づこうとしない。入り口に飾られた先王の鎧だけが、槍を片手にこの部屋を虚しくも守ろうとしている。

「仮に、暗殺だとしよう。トレヴィシックの人間で防げなかったのか?」

「部屋に入れたのはエドガー一人です。しかし、周囲は常に数名の精鋭を配備していました。陛下には、外傷もありませんでしたので、武力による暗殺の可能性は極めて低いと思います」

「ずっと噂が絶えないのは毒殺だな。戦後、貴族への取り締まりを異常に強化してる。食事は、どうしてたんだ?」

「身の回りのことは、エドガーが全て手配していましたので……」

「すごいな、エドガーは」

「心酔していたのです。先王陛下に。それに、ずっと手塩にかけてきた王でもありましたから」

 じっと、先を促すようにジェーンはエリーを見つめる。

「王族が生まれると、私たちは少し年上の者を世話役として決めます。そしてその瞬間から、その方をお守りし、その命に応えられるよう励みます。それが私たちの一族の使命ですから。エドガーは、幼少からその卓越した技能を見込まれて、王太子につけられ、兄弟のように育ちました」

「アーノルドも、そうなのか?」

「はい、しかし……」

 エリーは言葉を濁す。

「先王のことがあってから、陛下はトレヴィシックをお疑いになっています。無理もないことです。暗殺であったにせよ、呪いであったにせよ、我々が、防がねばならないことですから。それ以来、陛下はお一人で戦われる決意を固められています。テレサ様を、喧噪から遠ざけ、姉君を他国へ嫁がせ……」

 ジェーンはうなだれた。

自分は他人だ。あくまでも。エリックの心の奥深くに根付いているものに、土足で踏み込んでいいとは思わない。しかし。

「陛下を、お一人で戦わせるわけにはいかない。エドガーから話が聞けるといいんだがな……」

 エドガーは、呪いの巫女を探していた。それを頼りに、呪いの巫女の伝承のあるところをトレヴィシックが回ってみたものの、これといった成果は上げられていない。トレヴィシックですら掴めていないのだ。ジェーンが掴めようはずはない。が、諦められない。

 こつ。

 一気に空気が張り詰める。じり、とエリーは背にジェーンを隠すようにして辺りをうかがった。同時に天灯虫は懐に収められ、辺りが闇に包まれる。夜目の利かないジェーンを気遣ってか、エリーの手がジェーンの腕を掴んだ。部屋の外の廊下で、足音がする。ジェーンは部屋の状況を思い起こした。入り口は一つ。隠れられそうな場所はない。そして、万一の時に使えそうなのは、鎧の持つ槍くらい。

 エリーは短剣を構え、机の裏に隠れるよう促した。足音は辺りをはばかるように近づいてくる。そして部屋の前で止まった。そして、かちりと鍵が開けられると、しずしずと一人の男が入ってきた。手にした小さな月光蝶の込められたランタンの灯りが、男の顔から胸元までを照らしていた。

 ジェーンは机の後ろからこっそりと、様子をうかがう。下男のような服装をしている。さすがに顔に見覚えはない。どこかの貴族の手のものかと、手がかりになりそうなものを探してみるが、よく見えない。と、足音が、再び近づいてくる。ジェーンは唾を飲み込んだ。手に、じんわりと汗が滲んでいる。

 城内に住むようになって数年が経つ。しかし、先王の執務室のある塔へは、テレサの意向で固く閉ざされていた。行こうとした者など見たことはないし、何の機能もないはずだ。そこに、どうして。

 再び、静かに扉が開けられる。現れた人物にジェーンは目を見開いた。

「ナタリー」

 思わず、声が漏れる。ナタリーは弾かれたように部屋を見回す。見たこともないような強ばった表情が、橙色の灯を受けて白く光る。エリーが、ジェーンを隠すように腕の中に抱き寄せた。ジェーンの背を、冷や汗が伝う。男とナタリーは互いに顔を見合わせ、部屋の中を改め始めた。灯火が、揺らめきながら近づいてくる。

 ぎい

大きな音がして、扉が開け放たれる。ランタンの光が、外からの光にかき消された。

「何をしている」

 ジェーンは目を見開いた。

「陛下」

 男が声を上げる。現れたのは、少しいつもの余裕をなくしたエリックだった。

「ここは、立ち入り禁止のはずだ。何をしている」

 低い声で、エリックは問う。冷ややかな瞳に、ナタリーがたじろいだ。

「申し訳ありません」

 緊迫した空気を破ったのは、男だった。

「身分違いの恋でございます。見つかってはブリュワー嬢にご迷惑がかかると、このような場所で逢い引きをしておりました。お許しください」

 額を床にこすりつけんばかりに、男は詫びた。ナタリーも、青ざめた表情のまま頷いた。エリックは二人を一瞥する。扉の外に顔を向けると、行け、と短く命じた。男はナタリーの肩を抱えるようにして、足早に立ち去る。二人の足音が去って行くのを聞いて、ジェーンは身体の力を抜いた。

 扉を閉めると、エリックは二人の方に近づく。エリーはジェーンを助け起こすと、天灯虫を再び解き放った。ぼうっと、エリックの顔が微かな光に照らされる。眉を寄せ、不機嫌そうな顔をして、口をへの字に曲げている。

「ありがとうございました」

 ジェーンは礼を言う。エリックは軽く睨んだ。

「まったく、手間のかかるやつだな」

 言って、机に腰掛ける。大きく息をつくエリックに、ジェーンは天灯虫を呼び寄せると、エリックの顔に近づけた。

「何だ」

「顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」

「そんな明かりじゃ、顔色なんてわからないだろ」

「ジェーン様が、暗部へ向かわれたと聞いて、とんで来てくださったんですよ、陛下は」

 背後でエリーが小さく言った。エリックはエリーをひと睨みする。

「余計なことは言わなくていい」

「陛下は、意外とシャイなんですね」

 ジェーンの言葉に、エリーは吹き出した。

「ジェーン様、今更です。シャイで、ロマンチストなんです、陛下は」

「ロマンチスト? あー、まあ、そうなのかな」

 ジェーンは、レイチェルのデートの逸話の数々を思い出す。

「歯の浮くような台詞もおっしゃってるようだし」

「――いいから、おまえらは埃を落として出てこい。周りに怪しまれるぞ」

 エリックはそれだけ言うと、早足で去って行った。

「ジェーン様」

「何だ」

「ジェーン様のお気持ちは、きっと届きます。陛下にも届いています。けれど、陛下はそれを受け止め慣れていらっしゃらないのです」

 いつか。両親や、先王夫妻のように手を取り合って歩んでいきたい。そう思わずにはいられない。ジェーンは埃を払いながら、頑張るよと苦笑した。

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