第12話
「どういうことですか、陛下!」
部屋へと退いたエリックに、ジェーンは詰め寄る。
「あなたは言った、私は王妃に相応しくないと! なぜレイチェルを選ばないのです! これは、余興なのですか?」
「余興ではない」
煩いとでも言いたげな顔で、ジェーンの方は見向きもせずにエリックは返す。
「ならばなぜ……。撤回して下さい!」
「キュセスへの誓いを破棄せよと?」
ジェーンは言葉に詰まる。キュセスへの誓いは絶対だ。エリックは豪奢な上着を無造作に脱ぐ。アーノルドがすかさずそれを受け取った。もう、広間へ戻る気はないのかと、ジェーンは落胆した。それでも、諦めきれない。
「レイチェルではなかったのですか? 最高の王妃になると仰ったのは、陛下でしょう」
「言ったとも。でも、王妃にするとは一言も言っていない。おい、着替えるぞ」
エリックは側仕えの者に、寝間着を用意させる。
「出て行かないのか? 俺はかまわないが」
シャツのボタンに手をかけて、エリックは初めてジェーンを見た。顔を真っ赤にして、ジェーンは唇をかみしめている。相手が王でなければ、今にも殴りかかりそうな剣幕だ。しかしエリックはしばし見つめた後、視線をそらした。
「おまえは自分の心配をした方がいい。六候の悪意と宮廷中の羨望が、おまえに集中するのだからな」
言って、シャツを脱ぎ出す。ジェーンは吐き捨てるように失礼しますと一礼すると、踵を返した。
「ジェーン」
その背に、エリックは声をかける。ジェーンは足を止めた。
「美しい女も、憧れの眼差しも、王であればいつでも手に入る。見飽きたんだよ。せいぜい俺を、楽しませてくれ」
ジェーンは怒りを押し殺した声でもう一度失礼しますと言うと、靴音を響かせて去っていった。エリックはちらとその背を追いかけたが、考え込むように目を伏せた。
退室すると、そこにはレイチェルが一人佇んでいた。顔色はいつものようなピンク色に染まっておらず、薄暗い明かりに不気味に照らされていた。
「レイチェル……」
言葉が詰まる。一気に体の熱が引いていった。逆に、レイチェルの目には見たこともないような怒りが浮かび上がった。ジェーンは目を見開く。
「嘘つき!」
形の良い唇が、震えながら叫ぶ。
「親しくしてないなんて、全部嘘だったのね? 本当は隠れて狙ってたのね!」
違う、と言いかけて止まる。彼女から夢を奪った。それは紛れもない事実だ。
「私が嫌いだったの? 答えてよ、ねえ!」
レイチェルが掴みかかる。ジェーンは揺さぶられながら、ただただ、彼女の整った顔が涙でぐしゃぐしゃになっていくのを見ていた。
「ねえ、嘘でしょ? 嘘だって言って!」
言いたい。言ってしまいたい。けれど、どう言っても言い逃れにしかならないことを悟って、ジェーンは初めて見るレイチェルの狂気を受け止めていた。
「その辺にしていただきましょう」
突然、ジェーンの背後から声がかかる。ジェーンは呆然とした顔をそちらに向ける。軽装の女性が、静かにそこに立っていた。どこかで見たような服装だ、とジェーンは目を凝らす。闇に溶けるような色だ。アーノルドと同じだと、ジェーンは思い当たって警戒を解いた。逆に、レイチェルは彼女を睨む。女性は意にも介さず、レイチェルの手をいとも簡単に解いた。
「申し遅れました。わたくし、陛下よりジェーン様のお世話を仰せつかりました、エリーと申します。お送りいたします。さ、こちらへ」
エリーはそう言うとレイチェルとジェーンの間に素早く入り込み、ジェーンの背を押すように先導した。
「待ってくれ、エリー。私は大丈夫だから、レイチェルを送ってくれないか」
ジェーンは身を捩らせてエリーから離れようとする。エリーはかぶりを振った。
「ご心配には及びません。他の者がお送りいたします。あなたは私が責任もってお守りしなければなりません。故に、理由なく離れるわけにはいきません」
「しかし……」
「行ってよ!」
ジェーンの言葉を、レイチェルの叫びが遮る。ジェーンは振り返った。
「私のこと、今更気にしないで!」
ブラウンの瞳から、止めどなく涙が溢れている。まるで宝石が零れるようで、ジェーンは不謹慎にも美しいと思った。
(なのになぜ、陛下は選ばなかった)
がくんとレイチェルは膝を折る。もう、ジェーンを見てはいない。ジェーンはエリーに促されるまま、その場を後にした。
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