57 二つの願い  その1

 たった一度きりの小さな破裂音が、戦場にいる誰によって起こされたものなのか。耳ではなく勘からの情報として、勝利は即座に理解した。

 モニターの分割画面を追うと、虫の少年が放った小さな願いは白スーツとスールゥー双方に届いている事がわかる。

 同じく、ダブルワークも静止していた。君恵吸魔でさえもだ。

 第四の刺接点を巡る戦いだというのに、ダブルワークの左足が、棘に覆われた吸魔の尾が、激しく衝突した直後に一ミリと動かぬ立体物と化している。

 勝利は、ふと気づいた。奇しくも絶好の機会が舞い込んだのではないか、と。

「だ、ダブルワークさんっ!!」

 群星機の名を叫び、吸魔より先に動くよう促す。最後の刺接点にピンを打ち込むなら、絶対に今だ。逃す手はない。

『助かったぜ、勝利!!』戒めから解放された緑の縫修機が、飛翔体からピンを撃ち出す。『神性の刺接点、これで終わりだァッ!!』

 細身のピンが一本、腹の方から吸魔を構成する炎の中に潜り込んだ。

 先端が急激に速度を下げ、腹のほぼ中央で止まる。

 武装した球状の尾が、棘を収納しだらんと下がった。最早、吸魔は戦意を喪失し、間近にいるダブルワークへ牙も角もかけようとはしない。

 この時になってようやく、勝利の右隣に座るライムがシートベルトを外し縫修師専用のシートから降りた。

 勝利は覚えている。百合音吸魔の時には、一つめの刺接点『存在』に続き二つめの刺接点『自我』を突いた時点で、縫修師がシートから体を外した事を。『自我』の肯定後、ライムは立ったまま百合音吸魔との会話に臨んだ。

 吸魔化した神を相手にする場合、三つ目の刺接点『時間』、そして四つ目にあたる『神性』とそれら全てを突かなければ会話さえ始められない、という事のようだ。吸魔化した神の方が難易度が高いとは、会話の成立条件の事をも指しているのだろう。

 当たり前といえば当たり前なのだが、神は人とは根本的に違う。個の意味も、存在の成り立ちすらも。

 屈折し反響した先から、君恵のすすり泣く声が聞こえる。

『私ヲ、消シて、くだサイ。ライむ様』

「自分を責めてはいけない。真田君恵さん。今から、あなたに縫修を行う」

 説得を始めつつ、眼鏡の紳士が急ぎコートを脱ぎ始める。

『私は石塚サまを、傷ツけて、しまイました。決闘神づきデ、ある事が、疎まシいです』

「君恵さん……」

 そっと彼女の名を呼ぶ勝利に気づいているのかいないのか、女神が嘆きながら返す。

『闘神デは、土地守ヲ、引き継ぐ事スら、できまセン。私は和也サんの代理に、なれなイんです。時代ニ、合ワナい女神……。消して、クださい、私を……』

 赤い揺らぎが、吸魔の姿を更に朧げなものに変える。闇によって捻じ曲げられた闘気が元の純度を取り戻し、彼女の悲しみにまとわりつきながら熱を放つ為だ。

 勝利は、思わず口端を曲げる。

 石塚を倒す程の力が、何の女神であるかに由来するものだったとは。しかし、自身のその本質を嫌悪するなど、あまりに気の毒でならない。

 神として、彼女達には不死という能力が与えられている。

 だから、望むのか。切り離す為の死を。

 脱いだコートをシートにかけた時、ダブルワークの集音機能が『迎えに来た』と優しく囁く別の男の声を拾った。白スーツを着た男のものだ。

 一瞬、ライムが硬直する。縫修を始めるにあたり、相当に集中力と気合いを高めていたのだろうに、闇神の声が緑の縫修師をかき乱してゆく。

 反射的に、勝利は自分用のシートから飛び降りた。

「ライムさん。縫修を始める前に、俺をチリの手の所まで行かせてください!! 俺、何の心配もない状態でライムさんが縫修できるようにしたいんです!!」

 赤い手元が映っている画面を指し示し、真っ直ぐにライムを見つめ許可を求める。

「勝利君……」縫修師の眼差しが、僅かに下を指し詫びた。突飛な願いの意図を理解している証だ。「私も君と同じなのだな。全てを丸く収めたい、などと願ってしまう」

「いいんですよ、それで。あの子の事は、俺達仲間に任せてください!!」

 言ってから、分不相応だったかと勝利の身の丈が急激に縮む。

 勝負神の代理を引き受ける事ができず、ライムの側に立つ勝利は、単なる人間の知り合いという関係にまで滑落してしまった。その一人間ごときが、最高神格を持つという神に向かって「仲間」を強調するなど、彼を敬愛する神々が知ったら何と言おう。

『やめとけ。気持ちは嬉しいがな』有翼の美神となったダブルワークが、スーツ姿のライムを背後から抱きしめ空中へと引き上げた。『白スーツの毒は強すぎる。不二やチリに触ってるだけじゃ、人間の吸魔化は抑止できねぇ』

「不二のシールドでも無理ですか?」

 突如、思いつきの案が勝利の口を突いて出る。

 ダブルワークはむすっくれたまま沈黙し、ライムは「何とも言えないな」と半端な反論をするに留めた。

 つまり、試してみる価値がある、という事だ。

 モニターに映る白スーツの手を、ミカギの声音がゆっくりと払った。

『聞こえたのね、あなたにも』

『当然だ』と、白スーツがやや顎を引いて控えめな牽制をする。

 少年を抱き上げ、帽子を被った女神が僅かな指の動きで彼の金髪を優しく撫でた。

 虫の少年は、尚もぐったりとしている。時々苦悶の表情を浮かべる顔は昨日と同じ良色なので、勝利は自身に言い聞かせた。

 人間に当てはめてあれこれ想像するべきではない、と。

 少年だけを見つめ、ミカギが話を続ける。

『この子は、あなたと私達が戦う事を望んでいないのよ。たった数時間分だけど、美味しいものを食べて、遊んで。地上にいい思い出が幾つもできた。最後の最後に知っている者同士が目の前で戦い始めて、きっと凄くショックだったのね』

『だから、これ以上の衝突は避け部下を置いて帰れ、と言うのか? この私に』

 ミカギの両手が、自身の胸に虫の少年を押し当てた。

 同じ姿を持つ兄弟達二人が赤面する中、赤の縫修師が決然と言い放つ。

『そうよ。小さな体にあるエネルギーのほとんどを、あの一瞬で放出してしまった。次にいつ目を覚ますかなんて、もう誰にもわからなくなってる』

『まさか……』

 裏返った声で短く反論する白スーツを無視し、ミカギが少年の兄弟達を見比べる。

 二人の顔が、くしゃりと歪んだ。

 勝利の心臓に、小さな針が刺さる。縋りたい一心で固く握り締めたのは、自分専用の携帯端末だ。

 映像に映るミカギが、次第に帽子のつばを下げてゆく。

『そう……。聞こえたのに、わからないのね。あなたには』



          -- 「58 二つの願い  その2」 に続く --

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