47 黒の怒り  その1

 状況をより正確に把握しようと、勝利は、白く大きな五指の隙間から僅かに身を乗り出した。

 月明りさえない曇天の下。裸眼の身で頼りとするのは、ヴァイエルの全身が放つ白色系の輝きだ。

 チリが纏うものの方が若干白に傾いている為、二機が前後を入れ替えるだけでも、彼等が空中で何を行ったのかを視認する事ができる。

 赤の縫修機は一旦後退した後、機体を南へ北へと不規則に揺さぶっていた。

 対照的なのはスールゥーで、その位置を固定したまま微動だにしない。

 見極めたいのか、敵の出方を。

 本格的な戦闘には参加できないチリとダブルワークの代わりに。

 勝利が目を凝らしたところで、緑の縫修機が指の間隔を狭め『よせ』と強い語気で警告した。『今一番危険なのは、あいつらじゃねぇ。生身のお前だ』

 はっと我に返り、慌てて指間から退く。

 その間に、白い掌が勝利の体を胸部の球体に押しつけた。今度は、転送終了まで速やかに進む。

 眩しいと俯いた後に目を開ければ、周囲は見覚えのある球状空間だ。

 ライムは自身の専用シートで「チリ」と呼びかけ、既に仲間との交信にとりかかっている。「こちらでも確認した。保護した子の兄弟と見て間違いなさそうだな」

「ええっ!?」

 何処にいるのか、少年の兄弟は。接触などいつ始まった?

 ゲスト用のシートにつくのも忘れ、勝利は球状空間に浮いたまま正面方向のモニターに視線を走らせる。

 整った凹面を描く球状画面には大小複数の映像が表示され、始終ライムの判断を助けている。

 当然、最も大きな割合を占める映像は、ダブルワークを視点とした市川市の遠景だ。機体が微速で前進している為、上下、左右、そして前後の中で、下方に表示された景色の変化が特に激しい。

 これら多方向の遠景を同時投影するモニターが、正面右横の一カ所だけを四角く欠いていた。

 分割画面の中央に映っている人影は、チリに対し背を向けているミカギだろう。帽子が邪魔をしバスケットの様子を窺う事までは叶わないが、他に、時折画面の端を横切る小さな裸体がある。

 一人。いや、二人はいそうだ。

 突然、画面に割り込んだ裸体が静止画になった。それぞれの姿が切り取られた後、顔を画面の中心に据えたズーム画像となる。

 AとB。アルファベットを振られた二人のアップが、ミカギの背にかからない形で縦に並べられた。

(これは……)

 くせのある短い金髪と幼い顔立ち、そして目のやり場に困る体つきまで。二人分の映像を細かく見比べるまでもなく、彼等が翅を失った少年と同じ容姿を持っている事実を突きつけられる。

 勝利は、ふと昼の衝突を思い出す。翅を失うまで、件の少年は勝利どころか縫修師達にとっても不可視の存在ではなかったか。

 ヴァイエル化したチリの視覚を経由した結果、不可視のベールはいとも簡単に剥がす事ができた。彼等の姿だけでなく、二人一緒に行動している様子、更には彼らがバスケットの中身に気づいている事も、映像から読みとる事ができる。

 未だに二人の姿を確認していないのは、おそらく唯一機外にいるミカギだけだ。バスケットを抱え不規則なチリの回避に耐えている姿こそ、勝利の見ている映像の彼女という事になる。

 見えるからこそ、器用に避ける。赤の縫修師を小さな拳から護る為、チリが盛んに機体を揺さぶり続けた。

 勿論、それが消極的な行動だとチリも重々承知しつつ。

 ミカギからは見えない、か。

 ならば、いっそそのままの方がいいかも、と勝利は眉根を寄せる。

 顔立ちの整った少年達なのに、映像に目をやると気が滅入る。残念な事に、兄弟二人にも翅を無くした少年と同じ変化が訪れていた。

 その全身は黒い靄に包まれ、かわいい顔に陰を落としているのは憤怒の影響で裏返ってしまった臆病者の乾きだ。

 兄弟を取り戻したい一心でミカギに絡もうとしているのだろうが、感情の剥き出し方が無駄に激しい。

 自身の暴発を持て余しているようでさえある。

 弱者と言われている泣き食い虫と、土地守の和也。いずれにも属してはいない激情の表出に、声の出ない哀れな嗚咽が重なった。

 どちらでもあり、どちらでもない。そう、上手く混ざり合っていないのだ。

 今後、彼等三人は、どこに何として位置づけられるのだろう。

 まんぼう亭で聞いた「酷い」の意味が、次第に明らかになってゆく。

 勝利の肩が、震えた。

「ライムさん」隣接するシートに手をかけ、勝利は腕の力だけで全身をシート上に持ち上げる。「あの子達、きっとミカギさんのバスケット狙いですよね。不二に対応させますか?」

 勿論、致命傷を負わせない程度の方法で、だ。

「勝利君。あの二人だけ、というのはおかしくないか?」ちらりと、ライムが横を向いた。「今、チリとスールゥーの周辺に白スーツの男がいない事を、君はどう思う?」

「え……、と…」

 右手に携帯端末を握ったまま、勝利は不二への指示出しを躊躇する。

 ライムの勘は、多分正しい。

 今、最も無防備なのはミカギだ。

 しかし。白スーツの本命が、翅をなくした少年の奪還にあるとしたら。不二に備えさせるべきは、チリの掌で起きている小事ではない。

 勝利は考えた。もし、自分が白スーツならば、と。

 戦力となるのは、自分一人。

 ならば、混乱を望む。縫修師達の連携が困難になるような、より大きい混乱を。

 突如、一本の通信が勝利の思考をかき乱した。

 発信主は、湖守だ。

『みんな、聞こえるか? 今、石塚君から連絡があった。君恵さんが店の外に出てしまったらしい。そこで……』

 と、同時に。

 ダブルワークの映像にあるスールゥーが、前触れもなく下から垂直に突き上げられた。大きな衝撃音は、緊急事態を伝えんとする湖守の声を一瞬だけだがかき消してしまう。

 それでも、続いたであろう言葉は大方の見当がついた。

 姿勢の崩れた黒い機体を下方から追跡する者がいる。

 巨大な赤紫炎の獣だ。

「まさか……」勝利は、か細い声で呟く。

 やられた、と誰もが考えの足らなかった自身を責めた。

 牛のようながっしりとした四つ足の体型に支えられ、頭部から生えた五本もの角が雄々しく空を指している。尾は長く三つに裂け、それぞれの先端に大きな丸いボール状の赤塊がついていた。

 吸魔化した百合音達よりも、露骨な武装が物々しい。

 闇の介入により、このタイミングで誰かが吸魔と化したのか。

 そう。赤紫色と炎の色は違えど、スールゥーを襲ったのは紛れもなく吸魔だ。

 何故、ここに吸魔が現れたのか。一体誰が吸魔化したのか。

 いずれの答えも、湖守がもたらした情報の中にある。

 携帯端末を持つ右手を小刻みに震わせ、勝利は思わずモニターから目を背けたくなった。

「どうして外になんか……、君恵さん」



          -- 「48 黒の怒り  その2」に続く --

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