42 夜に蠢く  その6

 鍛冶神からの届け物があると乃宇里亜が三解のベルを鳴らし、勝利、ライム達緑組、ミカギ達赤組が脱衣室の前に集まった。

 虫の少年はツェルバ達黒組と風呂から出たばかりで、これ幸いと、ツェルバが鍛冶神の用意したピンク色のシールド服を着せてやる。

 乃宇里亜の粒子をかける事で全身を覆った青い服とは異なり、鍛冶神が用意したものは、日本の浴衣のような上下一体型だ。

 浴衣を着せる要領で上半身と下半身を同時に包んでやると、布状のシールドは、翅を露出させたまま少年の体にぴったりと張りついた。外観は、鮮やかなピンクのウェットスーツだ。

 頭には、飾りのついた同色のバンドを巻いてやる。その二つだけで、髪や翅、手首など、一見露出して見える場所をも覆った事になるという。

 迂闊な接触による汚染の心配は、これで完全になくなった。乃宇里亜のシールドより性能面で優れているのか、青い服からは微かに漏れ出ていた闇の気配まで見事に封じられている。

 無言の少年はまんざらでもない様子で、クッションの入ったバスケットに自分から進んで潜り込む。

 やはり鍛冶神の手によるというバスケットは、角のない形をした蓋付きだ。何故か、本体、蓋、手提げ部分の全てがラタン編みの天然素材風という乙女ちっくな造りをしている。

 中に白地のクッションが詰めてあった。三〇センチ程しかない少年が膝を伸ばしたままでも横になれるゆったりサイズは、おそらく意図したものだろう。

 ふかふかのクッションを何度も両手で押し、金髪の頭がひょっこりと現れる。その仕草はなかなかにかわいらしかった。

「気に入ったみたいだね」

 スールゥーが浄化目的で背後からツェルバに抱きつくと、勝利は役割の不明なバスケットを右手で指す。

「服はシールドだとして、これは何の為にあるんですか? 鍛冶神がわざわざ用意した物なら、ただのバスケットじゃないですよね」

「ふーん、知りたい?」

 ツェルバのしたり顔にも動じる事なく、勝利は至極当然のように「凄く知りたい」と力を込めて返す。

 黒い虹彩を持つ少年が、何故か赤面し速攻で横を向いた。その辺りのリアクションが、先程のスールゥーと酷似している。

「勝利クン。これはね~、半径三メートル以内に入ってくる闇のエネルギーから運び手を守ってくれるの~。ヴァイエルの浄化機能と同じものが仕込んであるって事。私の別動に備えた、言わば保険ね~」

「なるほど」と、勝利は感心しつつ頷いた。「今回、ヴァイエルの外に出る縫修師はミカギさんだけですし、汚染についての備えって絶対あった方がいいですよね」

「もし、噂の白スーツが来たら…」チリの右手が、物騒な手刀を模した。

 スールゥーがそうであるように、チリもミカギを護る為ならば鬼神となる事をも辞さないのだろう。

 縫修の際、縫修機は縫修師に自身のコントロールさえ委ね全ての主導権を与える。ダブルワークもスールゥーも、そしてチリも同じだ。彼等は皆、自身の存在を『縫修師あっての我ら』と定義づけている。

「チリ。俺の不二も数に入っているのを覚えててくれるかな」

 安心させるつもりで、加勢の件をやや強調した。

 鼻息の粗い赤の縫修機が、面食らったように眉を上げる。

「がんばり屋さんね~、勝利クンは。私は好きよ、そういうのぉ」

「す…、すき……、ですか……」

 金髪赤眼の美女から「好き」と言われ、勝利の耳に歓喜の赤みがさす。光栄というより、男として単純に嬉しい。

「そ、それじゃあ、おやすみ…」

 両手でバスケットを抱え上げると、褐色の肌の少年が勝利達に挨拶をした。

「おやすみなさい」

 軽く微笑んで、勝利は四人全員が最奥の部屋に消えてゆくまで見守る。何故ツェルバとチリが普通に返事を返してくれないのか、不思議に思いながら。

 風呂、着替えなどを済ませ、勝利は初めてライム達の部屋でカーテンの奥に進む。

 ダブルワークが動かしたのは、やはりベッドだった。シングルベッド二つが窓と平行になるように並べられ、互いの骨組みがつく程寄せてある。硬質な木材同士の隣接によって生まれた溝には、柔らかい詰め物が長々と丁寧に押し込まれていた。

 掛け布団と枕も、いつの間にやら三人分用意してある。全て柄とサイズが同じなので、元々備えてあったものかもしれない。

 遮光カーテンに覆われた窓は古い規格の小さな窓だが、人間サイズの出入りには不便がなさそうだ。

 小さな窓。それは、巨大な敵が外から侵入する事を防ぐ狙いあってのもの、と思われた。

 今夜、人間の勝利を連れライムが窓から飛び出す可能性を、緑組の二人は既に想定している。

 紳士の寝顔を隣で見たいと願っていた自分を、少し恥じた。

 有事が起きて欲しくはないと願っている一方、ライムの寝姿を間近で堪能できる貴重な機会を何処かで楽しんでいる。それが今の自分だ。

 皆、真剣だというのに。

 勝利以外は。

「ほら、ゴロッと行っちまえ」ダブルワークが勝利の背を押し、ベッドの中央で横になるよう促した。「心配するな。窓には乃宇里亜のシールドが張ってある。滅多な事じゃ、窓から敵の手なんざ差し込まれたりはしねぇ」

「あ…、そういう不安はしてないです」仰向けになって、初めて見る知らない天井に心が揺れる。「きっと窓側は、ダブルワークさんなんだろうなって」

「当然だ。俺のヴァイエル化を急げば、ライムもお前もより早く護ってやれる」

 それだけではなかろう、と勝利は察していた。

 闇の爪が窓から差し込まれる最悪の事態。もしそれが起きた場合、ダブルワークは窓際で敵の攻撃の全てをたった一人で受け止めるつもりだ。

 緑の縫修師ライムを無事に逃がす為。それが、パートナーたる緑の縫修機の役割だから、とばかりに。

 なけなしの戦意が、弾ける事もできずに萎んだ。かさかさになった残骸は、敗北感と共に理性の下へと逃げ込んでゆく。

「はぁ……」

 勝利は思う。おそらく自分は、縫修機達よりも和也少年に近いのだ、と。自分の事で精一杯な分、自らの全てを投げ出して誰かを護る程の覚悟からは遠い。

 和也は、特定の誰かに思いを寄せた経験があったのだろうか。

 土地守の力で担当世界を支えながら、一体何を考えていたのだろう。

 神々の他、彼を知る人間と彼を慕う精霊達もいたのだろうに。

「よっ」窓際に立ってから、みしりと音を立てダブルワークが体を横たえる。「寒くないか? 勝利」

「はい」

 ライムも眼鏡を外し、ベッドに入る。

 何もつけていない素顔は、新緑の虹彩が更に引き立って、さながら萌芽の季節を守護する精霊達の王だ。雪解けや花の開花、暖かな風の到来を祝福する大地と空の歓喜が形となっている。

「狭くて申し訳ない。もう少し寄るぞ」

 体を横にしたライムが、勝利の方へと体を押し出した。シングルベッドといっても幾らか大きめに造られている為、大人三人で使用しても窮屈と感じる密着度にはならずに済む。

 それでも、ライムの美貌が間近にあるというのは、眠気が霧散する一大事だった。

 点灯したままの室内で、華の唇に目が釘付けとなる。

「あ…、もう、最高です……」

 馬鹿丸出しの返答をしてから、慌てて一人用の布団を頭から被る。

 ダブルワークが、牽制の咳払いをした。

「す、すみません」

「喜んだと思ったら、突然謝ったり。何か無理をしているのでなければいいが」

「いえ。ほ…本当に、このままがいいです。不二の準備もしてありますし」

 勝利は、ワイシャツの胸ポケットを軽く叩く。

 三人全員が寝間着を使わず、有事に備えベッドで体だけを休めていた。照明を点灯したままにし、明るい室内で瞼だけを閉じる。

 五分経ち十分経っても、勝利に眠気は訪れなかった。

 両側の二人が緊張感を維持している。息をひそめたその緊張感がシーツの上を這い、両側から勝利の皮膚を軽く刺激する為だ。

 起き上がる時には、コンマ一秒でも早く。そのような備え方をしているのだろう。

 残念だが、ライムの唇やネクタイを緩めた首筋に心奪われるのは、また別の機会にという事になりそうだ。

 ふと、隣の部屋で高い声が壁を打つ。

 ツェルバのものと気づいたライムとダブルワークが、勝利よりも早く起き上がってドアから飛び出した。

 一体誰が考えたろう。異変が、まんぼう亭の入っている建物内から始まる事を。

 勝利が最奥の部屋に飛び込もうとすると、ダブルワークが左腕を水平に上げ入り口で遮った。

「お前は入るな!! 万一に備え、俺の肩を握ってろ」

「はい…」

 それ程の事態ならば、下がっているのが最前策だ。

 中の状況全てを把握できなくなったものの、点灯中の室内でツェルバが虫の少年を両手に抱え右往左往している事だけはわかる。

 少年の両目が、髪が、黒い靄を帯びていた。

 しかし、最も驚いたのは、その顔つきだ。心ここに在らずという無表情に、開閉する口が音を立てている。

 舌打ちのような、自身の唾液をすするような、昼間は全く行っていなかった仕種で声ならぬ声を発し続けている。

 顔立ちは以前のままなのに、ピンクという愛らしい色は少年の異質さを払拭する事ができず、全身から浮き上がっていた。

 勝利も、ライム達も、全員が理解する。

 これは、理性ある者のする事ではない。

 泣き食い虫の飢餓感が少年を支配した結果なのだ、と。



          -- 「43 まんぼう亭の外へ」 に続く --

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