15 標的探し

 地上に張りついた建造物が小さな凹凸と化す高度では、空に起きた小さな異変に気づく者は神の中にもいない。縫修機達による監視の目を逃れていれば尚更だ。

 都心上空に、小さな点が現れる。

 点は黒い円となり直径一メートルほどの大きさに成長すると、緩やかな変化を止めた。

 円が濃色なだけに、唐突に現れたそれは、空に穿たれた一つの穴を思わせる。決して重力に牽引されず、風に流される事もない。

 異界と繋がった事を示す開口部だ。

 尤も、吸魔が体当たりをする事でようやく通じる破壊の結果とは成り立ちが随分異なっている。もし、人間の目にその穴が見えていたら、空が自ら閂を開けたように映ったろう。

 中から、黄金の靄が金髪の少年を三人従え踊り出る。靄はすぐに、黄金の鳥として形を整えた。

 眼球を持たない黄金の鳥は、神造神となる事で空間神が得た、もう一つの姿だ。吸魔の性質を帯びている為、人間は見る事ができず、人の姿を結ぶと人間の目にも止まる。

 少年達は、全員が同じ造作の顔を持っていた。兄弟というより三つ子で、表情の変化どころも同じなら、全員が背に羽虫の羽を四枚生やしている。

 闇に趣旨替えしたとはいえ、未だ空は空間神が望みさえすれば、何時何処であろうとその腹を進んで開く。

「…日本に出た、な」

 コンクリートとアスファルトを敷き詰めている日本の都市部が、鳥の形を成した空間神の足下に大きく広がっていた。野鳥さえ敬遠するかなりの高度に留まっている為、ざっくりと環状鉄道の内側を一望している格好だ。

 仰ぎ見れば、やや雲の多い寒空が小さな太陽を隠していた。もし雨雲であれば、空間神の周囲に広がって視界の全てを奪っていたと思われる。

 同系色だというのに、片や人の手によって敷設された硬質な鈍色。片や、自然が生み出した気流任せの奥行きある鈍色。相容れない両者は地平線という境界で隔てられ、決して交わる事はない。

 境界が滲んで消えるのは、全てが暗色に染まる夜だけだ。

 時神とは嗜好を異にし、空間神は夜の黒が好きだった。混沌を混沌のままに否定はせず、ただ縦横無尽に覆い隠す。

 露わになどしなくていいのだ、と空間神は考える。生と死、思惑が点っては消える人間の世界も、そして闇の城と呼ばれる白亜の本拠地の内も。

「夜景の美しい時間帯まで待つのも良し…。摩天楼、あれはいい」独りごちる声に乗り合わせるものは、憂いというより怠惰な吐息だった。「いや、夜まで地上の徘徊は叶うまい。仕事熱心な土地守達に見つかってしまうからな」

 特別自責を感じている様子のない空間神を、やはり空中に浮いている少年の容姿をした闇の使徒が三人、指示を待ってついと見上げる。

「さて。命じられたはいいが、どこまで本気で取り組んだものか…」

 空間神の口から、突然耳を疑いたくなるような本音が飛び出した。

 驚いたのは、小さな闇の神造神たちだ。

「心配するな。私も、一周勝利なる神には大いに興味がある。運命神の痕跡を持つなら尚の事」黄金の翼が、すっと闇虫の一人、ガレダに伸びて、柔らかな黄金の頭髪を撫でた。「しかし、時神に差し出せば、一体何が起きるか。それは火を見るより明らかというもの。先程の土地守の少年、君達とて死なせたくはなかったろう?」

 闇虫たちが、空間神の懐に集まってきた。話す事ができない分、親とも言うべき少年神の消滅を深く嘆いていると仕種でわかる。

 その頭の一つ一つを、空間神は癒し慰めるように羽根先で撫でていった。

「だから、私が不真面目に取り組みたいと考えているのは、内緒だ」

 ゴズ達三人が、背中の虫羽を羽ばたかせつつ、口の前に右手の人差し指を立てる。互いに顔を見合わせては、空間神の望みなのだと確認していゆく姿は、闇に属する者であっても、目を細めたくなるほど愛らしかった。

「おおっ、そうだな」空間神が、鳥の容姿のまま嘴の端を上げて頷く。「今の私の不忠発言は、君達と私だけの秘密にしよう。誰にも言ってはいけないぞ」

 こくこく、と三人の闇虫が少年神の容姿で繰り返し頭を上下させた。

「とはいえ、吸魔は増やして帰らねばならんな。縫修師…。折角の機会だ。そろそろ奴等について情報の収集を始めるのも悪くない」

 意を決し黄金の鳥が次第に高度を下げてゆくと、虫の羽を持つ使徒たちが従順についてゆく。

 特に理由などなく都心上空を離れた。人間達の言う県境を越え、降下を続けつつ狩りの場所を物色する。

 駅なる施設を避け、冬の色に染まった一本の線状緑地帯を目指し地上すれすれの高さで止まる。

 新小岩周辺の親水公園に惹かれた理由は、何か。いや、理由らしいものなど空間神の内には芽生えていなかった。

 強いて言うなら、貧相な緑の線が殊更人界らしく映った為、かもしれない。

「ご覧。これが地上に生える植物というものだ」空間神は、常緑の針葉樹と落葉を終えた広葉樹を翼端で指し、同じ系統のものである事をゴズ達に教えてやる。「お前たちのように飛ぶ事も歩く事もできない。だが、生きている」

 ビグニが、おずおずと針葉樹の枝を満たす濃緑の葉に手を伸ばそうとした。城の白薔薇よりも多彩な様子に、興味をそそられたのだろう。

 その手を、そっと羽根先で掴む。

「触らずに。今は、眺めるだけだ」と、ややきつい口調で制止した。「これらは、動けない生命だ。大地に根を広げていて、闇の者が現れた事を土地守に知らせてしまう」

 生まれたばかりの魔物たちが、揃って唇を尖らせた。初めて訪れる地上で好奇心を制する我慢を強いられ、何ともかわいらしい不服の唱え方をする。

 黄金の鳥が、やれやれと一度羽ばたいた。

「何に警戒すべきかを教えるだけ、のつもりだったのだが。わかるな? 私が人間を吸魔に変えた後、留らずに私は闇に帰る。目的を果たし、闇の手の者は住処に戻ったと光域の神々に思わせておきたいのだ」

 ゴズ達は、渋面を拵え頷いた。

「いいか。緑に染まっているものと枝葉を持つものには決して触れてはならない。そして、私が指さす人間に張りつき、縫修師が接近するのを待て。縫修師の側に、一周勝利もいる筈だ」

 自分達が地上に送り込まれた意味は理解しているので、小さな魔物たちも縫修師の響きには顔を強ばらせる。地上で最も脅威となる敵であると事を理解しているのだ。

「一仕事終えたら、鉢植えというものを神崎に送らせよう」

 空間神が褒美をちらつかせ、虫たちから縫修師の恐怖を取り除いてやる。

 喜び弾ける闇虫たちが、空間神に頬ずりをした。

 人目がない事を確かめると、黄金の鳥は、人間へとその姿を瞬時に変える。波打つ金髪を下ろし、瞳も虹彩も真っ白な両目で植物を認めては巧みに避け小路に出る。

 この一帯の何処かで、三日吹いを行うと決めた。まずは、獲物探しだ。

「私から離れないように」

 そう呟いて、闇の使徒を従え空間神は歩き始めた。



          -- 「16 邂逅」 に続く --

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る