13 綻び  その1

 湖守がランチタイムの仕込みを始めたので、勝利は昨日と同様、三階にあるライム達の私室に移動する事にした。

 受け取ったメニュー一覧は料理の写真と値段、略称が添えられており、A四の紙一枚にそれぞれ五品づつが纏められている。中には、サラダやスープの付いているものも混じっていた。写真を見て覚えるように、という事らしい。

 階段を昇りながらの暗記を始めた為か、ライムが「危ないからよした方がいい」と注意喚起した。

 幸い足下は見えているし、着実に段差の大きさを足が覚え始めている。

「大丈夫で…」

 が。最後まで言い終えぬうち、階段を一つ踏み外してしまった。

 あわや転倒という直前、前方を歩いていたダブルワークが咄嗟に襟を掴み引き上げてくれる。

「だから、よせって」

「はい…」

「焦らなくてもいいんだ」と、眼鏡の紳士が後方で微笑む。「注文頻度の高い料理に、私が後でチェックを付けよう。まんぼう亭はレパートリーの多い店だが、月に一度として注文されないものもある。優先順位を付け、まずはそこから始めるのはどうだ?」

「そうします」素直に応じつつ、勝利は禁断の質問に手を伸ばす。「あ…、あのぉ。ところで、一番人気のないメニューって何ですか?」

 先頭に立って階段を昇るダブルワークが、突然二階と三階の間で立ち止まった。

「大きな声じゃ言えねぇが…。カレー豆腐だ。豆腐丸々一丁に熱々のポークカレーをかけてるんだが、俺的にも組み合わせがなぁ…」

「そういう事をしてしまうんですね。湖守さんは」おそらくは低糖質への挑戦だったのだろうが、人気がなくてもメニューとして残す辺り、善意に対する店主の執念を垣間見る思いがする。「良かれと思って準備はしているんでしょうけど」

「ああ。善意なんだ。あの人のやる事は、全て」無言で再び昇り始めるダブルワークの代わりに、ライムが後方でやや引っかかる物言いをした。「あの人の執念と手腕がなければ、神々のネットワークと吸魔の監視体制は今の形には整わなかったろう。この地上に私達神の居場所を作り、それぞれに役割とやり甲斐を与えてもくれた。私達の恩人だ」

「本当に凄い神様なんですね。湖守さんは」一体、どれだけの人望を神々から集めているのだろう。営業スマイルの下に感情の全てを隠し、自分の苦労は決して吐き出さずにいる。「人間のお客様をとても大事にしているし。そんな神様にも喪失という罰がくだされるなんて、当時一体何があったのでしょうね?」

「そいつが謎なんだよ」褐色の肌の男が、やや上擦った声で応えた。

 三階のドアを開け、三人は中に入る。昨日と同じく手前の部屋に入り同じ椅子に腰かけると、ライムがさっそくペンを持った。

「勝利君、メニューの一覧を私に」

「はい」

 今日は、神々の喪失について特に誰も触れる事なく、勝利のアルバイトの件で三人は共通する空気を纏った。

 二重丸と一重の丸、そして三角に分類された料理の数々を、勝利は二重丸から先に頭の中へと入れてゆく。

 声を荒らげる場面も見られた昨日とはうって変わって、静かな室内に紙をめくる音だけが響いた。

 ライムは愛用の携帯端末でニュース記事の閲覧を始めている。

 一方。ダブルワークは、椅子を軋ませ反り返るようにして天井を仰いでいた。表情はやや険しく、時折テーブルに置いた自分の端末に視線を落とす。

 まるで、鳴る事を願っているかのように。

「なぁ」と、ダブルワークが切り出した。「今日のツェルバ達、湖守さんに頼まれて出かけてるんだったよな?」

「ああ」ライムが肯定する。「昨日、反応がなくなった携帯が一台あるそうだ。湖守さんがツェルバ達に、持ち主の行方を探させている」

「何でも、そいつだったんだろ? 神としての仕事が辛いって湖守さんにこぼしてたって奴ぁ」

「そのようだな」再びライムが肯定した。とうとう端末をテーブルに置き、改まった様子で相方に質問を送る。「どうした? ツェルバの代わりに行きたかったのか?」

「いや。そうじゃねぇ」状態を引き起こして、ダブルワークが真顔になる。「仕事を投げ出したくなった神は、何処に行きたくなるんだろうな。そいつが気になっただけだ」

 立ち入るべきか悩んでから、勝利はメニューから視線を離しそっと割り込む。

「早く見つかって欲しいんですね」

「ああ。嫌な予感ってやつがする。そいつは、お前も同じなんだろう? ライム。ニュースのチェックとか、考えている事が同じだって証拠だぜ」 なるほど、と勝利も得心した。今日の室内が静かなのは、二人揃ってとある神の行方を案じているからなのだ。

「昨日から、なんですか?」

「正確に言うと、昨夜の七時頃だそうだ」勝利の問いに、ライムが答える。「反応がなくなる理由は、二つ程考えられる。一つは、破損によって機能が停止した場合。もう一つが、地上以外の場所に移動してしまった場合だ」

「それって…」海の底か、さもなくば更に遠い場所を指す事になりそうだ。

 迂闊に声には出せない場所という事ならば、ライム達の緊張は十分に説明がつく。

「闇の連中の甘言に惑わされてなきゃいいんだが、な」最悪の可能性に、ダブルワークが敢えて触れる。「因みに。そいつは土地守だ」



          -- 「14 綻び  その2」 に続く --

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