46 縫修 その2
事実、それは人としての時間が断線を起こした結果、正常な繋がりを失った百合音の時間だった。間を三日抜かれて二つに分かれ、しかも吸魔化した瞬間から異界と人間の世界で吸魔の時間を生きている。
勝利の耳にまで、深い悲しみが届いている気がした。
闇色に染まった獣の手で顔を包み、少女が座り込んだまま、すすり泣いている。本来の姿を取り戻したい、と。
輪の塊は吸魔の腹の上で一旦山を成した後、ダブルワークと天使達を取り囲むように大きな円を描き始めた。腹の上から始まり、腹の上に戻ってゆく。細い繋がりで円を成し、その円を巡り、ゆっくりと同じ事を繰り返す。
天使達は、喜々として時の舞いを応援していた。皆が同じリズムで手を叩き、縫修の恐怖を取り除こうとしているかのようだ。
すると、輪の行進が波を打ち始めた。と同時に、白い輪の幾つかが連なりから外れ、上下動を交えながら積極的に独立した踊りを行進に加える。
一瞬にして遊びは全ての輪に伝播し、白い輪は全てが連なりはら外れて舞い踊った。
太陽と海の狭間で、手を叩く天使達に背中を押され、百合音の時間が歓喜の時を過ごす。それは海を渡る蝶の群舞にも似て、幻想的ながらひどく儚げでもある。
場の守護者然と屹立しているのは、華奢ながら闘神たる働きをするダブルワークだ。射出武器は両肩に収容したものの、未だ両刃刀に装着したままこれから始まる何かに備えている。物々しい印象が強く、荘厳という言葉がこの儀式を避けて通るのが面白い。
かと思うと、有翼の天使達はあくまで愛くるしく陽気で、白い輪の群舞は今にも陽に透け光の粒となって消えてしまいそうだ。
勿体ない、とも思う。たとえどんなに美しくとも、この光景が人の目に映る事はない。誰が語り継ぐでもない光景が、勝利を囲む球状モニターを埋め尽くす。後々まで覚えているのは、神々とその使者だけなのだ。
ダブルワークの右手が、白い輪の群舞に差し込まれてゆく。
勝利の頭上では、ライムの右手も少しづつ前に伸びていた。
自ら進んで、二つの白い輪が群星機の右手に収まった。比較的大きな輪と極小の輪の組み合わせだ。
輪の大きさが、百合音の人生にとっての大事・小事と関係があるのか否か。連続した二日間か、別々の日なのか。それら知るのは、ライム一人なのだろう。
二つの白い輪が、それぞれ白い糸となる。
延びて、延びて、ダブルワークの遙か後方に糸の端が生まれた。
「五月雨百合音の一日を、繋がりを無くした時間の縫修に」
ライムが、淡々と呟く。
つまり、三日吸いによって生まれた断線部分と、縫修によって抜かれた時間の断線部分の事だ。
糸の一本が螺旋を描いた後に消滅し、白い輪の群舞が視界から消えた。
「残る一日で、吸魔化した日から今日に至る空白の縫修をする」
もう一本の糸が消え、黒い炎の獣は何処にもいなくなった。
空間の穴は、既に塞がっている。異界に帰ったのではなく、東京湾の上空から容易に逃げる方法もない。
「まさか…」勝利は、自分の成功率操作が失敗したのではないかと疑った。「百合音ちゃんが…、百合音ちゃんは…」
両手で顔を覆いたくなった時、天使達が拍手をした。
巻き毛の天使と直毛の天使達が三人で、光の球に包まれた長髪の少女をダブルワークへと引き寄せる。
百合音は眠っていた。外出した当時の服装のまま、バッグを抱き込む格好で頭を上にし安らかな寝顔をしている。
「ライムさん!! ありがとうございます!!」
目尻に浮かぶ湿り気を袖で拭い、勝利はライムに万感の思いで礼を告げた。
「それは、こちらの台詞だ。ありがとう、勝利君」
勝利が見上げる先に、極上の笑みがあった。
返す言葉が見つからず、勝利はしきりと小さく首を横に振る。
「いよいよミカギの縫修もクライマックスだ」ライムの浮かぶ位置から、ダブルワークの声がした。「安心しろ、勝利。絶対に上手くいく」
モニターの中で、マスの上面から木が生えていた。
広がって延びる枝から、次々と白く丸い果実が落ちては踊る。
赤い独星機の周囲でも、天使が手を叩いていた。ただ、十人少々と緑の縫修師に比べ使いの総数は少ない。
果実の乱舞を、天使がはやし立てている。果実も大きな円を描いて、チリを囲んでいた。
洋上で、大地を讃える踊りが続く。群れを成して果実が舞う様は、洋上を大地と見立てた実りへの感謝にも映る。実りが叶った事を喜び、独星機の施術に願いの歌と舞いを奉納しようとしているのだ。
チリが右手を伸ばすと、果実が二つ、自ら手の中に飛び込んでいった。
それらは、たちどころに二本の長い糸を成す。
『田辺仁の一日を、繋がりを無くした時間の縫修に』
ミカギの声に合わせ、螺旋を描いた最初の糸が消えた。
『残る一日で、吸魔化した日から今日に至る空白の縫修を』
二本めの糸が消えたと同時に、黒い直方体が消滅した。
固唾を飲んで見守る勝利に、球状モニターは天使達の拍手する様子を投影する。
柔らかく笑うライムが、その瞬間にズームをかけた。
四角く拡大された画面に、サラリーマン風のスーツの男が鞄と傘をもったまま光の球の中で眠っている。
『勝利、ありがとう。私の方も上手くいったわよ』
今度はただ頷くばかりで、勝利の喜びはやはり声にならない。
「そろそろ転送するぞ」
ライムが言うなり、百合音の姿は天使達の囲みから消えた。
田辺と呼ばれた男もだ。
それを見届けると、天使達はそれぞれ縫修機の体内へと戻って来、分離するヴァイエルに代わって縫修師達を優しく包む。
「あの…、転送って、何処に…?」
誰もいなくなった洋上の空を指し、勝利は事の仕上げを想像できずに首を捻る。
『え~っとねぇ。それぞれが住む町の警察署の玄関なのぉ』
ミカギの説明を聞いた途端、勝利は吹いた。
「それって結構意地悪じゃないですか? 失踪事件として、それぞれの警察が捜索していたんでしょうに」
「だから、なんだよ」主シートに戻るライムの上から、ダブルワークの声が降ってくる。「半端な所に転送すると、第一発見者が痛くもない腹を探られる羽目になる。必ず所轄署に返しておけば、疑われる個人も組織もねぇ」
「相当驚きますよ?」神々の対応がおかしくて、勝利は笑った。今日初めてとなる膝を叩いての大笑いだ。そして、気が済む程吐き出してから、「終わったんですね」と呟く。
縫修直前になって見苦しく躊躇した勝利に、ダブルワークは、充実感この上もないという様子で穏やかに接する。
「ああ。今日は、いい縫修ができた。お前のおかげだぜ、勝利」
-- 「47 湖守の提案」に続く--
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