25 神々の喪失 その2
湖守の神話は、他人事として聞くには荒唐無稽でありながらも重い。相槌では足らないように思い、勝利は「随分と酷い事になっていたんですね」と感想めいたものを口にする。
それが、かえって勝利の想像力不足を物語ったのだろう。
「酷い事…。うーん、確かにそうなんだけど。説明って難しい。なかなか見た通りには伝えられなくて歯痒いよ」なる湖守のジレンマを誘発してしまった。「雲の上の世界。美人揃いの男女。ちょっと絵的なもので想像してみて」
「はぁ…」
勝利は渋々、湖守の語る混乱の過去から当時の情景をなるべく鮮明に思い描こうと努める。
不老と不死を約束された数多の超越者たち、古き神々。誉れ高き雲上の天界に座し、若く美しい男女ばかりが、それぞれの役割を担いながら幾つかの物理法則を春風のようにやりすごす。
長い平和。それは、停滞と意味が同じだった。
そして、思わぬ転機が訪れる。
最初の悲劇は、人間で言うなら惨殺だった。天地を分かつ為に使われた剣が、尊い神の一人を二つに斬り裂いたのだ。
剣を振るったのは、神なのか、闇の者なのか。未だに判明していない。
そして、神々が軍勢を整えるまでに至り、地上を守護する神々にも召集がかかった。しかし、地上での役割を重んじる神々は争いを目的とする召集に応じず、天界と対立してしまう。
更に、ある一人の神が、神の遺骸と聖なる石を用いて全く異なる二つの形を作り上げ、人間が多く住む地上へと密かに逃がした。
その二つの人型はそもそもが一対であり、「失われた神に準じる存在」との名を与えられ、神々の軍勢を地上で迎え撃つ最強の闘神となった。
彼の者の名は、「全きもの」を示す「エル」とそれを否定する「ダ」を後ろに添えられ、「エル・ダ・……」と呼ばれていた。
「ダ」の後ろは何であったか。ああ、思い出した。切り裂かれて失われた神の名だ。
何一つ手が加えられずその名のままに命名するという事は、神格が一つしか下がらない事を指す。「準じて」はいるが「そのものに近い」という、極めて純度の高い存在となるのだ。
何と言ったろう。彼の神の名は。ダブルワーク達を示すヴァイエルとよく似た響きのような気もするのだが。
しかし、その闘神もまた失われてしまった。今度こそ、永遠に。
だから、こうして人間の時代が訪れている。
だから…? 何故、「だから」なのだろう。
勝利の中で、何かが支えてしまっている。
「湖守さん」自分なりの素朴な疑問に囚われ、勝利は無意識のまま神話の語り部に呼びかけた。「天界の軍勢が勝った筈なのに、何故今、人間の時代が訪れているのでしょう。やはり神々は、自らの手でエル・ダを討つような真似をしてはいけなかったのではないですか」
「ま…、勝利くん!? 君…!!」
飄々とした湖守の表情が一変する。
しかし、勝利にはその様子がよく見えていなかった。景色を奪う霧の向こうから、微かに男の声がすると認識するので精一杯だ。
気がつけば、勝利は空中に浮いていた。上下も左右も判別のつかない真っ白な単色の世界で、ただ一人孤独に息をしている。
神々が嘆いていた。悲しみの噴出に身を委ね、湿った嗚咽を際限もなく繰り返す。
男の声、女の声、子供の声も混じっているだろうか。夥しい数の嘆きが、時の流れから切り離された何処かを中心に深く重く淀んでいた。
自らの神格が大きく下がってしまったが為。
そして、完全なる存在とは全てを始まりの時から内包しているのだ、と後から理解したが為に。
神々の喪失とは、地上に最も大きな影響を及ぼす力ある存在が、神々から人間に変わった一大転機をももたらした。所謂、神話の時代の終わり、に相当する。
古き神々は揃って天界を後にし、天に至る門は固く閉ざされた。
そして今は人間が数多くひしめき合い、有限の命を持つ身ながら進化や繁栄、そして枯渇などを牽引する、地上の時代だ。
「勝利君!!」
不意に痛みが走った。そう、これは痛みというものだ。
ああ、今は肉体があるのだ、と変な感心の仕方をして微笑する。叩かれたのは、左の頬か。
視界と意識を包んでいた霧は急速に消滅し、黄昏たジャズの旋律が優しく耳を撫でてゆく感触にはっとする。
「勝利君!!!」
霧中の中にも届いていた声が、再び同じ名を呼んだ。
眼球を使って認識すると、目前にライムの顔がある。
人間離れした容姿を持つ美貌の神の顔が、吹けば息がかかる程の位置にまで接近していた。
ライムは、スツールに座ったまま意識を飛ばした勝利の右肩に自分の左手をかけ、支えながら右手で頬をはたいていたらしい。
「あ…、あの…。俺、また何かやらかしました、か…?」
問いかけるまでもなく、まんぼう亭にいる全員を驚愕の奔流に放り込んでしまった事は明白だった。ライムとダブルワークは勝利に起きた変化の末を案じており、ミカギとチリは話の内容に度肝を抜かれ表情を作る事も忘れている。
彼等の根底で共通した感情があるとすれば、困惑だ。
当然だろう、とは思う。「よくわかりません」と言った側から、ぺらぺらとさも訳知りな様子で妄言を吐いてしまったのだから。
しかし、湖守の豹変ぶりはライム達とは一線を画していた。先程までの愛想など何処へやら。目を見開いたままキッチンで硬直し、狂喜と憤怒の入り交じった形相で勝利を睨みつけているではないか。
「やはり、君は覚えているのか!?」
当事者ともなれば、熱の入り方がライム達とは別格になる。過去に対する好奇心を大いに刺激され、湖守の中で何かの扉が開いていた。
まともに組み合うのは危険だ。そんな勘が働いた。
「ただの妄想ですよ」と、勝利は頭を掻いて顔を左右に振る。「神様の嘆きと聞いて、神様に下された神罰みたいなものを想像しただけです。よくありますよね、神話にも。アポロンが太陽の二輪車を自分の子供に貸したら、ゼウスの雷がその子を殺した、とか…」
「それも正解だ、勝利君」と、湖守が頷く。ようやく理性の働きかけが勝ってきたのか、大きく天井を仰いだ後、暴発した表情は営業スマイルに差し替えられる。
但し。それでも、底から突き上げてくる激しい衝動の全てに蓋をしている訳ではない。
湖守の声は、数段低くなっている。勝利から妄言の全てを引き出したくて仕方がないのだ。
「どうやら僕達は、一斉に裁かれたようなんだよ。完全体故に内包していた、言わば賞罰付与システムによって。神々の時代は、神が自分で終わらせたんだ」
-- 「26 神々の喪失 その3」に続く --
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