第13話 ぱらいそクエスト
「美織ちゃんが泣いて帰ってきてから、もう十日か……」
葵は夏休みに入って多くのお客さんで賑わいながらも、今ひとつ活気が足りない『ぱらいそ』店内を見渡しながら呟いた。
例年よりえらく長引いた梅雨も数日前に無事開け、今日は朝から夏らしい快晴が広がり、気温もぐんぐん上昇している。
いつもなら気温に合わせるかのように店内のテンションも上がっていくのだが、最近の『ぱらいそ』には残念ながら本来あるべきものがふたつ欠けていた。
ひとつは奈保。
夏休みに生まれて初めての
おかげでここ数日、奈保によるお客様へのお出迎え・お見送りはない。
普段はいてもいなくてもあまり影響がないように見える奈保だが、やはり何日もいないと物足りないというか寂しいもので、皆改めて奈保の存在感を思い知ることになった。
そしてもうひとつはと言うと……。
「ぎゃーーーー! また負けたー!」
店内に最近ではすっかり聞きなれた悲鳴が響いた。
「おい、いい加減にしろよ、かずさ」
「まったく。悲鳴をあげたいのはこちらの方ですよ……」
なんで、なんで勝てないのと地団駄を踏むかずさを後ろからレンが羽交い絞めにして頭をぐりぐりと締め上げ、その横で黛が深く溜息をつく。
「お前なぁ、『美織が休んでいる間は、買取キャンペーンは私に任せて!』とか言ってたくせに、最近負けてばっかじゃねーか!」
「だって美織ちゃんとの対戦で覚えた戦術に、お客さんたちが対策を立ててきたんだもん!」
その対策を打ち破るところさえ見ることが出来れば、何事も見たものをコピーするかずさならすぐに修正できるのだが……。
「肝心の美織が休んでますからねぇ。それにそもそも私ならもっと違った戦い方をしますし」
変則的な戦い方を好む美織と違い、黛はいたって正統派の戦いを尊ぶタイプだ。
「だからせめて私のやり方を参考に戦術の見直しを図っているのですが……」
黛が先ほどのゲームをプレイしてみせるものの、かずさは渋面に眉を顰めて
「……だって、黛さんのプレイってつまらないんだもん」
そんなことをのたまった。
「言うに事欠いてそれですか」
「何様のつもりだ、お前は!」
レンの拳骨がさらに頭へぐりぐりと押し当てられ、かずさは堪らず再び悲鳴をあげた。
「ううっ、全部美織が悪いんだ……」
しばらくしてようやくレンの制裁から逃れたかずさは、地面に力なく倒れこんで呟く。
「もうっ! 早く戻ってきてよぅーーーー」
そして叫んだ。
そう、あの日以来、美織は自分の部屋に閉じ篭って、店にはおろか、司たちの前にも姿を見せなくなった。
かつてレンとの対決の前に特訓と称して一週間休みを取ったことはあったが、今回は一体いつになったら復帰するのかまるで分からない。
最初は誰もが美織を心配しつつも、数日もすればケロりと立ち直って出てくるだろうと思っていた。
が、それも五日が経ち、一週間を突破し、十日目ともなると事態の深刻さを痛感している。
一日でも早く復活してほしい――。
かずさの叫びは、そのまま『ぱらいそ』スタッフ全員の心の叫びでもあった。
「ここまで店長が落ち込んだことって過去にあったんですか?」
杏樹の敗北分、本来の価格より一・二倍の買取金額をお客様に支払ってお帰りを見送ると、司は傍らの久乃に尋ねた。
美織と付き合いがもっとも長いのは言うまでもなく久乃だ。その久乃ならこんな事態も経験があるんじゃないかと思っての問い掛けだった。
「覚えないなぁ。そもそも人前であんな大泣きする子やないし……」
しかし、その久乃にしても今回のことは初めてのことらしい。
「店長、よっぽど悔しかったんでしょうね」
「まぁ、そうやろうなぁ」
人気シリーズの最新作開発中止を訴えて出かけていった美織が、祖父の鉄織に抱きしめられるようにして泣きながら帰ってきた日のことを、司は痛烈に覚えている。
美織ならなんとかしてくれる。
司はそう信じてやまなかった。
だから店の前に数時間前に見たリムジンが止まった時、きっと満面の笑みを浮かべて美織が降りてくると思っていたのだ。
それがまさか美織のあんな姿を見てしまうとは……。
予想もしなかった美織惨敗の姿に、司も、他のスタッフも、お店に居合わせたお客さんたちも一様に驚き、心配し、そして交渉の結果を察した。
そんな気持ちがきっと顔に出ていたのだろう。
美織は祖父の胸元から顔をあげてみんなの顔を見ると、ぶわっと涙を目一杯に浮かべ大声を出して泣き出してしまった。
鉄織に連れられて力なく事務室にあるエレベーターへと向かう美織の後ろ姿。それが最後に見た、美織の姿だった。
「今までどんな逆境も覆してきた美織ちゃんの、初めての挫折やからな。そりゃあショックも大きいやろう。ただ」
あの日のことを思い出して表情が曇る司の気持ちを察したのだろう、
「この経験が美織ちゃんをもっと成長させるはずや。うちはそう信じとる」
久乃が「だからつかさちゃんも元気だしいな」とばかりにポンと叩いた。
「そうなのですよー。あの美織お姉さまに限って、このまま負けたままで終わるわけがないのです」
そこへさっきから黙々と作業をしていた杏樹も話に加わってくる。
見ると作業の手を止め、両手を腰に当てて仁王立ちしていた。
「きっと今も禿頭の社長をぎゃふんと言わせる、反撃のアイデアを練っているに違いないのですっ!」
杏樹らしい強気なコメントだ。
もちろん司もそうであって欲しいと願っている。
とは言え、同時に今回の件についてはさすがに美織でも手に負えない、忘れるべきだとも思っていた。
幸いにも世間も今回の結果を受けて諦めモードになっている。
当初、数日待っても結果報告がないことにネットで『ロングフィールド』開発中止反対に署名したユーザーたちから非難の声があがった。が、某巨大掲示板で誰かが匿名で美織が交渉から帰ってきた時の状況を書き込むと、一部に激しく叱責する者がいたものの、多くの人たちは失望こそすれ美織に同情する反応を示した。
そしてやはり『ロングフィールド』を開発再開させるのは難しいという結論に至ったのである。
ましてや鉄織から交渉の一部始終を聞かされた司たちからすれば、より大きな利益が見込める市場へと移行するメーカーの判断は当たり前であり、どうやって止めることが出来ようかと絶望的な気持ちになった。
美織の悔しさもよくわかる。
だけどこれはもう忘れて、今は自分たちに出来ることをやっていくべきだと司は思った。
「ところで久乃さん、美織お姉さま、食事はちゃんと摂っておられるんですよねー?」
「初日は手付かずやったけどな。次の日からはしっかり食べてくれてるで」
さて、司が今後の美織のことに想いを巡らしていた頃、杏樹とかずさは別のことを危惧していた。
「でも部屋から出てくるところは見てないですよねぇ?」
「そやなぁ。いつも気付いたら空になったお膳が置いてあるだけやし」
まぁ、さすがにトイレには出てきているやろうけど、と久乃。
「けど、お風呂とかどうしているんですかねー?」
「それなんよ、うちが一番心配してるのは」
食事を摂ってくれていることで命の危機はない、そこはホッとしている。
ただ今現在、最低限の文化的な生活を美織が送れているかどうかは甚だ疑問だ。
この十日間、お風呂も入った様子もなければ、洗濯物だって溜まりに溜まっているはず。ベッドのシーツだって汚れていることだろう。
「落ち込んで部屋に閉じこもる気持ちは分かるで。でも、
だから何度か久乃は食事と共に「お風呂に入り、洗濯物を出しなさい」という旨の手紙を添えていたのだが、美織からは何の返事もないのだった。
「お風呂に入ってさっぱりしたら人間前向きになれると思うんやけど、杏樹ちゃんはどう思う?」
「はい! 杏樹は、杏樹と一緒にお風呂に入ったらいいと思うのですっ!」
「え? いや、そうやのうて」
「そして杏樹が汗で汚れたお姉さまのあんなところや、こんなところまで奇麗にしてさしあげるのですっ。さらにいい感じになった勢いで禁断の花園の門をくくれば、きっと美織お姉さまの傷ついた心だって」
「そんなことされたら一生モノの傷が付くわっ!」
突然、百合百合しい妄想を膨らます杏樹の背後から、ツッコミの声が上がった。
かと思えば。
ばちこーん!
続いて杏樹に振り返る暇も与えず、その頭にハリセンが炸裂する。
「あいたー、なのです」
いきなりハリセンではたかれて頭を抱える杏樹だったが、実際のところはさほど痛くもなかった。
むしろ浮かべる表情は痛さよりも喜びの方が勝っている。
それは突然の乱入に驚いた司たちだって同じだ。
驚いてはいる。
でも、驚き以上に喜びが勝り、皆、一様にその名を叫ぶ。
「美織ちゃん!」
「店長!」
「美織お姉さま!」
司たちの声に試遊台コーナーでかずさを特訓していたレンや黛、九尾たちと世間話をしていた葵、さらには店内にいた客たちも一斉にカウンターへと振り向いた。
「ふっふっふ、待たせたわね、あんたたち!」
多くの人の注目を集め、腰まである奇麗なゆるふわロングの髪をなびかせて、美織は不敵に笑った。
そこにはもう大泣きした時の美織はいない。
傍若無人、大胆不敵、天上天下唯我独尊な、かつての美織が戻ってきた!
「店長……よかった、もう大丈夫なんですね?」
「ええ。安心なさい、つかさ」
「美織お姉さま、杏樹は……杏樹は」
「なに泣いてんのよ、杏樹。そんなに心配してくれてたの?」
「そうやでぇ美織ちゃん、みんなホント心配してたんやからな」
「そう。でも、もう大丈夫。なんたって」
美織は手にしていたハリセンを投げ捨てると、両腕を精一杯伸ばして声高々に復活宣言を……。
「すっごい夏イベントを思いついたんだから!」
…………………………。
………………。
……。
って、アレ?
「え? 夏イベント、ですか?」
「そうよ! 去年のライブに負けないぐらいにド派手なのを考え付いたわ!」
「そ、そうですか……」
「何よ、つかさ、その反応はっ! 言っておくけどスゴいわよぅ、もはや夏イベントなんて枠に収まりきらないほどの規模なんだからっ!」
呆然とする皆をよそに、美織はひたすら「スゴい!」「めちゃくちゃワクワクするんだから」「こんなのを思いつくなんて、私やっぱり天才かも」とひとりでエキサイトする。
「あ、えーと、美織ちゃん、もしかして十日間も部屋に閉じこもりきりだったのは……」
「この夏イベントを考えてたに決まってるじゃない! ほかに何があるっていうのよ?」
「『ロングフィールド』の件で落ち込んでいたんじゃなかったんですかー?」
「ああ、アレね。ふっ、思えばあのクソハゲジジイにも感謝しなきゃね。だっておかげでとんでもないことを思いついたんだから」
美織が左右に広げていた両手をバッと後ろに回すと、背中のリボンに差していた紙の束をこれ見よがしに取り出した。
「スマホゲーにお客さんたちが群るのなら、それをそっくりそのままいただくまで!」
美織は丸められた紙束を広げると、誇らしげに掲げてみせた。
十数枚の紙束、その表紙に大きく書かれた文字は……。
「『ぱらいそクエスト』?」
思わず書かれた文字を呟いたつかさだけではない、その場にいる全員が「なんだそれは?」と頭に大きなハテナマークが浮かびあげる中、美織は勝利を確信しきった笑顔で今度こそ反逆の狼煙となる宣言をぶちまけた。
「この夏、ぱらいそはオリジナルスマホアプリ『ぱらいそクエスト』を配信するの! ゲーム業界を救う為に、ね!」
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