第3話 お兄ちゃんがライバル?
翌日、朝ご飯をかずさのリクエストで近所の牛丼屋で済ましたふたりは、そのまま開店前の『ぱらいそ』に向かった。
当初の目的は、お世話になっている司のお礼を兼ねた挨拶をすること。
しかし今や女装までさせて司を働かせている現状への苦情に変わった。
司は懸命に女装は『ぱらいそ』で働きたいが為に自ら進んでやっていること、さらにお店で一緒に働くみんなとはかずさが心配するような関係は一切ないことを懇々と訴えたが、どうにも信じてもらえない。
困った司が美織に電話で相談すると「分かったわ。明日開店前に妹さんを連れてきなさい」と事もなさげに言われたので、しぶしぶやってきた次第である。
「ふーん、メイドゲームショップて言うからファンシーなものを予想してたけど、全然普通そうじゃん」
「もともとは普通のゲームショップだったからね」
パイプシャッターの隙間から開店前の店内を覗き込むかずさに、司は「こっち」と手招きして建物の裏へと回る。てっきりお店の裏口と思ったかずさだったが、ビル本来の入り口である玄関ホールに入り、エレベーターのボタンを押す司に面食らった。
「なんでエレベーターに乗るの?」
「スタッフルームがこのビルの最上階にあるんだ。僕と黛さんって人以外、みんなはそこに住んでるんだよ」
ふへーとかずさは感嘆の声をあげながら、司と一緒に降りてきたエレベーターに乗り込んだ。
「ビルの最上階をスタッフ用に借し切るなんて、やっぱりお金持ちなんだねー」
「というか、このビルもマスター、つまりは『ぱらいそ』のオーナーの所有だからね」
「ああ、なるほどー」
そりゃあお金持ちだと頷くと、かずさはぺんぺんと自分の頬を平手で叩いた。
「でも、そんなお金持ちの道楽におにいを付き合わせるわけにはいかないんだから」
「だから、そうじゃないって何度言えば」
「はいはい、おにいは黙ってて。ほら、もうすぐ最上階に着くよ」
はぁーと息を吸い込み顔をきりりと引き締めるかずさ。
その傍らで司はもうどうにでもなれとばかりにただ溜息をつくのだった。
「へー、司クンの妹さんかぁ」
最上階フロアに着き、朝食を摂っていたスタッフに紹介されたかずさは、既に朝から牛丼という些かヘビーなものを食べていながらも誘われるがままにそのテーブルについた。
「言われてみれば頬から顎のラインがそっくりかも」
対面に座る葵がそんな微妙な鑑定をしながら、飲み物の注文を訊ねてくる。
かずさは「牛乳をください」と答えつつ、逆に葵をじっくりと観察した。
初対面にも関わらず気さくな受け答えといい、気取ったところのないスウェット姿といい、どこかこちらの緊張を解してくれる魅力がある。きっと学校でも男の子たちの人気は高いだろう。
(もっとも「彼女にしたい」と言うより「気の置けない女友達」ってタイプかな。おにいとも仲はいいだろうけど、恋人とはまた違う感じだ)
「お、かずさちゃんも牛乳好き? なっちゃんと気が合うねー」
そう言ってかずさの隣で牛乳を一気飲みし「ぷはぁ。なっちゃん、おかわりします!」と注文したのは奈保だ。
葵と違って服装も、さらにはメイクだってさりげなくしっかり決めながらも、それがイヤミに見えない健康的なお色気はかずさに注意を喚起するに十分だった。
(うーん、おにいは決して年上が好みってわけじゃないけれど、男は誰だってこういうタイプに弱いからなぁ。それに牛乳のおかわりを注文した時に揺れたおっぱい、アレはやばい。誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、おにいもふらふらと一時の気の迷いが生じてもおかしくないよ)
しかし。
「なっちゃん先輩、そんなに牛乳飲んでまだ胸を大きくするつもりっスか?」
「そうだよー。世界のセレブの奥さんは、みんなおっぱい大きいもん。てことはつまり、セレブは巨乳好きなんだよっ! なっちゃんもさらに巨乳になって、セレブの奥さんに絶対なる!」
まるでどこぞの海賊王になるかのように宣言して、おかわりした牛乳も一気に飲み干す奈保。その姿を見てかずさは奈保の恋愛対象から司が外れているのを確信し、ほっと安堵の息を吐いた。
「セレブは牛乳一気なんてしないと思うスけどね……ん、なに、オレの顔に何かついてる?」
「あ、いや、その」
奈保から観察対象をレンに変えた途端、視線を鋭く感知されてかずさは驚いた。
「奇麗な人だなぁと思って」
だから咄嗟に飾らない素直な感想が出てしまった。
男っぽい話し方とは裏腹に、奈保同様出るところは出て、引っ込むところは引っ込むプロポーション。ただ全体的に凸凹が激しい奈保と比べて、レンはすらっとしている。いかにも引き締まった体つきに、腰まであるストレートな黒髪がとても似合っていた。
「お、おう、ありがと……」
突然のお褒めの言葉にレンは恥ずかしいのか顔を背ける。
さっき見せた鋭い勘とは裏腹な
(スタイルの良さといい、スポーツ一筋って感じだなぁ。なんでこんな人がゲームショップなんかでバイトしてるんだろ?)
まぁでもゲーム馬鹿な司とは生きる世界が違うと判断すると、レンに興味はさほどなかったのでさらに視点を移す。
「
そこにかずさが本命と見る、『ぱらいそ』現店長・美織がいた。
昨夜、司が懸命に釈明をすればするほど、かずさはそれほど『ぱらいそ』に固執するのにはやはり好きな人がそこにいるからではないかと疑惑を深めた。
そして司の話に何度も出てくる店長が一番怪しいと睨んだのだ。
おまけにいざ出会ってみたら、司が好きそうなロリ系の美少女。予感的中と思った。
もっともそのロリ系美少女が今は熱々トーストにバターをたっぷり塗り、さらにその上に目玉焼き、カリカリに焼いたベーコン、スライストマト、レタスをたっぷり乗せ、大口開けて頬張っている。
ちっさいくせに食欲旺盛というか、ちょっと思っていたのと違う……。
「なんか|いいひゃげ《言いたげ》ね?」
「別に。てか、口に物を入れながら話すなんて行儀悪くない?」
「ごくん。そりゃあ失礼」
それでも決して晴れぬ疑惑が、少し棘のある言い方になって表われた。
が、美織は気にした様子もなく咀嚼中のパンを飲み込んで謝罪すると
「司から話は聞いてるわ。『ぱらいそ』でのバイトを辞めさせるつもりだそうね?」
かずさの胸元深くに踏み込むひと言を放ってきた。
どう切り出そうかと迷っていたかずさは一瞬面食らうものの、敵がこちらの射程範囲に入れば迎撃するのみとばかりに
「そうよ。おにいを女装させて働かせるなんて、そんなのわたしは認めない」
美織の目をじっと見つめて、はっきりと言い切った。
「あんたが認めなくても、司はやる気満々だけど?」
「それはおにいが子供の頃からずっとゲームショップでバイトしたいって思ってたからだよ! だから女装なんて本当はイヤだけど、我慢してバイトしているに決まってるんだから!」
冷静な美織に対して、早くもヒートアップ気味なかずさ。
そこへ。
「あー、まぁさすがの司君も女装はイヤやろうなぁ」
キッチンから久乃がふたり分の、美織が食べていたのと同じトーストを持ってやってきた。
「そう? 最近はなんだかまんざらでもなさそうな感じじゃない」
「それは馴れただけやって。普通に今も出来る事なら女装はしたくないと思うとるはずやで?」
そうだその通りだと、かずさは思わぬ援軍に目を輝かせて頷く。
「そやけどな、かずさちゃん。司君がそれでも『ぱらいそ』で働いてくれるのは、ただうちがゲームショップだからという理由やないで?」
「……どういうこと?」
「『ぱらいそ』はな、そこの美織ちゃんが自分の欲望のまま好き勝手に経営し、みんなを巻き込んで作ってきた店や」
「おにいから聞いてる。店員はみんなメイド服で、毎日ゲーム対決やったりしてるんでしょ。夏にはお店のメンバーでライブをやって盛り上がったって話も聞いた」
「なんや、ライブまで知っとるん? だったらもう説明せんでもええやん」
「え? いや、全然分からないんですけどっ!」
「冷静に考えてみ? そんな楽しそうなゲームショップ、他にあると思う?」
そのひと言にかずさは「それは……」と口ごもる。
「そう、司は『ぱらいそ』だからこそ、女装してでも働いている。働きたいと思ったのよ。その意志をいくら妹とはいえ否定することはできないと思うけど?」
今度は美織がかずさの目をじっと見つめ返してくる。
「うっ……」
「あんた、司の口から『ぱらいそ』のことを聞いたんでしょ? その時の司はどんな感じだった? 嫌そうだった? 辛そうに感じた? 辞めたそうだった?」
矢継ぎ早に問い質され、かずさは思わず目を逸らす。
やがて悔しそうに「楽しそうだった」と呟いた。
「それがあいつの答えよ。まぁ、私も一度はあいつを解雇したからね。男の子がメイドゲームショップで働くなんて馬鹿げてるし、世間にバレたらとんでもないことになるのは目に見えている。あんたたち家族にも申し訳ないと思っているわ。でも、私のお店で働くのが楽しいと思ってくれている人を、私は決して外からの圧力で辞めさせたりはしない。だって」
その時だった。
「ごめんなさい、ちょっと着替えに手間取っちゃって」
女装した司がリビングへと入ってきた。
みんなが一斉に振り返る。
みんなにとっては見慣れたいつものメイド服を着たつかさちゃんの姿。
が、もちろんかずさは初めてなわけで、その衝撃たるや先ほどまでの美織の説得もすべて吹き飛ばした。
(なっ!? なんてことだっ!)
かずさが震える手を気丈にも持ちあげ、司を指差す。
(こんなの聞いてないっ! 聞いてないよっ、おにい!)
「あ、あ、ああああ」
衝撃のあまり声が震えるのを一度唾を飲み込んで落ち着かせ、そして
「あんたがおにいを
かずさが大声で叫んだ。
(こんなおにいの好みにどんぴしゃな美少女がお店にいるなんて、わたし、聞いてないっ!)
「え、何を言ってるの、かずさ?」
「うるさい、黙れ! わたしの名を気安く呼ぶな!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて、かずさ」
「だからわたしの名前を呼ぶなって言ってるでしょ! もう私の義姉さん気取りかっ!?」
「いや、だから」
「だからもなにもあるかっ!? おにいを」
返せと叫ぼうとするかずさに、司は仕方ないと付けていたウィッグを外してみせた。
「……え?」
「だから、僕だよ。おにいちゃんだよ」
「おにい?」
「そう」
「ウソ?」
「ウソじゃないって」
ほらと司はかずさを手招きすると、その手を掴んで坊主頭を撫でさせてみせた。
「ね、僕でしょ?」
ええええええええええええええええええええええええええっっっっっっ!? と数秒後にかずさが叫んだのは言うまでもない。
「おにい、これがおにい……」
正体を知っているにもかかわらず、信じられないものを見るような目をしながらかずさは再びウィッグをつけた司の周りをぐるぐる回り始めた。
「かずさ、そんなに見ないでよ。さすがに恥ずかしい……」
身体を三百六十度、まるで毛穴のひとつひとつまで見逃さないとばかりにジロジロ観察してくるかずさに、司はやや赤面して身をよじる。
ぱらいそのみんなにかずさを紹介した後、司はこっそりその場を離れ、制服に着替えるよう昨夜のうちにメールで指示されていた。
なんでも司の女装姿を見せれば、かずさも考えを変えるだろうとのことだった。
意味が分からない。おまけにいかに女装をしていることがバレたとはいえ、実際にその姿を妹に見せるのはイヤすぎる。
とは言え、一晩寝ずにどうすればかずさを説得できるだろうかと考えたが、いいアイデアはついぞ浮かばない。しまいには朝を迎えてしまい、こうなりゃヤケだと腹を括ったのだった。
覚悟を決めた司はある意味最強。こうなったら最高にカワイイ姿を見せてやろうと、衣装部屋の姿見で何度もチェックをしていたら遅れた次第である。
「どうよ、おにいちゃんの女装姿は? 赤の他人である私たちでさえなんかこうムズムズとしたものを感じるんだもん。妹のあんたならもっと、何て言うか」
「うん、すっごくいけないものを見ているような気がしてドキドキする」
美織の問い掛けに答えるも、かずさはいまだ心を奪われたかのように司の女装姿から目を離さない。
もっとも美織からしてみればその様子はとても満足いくものだったらしく、うんうんと頷いた。
「普段が坊主頭だから、まさかこんなカワイイ子になるとは思わないわよね。おまけに女装すると声や仕草までそれっぽくなるもの。まず『ぱらいそ』のつかさちゃんと、花翁高校に通う香住司が同一人物だなんて思う人はいないわ。でも」
美織がニヤリといつもの何か企んだ時に見せる笑顔を浮かべた。
「私たちだけがその秘密を知っている。そして誰一人としてこの秘密をばらそうとしない。それは何故だか分かる?」
その問い掛けに、今度こそかずさは美織の方を振り向いた。
わなわなと。睨みつけるような表情で。
「まさか、やっぱりあんたら……」
「ちなみに店長である私は、メイドゲームショップで働くメイドが実は男の娘でしたなんて世間にバレたら経営的にマズいから黙っているのよ」
美織がしれっと答えると、隣りの久乃に「はい」とタッチした。
「え? うち? そやなぁ、まぁ『ぱらいそ』で女装までして働きたいっていう司君の気持ちを裏切りたくないから、かなぁ」
はい、と次はレンに。
「司は同じ店で働く仲間だ。仲間を売るような真似なんて出来るかよ。はい、次はなっちゃん先輩」
「なっちゃんは、司くんの頑張り屋さんなところを知ってるからね。頑張ってる人は応援したくなるんだよ」
では最後に葵ちゃんどうぞ、と奈保が両腕を広げてスピーチを促す。
「つかさちゃんの正体を明かさない理由? そんなの決まってるじゃん!」
葵はドンと自分の胸を叩いた。
「正体が世間にバレて司クンが辞めることになったら、あたしの仕事が増えあ痛ぁっ!」
つかさとかずさを除く全員が一斉に葵の頭をはたいた。
「ごほん。ま、そういうわけで、みんな一緒に働く大切な仲間ってだけで司に対して特別な感情は誰一人持ってないわ。安心して頂戴」
美織が「なにするんだよぅ」と反論してくる葵の脳天に背伸びしてチョップをかましながら、どこか呆けたような表情のかずさに笑いかける。
「だけどあんたには、この秘密はもっと価値があるものなんじゃないの?」
「えっ?」
「例えば『この秘密をバラされたくなければ……分かっているな?』って色々な要求をすることが出来ると思うけれど?」
「ちょ、ちょっと、店長、何を言い始めるんですかーッ!?」
慌てる司。が、美織はこれもまた今度はジャンプしての脳天チョップで怯ませると、かずさに結論を促す。
「司が『ぱらいそ』で働く限り、愛しいお兄ちゃんをずっとあんたのものに出来るわよ? さぁ、どうする?」
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