噂と疑惑

6


耳慣れない異国の言葉のような読経の声が辺りに響き渡っている。


袈裟を着た僧侶。

白と黒の控えめな色をした鯨幕のコントラスト。

黒い喪服の老若男女。

香典に彼岸花。線香のつんとする香り。


葬式の匂い。


いずれも貴子には馴染みの薄いものばかりだ。まるで別世界にやって来たような場違いな気持ちになった。


制服姿の生徒達や由紀子の親戚、親族達の啜り泣く声や鳴咽の声に混じって玄関先の方からは、相変わらず各報道局のマスコミのリポーターが無遠慮に何かを話している。TVカメラに向けてここぞとばかりに他人の不幸を話しているのだ。現場からの生中継というやつだろう。


静かで厳粛であるはずの葬儀を掻き乱す騒がしい空気が伝わってきた。


葬式の匂い。

実家や親戚の宗旨がキリスト教である貴子にとっては仏式の葬儀はやはり慣れない。


貴子は線香の香りを嗅ぐと幼い頃に田舎の祖父の家で遊び回ったお寺や神社の苔むした湿った匂いや水の肌触りなどを思い出す。


湿った苔で滑って転んでしまった事や大きな蜂に刺された事。叢から突然這い出してきた蛇に驚いて泣いてしまった事もある。


葬儀のひんやりとした空気と線香の香りは、なぜか子供の頃の記憶を呼び起こした。


仏式の葬儀は五感に訴えかけてくる分、人の死が生々しいように感じた。


遺影の中の由紀子は静かに微笑んでいる。


月15日午後1時30分。

事件から二日経って貴子はようやく本来の自分を取り戻せるまでには復調した。


けれど涙が嗄れ果てるまで泣いたという事はない。

死んだ由紀子の分まで生きようと心に誓った訳でも、ましてや自分は自分だと割り切って生きようと思った訳でもない。


貴子はそこまで達観していない。悲しいけれど、もう泣いてはいないというだけだ。

一人ぼっちで知らない場所に放り出されたような気持ちは変わらなかった。

喪失感。孤独感。

けして埋まらない心の隙間は、依然として貴子の胸にぽっかりと口を開けている。


突然過ぎて何をどうしてよいかわからなかった。

貴子は薄情でも自分本位でもないつもりだ。かといって親友を思って後追い自殺など考える程に自分の死を単純化したり複雑化したり出来るはずもない。


様々な割り切れない思いを抱えている自分。不安定な自分。ひどく半端だと思う。


昨日の夜もやはり眠れなかった。頭は覚めているのに、身体の方はまるで鉛をコーティングしたかのように重い。


覚醒した意識とけだるい身体の狭間で貴子を現実に引き戻しているのは、昨日の帰り際に成瀬勇樹が語った、聖真学園で昔起こったという殺人事件の話だった。


勇樹はひどく沈痛な面持ちで貴子に話してくれた。


12年前、山内洋子という自分達と同じ二年生の女子が担任の教師に殺害されていた事。

凄惨な黒魔術の儀式のような殺害現場のその状況。

殺人犯と思われる武内誠という男性教師が抱えていた心の闇と魔術書に傾倒していたという、いびつで風変わりなその趣味や嗜好。


勇樹は時計塔の魔術師という、貴子が学校の怪談話だと思っていた話についても詳しく聞かせてくれたのだった。


なぜ12年前の事件に勇樹がそれほどに詳しいのか。そして、なぜ由紀子を取り巻く不可解な死に勇樹がそこまで固執するのかは詳しく話してはくれなかったが。


地の底から響いてくるような読経の厳かな声の中、貴子は睫毛が長く、中性的で端正な顔立ちをした勇樹のひどく真剣な表情を思い出していた。


「僕も部活の先輩や友達から聞いた事があるってだけの話なんだけどね、この学園に古くから伝わる七不思議…ていうかアレは怪談話なんだろうけどさ。

ところで貴子はさ、この学園の七不思議…いくつ知ってる?」


「ええと…『後ろに立つ少女』でしょ?

『開かずの音楽準備室』に『血の涙を流す美術室のマネキン』。

…それから『十字架裏の大蜘蛛』と『屋上の十三階段』と…。あとは、ええと…ゴメン、わかんない」


「『銀仮面の怪人』に『時計塔の魔術師』だよ。

…なんだ、けっこう貴子も知ってるんじゃん」

「うん…話してるうちに思い出してきちゃった」


「うん。まぁ実際そんなもんだろうね。12年前に起こった事件なんて、僕らくらいの生徒はたいてい知らないさ。

昔、この学園で人が殺された酷い事件があったとか、誰かが話してた噂とかで知っていても、じゃあ内容まで詳しく知っているかといえば、やはりわからない人の方が大半だと思うんだ。てか、それが当たり前」


貴子は頷いた。勇樹の淡々と淀みなく語る口調は不思議な説得力を持っていた。映画かアニメのような特徴的な声をしているせいもあるが、思わず引き込まれる。勇樹は続けた。


「なのに、時計塔の魔術師という言葉を使えばこの学園のたいていの生徒は知っているんだよ。誰も疑問に思っちゃいないけど、これこそ不思議なことだと思わないかい?

内容はともかく怪談話だというのは生徒に限らず、殆どの人はなぜか知ってるんだ」


勇樹はそう言って強調した。貴子は頷く事しかできなかった。言われてみれば確かにそうかもしれない。


「この話には裏があるんじゃないかと思うんだ。七不思議や怪談話なんていかがわしいものなんてさ、結局はただの噂話じゃん?

なのに聖真学園じゃ当たり前のように、ああ人が死んじゃうあの怪談話ね、くらいには認知されてるよね?

七つって数にそもそも根拠なんてないじゃん?学校の怪談なんて数えれば幾らでも出てくるし、でっち上げだってあるかもしれない。

意味不明で理解不能な怪談話も多いのにここでは七つにきっちり限定されてるし、しかも名前まではっきりしてるんだよね。

…ねえ、なぜこんな事が起こるんだと思う?

トイレの花子さんとか怪人赤マントとかターボ婆さんとか有名なのはともかくとしてさ、実際に起きた殺人事件より怪談話の方がリアリティがあるなんて、普通ならありえなくない?」


「学校の怪談話を隠れ簔にして、殺人事件の存在を誰かが都合よく隠そうとしてる…ってこと?」


貴子は訝しげな表情で勇樹に問い掛けた。


「そうさ。学校ぐるみで徐々に、何年もかけて事実を曖昧にしていった結果じゃないかと思うんだ」


勇樹はそこで咳ばらいを一つすると、今度は低い声で語るように話し始めた。


「ある生徒が忘れ物を取りに夜の学園に忍び込んだ。

すると誰もいないはずの時計塔に薄くぼんやりとした光が見える。

生徒は気になって時計塔に行く。そこには…。

何百本もの蝋燭…。

地面には巨大な魔法陣…。

黒いローブを着て、目がぼんやりと黄色い皺くちゃの老人が黒魔術の儀式を行っていた。

生徒は叫び声をあげる。

生徒はその日、家には帰ってこなかった…。

次の日、時計塔には彼の忘れ物のノートと学生服や身に着けていた物だけが取り残されていた。

夜に時計塔へ入ってはいけない。

入った人間は裸にされ、呪いの儀式のイケニエにされるから…」


勇樹はそこで意味ありげに貴子を見つめた。これが学園に伝わるというその怪談話なのだろう。貴子は思わずぶるりと身を震わせた。

『時計塔の魔術師』か。

結構怖くて厭な話だ。


「これを意図的に流行らせた人間が、確実に存在したと思うんだ。人が死んで借り手がつかないマンションの部屋みたいに殺人事件があって困るのは学校側だからね。

当時から学園の先生達を通じてさりげなく生徒達へ、そして学園の関係者へ、といった具合に徐々に浸透していったと言うべきかな」


貴子は勇樹の言わんとする事をようやく理解できた。


過去の事実を遡って完全に隠蔽する事は難しい。では形を変え、歪曲し、ある程度正確な事実に基づいて、それがあからさまに示されていたとしたらどうだろう?人はそれを過去の現実と受け止めるだろうか?


真偽を確かめる依然に、これは怪談話であるという前提の方が先にあることになる。


「ちょっとした情報操作だと思うんだよね、これ。

噂を利用してる側…もっと言えば当時の学園の関係者は凄く上手いやり方を考えたと思わない?

学園の風評を最低限保つという目的の為には上手いやり方だと思うんだ。もっとも今の世の中、完全に事実を隠そうなんて無駄だけどさ…」


勇樹は自分のケータイに付いた銀色のストラップをくるくると西部劇に出てくるガンマンのように回しながらそう言った。

インターネットのアングラサイトなどで過去の事件を調べたのかもしれない。


「けど…どうしてそこまで回りくどいやり方をするの?

放っておいても人の噂なんて時間が経てば波が引くように忘れられていくものなんじゃないの?

そりゃあ大事件には違いないけど、そこまでして隠さなければならない殺人事件だとは私には思えないわ。

統計だと日本じゃ一日に平均四件で殺人事件は普通に起きてることらしいし」


貴子は勇樹に問い掛けた。勇樹の立場には懐疑的な姿勢でいなければならない気がしたのだ。噂話の種を提供して真相を隠すなど実際突拍子もない話だと思う。


勇樹はその質問に既に解答を用意していたのか、さほど間を空けずに応えた。


「そこだよ。僕がさほど良くない頭を酷使したのはさ。けれど少し考えて、昨日の夜にようやくそれらしい事実を突き止めたんだ」


勇樹は携帯電話でネットのページと思われる部分を開いて貴子へと渡した。顎をしゃくって貴子へと示す。読んでみろという意味だろう。


「今やどの世界でもお馴染みの2チャンネルさ。

電車男は知ってる?

こいつは匿名の掲示板なんだけどね…。社会、学校の項目にウチの学園の名前もあるんだ。大半がガセネタだったり人の悪口だったりするんだけど…その下から二番目の項目にさ、気になる事が書いてあるのがわかるかい?」


貴子は言われた通りの部分をドラッグしてみた。


「何よ、これ…」


そこには誰が書いたものか、こう書かれていた。


『272:時計塔の魔術師

06/13・22:37

死んだY・Kは誰にでもすぐヤラせる女で超有名。

死んだY・KのクラスのY先生は昔、双子の妹を学園で殺されている。

保健室のM先生は理事長の娘で親のコネで校医をしてるだけで頭はよくない。

理事長は昔、校長で当時、生徒指導部顧問だった今の校長と昔の事件を必死で揉み消した。

体育のUは過去に婦女暴行の容疑で書類送検寸前までいった男。

教頭はセクハラ容疑で過去に訴えられた経歴あり。

家がそこそこ金持ちの癖にただ刺激が欲しくてウリをやってる女生徒のグループがある。

年齢詐称してホストクラブで働いてる男子生徒達もいる。

新宿の秘密クラブでクスリをやるパーティーに参加して、処分すらされていない生徒達もいる。

イジメで不登校のあいつもこいつもそいつも、もうじき自殺するだろう。

この学園は終わってる。

教師も生徒も皆、死んでしまえばいい。

皆、狂って死ねばいい。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね…』


貴子は思わず口元に手をあてた。強烈な悪意が文章を通して伝わってくる。

吐き気がこみあげてきた。自分の顔色は今、真っ青のはずだ。


「この時計塔の魔術師とやらが何者で、何の意図があってこんな事をするのかはわからないし興味もないよ。

ただの悪戯目的の愉快犯かもしれないしね。

残念ながらこいつが誰で何者なのか、何でこんなことをするのか、突き止める術は僕らにはない。

ただ…そこに書かれてる事は根も歯もない嘘ばかりでもないんだ。植田や教頭の名前なんて実際に新聞に載っていたしね」


「調べたの?」


「うん…あまり気は進まなかったけどね…」


貴子は勇樹の態度に少し腹が立った。触れられたくない傷なんて誰にでもあって当たり前だ。

なのに。


「じゃあ何?勇樹は由紀子が誰にでもヤラセる軽い女だとでも言うつもり!由紀子はそんなことするコじゃないわ!」


「わかってるよ!

貴子…なぜ僕がこんな話をしてると思う?貴子が川島の一番の友達だって知ってるから話してるんじゃないか。

貴子には覚えててほしいんだ。これから先、川島の事はありふれた日常のよくある出来事として学校側のほとんどの人は、それが当たり前みたいに忘れていくんだ。

そんなのってあんまりだろ!

僕だってそんなのは嫌さ。

川島は…川島は僕を…」


急に感情的になった勇樹は目を伏せ、拳を血が滲み出そうなほど固く握りしめて震わせていた。その何とも言えぬ表情に貴子の怒りは急速に冷めた。

勇樹は由紀子のことが好きだったのかもしれない。

由紀子が実は勇樹を好きであったように。


貴子は知っていた。

由紀子が本当は誰に思いを寄せていたのかを。二人の願いはついに叶う事はなかったけれど…。

親友と本当に心が通じていたのは勇樹だけだったような気がして、貴子は何だか少しだけ勇樹に嫉妬に近い感情を覚えた。けれど、それはけして悪くない思いだった。悼みを痛みとして、きちんと分かち合える仲間がここにちゃんといたのだ。


「勇樹…ゴメン…。

ついカッとなっちゃって…。

…ねぇ、教えて。どうして由紀子の事に、そこまでこだわるの?素人探偵の単純な好奇心じゃないんでしょ?」


「うん…なんて言ったらいいのかな…。学園中に吹いてる、この嫌な雰囲気っていうか…。変な空気のせいかもしれない。

考えてもみなよ。得体の知れない過去の殺人事件とか魔術師とか怪談話なんて僕らには何の関係もないじゃん」


勇樹は身振り手振りまで添えて、そう貴子に訴えた。


「なのにさ、そんな訳の解らない事に巻き込まれて川島があんな死に方をしたのかもしれないって思うと無性に腹が立ってきてさ…。

川島はもういないのに変な噂とか口々に好き勝手なことばかりでさ。

川島のコト何も知らない癖に、お前らに何が解るんだよ、って感じでさ。

とにかく気が済むまで調べてみたいんだ。出た結果がたとえ自分にとって最低でも面白くないものであっても構わないから…」


勇樹は精悍な眼差しで貴子の目を真っ直ぐに見つめてくる。まるで心の底を見透かしてくるようだ。

慌てて貴子は視線を逸らした。恋愛沙汰には臆病で慎重な貴子でも変な気持ちになってしまう。


「調べてみて何も出なかったらどうするの?」


「そんなのは始めから覚悟してるさ。とにかく。

今は川島の為に…いや、自分の為にも何かしていたいんだ。何もしないまま普通の日常に戻りたくない…」


勇樹は微かに目を伏せ、携帯電話を制服のポケットに戻しながらそう言った。


「わかった…私に出来る事があったらなんでも言ってね。私でも何か力になれるかもしれないから」


「ありがとう、貴子。早速で悪いけど一つ頼みがあるんだ」


「うん、なぁに?」


「例のスレッドに名前が載っていた人達の今後の動向をそれとなく見ていてほしい。僕は昔の事件をもう少し調べてみる。

一人より二人。別々にアプローチといこうよ。お互いにさりげなく、なるべく目立たないようにしてさ…」


「わかった。勇樹も気をつけて。こういうの先生とかに知られたら厄介だから…」


勇樹は神妙に頷くと薄暗い曇り空の中、そのまま一人街へと消えていった。

そのどこか悲壮感さえ漂う後ろ姿は、貴子と同じかけがえのないものを失った喪失感からきているのだろうか。


けれど勇樹は貴子のように頭を垂れて俯いてなどいない。真っ直ぐに前を見て、捉え所のない現実を見据えようと必死で足掻いているように見える。


読経が終わり、一礼すると静々とした動作で僧侶は帰っていった。


そして制服姿の生徒達が一列になって一人一人、焼香を済ませては合掌していく。


勇樹は風邪を理由に今日の葬儀は休んでいた。

もちろん仮病だろう。

明日の校内葬に出席するつもりでいるのだろう。


貴子は列の正面にある由紀子の遺影を見つめた。

顔の左側に笑窪を作って微笑む、貴子のよく知る笑顔の写真だ。

貴子の順番が回ってきた。


『由紀子…見てる?

強いよね、勇樹って…。

由紀子の気持ち…今ならわかる気がするよ…』


貴子は目を閉じ、合掌しながら心の中で由紀子へそう語りかけた。


『私が好きになったんだから当たり前じゃない』


もし勝ち気な由紀子が生きていたら、きっとそんな答えが返ってくる気がした。


貴子は自分のクラスの列へと戻りながら、さりげなく学園の関係者達が揃っている方へと視線を向けた。スレッドではイニシャルや活字でしか名前のなかった人物達が目の前にいた。


黒い喪服に身を包んだ大人達はいずれも顔を伏せ、沈痛な面持ちで参列している。生徒達の様子を絶えず窺っているようにも、監視しているようにも思えた。


貴子は一人一人を仔細に観察していった。


校長の村岡義郎。

スレッドの書き込みによれば校長は殺人事件を隠蔽する為、怪談話という回りくどい情報操作で学園に幾つもタブーを仕掛けた張本人であるらしい。

グレーの髪を七三に撫で付け、黒縁の眼鏡をかけた55、6才くらいの厳格そうな男である。口をへの字に結び、眼鏡の奥の神経質そうな目が生徒一人一人を監視するように向けられている。

狡猾で用心深そうという第一印象を誰もが抱く事だろう。


教頭の羽賀亮一。

過去にセクハラで訴えられた経歴を持つ男。学園の生徒達の間では、おそらく一番人気のない教師だろう。

学校の体面と自らの保身を第一主義にしたような態度や言動が貴子も好きになれなかった。

事実を知ると、この男ならいかにもやりそうだ、といった印象は受ける。


担任の山内隆。

12年前に双子の妹を担任に殺害された男。

彼がなぜ最も憎むべきはずの教師という職業を選び、なぜよりによってこの学園に今いるのか…。貴子はこの妙な偶然に何かしら不吉なものさえ感じ始めている。

山内は目を伏せ、サラサラの髪に手をあてて悩ましげな恰好で微かに震えていた。

彼は二度も同じ学園で肉親の、あるいは自らが担任する生徒の死に関わった被害者という事になる。


保健校医の間宮愛子。

その肉感的なプロポーションで何人もの男子生徒を誘惑しているらしい女性。

理事長の娘というコネを使って校医をしているという事らしいが、それ事態はさほど驚く事ではないだろう。むしろ皆、知っている事だ。聡明で人当たりのいい感じのよい先生だと貴子は思う。


生徒指導部顧問である体育の植田康弘。

婦女暴行容疑で書類送検寸前までいったという過去を持っているらしい。

いかにも体育教師らしい大柄で頑健な体格をした色の浅黒い男である。

41才という年齢を感じさせない若々しい肉体だが、つり目と太い鋭角的な眉毛が無言で周囲を威圧しているように思える。実際に指導される生徒達には怖い印象しかない。

確かに教頭とは違う意味でいかにもこの男なら有り得そうな話だ。


12年前の事件を契機にして今回の由紀子の事件に、果たして彼らがどのような関わりを持ち得るのか貴子には正直わからない。

無関係かもしれない。


例のスレッドの噂にした所で、どこまで本当なのかはわからないからだ。


しかし、明らかにこの学園には勇樹の言った通りの嫌な風が吹いている気がする。


時計塔の魔術師とは一体、何者なのだろうか?

まるで配役でも決まったかのように、事件当日に悪質な書き込みをする人物に心当たりなどはない。

しかし、由紀子の死には得体の知れない何者かの確かな悪意と不可解さが渦巻いている気がする。

貴子は身震いした。


勇樹は根拠や裏付けもなしに思い切った事を言ったりはしない。それは貴子にもわかる。


葬式の匂いに五感が慣れてきたのか、今はさほど気にならなくなってきた。

死者を悼むべき葬式の気配に同調し、呼応するかのように膨れ上がる人の悪意という悪心に貴子も慣れ始めてきたのだろうか。


朝方降り続いていた強い雨はやんでいた。帰りは傘も必要なさそうだった。

地面は黒々と濡れそぼり、薄暗い空の灰色を映して街はくすんだ色に染まっている。


『六月は狂える季節』。

昔何かで読んだ物語の、そんな一節を貴子は思い出していた。

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