第10話 杯片手に語り明かそう

―夜は続く


「じゃあ君の学力を見せてもらおうかなっ」

そんなお前の実力を見せてもらおうかみたいなノリで言われても困る。


「筋が良かったら研究者として国王に推薦してあげるよ。」

「推薦ですか?」

「えっとね、研究って莫大なお金がかかるでしょ?施設費設備費時間云々。もともと学問なんてお金持ちのものでさ、私たちは勉強すらできなかったのよ。」


あー、聞いたことある。メンデルとかアリストテレスだっけか。哲学者はちがうか?


「それでね、学力は国力たりうる!ってウチの王様は研究者を推奨して、国で雇ってくれてるのよ。」

「へー!それはすごいですね!いい国なんですね。」


フレアが立ち上がると、台所からコップ2杯の水と少量の米を持ってきた。


「じゃあ、これでお酒を造ってみて?」

「お酒・・・ですか?」


水と米で酒を造れというのか。

どうしようかと少し迷った後、米を一つまみ。


「フレアさん、あーん」

「あーん?」


フレアの口の中に米を入れる。


「あ!何する!」

「はいよく噛んでくださーい。」


フレアは口を手で覆い隠し、小さくもぞもぞと噛む。

嗚呼、望むことなら米になりたい―


右の手のひらを差し出す。


「はい吐き出してくださーい。」


そんなはしたないことできるかって顔された。


「はいじゃあこっちのコップに。」


仕方ないなぁとコップに咀嚼したコメが吐き出された。


「これで1日待つ・・・じゃダメですか?」

「・・・なるほどね。生物学の知識もあるわけか。」


口を拭ってフレアが言った。


「それも正解だけど・・・アルコールの生成は分からない?」

「あー、すいません化学苦手で…」

「おーけー、おまかせあれ。」


フレアはもう一つのコップに、何もしていない米を水の中に入れ、右手をかざした。


「いい?これが学術よ。」


手をかざして3秒。


「・・・もういいよ。飲んでみて。」

「えー、何か変わりました?」


コップを口まで運ぶ。そこで気付いた。きっつい日本酒の香りだ。


「うっ・・・俺酒苦手で・・・ってなんで!?さっきまで水だったのに。」


覚えたてのマジックを披露した子供のような笑顔でフレアが答える。


「ふっふっふ・・・これが学術よ。今、私は水と米を化学反応させてアルコールを作ったのよ。」

「なにそれすごい。」


「学術はね、術者の知識量によって、反応速度や扱える規模が変わってくるのよ。私がお酒を造りたいって願ったら、コップ1杯なら3秒でつくれるの。すごいでしょ。」

「なにそれすごい。」


「君が今日雨を降らせたでしょ?あれで多分もっともっと知識が増えたら、何日後に何時間、国土全体を覆うような1時間100mmの雨を降らせることだって自由自在になるかもしれないってわけ。」

「なにそれ怖い。」


「あとー、」

フレアがペンで紙に文字を書き始める。

「はいこれ。」

紙を渡される。

・・・化学式だな。えぇと、苦手なんだよなぁ。

炭素にOHが結合してる、アルコールか。アルデヒド基だっけか。H2Oに…米の組成なんてわかるか。タンパク質と、デンプンか?


「うーん・・・」

「どう、分かる?」

「米の組成がよく分からなくて…反応式自体は分かるんですけど・・・」

「まあやってみよう!コップに手をかざして。」


さっき酒を造らなかった方、咀嚼した米の入っているコップに手をかざす。


「はい化学式を見てー、頭におもいうかべてー。水がお酒になるように考えてー、お酒ができたらいいなって願ってー。」

こんなんでできるのかよ、なんて思ってた。


30秒後。


「よし、おっけ。飲んでみ?」

「んっ・・・うわっ、ほんのりお酒になってる・・・!」


「そう、それが学術。ちょっと頂戴? ・・・うん、いいね、初めてにしては上出来上出来♪」

「・・・俺酒のめないんで、それ全部飲んでください。」



「おーけー、じゃあまじめな話しようか。」

「・・・はい。」


フレアが酒を飲む。

何も飲むものがない僕は息をのむ。


「今やってもらったように、学術は知識が必要なの。知識は暗記して、暗唱できる程度になっていなければならない。」

「わかります。」

「でもね、さっきみたいに、暗唱せずとも、理解が最低限であれば、式を見ながらなら学術が使える場合があるの。」


フレアの眼はいつになく真剣で、そして少し悲しい目をしていた。


「あのね、あの子が命がけで守った教科書は、あなたにとっては大した価値はないかもしれない。でもね、この国ではアレは命より大切なものになりうるの。」

「・・・教科書があれば、誰でも学術が使えるようになるから?」

「そう。そのとおり。まぁ異国の教科書の言葉を読める人なんてごく少数なんだけどさ。それでも、アレは魔導書になりうるの。悪用されれば大変なことになる。」


なるほど、言わんとしてることがよく分かる。


「研究者ってね、国軍か国政か城内に所属を義務付けられてるんだけど、これは学力の悪用を防ぐためでもあるの。国の支配下に置くって意味もあるのかな。学力は国力たりうるの。」

「よく、分かります。」


「それでね、あの手の教科書が一般家庭、しかもあんな一人の少女の家にあるっていうのがどれほど危険で異常なことかわかる? あの火事は、教科書欲しさに誰かが放火したんじゃないかって、そう考えてるの。」

「・・・」


「あの子の母方姓、チューリップは私の先生だったわ。研究の旅に出て、行方不明になって、もう死んじゃったかもしれないんだけどさ。だからあの教科書は、あの本とあの子は、私が守らなきゃって思ったの。」


もう、相槌すら何てうったらいいのかわからなかった。


「学術は、人の助けになるものなんだよ。これが戦争や、争いの道具になっちゃいけないんだ。君が雨を降らせて火事を消したように、勉強したことは、人の役に立つものなんだって、先生が言ってたわ。」


化学兵器のハーバーボッシュのこと、

アインシュタインの原子爆弾のことを思い浮かべた。


「私たちが研究をすればするほどね、世の中は便利になるかもしれない。でもね、その分だけ、それを利用した犯罪も増えるかもしれないんだよ。」


工事に使われるはずだったダイナマイトのことを想起した。


「だからさ、私たちはさ・・・」


酒のせいか、今にも泣きそうな顔して、いたたまれなかった。

言葉が詰まったところで口を挟んだ。


「あの・・・フレアさん。あなたはどうして、勉強してるんですか?」

「・・・それは、人の役に立つために、」

「ホントに?」

「・・・うん。」


コップを置いてうつむいてしまった。


「君は・・・クーはどうして勉強しているの?」

「俺は、大学に入るため・・・」


いや、大学に入るために勉強してるのか?

それは目標だろう。


「俺は・・・勉強が好きだから。」


そうだ、勉強が好きだったんだ。

それがいつの間にか、順位がついて、偏差値が出て、合格判定が出て、

いつのまにか嫌いになっていた。


「・・・そうだよ、私も、知らないことを知るのが好きだったんだ。勉強できるのがうれしかったんだよ。」


ガタッ


フレアが椅子から落ちそうになる。

あわてて飛び込んで、体でうけとめた。


「おっと、大丈夫ですか?飲みすぎじゃあ・・・」

「うぅ・・・私は・・・わたしはよぉ・・・」


胸を貸す形になって、フレアの閉じた瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。

自分より年上の女性の涙に、僕はどうしていいか分からなくなった。



―夜は更けていく

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