第27話


 パチン、パチン、という乾いた音が弾けた。

「――め、姫、起きろ」

 またパチンと一際良い音が目の前で弾ける。

 反射的に開いた瞳に触れんばかりの近さに、節くれだった男の手があった。

 腕まで視線を向けその先を見ると、見慣れた弟の顔。

「着いたぞ」

「何が?」

「寝ぼけてないでさっさと退け。他が降りられねえだろうが」

 鳳助の迷惑そうな声が目の前から飛んでくる。

 車の窓の向こうにある見慣れた屋敷を見て、姫は現状を思い出した。

 闇と恐怖に支配された池袋から脱出し、千葉県館山市にある鳳助の家に避難している道中であった。いつの間にか道中でなく、終着点に到着していたようだが。

「こんな状況で寝れるなんてね」

「しかも人を枕にして」

「ん?」

 後ろからの杏奈と汀の言葉に、姫はぱちくりと瞬きをして反対側を見た。

 そこには真っ赤な顔を汗で濡らしている、同級生の姿。

 騎士は身を固くしてじっとしている。

 ……不自然な服の皺を見るに、彼の肩を枕代わりにしていたようだった。


 ――桜ヶ丘鳳助はボン助の渾名通り、ボンボン、である。


 一見、ペンションのように思える大きな屋敷が彼の現在住まう家だ。(都内にもマンションを一部屋所有しており、夜を過ごすという意味ではそちらと半分ずつといったところだが)

 元は彼の父が所有していた別荘だったが、数年前に鳳助が譲り受けた。

 屋敷の前に広々と広がる手入れされた芝生の庭や、屋敷裏から遠くまで続く雑木林一帯すべてが敷地である。ビバリーヒルズもビックリだ。

「個人宅? マジ?」

「漫画かよ」

 ここを訪れるのが初めてであるヒロインたちが豪邸を前に立ち尽くすのを横目に、HeroSの面々は慣れたように荷物を屋敷へと運び込んでいった。

「客室は二階なの。案内するね~」

「いや、自分ん家かよ……」

 家主でもなんでもない姫は鳳助の了解も無しに、ヒロインたちを二階へ案内する。

 鳳助が何も言わない様子を見て、相当気の知れた仲なのだろう、と雫は察した。



「ひとまず寝ろ、ってさ」


 ――以上が、鳳助から出された指示であった。

 停電及びパンデミックはいつまで続くかも分からない。

 ひとまず安全は確保された。屋敷の外には監視カメラがあり、侵入者がいる際は警報も鳴る。食料も調達した。そして何より幸いなことに、この屋敷には自家発電機があり、問題なく電気が使える。

 となれば、取り急ぎ焦る問題はなかった。

 眠って短い夜を明かし、事態は少しでも収束していれば良し。そうでなかったとしても、朝に話し合いをするのでも十分間に合う。

 心を落ち着けて、冷静さを取り戻すほうが優先だ。

 姫から鳳助の指示を聞いた神楽は、疲れ果てた身体をベッドに横たえた。

 シングルベッドが二つ。隣のベッドでは既に汀が寝息を立てている。

 数分前まで汀も「こんなことがあった日に眠れるわけがない」と表情を硬くしていたのだが、精神は疲れ果てていたのだろう。睡魔に囚われた途端、神楽の隣を去ってしまった。

 しかし神楽はどうにも眠ることができなかった。

 通路で見た死体、映像越しに観た異常行動者たち。

 どれも鮮明に思い出され神楽をこちらへと引きずり戻す。

 今さらに襲ってくる今日一番の緊張と恐怖で喉が渇き、ひくりと震えた。

(お水……)

 そういえば自室に持ち込んだペットボトルは就寝前に飲み干してしまった。

 コンビニで調達した物資は一階のダイニングに置きっぱなしだったはず。

 神楽は隣のベッドで眠る汀を起こさぬよう、音を立てず慎重に部屋から出て行った。

 階段を下り広すぎるダイニングを目指すと、灯りが見えた。

 男連中が交代で不寝番をするとは聞いていたが、果たして誰がいるだろうか。

 あの優しそうな人かトラックで一緒になった大男ならいい。リーダーだという彼はちょっぴり苦手だ。凶暴そうな表情が怖い。

「――とすると、――までも――」

「じゃあ――っていうの――」

 あ、ひとりじゃない。

 些か音量を抑えた話し声が聞こえ、神楽はこっそりとダイニングを覗き――。

「えっ」

 思わず声をあげた。

 ダイニングルームのソファには、ひとりやふたりどころか、姫を含めたHeroS全員と雫の姿があったのだ。

 全員の視線が神楽へと向く。

 那岐が素早くARモードで展開されていた画面を消した。そのせいではっきりと認識できなかったが、遺体が映っていたような気がする。

「どうしたの? 眠れない?」

 優しい声で姫に尋ねられ、神楽はしどろもどろ言った。

「喉が渇いて、お水全部飲んじゃったから」

「ああ。じゃあ好きなの一本持ってっていいよ!」

「皆さんはお休みにならないんですか……?」

「大丈夫、ちゃんと休むよ」

 にこにこ笑って姫は言う。

 神楽はまるで自分が幼稚園児で、大人の事情など知らなくていいとただ笑顔で寝かしつけられるような扱いだと感じた。かといって不快には思わない。そこには確かに愛情がある。しかし、やはりかといって納得のいくものでもない。

「私もいていいですか?」

「あんたは必要ない。いても役に立たない」

 鳳助が言った。素早く那岐が彼を視線で窘めるが、鳳助は知らんふりだ。

「でもみんな集まってるのに」

「全員に必要な話はちゃんと明日する」

「……雫ちゃんは」

「私も眠れなくて、ここにいさせてもらってるんだよ」と雫。

「じゃあ私も。いるだけでいいから」

 神楽は絶対に引かないぞと強い意思を込めて言う。

 明らかに迷惑そうな顔をしたのは鳳助だが、他のメンバーは諦めたように目を合わせたり、肩を竦めるだけだった。すでに同じことが二度起こっているのだから、今更といった感じなのだ。

「余計な口を挟むな。気分が悪くなったら、勝手に自分で自分の面倒を見ろ。邪魔をしたらすぐに部屋に追い返す」

 鳳助はそう言ってから再びARモードを展開させた。

 映し出されたのはアポカリプスで配信された凄惨な夜の街だった。

 変色した肌、光りを失くした瞳、筋肉の形が歪んだ者もいる。

 思わず神楽はえずきかけたが、鳳助の視線が気になってなんとか震える手で拳を握り、恐怖を呑みこんだ。

「恐らく、電力は人為的に止められている。前回も恐らくそうだろう」

「誰かがクラッキングしてる? 関東中の電力を?」

「やろうと思えば不可能じゃないはずだ」

「じゃあやっぱりテロか」

「ならなぜ電力を戻す。消しっぱなしにしていれば、もっと困るだろう」

「……困らせるのが目的じゃないのかも」

 考えるように大きな目を動かしながら姫が言った。

 視線が彼女へと集中する。

 及川が怪訝そうな顔で言った。

「じゃあ何だよ。この非常事態に電気がなくなったら誰か得するのか?」

「それは分からないけど。誰かを困らせたいなんて理由でこんな仰々しいことする?」困ったように姫が答える。

「星の夜と同じ犯人かもしれない」

 今度は那岐が言った。

「星の夜って……結局犯人は特定できなかったんだろう?」と香霧。

「そう、野放しだ。再犯の可能性だって十二分にあるだろう」

「仮にそうなら犯人は今回も捕まえられないだろうな。前回だって無理だったのに、こんな状況じゃ捜査だってろくに進まない」

「じゃあこの話題は話すだけ無駄だな」及川が真っ先に匙を投げた。

「今は最悪のパターンを想定するだけでいい。マシになるならいくらでも対応できる」

 鳳助が言った。

 今より最悪なことってなんだろう、と神楽は思う。

 もっと希望のある話が聞きたいし、したい。命があって良かっただとか、いつになれば街は元に戻るだろうとか。そういう話で気を奮い立たせたい。けれどきっとこの意見はこの場では必要とされていない。

 話を聞きたいと言った手前、神楽は自分の心情を口にはできなかった。

「電気が回復しなくても、幸いウチは自家発電機がある。想定より保護する人数はかーなり増えたが……」鳳助がじとりと姫を見る。姫は肩を竦めた。

「食料も当面問題ないだろう。少なくとも数週間……、本格的な長期戦になったら食料調達も必要だろうが、思うに今回のパンデミックも日本全国というわけではないだろう。いくらでも手に入れる方法はある。危惧すべきは感染経路と発症条件が分からないウイルスだな」

「あーあ、その話はしたくない」

 無理と分かっていながらも、及川は天を仰いだ。この場にいる全員の心情を代表しての言葉だった。

「仲間内に異常行動者が出た際は可能ならば隔離する。女だろうが関係ない。そして、生命を脅かすレベルで危険な場合は、

「狙うなら一発で決めてくれよ」香霧が自らのこめかみを示す。

 誰も笑わなかったし、彼も恐らく冗談ではなかったろう。

「異常行動はもちろん、肌の変色や体温異常にも注視する必要がある。身体に異常がないかチェックし合う」

「裸になれってこと?」雫が言った。

「別に俺達の前で脱げなんて言ってねぇだろ、同性同士でいい」

「チーム同士じゃ同情で隠されるかも分からん」と香霧。

「じゃあ女性陣は姫が面倒見ればいいだろ」と及川。

「駄目だ。コイツこそ甘すぎる。泣きつかれりゃ隠すだろう」

 鳳助が姫を軽く睨んだ。

 智成やまどかのことをすべて見抜かれているような心地になり、しかし姫は大仰に肩を竦めてとぼけるだけだ。

「発症者がいて、誰かがそれを隠す可能性がある限り身体チェックは意味がない」

 大佐が久々に口を開いた。

「……まあ、いざとなりゃ異常行動者が出てもいくらでもやりようはある」

 鳳助の言葉に、神楽はごくんと唾を飲んだ。

「武器の携帯は?」大佐が言う。

「扱いに心得のある者だけだ」

「女は駄目だっていうの?」また雫が言った。

「性別は関係ない。能力と信頼の問題だ」

 半ば睨むような視線も受け止めず、鳳助が答える。

「じゃあ私も練習すれば持てますか?」

 神楽の質問に、男たちはぎょっとした。

「あー、それは」

 及川が言葉を濁す。

 付き合いは数時間だが、その間だけでもこの神楽というトップアイドルが愛される所以を察していた。彼女は真っ直ぐで一生懸命だ。だがこんな状況では彼女の長所も逆転しかねない。

「誰がその練習に付き合う? 邪魔をして人の時間を奪うくらいなら大人しくしてろ」

「おい、ボン助」

「いーよいーよ武器なんか持たなくて! 戦うのが好きならいいけど、神楽ちゃんたちそんなんじゃないでしょ? そのうち必要になるかもしれないけど、それはその時考えればいいよ! 明日には元に戻るかもしれないんだし! ね?」

 甲高い声が場の空気を壊すように弾けた。

「危ない事は戦闘狂に任せておけばいーの!」

「一部語弊があるけど……姫の言うとおりだよ」

 那岐は微笑んで言った。

 張りつめた緊張を溶かすようなその微笑に神楽は安堵を感じたが、雫は不満そうだ。

「あとはもう明日以降だ。異常行動者が出たら場合によっては殺すから覚悟しとけってことだけだろう。もう眠ろう」

 空気を読んでいるのか、全く読めていないのか。

 オブラートに包む気が一切感じられない物言いに沈黙が降り立つ。

 姫がパチンと手を叩いた。

「よし、寝よう寝よう!」

 立川姉弟の解散命令に渋々と次第に皆が席を立つ。

「不寝番は二人ずつ。三時間ごとに交代だ」


 ――鳳助の言葉を最後に、深夜の会議は御開きとなった。


「部屋は覚えてる?」

 階段の前で姫が足を止め、雫と神楽に声をかけた。

 彼女の口ぶりから、姫は階段を昇らないことが分かる。

「姫は?」

「姫は普段から使わせてもらってる部屋があるから」

「…………あの黒髪の人、姫の彼氏?」

 雫が信じ難いものを見るように姫を凝視する。

「えっ、姫ちゃん、王子さんが好きだったんじゃないの!?」

 神楽もぎょっとした。

 しかし、姫のほうが雫よりもさらに信じ難いものを見るように雫と神楽を見つめ返した。

「ボン助とはそういうんじゃないよ! 幼馴染の腐れ縁っていうか、まあ人としては好きだけど……。仲間かな、うん、仲間。部屋だって姫だけじゃなくて、HeroSの面子は全員あるし。お金持ちだから普通と感覚が随分違うんだよ」

「ふぅん……」

「姫は男女間でも友情は成立すると思ってる派だよ。というか、友情に性別は関係ないよね!」

 疑わしいといった四つの瞳に、姫はにっこり笑ってみせた。

 そう言われてしまえばなんだか雫と神楽のほうが居心地が悪くなる。

「何か分からないことがあったら、遠慮しないで聞きに来て。この先の一番奥の部屋にいるからね」

「うん……」

「ありがとう……」

「じゃあ、おやすみ!」

 姫はそう言いつつも動かない。

 見送るつもりなのだと察し、二人は階段を上った。

 途中振り返ると、やはり姫はにっこり笑ったままひらひら手を振っている。

 ……今まではグループの中でも幼い印象のあった彼女なのに、今日はすっかり自分たちが面倒を見てもらっている。

 HeroineSのために多少キャラクター作りをしているのは雫にとっても神楽にとっても当然のことだったが、それはやはり姫にとってもそうだったのだろうか。

「姫ちゃんってすごいね」

 部屋の前でぽつりとつぶやく神楽に「そうだね」と雫は静かに返した。

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