第25話


 一斉に姉弟へと襲い掛かった異常行動者たちであるが、その半数以上が自由に四肢を動かせずに転倒したり壁にぶつかったりして、すぐに二人から引き離された。

 残りの半数はトカゲのように四つん這いで迫ってきたり、足を縺れさせながら前のめりに走ってきたりして姫と大佐を追いかける。

 ……少なくとも人間を相手にしている感覚ではなかった。

「まさかボン助に感謝する日が来るとは、ね!」

 路地に逃げ込み、姫は壁を蹴るように跳んで目の前から襲ってきた異常行動者を避けた。

 小学生時代に出逢った幼馴染に付き合って、ハードな鬼ごっこから始まり成長するにつれパルクールやサバゲーまでこなしてきたことが、まさに己の生存へと直結している。

 一般的な暮らしをしている人間であれば、とうにだろう。

 まるで猿のように自由自在に逃げ回る姫と大佐には、トカゲやワニのような動きで迫る異常行動者たちも追いつけなかった。

『とにかく撒け、いちいち相手にしてたらキリがない』

「二手に分かれたほうが撒けるかな。撒けるよね? じゃ、そういうことで!」

「あ」

 姫はビルとビルの隙間の、猫くらいしか好んで侵入しなさそうな一メートル幅もない隘路へと身を滑り込ませた。続いてP-Cameも姫のほうへと飛んでゆく。

 遠慮という概念は持っていないであろうヤツらは我先にとビルの隙間へ続こうとしては、壁にぶつかって転げていった。

 大佐は意見する暇なく置いていかれたが、姉の通って行った道は体躯の大きな彼では楽々通るとはゆかなさそうだ。

 仕方なくアサルトライフルを背負い直すと、蔦のようにビルに這うパイプに手をかけ、ぐんぐんと上へと登っていった。



「――……来たね」

 道路の上に不規則に放棄された車をのろのろ避け、大型トラックがカフェへとやってくる。

 香霧はカフェの前へ車体を止めるようにハンドサインで示した。

 カフェの雨よけ屋根の上でスナイパーライフルと並ぶ迷彩服姿の男、その異様さに上野はごくりと唾を飲んだ。青年も緊張した面持ちだったが、幸い彼はHeroSの存在を知っていたため、疑いなく指示に従うことができたのだった。

 停車したにも関わらず聞こえるエンジン音に、香霧は音の出どころへと目を向ける。

「ナイスタイミング」

 暗闇の中、路上に放置された車を避けて走るバンの登場に彼は仄かに笑った。


 大型トラックの前で停車したバンから、武装した鳳助と那岐が下りてくる。

 下に降りるようにと鳳助がハンドサインを送ると、香霧は翼でもあるかのように軽やかに雨よけから降りてきた。

「姫たちが戻り次第出発する。全員車内で待機しとけ」

「俺は留守番か?」

 運転席に座る及川が不服そうに言った。

「今回はな」と鳳助が言う。那岐は肩を竦めるだけだ。

 及川は「ヘェー」と大層つまらなそうな声を出して、背もたれに頭を預けた。

 及川と違い、戦地へ赴こうという気概のない香霧が鳳助に尋ねる。

「彼女らは大人しく従うのか? 一応、知らない男がいる車だぞ」

「乗らなきゃそれでいい、放っとけ。無理にでも乗せる義理は俺たちにはない」

「置いてったりしたら姫が怒りそうだけど」那岐が言う。

「そこまで面倒見るいわれはない」

 鳳助は素っ気なく言い放ち、二台のP-Cameを連れ那岐と共に路地へと向かった。

 

 居残り組となった及川と香霧はカフェの扉前に立つ。

 薄暗い店内の奥で人影が動くのを確認し、停電のために動かない中途半端に開いた自動扉の隙間へ身を滑り込ませた。

 店内にはこちらを警戒した様子の女たち。いずれもテレビで観たことのある顔ぶれだ。

「あー……どうも」

 及川が言った。

 彼は自分が、女性から見れば畏怖の対象であることを知っていた。

 185cmの鍛えあげられた体躯に、剃り込みもある白く染められた髪。服の隙間から見える肌に彫られた入れ墨。それらに大概の女は顔を引き攣らせるのだ。

 下手に騒がれても困るので、及川はなるべく威圧しないよう心掛けたのだが、それでも女たちは及川が一言発しただけで息を詰めた。

「あー、俺たちは姫の仲間だ。あー、サバゲーチームの。それで、あー、とにかくアンタらは車に乗れ」

「姫に言われただろう」

 香霧がフォローするように言う。

 女たちは顔を見合わせた。

 誰かが発言をすべきだが、自分はしたくない、誰が喋るか、そういったことを目線だけで窺うその感じが及川には好ましくないのだ。

「姫は?」

 雫が尋ねた。

「後から合流する」香霧が言った。

「大丈夫なんですか?」汀が尋ねた。

「人の心配は自分の無事を確保できてからだ」及川が言った。

「……行こう」

 神楽が言った。

「姫ちゃんの仲間なんだもの。良い人たちだよ」

 杏奈があからさまに顔を顰めた。

 武器を持った強面の男たちの、一体どこが、といったところだろう。

 良い人たちと言われた及川と香霧も、居心地が悪そうに互いの顔を見合わせた。

 固まっていたグループから前へ出た神楽は、高身長の男たちの前に立つと深々と頭を下げる。

「よろしくお願いします!」

 扉に向かう神楽を、他の女たちも慌てて追いかける。

「……いーこだなぁ」

 過ぎ去ってゆく背を見つめ、関心したように及川が零す。

「俺は年上が好み」

「誰もんなこと聞いてねーよ」

 見当違いな仲間の言葉に顔を顰め、及川は香霧と共に女たちの後を追うのだった。



「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 全速力で走ることで体内の温度はあがるが、肌が汗で濡れる。

 走ることで濡れた肌は冬の冷たい風にますます曝され、耳の先や鼻先が痛みを覚える。

 姫は息を切らしながらも後方を確認した。

「ガア、アギャ」

「ゼーッゼーッゼーッ」

「ゼッ、ヒュ、ヒュ、ヒュ」

 数体の異常行動者が、なおも姫を追っている。

 本来の体力はもう限界を迎えているのだろう。普段運動をしているようには見えない体格の者も、姫のスピードに追いつかんばかりだ。

 過呼吸かのように荒い息をつきながらも、ヤツらは我武者羅に姫を追ってくる。

 まるで電池が切れるまで延々と走り続ける玩具の電車のように。

『姫、今どこにいる』

「シアターブルーの近く! そっちは?」

『ビルの上だ』

「撒けた?!」

『何人かついてくる。全員撒くのは無理そうだな。やれるか?』

「一人ならなんとかなるだろうけど、ちょっとキツいかも」


と、がいる。

 その明確な違いは定かではないが、とにかく動ける奴と動けない奴がいる、というその事実だけは姫も確信を持っていた。

 まどかもそうだった。明らかに他の異常行動者とは何かが違っていた。

 まどかを相手にした時のことを思い返すと、それが複数相手になるとなると危険を感じる。


『阿呆言うな。殺れるだろ』

 鳳助の声が割って入った。

「そっちこそ阿呆言うな! そんなことしない!」

『手加減すると痛い目に遭うのはお前だぞ』

「いいから加勢に来い! このボケ助!!」

『誰がボケ助だ!!』


 言い合いの間にも距離を詰められる。

 すぐ後ろに迫る気配に、思わず姫はホルスターからハンドガンを抜きそうになったが、判断を変え、走る勢いを殺し足払いを喰らわせた。


『シアターブルーの近くだったな。公園でやるぞ』

「ハァ、了解!」


 足元で転がる異常行動者を跳んで跨ぎ、姫は公園へと向かった。

 姫の後を追うヤツらも次々と公園へとやって来る。

 狭い路地では追い払えた者も、広い公園へは苦なく侵入できるようだ。

「一着? まあ一番近いからか」

 他のメンバーを待っている余裕はない。

 アサルトライフルを装備しようかと一瞬考えるが、ヤツらの早さと数を考えると隙をついて近づかれたら対処が難しい。

 姫はホルスターからハンドガンを引き抜く。

「先に始めるから」

 そう宣言し、姫は異常行動者に向けて麻痺弾を発砲した。



「映画みたい」



 呆気にとられたように、汀が声を漏らした。

 ノートパソコンに映し出された映像はリアルタイムのものである。

 しかしそこに映るものがあまりにも現実離れしているように思えたのだ。

 他の三人のヒロインたちも言葉を失い、固唾を呑んでモニターを見守っている。

「あの、狭いよ……」

 バンの中央座席で鳳助が置いていったノートパソコンでP-Cameから送られてくる映像で、仲間の様子を確認していた香霧が煩わしそうにぼやいた。

 後部座席と右隣りにいる姫のアイドル仲間たちが、前のめりにモニターを覗いてくるからである。


 的確に放たれる銃弾。肉弾戦となっても、軽やかに敵の手足を避け、その長い足で蹴り上げる。まさにアクション映画のヒロインの如く。


 大佐が合流し、鳳助と那岐もそれに続く。

 モニターの画面は三つに分かれ、それぞれのカメラが敵と応戦する四人の姿を映していた。

 悲鳴をあげることなく、もちろんパニックになることもなく、三人の男と一人の女が戦っている。

「サバゲー? サバゲーやってるとこんなになるの?」

 信じ難いとでもいうように杏奈が言う。

「まさか。俺たちゃ例外だ。……ゲーム感覚じゃやってねーからな」

 及川は運転席で煙草を吹かして笑った。



「少なからず知能はあるみたいだな」

 公園に転がる人々の中に、HeroSたちは地に伏せることなく立っていた。

 息を整えながら鳳助は周囲を見渡す。

 さきほどまでただ動くものを襲うとでもいうように真っ直ぐに向かってきていた異常行動者たちは、獲物の様子を物陰から窺うように公園から離れて闇の中へ姿を隠していった。はっきりとその姿は見えないが、しかし視線は強く感じる。

「戻るぞ。さっさと池袋から離れる」

「奴らついてくるんじゃ?」

「襲われたらその時だ。いつまでもここで突っ立ってる気か? ――すぐ出られるようにしとけ」

 P-Cameに向かってそう告げ、鳳助は歩き出した。

 充電残量はまだ十分であるP-Cameをオフにするにするなり、鳳助は姫に尋ねた。

「俺たちに話しておくべきことは?」

「なに?」

「共通認識にしておくべきことだ。この状況だぞ。不必要なことは追及しない、だから言え。お前の仲間だってもうこの場にいるんだ。黙ってるのか?」

「ボン助、姫にも理由が」

「関係ない」

「トラウマを掘り返すようなことは」

「この状況になっても? トラウマになるほどの出来事を繰り返すか?」

 那岐が庇おうとするが、有無を言わせず鳳助は姫を真っ直ぐに見据えた。

 那岐は鳳助の相変わらずの傍若無人っぷりに眉を顰めているが、大佐は黙って成り行きを見守っている。姫の身内がそうするのならと那岐も口を閉ざした。

 友人、そしてチームリーダーである男の強い視線に負け、姫は観念したように首を振る。

「――……、多分だけど」

「それでいい」

「個体差が、あって、変異にも段階がある。中には明らかにヤバイ奴もいる。それは、目を見れば分かる。身体が痙攣しているのがいたら避けたほうがいい。身体能力がさっきのやつらとはケタ違いになる」

「それは俺も見たな」大佐が言った。

「俺が見たのは、痙攣した後そのまま死んだが」

「……身体が負荷に耐えられなかったとか」那岐がぽつりと言う。

「日常的に運動していない人間が、いきなりあんな動物じみた動きをしたら肉体に限界がくるだろう? でも彼らにはリミッターをかけられる精神状況はなさそうだ」

「ウイルスが人体を破壊してんだ。それくらいのことは起こる。それで、それだけか?」

「……不必要なことは話さなくていいんでしょ」

「ああ、そうだ。……必要になれば話せ」

「分かっ」

 ずずずず。

 何かを引きずるような音に、四人は足を止めた。

 明かりの消えた夜の街よりさらに深い闇を抱えているかのような、陰鬱な空気が発されている路地裏へとボン助はライフルについたライトを向けた。

 暗闇に人影が浮かびあがる。

 二十歳ほどの若者がガクガクと身体を震わせていた。それは頭部から始まり、首、肩、肘、手首、指先、と順々に拡大してゆく。

「痙攣ってああいうのか?」

「そう。ああいうの」姉弟は同時に答えた。

「弾は?」

「ほとんどない」今度は那岐も含めた三人が答えた。

「じゃあ退くぞ」

 ライトに照らされた瞳がぐるりと動き、光りの先にいる自分たちを睨んだのを見て鳳助たちは走り出した。

「おいちゃん! 車出す準備!」

『とっくにできてるよ!』

「……はやッ!」

 那岐の言葉は及川に対してのものではない。

 振り返って確認した敵とのその距離にあった。

 四つ足で追いかけてくる異常行動者は、まさに獣の如く唇から唾液を滴らせている。唸り声がないのがいっそ奇妙なほどだった。

(まどかちゃんの時よりさらに早い……!)

 まどかも現役アイドルらしく身体能力には元より長けていたが、今の相手は性別が男であるためか更に力強さが感じられる。

 あっという間に追いつかれ、姫はハンドガンを取り出した。

 足を止め、勢いのまま振り返り、しかし確実に足元を狙う。

 タンッ。

 銃声が響く。しかし男は止まらなかった。

 即効性がある麻痺薬のはずだ。他の個体は被弾した途端に卒倒していた。

 反射的に姫は再び引鉄を引いた。もう一発。命中してもやはり止まらない。

 次は空砲だった。

 姫は咄嗟にもうひとつのハンドガンを抜こうとする。

 それは駐車場で使用しなかった実弾の入ったものだ。

 それを手にしながら、躊躇は尚も彼女を苛んだ。一秒がもっと長く感じられる空間で、ぐんぐんと男は目の前に迫ってくる。


 撃てない。

 と姫が思うのと、

 撃たない。

 と大佐が判断したのは同時であった。


 背負っていた実弾入りの本物のアサルトライフルを前へと回し、大佐は男の足元へと銃口を向けた。ダンダンダンッと、モデルガンとはケタ違いの銃声が響く。

 ぐしゃりと男は前へと倒れ込み転がった。しかし。

「ガアッ!」

 倒れても尚、前へと手を伸ばし姫の足を掴む。

「化け物かよ!」鳳助が言った。

 大佐は再び男へと銃口を向けるが、素早く路地裏へと姫を引きずり込んだ。

「姫!」

「きゃあ!」

 足をとられ、強かにコンクリートに身体を打ちつけた。

 咄嗟に両手で掴めるものを探したが、爪はコンクリートを捉えられない。

 人がすれ違うには狭すぎるそこに向かい、むやみやたらと発砲するわけにもいかない。

 異常行動者が姫に乗り上げるのを見て、大佐はアサルトライフルの銃身を相手の目元へと押し当てた。

「ガアアア!」

 発砲により熱を持っていた銃身はじゅう、と男の肌を焼く。

 ライフルに体重をかけ大佐は路地裏のさらに奥へと敵を押し込んだ。

 異常行動者はじたばたもがいて、大佐を押し返す。

 目元を覆うように横に走った歪な火傷の中に、ぎらりと光る瞳があった。

 痛みによる恐怖も死への躊躇も一切ない、ただ目の前の獲物を殺すという明確な殺意がまるで電撃のように大佐の神経を痺れさせる。

 コイツは獣などではない。明らかな怒りによる殺意を持ち、網膜に焼き付けるかの如く睨んでくるこの瞳は本能よりもっと恐ろしいものだ。

「ガア!」

 男が我武者羅に手を伸ばし、大佐の頬を殴りぬく。

 衝撃に傾く大佐の下から抜け出し再び襲い掛かる。

 その手を押さえつけ、鳩尾に膝を撃ちこむ。

 呻き開いた口がそのまま腕を狙うが、顎を掴みあげて阻止する。

 鳳助たちは銃を構えたが、大佐と異常行動者の距離が近すぎた。

 すでに足から大量の血液を流出している異常行動者は、いよいよもって限界が来たのか次第に動きを鈍くし、膝をつく。その間にも大佐は猛攻し、その顔を殴りぬいた。

「大佐! ストップ! それ以上は必要ない!」

 姉の声が聞こえる。

 この顔を見ていないからそう言えるのだ。

 殴られて血塗れになっても尚、揺らがない殺意の瞳が大佐を捉えて離さない。

 まるで地獄の底ででもお前の顔を覚えているぞ、とでもいうように。

「大佐!」

 振り上げた腕を掴まれ、大佐は動きを止めた。

 自分よりひとまわり以上小さな手とは思えない強さで握られ手首が軋む。

 青い瞳が焦燥と牽制を綯交ぜに自分を見つめるので、大佐は腕から力を抜いた。

「もう行こう」

「……」

「大佐」

「分かった」

 大佐は敵から目を逸らし、立ち上がる。

 その瞬間、予想通り、男が素早く動く気配に大佐は姫のホルスターに収められたばかりのハンドガンを引き抜いた。

 路地裏に銃声が響き渡る。

 伸ばされた指の狙いは大佐か姫か。

 どのみちその手は獲物に触れることはなかった。

「――……ちょ、っと」

 姫は咄嗟に倒れた男の様子を見るため駆け寄ろうとした。

 しかし、大佐の腕がそれを止める。

 弟の瞳がじっと男を見下ろしていることに気づき、姫もそちらを見る。

 ぞっとした。

 血だまりの中で、絶命するその瞬間まで男は大佐を見つめていた。


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