第23話

 池袋 ――東京大停電の少し前。


「あーっ、姫ちゃんのファンの人だ!」

「ど、どうも」

「一緒に行動するからヨロシク」

 無事に楽屋に戻ってきた姫が思わぬ人物を連れてきたので、ヒロインたちは仰天した。汀にまじまじ見つめられ、青年は居心地が悪そうにしているが、姫は彼の挙動にまで構っている暇はなかった。

「みんなも着替えたんだね」

「こっちのが動きやすいでしょ」杏奈が言った。

「充電もバッチリだよ!」緊張した面持ちながら、神楽が声を張る。

「姫、私たちは何をしたらいい?」雫は真っ直ぐに姫を見つめて訊いた。

 楽屋を出た時とは違う彼女たちの表情に、姫は上野を見る。上野も覚悟を決めたような目で姫を見つめ返して頷いた。

 さすが、厳しい世界で伊達に生き抜いてきたわけではない。

 喝入れが無駄に終わらなかったことに内心安堵しつつ、姫は話を始めた。


 ――まずはHeroSと連絡が取れた旨、そしてロビーは異常行動者がいる旨を伝えた。そして彼らが迎えに来るが、それまでに外に出て移動手段を確保しなければならないことも。


「上野さん今日車ですか?」

「打ち上げで飲む予定だったから電車。禁酒しとけばよかったわね」

 上野は肩を竦めてみせるが、恐らく運の無さに相当悔やんでいることだろう。悔しさが声に滲んでいた。

「一応聞くけど他に車で来てる人いる?」

 誰も手を上げなかった。池袋は交通の便を考えると車より電車だろうし、車を使うとしても大体はタクシーだ。

 予想はついていたので、姫はそう落胆せずに思案した。

「……一台動かせそうなのがあるけど」

「あるけど?」

「大型なんだよね。搬入口にまだトラックが停まってたの。たぶんキーは刺さったままだと思う」

「大型も大型ね。私、軽しか運転したことないけど……どうこう言ってられる事態じゃないわよね」

「あの、僕……大型の免許あります」

 恐る恐るといった声が、姫と上野の会話に申し訳なさそうに入り込んだ。

「本当!?」

「引っ越し業者で働いているので、は、はい」

 女たちに詰め寄られ、青年は緊張に身体を強張らせた。

 最悪の事態だが、神に見放されたわけではないかもしれない。

「いいね、じゃ、時間もないしちゃちゃっと次についてだけど――……」


◆◆◆


 新宿から池袋まで車で十分程度。

 青年と楽屋に戻り、手短に説明をして五分強。

 この事態に道路がきちんと機能しているとは思えないが、先に来る香霧と大佐を乗せたバイクはそう遅くはならないだろう。

 躊躇するだけの時間が与えられていないことも、姫に恐怖に目を向けることを忘れさせてくれていた。

「こちら姫、聞こえてますか? どうぞ」

『き、聞こえます。どうぞ』

『こっちも聞こえてる、どうぞ』

 無線機から青年と上野の声が続く。

 大佐からの連絡を待つついでに、姫は屋外へ出るための安全な道を確認しに来ていた。今、彼女に同行者はいない。

『異常はない?』

「ないですね。……! ……人の気配はありません」

 曲がった廊下の先に倒れた影を見つけ、姫は息を呑む音すら殺してそう言った。

 楽屋の扉を叩き、ドアノブを握っていたであろうスタッフの男。彼が仰向けに倒れている。

「みんな、彼のこといじめてない? 大丈夫?」

『そんなことしないわよ』

 平常時の会話を装いながら、姫は遠めに男が動かないことを確認した。痙攣の気配もない。胸も上下しておらず、呼吸は止まっていると思われた。

「いやあ、ひとりっきりにしてきちゃったから心配で」

『あんたのほうがひとりでしょ』

 近づき、姫は男の腰のあたるをつま先でゆっくりつついた。

 しゃがみ、男の顔を覗き込む。虚ろな瞳はどこか遠くを見つめ、瞬きもしない。口元に手を翳し、首筋に指先を当てた。絶命しているようだ。

「そういえば君、名前は?」

『……夜宮やみやです』

 心苦しそうな声で青年は名乗った。

『やみやって、姫の動画作ってる人!? 君かー!! 本当に熱狂的ファンじゃん!!』

 無線越しに聞こえる盛り上がり。

 姫は男の首元からパーカーの襟元に手を滑らせ、ゆっくりと肌を確認した。

 一部が黒ずんでいる。細胞が壊死したのだろう。

 鳳助が手に入れた情報によれば、新型ウイルスはその増殖の速さ故に人の身体を喰い保菌者をも殺してしまうらしい。生き延びるために増殖は以前よりは緩やかになっているようだが、それでもまだ自滅の道を辿っているようだ。

 あとは感染……、今触れてしまったが、もし触れただけで感染するようならテレビ局の時点で姫も感染しているはずである。最も、まどかの例もあるのでいずれも確信には繋がらないが。

 姫はスタッフが腰元につけたガチ袋の中に、懐中電灯を見つけた。停電の可能性を考え、拝借する。

「連絡が来るまでに、誰が夜宮くんとトラックに乗るのか決めておいてください」

 他に何か役に立ちそうなものはないかとガチ袋に再び手を伸ばそうとした時。


 ――フッ、と目の前から死体が消えた。


「!」

 というより、視界そのものが暗闇に包まれた。

 無線機から神楽たちの悲鳴が聞こえてくる。

「落ち着いて! 停電するかもって言ったでしょ!」

 声を張り上げ、懐中電灯の明かりを手探りでつける。

 パッと視界の一部が明るくなり、足元の白い廊下が明かりを反射させた。

「!?」

 あるはずのものが消えており、姫は息を呑んで素早く光を周囲に巡らせる。

「ガアッ」

 光りが男の姿を翳すより早く、男が姫へと腕を伸ばす。

 伸ばされた手を避け、姫は男の背中を蹴りつけた。

 男は床に倒れ込み、ぶくぶく泡を吐いて、そして今度こそ動かなくなる。

『姫、大丈夫?』

「大丈夫ですよ~」

 呑気な声に反し、死体だけが見つめる彼女の表情は真剣で冷めたものだった。


◆◆◆


 バイクは新宿都道305号線を走っていた。

 大停電により信号も機能しておらず、新宿から抜ける際に道路には多くの車が溢れかえっていた。恐らく停電より前から歌舞伎町周辺では、すでに事故も起きていたのだろう。完全な混乱状態にあり、車の持ち主がすでに離れているものも多かった。

 雑司ヶ谷駅の近くまで来るころには、車の数はかなり減っていたが、その分スピードを出している車が多く交通違反もへったくれもあったものではない。

 車のライトがビカビカ光り、クラクション音が街中から聞こえてくる。

 四車線をめいっぱい使い、香霧はスピードを緩めずにバイクを走らせた。

 池袋が近づいてくる。

 大佐は無線機で姫に問いかけた。

「姫、聞こえるか」

『はいはい、感度良好』

「停電は」

『してるよ。懐中電灯と非常灯でなんとかなってる』

「あと数分で着く。今どこだ」

『関係者入口まで上がってきてる。小屋の裏』

「車は用意できたか」

『機材搬出用の大型トラックならキーが刺さってた』

「大型? よりにもよって」香霧が言った。

「ならそこいらの車を奪うか? 乗っている奴を引きずり落として」

「…………大型でいこう」

『なんで今迷ったの? やめてよね、他人を犠牲にする精神好きじゃない! 大佐も変なこと言わないの!』

「変か?」

「いや、わりと妥当な代案だったと思う」

 ――このポーカーフェイスコンビは。

 姫は顔を引き攣らせた。無線のため声しか聞こえないが、どうせいつもの心境が読めない表情で話しているに違いない。

『ッ、で、姫はどうしたらいい?』

「そこから外は見えるか?」

『ん、ちょっと待って…………わあ』

「どうなってる」

『ゾンビゲームみたくなってる』

「新宿と同じだね」香霧はさして驚いた様子もなく呟いた。

「とにかく待ち合わせのカフェの近くにトラックつけとけ。トラックなら全員乗れるか?」

『いや、二人が限界。搬出用の機材全部詰め込まれてるし、そこに人が乗るのは危険だと思う』

「じゃあ他の人数は」

『カフェまで走って、おいちゃんの車が来るのを待つようだね』

「稼げるだけ時間は稼ぐさ。見えてきた」

 闇夜に浮かぶ池袋の街。

 月明かりの下、空へ向かう煙と赤い色。どこかで火事も起きているのだろう。

 道路にも関わらずふらふらと歩く人影。

 地面には血痕。


 一夜にして荒廃の影を落とす街が、そこにあった。


「……香霧」

「分かってる。でももう手遅れだ、このまま行く」

 異常行動者たちはエンジン音に反応するような素振りを見せている。

「姫、すぐ合流できるようにしておけ」

『了解』



『ということで、すぐにでも出ます。トラックに乗る人は決めましたか』

「搬出用トラックには私が行く」

 トラックに乗れるのは二人、運転席には問答無用で免許のある青年、夜宮が乗ることになる。残された助手席には上野が乗ると立候補したのだった。

 現実問題、この中で一番機動性が低いのは上野だった。

 まだ四十代手前とはいえこの中では圧倒的最年長であるし、服装もオフィスカジュアルだがアイドル衣装の動きやすさには敵わない。

『分かりました。トラックで外に出たら、東口のほうにあるスカイバックスカフェまで来てください。そこで合流予定です』

「分かった。この無線機は杏奈……いや、雫に渡す。私たちはもうトラックへ向かうわ」

『了解。問題があったら連絡して、夜宮くん』

「はい」

『雫ちゃん、姫が迎えに行くまで待ってて』

「いらない。入口までなら自分たちで行けるよ」

『……ウーン、そうしてもらえると助かるけど、やっぱり行くよ。すぐだし』

 通信が切れた。

 上野はヒロインたちを見回してから「それじゃあ、私たちは先に行くわ」と告げる。

「無事で」

「そっちこそ。こっちは早々に車に乗れるけど、アンタたちは違うんだから。……それじゃあ行きましょう、夜宮くん、よろしくね」

「はい」

 気丈に振る舞う上野に続き、夜宮はヒロインたちに頭を下げて退室した。

 足音を抑えているのだろう。扉を閉めた後は、すぐに上野たちの様子が分からなくなった。

 部屋に残された女たちは固唾を呑み、じっと固まっていた。

 何か会話でも欲しかったが、口を開けば不安が零れ落ちそうで、ひたすら口を噤むことに集中していた。

『扉を開けて』

 無線機から姫の声が放たれ、汀が大袈裟なまでに跳びあがる。

 雫は慎重に扉を開け、戻ってきた姫を迎え入れた。

 暗闇の中でも分かるほど四人の顔色が悪いことに姫は気づいていたが、この事態でわざわざ気を回すほどの余裕もない。

「すぐ出られる?」

「うん」

「心の準備も?」

「大丈夫」

 雫はそう力強く答えたが、他の三人の顔には自信の無さがありありと現れている。かといって待つ時間はない。無理だと騒がないだけ上々かと姫は部屋を出ようとした。

「待って、ひとつだけ……」

 神楽が咄嗟にそう声をかけた。

 時間稼ぎなら受けつけない。姫は振り返り、神楽の表情から心情を読み取ろうとする。

「姫ちゃんは、なんでそんなに大丈夫そうなの?」

 愚問だと姫は思った。

「大丈夫そうに見える?」

「少なくとも私たちよりは……」神楽は慎重に言葉を選ぶ様子で言った。

 まあ、彼女の言う通りであろう。

 多少なり憤慨の心地はあったが、ここで怒っても良いことはない。姫は身体ごと神楽たちへと向き直った。


「世界の終わりを想像したことがある?」 

 

 非現実的なシチュエーションの提示に、彼女たちは固まる。

 無人島に何を持っていくだとか、最後の人類になったらどうするだとか、それはありふれたもしもの話にしか過ぎない。否、過ぎなかった、今日までは。

 少なくともこんな日の出来事は、暇つぶしの与太話だったはずなのに。

「姫はある。それだけだよ」 

 無感慨に姫はそう告げて、今度こそ扉を開いた。


 非常灯が足元で不気味に緑色に輝いている。

 五人の足音が廊下を進んでゆく。

 この人数では消しきれない足音に、もし一つ新たなものが加わったら気づけるだろうか。闇の向こうから異常行動者が来るかもしれない恐怖に、自然と呼吸は浅くなっていった。

「死体がある。気をつけて」

「え」

 通路の中央に転がる遺体を避け、姫は進んでゆく。

 口元を泡で汚して絶命している男が今日幾度も言葉を交わしていたスタッフだと気づくと、神楽や汀は目元を引き攣らせた。

(これがあるから、迎えに……)

 見慣れぬ異様な光景に慄きながら、杏奈は先頭を行くブロンドを見つめる。

 その後ろを歩く雫も気づいているのだろう。彼女はどこか悔しげに唇を噛んでいた。


◆◆◆


 どうやら異常行動者は音に反応を示すらしい。

 といっても大概の生物は音に反応を示す。それに気づいたからといって、奴らの弱点を暴いてやったとは到底言えない。

 バイクのエンジン音に反応し、奴らはゆらゆらと香霧と大佐をのろまながら追ってきている。

 目的のカフェが大通りの道沿いに見えた。

「降りたら店内を調べろ。俺は上から外を」

「了解」

 香霧はカフェの目の前へとバイクをつけた。

 バイクから下りた大佐は荷物を中途半端に開いたままの自動扉の向こうへと投げ入れ、続いて自らの身体を潜り込ませる。

 香霧はカフェ入口の真上にある雨よけの機能も果たしている立体看板を見上げ、いくらか助走をつけるとまるで猿のように壁を蹴りあげ、その手で屋根の縁を握り、そこへと乗りあがったのだった。

 幅は二メートル四方ほどの狭い空間で、素早くスナイパーライフルを組み立てる。

 雨よけの縁に一文字ずつ飾られた立体看板の上で、ライフルの銃口が鈍く光った。

「フウン、やっぱり集まってくるか……」

 牛歩のような速度であるが、先ほどのエンジン音をいまだに追いかけているのか、開けた大通りの左右から、異常行動者たちがやってくる。

 ゾンビのようにふらふら歩く者もいれば、まるでトカゲのように這いまわる者、腕の力だけでずるずる匍匐前進する者もいる。

 中でも一番こちらに近い者へ照準を合わせ、香霧はナイトスコープを覗く。

 指先が酷くかじかんでいた。

 吐く息も白い。


「……ハァー、ハアー、ハアー」


 薄い唇が、肺の中に溜まった靄をすべて排出するかのように息を吐きだす。

 彼の内に籠っていた熱が白く染まっては、冷えた夜に消えてゆく。

 外界の音は次第に遠のき、自らの呼吸音だけが香霧の体内に反響する。やがてその音の向こう、体内の血管を巡る血液すら大河に匹敵する轟音に変わったその瞬間。

 香霧は瞳を閉じる。


「ハアー……」


 ため息を繰り返したことで筋肉が弛緩し、寒さに締まった血管が緩んでゆく。

 ろうそくに火が灯されるように、冷えた指先にぽっと熱が宿る感覚を合図に、香霧は瞳を開ける。ヒュ、と冷えた酸素を吸い込み、呼吸を止める。


 タァンッ


 スナイパーライフルから発砲された麻痺弾は寸分の狂いもなく標的に着弾した。

 太ももから痺れが全身に走ったのか、標的は動きを止め倒れこむ。

 香霧は次々と銃口の位置を変え、引き金を引き続けた。


 タァンッ、タァンッ、タァンッ


 停電したカフェの店内は当然だが真っ暗だった。

 大佐はハンドガンの安全装置を解除し、いつでも発砲できる状態にすると、もう片方の手にライトを握る。右手でハンドガンを構え、右手首の上にライトを握った左手を固定した。

 テーブルの上には倒れた紙カップ。コーヒーやラテがテーブルと床を濡らしている。

 耳を澄ませ、店内の様子を探る。

 慎重にフロアからキッチンへと進んだ。閉ざされた扉を数センチほど開き、銃口と共にライトを下げる。光が奴らを刺激する可能性があるからだ。

 コツ、コツ、コツ、コツ。

 小さな物音がした。足跡よりも軽い。

 大佐は身を屈め、音を殺したままキッチンへ侵入した。

 シンク台が並び、小さな迷路のようにも思える構造に内心で舌を打つ。

「…………」

 音の出どころに近づき、シンク台に身を隠したまま角からのぞき込む。


 カフェの制服を着た男が仰向けに倒れていた。

 まるで死体のようにぐったりしている。だが、右足首から先だけがぐりぐりと動いている。まるで準備運動でもするかのように、ぐるぐるぐる、と。その際に男のつま先がシンク台の引き出しをわずかに叩いていたのだ。

「――……」

 キッチンは、大佐が入ってきた入り口以外に扉はないようだ。


 コツ、コツ、コツ、……ガツン!


「……!」

 音が変わり、大佐は視線を再び異常行動者へと移す。

 ガツン、ガツン、ガツン。

 男は右膝を曲げては伸ばし、曲げては伸ばしていた。足先が勢いよくシンク台をけ飛ばすことも気にせず、ひたすらにそれを繰り返している。


「…………」


 ゆっくりと大佐はキッチンからフロアへと戻った。

 そしてキッチンへと続く扉の前にカウンターを移動させる。


「フロアはクリア。キッチンには一体、扉は封鎖した」

『こっちはキリがないよ。早く姫たちを呼んでここを離れたほうがいい』

「姫、来れるか。これ以上待っても増えるだけだ」

『……分かった。行くよ』

「俺も外へフォローに出る」

『そうしてくれ。俺だけ寒いのは不公平だ』

「こっちだって寒い」

 暖房が切れ冷え込んだ店内から外へ出て、大佐は道に転がる無数の人間を見つけた。

『ちゃあんと麻痺弾だよ』

 香霧はそう言って、また一人倒した。



「行くんだよね、姫」

 外へと続く扉の前で動かない姫に、雫は声をかけた。

 覚悟はできているから大丈夫なのだと、言外に含められた問いだった。

 雫はそうだろう。しかし他の三人は。

 姫は振り返り、神楽、汀、杏奈の顔色を見る。

 できないとは言えない、やるしかない。それを承知しているだろう。それでも恐怖は拭い去れない。そういった顔だった。

「……人生で一番緊張した瞬間は?」

「え?」

 こんな状況で何を言っているのかと四人は瞠目した。


「姫はね、初めてHeroineSとしてステージに立った時」


 にひ、と笑い姫は振り返る。

「私も、そうかも」

 雫が言った。

「あんなに大勢の人の前に立つの初めてで、足、震えた」

「私、マーサ・カインズと一緒にモデルの仕事したとき。息詰まって死ぬかと思った。だって私より遥かに綺麗で大物オーラあるんだもん」

 世界的に有名なモデルの隣に立った瞬間を思い返し、杏奈は苦笑する。

「ダントツ始球式! 私、野球やったことなかったんだもん」

「私……中学生の時に、修学旅行で京都で外国人さんに話しかけられたとき」

 神楽に続いた汀の告白に、四人は閉口した。

「英語全然できないんだもん! しょうがないでしょ!!」

「……プッ、あははは、あはは、あは」

 真っ赤な顔を見て、神楽が噴きだす。

「わはは」姫が大口を開けて笑った。

 尖らせた唇を緩め、汀も笑いだす。

 大笑いする三人に、雫と杏奈も笑みを零した。

「あの時の局面に比べれば、今なんて大したことないっしょ」

「カフェまで走るだけだもんね」

「じゃあ、行きますか」


「まっすぐにカフェまで走るよ」


「はい!」

「おう!」

 

 五人はライブ会場から飛び出し、暗闇の池袋へと駆けだした。

 かろうじて月明かりのおかげで視界は確保された。しかしビルの立ち並ぶ街では、影がまるで足にまとわりつく闇のようだ。

「足元気をつけて!」

「はい!」

 路地から異常行動者がゆらりと現れる。

 神楽は咄嗟に足の向きを変え、ひらりと逃げた。

「ひゃっ」

「悲鳴あげてもいいけど足は止めない!」

「は、はいい!」

『奴らは音に反応する』

「やっぱり悲鳴もなるべくあげない!!」

「は、むぐぅ……ぷはッ」

 口元を両手で抑え込み、神楽は走る。すぐ苦しくなってしまった。

 姫は四人の様子を見て先導したり後方へと回ったりする。

 五人の中で最も足の速い汀が大通りへと出た。

「ま、まじぃ~!?」

『見えた。こっちまで走ってこい』

「あそこ! 店の前にいるオレンジ髪のとこまで走って!!」

「アッチのほうがいっぱいいるんだけど!」

「いいから走る!」

「あんな怖そうな男の人が姫ちゃんの友達なの!?」

「あれは弟!!」

「弟!?」

 衝撃事実は四人の恐怖を驚愕で塗り替えてくれたようだ。


 タァンッ


 乾いた発砲音と共に異常行動者が倒れ伏す。

 その光景を目の前で見た杏奈は引きつった悲鳴をあげる。

「う、撃った! 人殺し!」

『麻痺弾だよ。それより黙らせろ、どんどん寄ってくる』

「麻痺弾だそうです! 杏奈ちゃんお口チャック!」

「~~~ッ!! だって!」

「つべこべ言わずに店まで走る!!」

 騒ぐ女たちに近づく異常行動者に照準を合わせ、香霧は次々と引き金を引いた。

 大佐もその下でアサルトライフルを構え、香霧をカバーする。

 男たちは表情をピクリとも変えない。

「この人たちが一番怖い!」

『助けてやってるのに、失礼な奴らだよ』

 香霧は女たちがカフェへ駆け込むのを見下ろした。


「全員いる? よし!」


 最後にカフェへと入った大佐は自動扉の前へと立ち、女たちを横目に見た。

 ぜいぜいと肩で息をする四人を確認し、姫がどっと安堵の息を吐いている。

「怖かった。私の人生で一番緊張した瞬間ナンバーワン更新……」

「ぎゃ、なんか踏んだ! ア、アイスクリーム?」

「ここ本当に大丈夫なの?」

「安心したらなんかお腹すいてきちゃった。ケーキとかないかな」


「キッチンに一体いる。開けるなよ」


 カウンターに近づく汀を見て、店内へ入った大佐が言う。

 汀は「ぴっ」と悲鳴をあげ、へらりと誤魔化すように笑った。

「…………」

「えー、こちら姫の弟の大佐です」

「……」

 何も言わない弟の脇を姫が肘で突く。

「……どうも」大佐はその一言だけ、機械的に発した。

「大佐、って……」

「あ、ニックネームでもなく本名だよ」

「姫と大佐、ねぇ」

「キラキラネーム世代ですから。ねー」

 同意を求めて姫は大佐を見るが、もちろん彼がそれに同調するわけもなく。

 大佐は面倒そうに鼻から息を吐いた。


『――姫、姫、聞こえる?』


 HeroSで用意したものとは違う、劇場で手に入れた無線機。

 そこから上野の声が聞こえた。

「聞こえます。問題ですか?」

『そう、問題。……駐車場のシャッターが上がりきってなかった。このままじゃ出られない』

 切迫した声に、ヒロインたちは不安そうに顔を合わせる。

「そうか、停電……シャッターのことは考えてなかった」

『緊急用に手動レバーがあるんだけど』

「一人じゃ回せませんか?」

『一人でもできそう。問題は、私たちが今トラックから出られるような状況じゃないってこと……。エンジンの音で集まってきたみたい』

『う、うわあっ!』

 トラックの側面を異常行動者が叩いたらしい音と、夜宮の悲鳴も届く。

「他の足を探すか」

「どのみちトラックから降りなきゃならない。シャッターをあげたほうが早い。……大佐、姫のぶん持ってきた?」

「当たり前だろ」

「うん、よし」

「待って。まさか行くの?」

 信じられないものを見るような雫に対し「行くよ」と姫は真摯に頷いた。

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