第20話
「ああああああーーーーっ!!」
2049年2月14日 11:50 池袋ライブスタジオ【LightNight】ホール
HeroineSバレンタインライブ当日。
ストレッチでもしようかとホールに出てきた姫は、設置された受付の近くに並ぶ御祝の花スタンドの中に見覚えのある名前を見つけ声を上げた。
衣装でない稽古着のジャージ姿(ドピンク)といえ、彼女はそのまま床の上へと倒れ込む。
「いや、何事?」
声を聞きつけてやってきたメンバーたちは、姫の奇行を訝し気に見つめた。
「あれを……!」
姫が震える指先で花スタンドを示す。
【祝バレンタインライブ 立川姫様 バイオドクターキャスト・スタッフ一同】
ハートや星の風船もついた豪華な花スタンドに飾られた文字を見て、杏奈が「良かったじゃん」と冷めた声で言う。
「違う! いや、ありがたいけど! その隣!」
【祝バレンタインライブ 立川姫様 王子智成】
「おおお……」
その花スタンドを確認し、四人は声を上げた。
「バレンタインは仕事で智成さんゼロの一日だと思っていたのに、こんな、こんなサプライズ……!」
「良かったじゃん!」
「しかもセンス良いね」
ドラマ関係者からという括りでなく、智成が個人的に姫に花スタンドを贈ってくれたというのは確かに喜んでも良い事態だろう。
サンダーソニアやフリージアを中心とした黄色を元に構成された花々は、姫のイメージカラーにピッタリで彼女の快活な雰囲気もよく表している。
「……知ってる? バレンタインってさ、外国では男性が女性に花を贈るんだよ」
床に転がったままの姫が、静かにそう告げた。
四人の視線が花スタンドから姫へと向く。
「もうこれって…………………………実質、愛の告白では?」
「姫、一旦落ち着こうか」
とんでもない方向へ行こうとしている仲間に、リーダーである杏奈はそっと病人でも労わるように姫の頭に触れた。
「御祝には花スタンドがほとんどだし、たまたまだよ」
「たまたま海外の風習と被っただけだよ」
「礼節を本気の告白に受け取るとか痛いよ」
「仮にもし知っていたとしても義理だって」
「うぐう……ッ!!」
優しさに満ちた声でありながらも、メンバーの容赦ない指摘に姫は呻いて床を転がった。
「…………お礼のメール、します」
「うん」
ふらふらと立ち上がった姫は上着のポケットから携帯端末を取り出し、しっかりと花スタンドをあらゆる角度から撮影し、メールを打ちはじめた。
病院内で交換したアドレスを使うのは今回が初めてである。
智成にメールをする理由が出来たことは喜ばしく、姫は何度も文章がおかしくないか読み返し、仲間に内容を見てもらう。OKが出たので送信した。
すると、数十秒後に着信がきた。
王子智成の名前を見て、姫は反射的に「はい!」と電話に出る。
『もしもし、今大丈夫?』
「大丈夫です! お昼休憩なんで一時間くらい話してても大丈夫です!」
『ハハ、その前に僕の休憩が終わるけど……』
彼女の反応に、噂の王子様からの電話だと気づいたメンバーは固唾を呑んでその様子を見守った。
『花、気に入ってもらえたようで良かったよ』
「本当にありがとうございました! 黄色で可愛いけど、でもお洒落で……枯れちゃうのがもったいないです。し、しかもバレンタインに智成さんから偶然にもお花を貰っちゃったから、本当ラッキーって感じで……」
『え? ああ、そうか、なるほど。海外では男性が贈るんだっけ? あはは、じゃあホワイトデーは期待しとこうかな』
「ホワイトデーと言わず! あの、日にちは遅れちゃうけど、姫からもチョコ贈らせてください。そ、その、智成さんには大変お世話になってますし」
『本当? 嬉しいよ、ありがとう』
「姫がしたくてすることですから……!」
『それでも嬉しいよ。あ、じゃあそろそろ撮影始まるから、また。ライブ頑張ってね』
「はい、智成さんも。…………フウ」
通話終了ボタンを押し、一度大きく息を吐く。
かと思うと、彼女は再び床に転がった。
「対応が大人で素敵……!」
「結局かわされただけなのでは」
「ちょっとチョコ買ってきます!!」
「元気だなぁ」
「幸せそうでいいよね」
兎のように跳び起きて楽屋に向かう姫を、仲間は三歳児でも見守るような目で見送った。
◆◆◆
ライブ会場に貼られたポスターには、五人の笑顔。
一人欠けてしまった悲しさもあるが、何より立川姫の立ち位置がセンターに近づいていることが感慨深く、どこか寂しくもあった。
バレンタインライブの待機列は15時から構成される。それより前に並ぶのは、ファンのすることではない。
そのため彼は時間まで池袋の街で暇を潰さなければならなかった。
百貨店やデパートメントの表にはバレンタインギフトの特設店がずらりと並んでおり、その前には少女から壮年女性まで肩を揃えて賑わっている。
色とりどりのポップの中には『男性から女性へ逆チョコを』なんてものもあったが、あいにくアイドルへのプレゼントは食べ物が禁止されている。
自分とは無縁なイベントだ。
バレンタインのお蔭でライブは開催されるけれど、直接その恩恵に与れることはないだろう。
ぼんやりと女性の群れを眺めていると、ラフな格好の女性がその群れから器用に抜け出てきた。
紙袋を両手に抱えた彼女が誰であるか気づき、彼は石のように固まった。
賑わう街中で全く動かない男に違和感を覚えたのか、彼女も彼に気づく。
「あれ、君は」
眼鏡越しに青い瞳と目が合い、青年は喉がカラカラに乾くのが分かった。
――一方姫は、ライブ前のファンとの遭遇にそう焦ってはいなかった。
何故ならこの同年代の青年が、とても良識のあるファンであるとよく知っていたからだ。
デビュー当時から姫のファンで、ほとんどのイベントに欠かさず参加してくれる。内気で握手会の時もほとんど目は合わせてこないが、言葉使いも丁寧で謙虚な様が印象的であった。名前は直接聞いたことはなかったが、彼があのファンレターの送り主の"騎士"であることを姫は確信していた。
姫はにっこり笑い、気さくに青年に話しかけた。
「こんにちは。ひょっとしなくてもバレンタインライブ?」
「は、はい! あ、あの、まさかこんなところに居るなんて」
「あー、チョコ買いに来たの」
「チョコを……ひょっとして王子智成に」
「これ全部が? アハハハ! まさか! 結構君突っ込んでくるね~」
「あ、ち、ちが、すいませ、なんでも」
「もちろん智成さんにもあげるけどね、色んな人にあげるよ~。今日のライブのスタッフさんたちにも差し入れようと思って……お、そうだ、これ。ハッピーバレンタイン!」
「えっ」
差し出された小さな包みを目の前に、青年は再び固まった。かのように思えたが、よく見れば小刻みに震えている気もする。
「君、いつも応援してくれるから日頃の感謝で。もちろん他の人には内緒だよ。ちなみに姫が智成さんにチョコあげるのも内緒ね」
普通のファンにはこのような対応はしないが、彼は特別である。何も古参だからと贔屓しているわけではない。彼からの愛情はとても紳士的で、姫もお返しをしたくなってのことだった。
これでも人を見る目はあるのだ。彼は姫が困るような真似はしない。
青年は何度も頷き、震える手で可愛くラッピングされたチョコを受け取った。
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、また会場でね」
ひらりと手を振り、姫はライブ会場へと戻ろうとする。「あのッ」青年は声を振り絞った。
「応援してます……頑張ってください……!」
「はーい!」
人込みの中で、まるで太陽のように輝く満面の笑顔とピース。
呼吸も忘れた青年を残し、姫は人込みに紛れてあっという間に去ってしまった。
青年以外の人間が足を止めていないので、実際彼女の笑顔は太陽のように発光しているわけでもなかったということだが(当たり前である)、しかし青年にとってはそれほど眩しいものであった。
「もう……今日死んでもいい……」
感無量の呟きが、バレンタインで賑わう町に消えていった。
◆◆◆
1949年2月14日 18:30 池袋ライブスタジオ【LightNight】ライブ会場
『ハッピーバレンタイーン!』
『盛りあがっていこー!!』
『今日は新しい私たちを見てってくださァーい!』
新しい衣装に身を包んだアイドルたちが、舞台の上から観客に声をかける。
歓声に包まれた会場内ではスティックライトが星の海のように揺れた。
照明が左右や上から照らされ、光に包まれた感覚になる。すぐ傍にある音響機材から爆音が鳴り響き、腹の底を振動させる。
この高揚が好きだった。
アドレナリンで心が高ぶって、それでも頭のどこかは詰め込んだ振付やパフォーマンスをなぞり、どうすればもっと盛り上がるか冷静に次々と考えている。興奮と冷静の狭間に立って、世界を宇宙から見ている気分になる。
『I'm a Heroine 戦い続ける それが私だから
この脚で立とう 君が生まれた世界の中心で
天へ向かう樹のように 手を伸ばすの 光へ』
仲間と目が合うと、互いの高揚感を分け合いさらに魂が高まっていった。今まで何十回としてきたライブでも、ここまでのものはなかった。
まどかが抜けて以来の初めてのライブだ。メンバーやスタッフ、もちろん観客にも不安があっただろう。しかしこの空気に再び触れ、彼女たちは確信した。
まだ自分たちは前へ進める。
奇しくも、メンバーが抜けるというピンチが彼女たちの最大の成長となったようだ。
目に見えない団結という力を根源に、四肢を音に合わせてめいっぱい動かし、のびやかに力強く彼女らは最後まで歌い通した。
◆◆◆
1949年2月14日 21:35 池袋ライブスタジオ【LightNight】楽屋
「みんなぁ゛……おづかれえええ!!」
「ぎゃー待って、鼻水つく!」
「うわ、何その顔。ファンには見せられんわ」
ライブ終了後、大号泣でハグを求める神楽から四人は逃げ回った。
マネージャーの上野がタオルを神楽の顔に押しつけることで、鬼ごっこは終了を迎える。
「良かったぁ、成功して良かったよぉ」
グループ内で一番HeroineSへの思い入れが強かった神楽は、しゃくりあげながらタオルに顔を埋めている。
「最高のライブだった。あんた達ならできるって信じてたわ!」
「上野さぁ~ん!」
「神楽、十時完パケ目標だから支度急ぎなよ」
「雫ちゃん、余韻というものを楽しもうよ……」
「スタッフに迷惑をかけちゃいけない」
「確かに雫の言うとおり、手を動かしながらでも余韻には浸れるわね」
テキパキと支度を始める雫と上野の言葉を聞き、四人も帰り支度を始めた。
「本当良いライブだったよね」
「だねぇ~」
支度の終盤に差し掛かっても、余韻は抜けずに杏奈は感慨深そうに呟いた。姫も髪を結わき直しながら、鏡越しに杏奈を見つめ同意する。
「久しぶりにとっても楽しかったな、アイドル目指して芸能界入ったばっかりの頃を思い出したよ!」
汀の言葉に続いて、杏奈が「なんかこのまま帰るの勿体ないなぁ。呑みに行きたい気分だわ~」とのびやかに言った。
「お、いいじゃない、奢ってあげるわよ。全員で打ち上げといこうじゃないの」
すかさず上野がそう提案する。
「え、このタイミングでついに?」汀は目を丸めた。
HeroineSは結成当時からドライな関係で、個人的に飲みにいったり、プライベートで全員集まったり、というのは今までに一度も無かった。
今更というのも照れくさいが、それでも呑みに行っていいかもしれない、と全員が思うほどには、今日のステージは心に残るものだった。
ところが、杏奈はケラケラ笑った。
「えー冗談ですよ、バレンタインですよ、私はいいけどこの後予定ある子もいるでしょ、ね?」
「…………」
ところが返ってきたのは気まずい静寂だった。
マネージャーの上野ですら意外そうな顔をして、二十代の女性たちを見ている。
「え、嘘。マジで? 彼氏持ちいないの?」
杏奈は信じられないものを見るように仲間を凝視した。
いくらアイドルとはいえ、本当に皆のアイドル精神を貫いているというのか?
「彼氏とか……作る余裕ないよね……」
遠い目をして汀の呟きに、全員が頷く。
「アイドルの鏡か!」
「そういう杏奈ちゃんは」
「今はフリー」
「今は!? 今は!!」
「別に恋愛禁止じゃないんだけどね、恋をしたヒロインは魅力的だし」
あっけらかんという上野に、五人はすっかり口を噤んだ。
「…………それじゃあ、独り身の女たちでバレンタインに身を寄せ合って、好みのタイプの男性の話でもしますか~?」
吹っ切ったように姫が言うと、全員がその気になったようである。
「何それ、友達みたい」
「わはは」
「良いじゃん。行こうよ、明日オフだし」
「上野さんはお子さん大丈夫ですか?」
「今日は学校で勉強合宿なの」
「うわーよくやるわー」
「どこかいい店ありますかね」
「姫そういうの詳しくなーい」
寒い冬にも耐えうる上着を羽織り、鞄を持ち、自分の持ち場を綺麗にしながら全員が立ち上がる。気の使わない会話は心地よく、全員がそれを楽しんでいるのが分かり、姫の頬も自然とほころんだ。
「じゃあちゃっちゃと行きまっしょ~!」
姫は先陣を切って冷えた扉の取っ手を握り、防音扉を開ける。
「あ、お疲れ様で――……」
廊下の先にはスタッフの姿が見え、挨拶をしようと笑顔を作り、そしてその笑顔をすぐに強張らせた。
バンッと重い防音扉が勢いよく閉まる音が響く。
姫は一言も発さず、反射的に扉を閉めて楽屋の中へと戻った。自分に続いて出てこようとした仲間を片手で後ろへ押し戻し、扉に身を張りつける。
「ちょ、なに、姫、邪魔」
「――……」
首を限界まで傾け、肩を強張らせ、指先は力を籠めすぎて震えていた。
後ろ姿だったが、姫が声をかけようとしたらゆっくり振り向いた。
その彼の目。
焦点が合っていなかった。
そして扉を閉める直前に視界に入った、カエルように勢いよくしゃがんで、まるで関節でも外れたみたいに肩をダランと下げた――……。
「……姫?」
「シッ」
杏奈たちは、今まで見たことのない姫の緊張した面持ちに戸惑った。
いつもヘラヘラ道化のように笑っているか、大袈裟なくらいに怒ったり悲しんだりしている彼女が、緊張を瞳に宿し草陰に隠れて息を潜める肉食獣のようにも、恐れと不安に身を強張らせ草陰に隠れて息を潜める草食獣にも見えたのだ。
とにかく誰にも見つかってはならぬ、とでもいうように姫は気配を殺している。
尋常ではないその空気に感染し、他の五人も無意識に黙り込んでいた。
静寂を破ったのは、防音扉が酷く打ちつけられる音だった。
「キャッ、何!?」
悲鳴を背後に、姫は取っ手を強く握り、鍵穴しかない扉を睨み下ろす。複数人での使用が目的の楽屋は、施錠は小屋付のスタッフにしか権利がないようだ。
バン、ドン、ババン、と扉は何度か強く揺れた。
暫くすると音は止んだ。
諦めたのだろうか。諦める? アレに諦めるという概念があるのだろうか。
姫が黙ったまま楽屋の扉に耳を当てる姿を、全員が固唾を呑んで見守っていた。
ガチャッ
「!」
握りしめた取っ手が鳴りかけ、姫は咄嗟に両手で取っ手を強く握りしめる。
取っ手を開ける、ができる。その概念がある。
恐怖に震えそうになる息を唇を噛むことで押し殺し、姫は全体重を扉にかけた。先に状況を理解した上野と雫が、同じように扉に肩や手を押しつける。
「机を」
小さな声で、視線を楽屋の隅に畳まれたキャスター付きの作業台テーブルに向け、姫は言った。
次第に状況を理解したのだろう。青ざめた神楽と汀は、それでも小刻みに頷き、足音を殺して作業台テーブルを取りに向かう。
握りしめ続ける取っ手が動きそうになるのを何度も感じ、この金具一つで扉向こうのアレと繋がっているのだと実感し、冷や汗を滲ませた。汗で手が滑りそうだ。指の血流が止まるのではないかというほど、取っ手を強く握り直す。
また暫くすると取っ手の抵抗が消えた。その後も数分、姫は再び衝撃が襲ってこないかじっと待って確かめた。
「……机を」
姫は再び小声でそう告げた。
扉横にあった衣装をかけるためのキャスターなどを退かし、机が真横のまま扉の前まで押し進められる状態にする。
姫はそっと取っ手から手を放した。
「避けてください」
険しい顔で杏奈が言う。神楽と汀と杏奈の三人が机を押した。上野と雫は横に避け、姫は机の下を潜った。
「ストッパーを」
それぞれが車輪にストッパーをかけたのを確認し、姫はゆっくりと机から距離を取る。ストッパーをかけたとはいえ車輪のついた机では心もとなかったが、少なくとも再び開けられそうになったら咄嗟に押し戻すくらいの時間は作れるだろう。
「ねぇ、一体何が……」
涙を浮かべてそう言う汀は、それでも事態を既に把握しているだろう。
「ネットを開いて。SNS、ニュース、なんでもいい、情報を集めて。それから荷物は置かないで、いつでも逃げられる準備を」
声が揺れぬように心がけ、姫は毅然と言い放った。
自分の顔色も悪いだろうが、他の五人のほうがこの世の終わりといった表情だ。自分は一度この危機を脱している。今は自分がしっかりしなければ。
危機に立ち向かう心構えがまだできていない五人を見据え、覚悟を決めさせるために姫は一言一句ハッキリと口にした。
「多分、また始まった」
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