第2話



 ドラマの仕事が入ったことにより、空白の多かった姫の仕事スケジュールは撮影でそのほとんどを埋めていった。

 ラジオ番組やネットTVの収録や、ゲストイベントの仕事を合間に挟みつつ、空いた時間には台詞を覚え、ドラマの宣材を撮影をする。

 そんな中、姫は日に日に身体にだるさが出てきていることを自覚していた。

 高熱が出るなどの症状はないが、体調不良をずるずると二週間以上も引きずっている。久しぶりに仕事が忙しくなったせいだろうと自分に言い聞かせ、とにかく姫は目の前の仕事に集中し続けていた。


 2048年11月18日 ドラマ【バイオドクター】ロケ撮影現場。


 今年最低気温を記録した、木枯らしの吹く自然公園。

 撮影班が着々と準備を進める中、姫はロケバスの中でスタイリストにメイクをしてもらいながら、台本を読みこんでいた。

 俯きがちの顔を何度も直され、視線だけ落として台詞を追う。

 役柄の都合上、彼女は今は色の濃い茶色の瞳をしている。髪の毛も年齢に見合わないツインテールではなく、ふんわり巻いているだけだった。

「こんだけ染めてるのに全然傷んでない……」

「赤ん坊のような肌のもちもち感……」

 スタイリストたちは本物のお姫様さながらの質感の良い髪や肌に戦慄していた。

 神様って不平等だ。これだけのものが与えられているのだから、中身がちょっとくらいオカシイのは仕方がないのかもしれない。

 これで性格まで良かったら人間じゃない。それは本物の天使だ。

「立川さん。今日は主演と初共演だからいつもより張りきってます?」

 賞賛も余所に台本から目を離さない姫の様子に、スタイリストがニヤついて尋ねた。

「やぁだ、姫はいつでも全力ですよ~」

 と言いつつも、スタイリストの指摘は遠からず姫の浮ついた気持ちを見抜いていた。

 あの王子智成と共演だというから楽しみにしていたのに、最初のうちの撮影はほとんどが関わりのあるシーンが電話越しだったため、本日までは別現場だったのだ。

 姫の出演シーンは他の出演者が少ないため、数話分の撮り溜めが予定されており、何日か続いた一人での撮影を終え、やっと智成との共演シーンがやってきたのである。張りきらないわけがなかった。(もちろん、いつも全力というのも本当なのだが)

 顔合わせでは席が三つも離れていたし、智成は次のスケジュールがあって早々に立ち去ってしまい、今日まで個人的な会話もできていない。

 とにもかくにもまずは真面目に仕事をしなければ。浮ついた気持ちで芝居はするものではない。


 セットを終えた姫はもこもこのジャンパーを衣装の上から羽織り、ロケバスから降りた。

 木枯らしに震えあがるが、身も気もぎゅっと引き締まる。

「私だってお兄ちゃんの……、働きすぎだよ、……うーん」

 ロケバスの傍で軽いストレッチをしつつ、ぶつぶつ台詞を繰り返す。

 時間帯と寒さのせいで唇が思うように動かない。

 姫は頬に手を添え、むにむにと柔い肉を刺激し、舌をぐりぐり口の中で転がした。

「あいうえおいうえおあうえおあいえおあいうおあいうえ」

「おはようございます」

「あいうえおはようございます?」

 視界に影が差し、姫は流れのまま反射的に挨拶を口にする。

 顔をあげれば、目の前に書類で見た爽やかな微笑みがあるではないか。

「お、おはようございます!!」

 先ほどの挨拶が智成のものだと気づき、姫は勢いよく頭を下げた。

 発声練習のおかげで滑舌、音量、共にバッチリである。

(第一印象!)

 どうせなら自慢のアイドルスマイルを真正面から向けたかった。

 耳まで赤くした姫のつむじを見下ろし、智成は「入りが早くて感心ですね」と頷く。

 彼の姿を見る限り、今現場入りしたようである。セット諸々はこれからだろう。

「でも外は寒いし、体調には気をつけて」

「はい、お気遣いありがとうございます!」

「……、そろそろ頭をあげてくれると嬉しいなぁ」

「あ、すみません」

 姫は勢いよく顔をあげた。

「あとで台詞合わせに付き合ってもらってもいいかな? 演技プランとか、いろいろ相談できたら嬉しいんだけど……」

「いいんですか? こちらこそよろしくお願いします!」

 上げられたばかりの頭がまた勢いよく深々と下げられる。

「そんなに畏まらなくていいよ」

「はい!」

 姫の顔は未だに赤かろうに、智成はそれに触れず穏やかに話を進めてくれる。

 慣れているんだろうなぁ。

 スマートな物腰を前に、姫はときめきと自分への情けなさを胸に抱えた。

 次元の違いを見せつけられた気分だった。



 ――その後、撮影は滞りなく進み……。


(はぁ~、素敵。いや、邪念を消さねば……)

 監督が映像の確認をとる間、姫は遠めに智成を眺めつつ、心の中に次々と沸いてくる乙女心とミーハー心を押さえこもうとしていた。

 ただでさえアイドルだからとこういった芝居の場では軽く見られがちなのだ。真摯に仕事をしなければ無礼になってしまう。気分が浮つくのは仕方なくても、それを表に出すわけにはいかなかった。

 色んな緊張も相まってか、服の中がじんわり汗で濡れて、少し貧血気味な気もする。なので監督の撮影終了の宣言で姫はハァーと脱力した。

 スタッフが一斉に撤収の準備を始める中、姫は智成の傍に駆け寄り、深々と頭を下げる。

「お疲れ様でした」

「はい、お疲れ様でした」

 優しい声に返され、心拍数があがる。身体が火照るようだった。

 顔をあげるとグロスに髪がひっついてしまい、失態に呻きながら煩わしいそれを耳にかける。

 どうにもかっこつかないのが情けなかった。

「髪型」

「はい?」

「二つ結びの印象しかなかったけど、下ろしているのも大人っぽくて似合っているね」

 ふわりと砂糖菓子が溶けてしまいそうな甘い笑顔だった。

 それが二十センチ近く上とはいえ間近にあるのだ。姫の全身をぞくぞくぞくっと熱い感覚が駆け抜けてゆく。

 胸に何かがつっかえて、呼吸さえ奪われそうだ。


(これは、姫、ついに運命の出逢いの予感……!)


 VRヘッドセットなど介さずとも、ついに目の前に王子様が現れたのだ!


 ゲームで幾度と体験しても、現実でなかなか見つけられなかったときめきを迎え、感動で打ち震える。

 姫のいつもと色の違う瞳にはじわりと涙が浮かび、彼女の顔はあっという間に真っ赤になっていった。

「王子様ってお呼びしてもいいですか?」

「えっ?」

「おうじさま……」

「え、えーと」

 確かにファンからは王子様と崇められているが、共演者にそう呼ばれるのは……。

 智成は少しの躊躇を見せたが、目の前の少女の瞳があんまりにもぼやけているのに気づき、よもや、と額に手を伸ばす。

 そして伝わる体温にぎょっと瞠目した。

「きみ、熱があるじゃないか」

 心臓がバクバク動いて、全身の血流の音まで聞こえる。

 肌が粟立ち、全ての感覚が研ぎ澄まされる中、衝撃的な感覚を味わっている。

 胸の熱さがそのまま吐息になって、はふうと濡れた唇から零れていった。


(嗚呼! 運命の恋に落ちるって、こういうことなのね……!)


 周りが少し騒がしかった気がするが、恋に落ちたからか意識そのものが落ちたせいか、姫はその後のことをほとんど覚えていないのだった。


◆◆◆


 2048年11月21日 立川家


「恋の予感でなく、ただの風邪の悪寒とはね」

「いや……あれは間違いなくフォーリンラブの感覚……」

 冷却シートを額に貼り、真っ赤な顔で布団に籠っている姫は掠れた声で母親に反論した。

 マスクをした母は「はいはい」と娘の熱に浮かされた発言に取り合わない。うさぎに剥かれたりんごの入った皿を置いて、さっさと退室してしまった。


 十一月も後半にさしかかり、インフルエンザが猛威を振るう季節。


 ――姫は亜型インフルエンザに感染していた。


 風邪ではないと言い張り続けてきたが、風邪どころか散々懸念されたインフルエンザだったのだ。

 感染力が高いらしい今年の新型はしっかりその特徴を発揮させ、姫は周囲の人間を巻き込み、プチパンデミックを起こしたのだった。

 同グループの神楽と雫、マネージャーの上野も被害者のうちで、上野からは死にそうな声で「この大馬鹿が」と電話でお叱りを受けた姫である。

 実家暮らしの彼女は幸い一人で高熱に苦しむ事態を避けられた。

 しかしそれにより、彼女の弟もウイルスの被害に遭ったのだった。


「ヒィ~メェ~……ちゃんと予防しろって言ったろうが……」


 ガラガラに枯れた声が姉弟部屋に響いた。

 怒りのせいか悪寒のせいか、握りしめられた拳はプルプル震えている。

 大佐は高熱で真っ赤になった頬を引き攣らせ、毛布にくるまったダンゴ虫を睨みおろした。

「ひめ、おちゅうしゃ、こわ~い」

「カワイコぶるな」

 ダンゴ虫の柔い殻に片足が乗っかり、ぐぐぐとそのまま徐々に体重がかけられてゆく。

 大佐のただでさえ切れ長な瞳が怒りで吊り上がっていると、まるで彼は鬼軍曹のようだった。いや大佐か、鬼大佐。

「ぐぅえ~! ママ~! 鬼大佐が虐める~!」

「カワイコぶるな」

「ぎゃ! 蹴った! お姉ちゃんに対してその態度はなんだ!」

 力を振り絞り、自分より二十センチ以上高い弟に対し、姫はマウントを取った。

 素早くサソリ固めの体勢に入る。

「~~ッ!」

 腰に走る激痛に耐えきれず、大佐はバシバシ布団を叩いた。

「レディを足蹴にするとはいい度胸だ! どうだ! どうだー! 反省したかー!」

 キッチンから「二人とも黙って寝てなさい!!」と怒号が聞こえ、二人は慌てて布団に戻る。

 姉が布団にもぐったのを見て、大佐はよろよろと布団の間にあるのカーテンを引いた。

 八畳一間が簡素な区切りで半分に分けられる。

 高熱があるというのに無駄に暴れたせいで、暫くカーテンの両脇からゼイゼイと荒い二つの息が続いた。

「……ボン助たちにも感染うつったんだぞ」

 カーテン向こうから責めの言葉が聞こえ、姫は唸った。

「……それにつきましては、誠に申し訳ないと思っております」

「お前んとこのメンバーも感染したんだろ」

「ううう、申し訳ないと思っておりますぅ。だってこんなおっきい風邪ひいたことなかったんだもん~、平気だって思ったんだもん~」

「大馬鹿」

「……はい」

 萎んだ声から反省が伝わったのか、大佐はそれ以上何も言わなかった。

(ドラマに穴をあけないで済んだのだけは救いかな……)

 ずびびと鼻を啜り、姫は休養期間に奇跡的に被らなかったドラマスケジュールを思い返す。ドラマスタッフは予め取り決めで予防接種を受けていたらしく、姫が原因となる感染者はいないようだった。

 ゲスト参加予定のライブは六人中三人もインフルエンザになったために中止せざるをえなかったが、幸いソロ活動が増えているHeroineSだったので、感染を免れたまどかと杏奈、汀は仕事を続けられている。

(上野さんたちには、改めて謝らなきゃ……)

 無理に動いたせいか、身体が発火したように熱い。

 思考がマグマに溶けるようだ。身体を巡る血液が脈打っているように感じる。


 変化だ。

 恋に落ちて、自分は変わり、世界も変わる。

 悪寒と火照りを同時に覚え、体内を虫が這いまわるような違和感と、植物が花を咲き誇らせるために急激に成長しているような恍惚があった。

 肉体的痛みと精神的悦楽が姫をミキサーで掻きまわしている。


 身体の痛みから逃げるように、姫はゆっくりと眠りについた。


◆◆◆


『今年大流行している亜型インフルエンザについてですが、いまだに感染経路が分かっておりません。このインフルエンザウイルスは体内で一定数に達すると非常に高い熱を出し、酷い頭痛や悪寒に見舞われる症状が報告されています。また、この亜型は本来インフルエンザが対象とするヒト、豚、馬、鳥などの他にもあらゆる動植物への感染が新たに認められており、その驚異的な変異から既にこれは全く別のウイルスだと認識を改めるべきではないかと唱えられてもいます。

 この新型ウイルスですが、ワクチン程度であれば人体にほとんど被害や副作用はなく、政府は対策として非常に有効であるとし、国民にワクチン投与を推奨しており、今年の予防接種受診率は過去最高の73%を記録したとのことです。しかし、一部の医療専門家からは詳細の分からない新型ウイルスをワクチンとして投与するのは危険ではないかとの声もあがり、一部物議をかもしています。しかし現在、ワクチン経由での新型ウイルスの発症や謎の症状の報告などはされておりません。なお、この新型インフルエンザは変異を繰り返しているため、明確な治療薬はいまだ確立されておらず、従来のインフルエンザの治療薬の効き目も薄いとされていますが、安静にしていれば一週間ほどで自然治癒するそうです。感染者、特に子供やお年寄りは免疫力の低下から肺炎などの合併症に十分注意して――……』


 2048年11月25日 立川家


 卵雑炊を口に運びつつ、大佐は椅子のうえにあぐらを掻き、報道番組を見ていた。

 真剣な顔のアナウンサーが原稿を読み上げ、国民に注意喚起を続けている。

「やだやだ、怖いわねぇ。うちの花もコレで枯れちゃったみたいなのよ」

 一緒にテレビを見ていた母親の言葉に「へぇ、大変だな」と無感慨に返答する。

 薄型テレビの中ではアナウンサーが医療の専門家に意見を求めているが、どの専門家も明確な答えを口にしようとはしていなかった。

「姫、大丈夫かしら。熱、全然下がらないし、お父さんのところに連れていったほうが」

 発熱から一週間は過ぎてしまった。幸い、合併症状など見られないが、姫はずっと高熱を出し寝込んでいる。

 母親は心配そうに子供部屋の扉を見つめた。

「下手に動かしたほうがストレスになる。俺はもう免疫があるし、面倒見るからいいよ」

 大佐はこの五日間苦しみ続けたが、今日になり体温が微熱まで下がったのだ。

 彼は姉のために用意された卵雑炊を持って子供部屋にのそのそと戻ってゆく。

 部屋のカーテンを無遠慮に開くと、真っ赤な顔で汗をかきながら寝ている姉の姿が現れた。大佐は枕元にしゃがみこみ「姫、メシ」とぶっきらぼうに声をかける。

「…………、いらない」

 蚊の鳴くような返事だった。

「俺が食べちまうぞ」

「どーぞ…………」

「…………」

 いつもならムキになって取り返そうとするはずだ。

 オレンジ色の髪をがしがしと掻き「元気ないの、薄気味悪いな」とぼやいて、おたふく風邪のように赤い頬を手のひらで覆った。

 尋常じゃないほど熱い。喋れるようになっただけマシだろうか。昨日まではほとんど喋らず、ずっと眠っていた。

「俺はここまで酷くならなかったのにな。日頃の行いか?」

「…………」

「……おい」

 反論どころか目も開けない姉を見て、大佐は頬をむにむに抓んだ。

 苦しそうに顰められていた眉がますます吊り上がる。

「早く治せ。ボン助たちが、お前がいないと盛りあがりに欠けると」

「…………」

 返事がないことも気にせず、大佐は言葉を続けてゆく。

「そうだ、もうすぐ誕生日だろ。少し早いけどプレゼント、みんなで用意してある」

「…………と」

「なに?」

「ぷれぜんと……なに……」

 ぼやぼやと目を開け、姫が掠れた声で尋ねてくる。

 現金な姉に大佐は目を丸めてから、「最新の小型無線機」と胸を張った。

 姫の赤く色づいた唇がもごもご動く。

 聞き取れず耳を寄せると「………………いらね」と聞こえ、大佐は桃色の頬を全力で引き伸ばしたのだった。

 

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