魔人発明と魔法最盛の時代

ヒナキイウの娘

 全ての不幸の始まりは、金がないことに尽きる。

 エスダリは学校から奨学金という名目で家賃と月の半分の食費を賄うだけの金を手に入れることに成功しているが、それはつまり、残る半月の金の工面ができないことの裏返しでもある。エスダリは精霊使いを養成する学校の第五学年に所属する学生だ。七学年まで退学させられずに進学せしめ、かつ卒業までこぎつけることができれば、この赤貧生活ともおさらばだ。学年が上がるにつれ約半数の学徒が退学させられているという事実に目をつむるつもりはないが、エスダリ自身、同級生より頭一つ成績で抜けている自負を捨てるほどではない。エスダリは優秀な学生だった。残り半月の食費を日雇いの小銭稼ぎでしのいでいても、成績が下がることはなく、同期にめぼしいライバルも、一人を除いて、いない。懐事情以外の脅威はなく、前途は洋々、もうほんの二年と少しの辛抱で、大陸の王宮精霊使いへの列席が約束された生活がひらけてくると、エスダリは信じて疑わなかった。島の孤児院で育ってからずっと抱えていた閉塞感と、ついに別れてやるのだと信じてやってきた。

 そいつらが、砂州から流れてくるまでは。

 新入生が来て初めての実技試験の日、家への帰り道をうなだれながら歩いていたエスダリに、事情を教えてくれたのは、同級生の一人だった。ファイライオンという名前のそいつは、少し前までエスダリの脅威から外れた、ただの同級生だったのだが、大陸からの新入生の数を三度数え直した後には、最大の脅威へとなりかわっていた。島の精霊学校から大陸の王室に派遣が許されるのは、三人と決まっている。新入生二人がこの島に来るまで、その枠はエスダリとファイライオンと、あとはだいぶ成績の差が開いて、たぶん崖のロッジか教会のマドレイのどちらかが取るのだろうとエスダリは考えていた。

「大陸に精霊学校は五つしかないって知ってたか?」

 エスダリを追い抜いて、ファイライオンが言った。こいつの家って反対方向じゃなかったっけな、とエスダリは考えていたので、返事が遅れた。ファイライオンは実はエスダリの返事を期待していなかったのかもしれない。大陸に学校が五つしか、ということなら、競争率が高くて島に学生が流れて来たということだろうか。エスダリが大陸の人口と島の人口の比率を暗算しようと、うつむき加減だった顔を上げた途端、ファイライオンは出鼻をくじくようにこう言ったのだ。

「人口比は関係ない。単純にこの島が輩出する精霊使いの質が悪いと踏んで、こっちに移動してきただけだ。大陸より競争が楽だと思って」

 質が悪い、と聞いてエスダリは顔をしかめた。ファイライオンの言った内容は正論なのかもしれないが、要はエスダリら島出身の精霊使いがなめられているということではないか。それをさも当然のような口調で告げるファイライオンに腹が立ったのだ。

「大陸にある精霊学校も、序列があって、……こういう穴場を狙うやりかたも、最初は王宮から遠い辺境のアデンバラン校に集中してたみたいだけど、そこすら競争が激化して、ついにはこの島までやってくるようになったんだとよ」

「そんなの、誰から聞いたの?」

 少なくともエスダリは、大陸の精霊使い見習いたちの間でそんな風潮が生まれていたことなど、知らない。島の学校で教鞭をとる教師も教えてくれなかった。

「あいつら本人。特にミミルは、あんな風体だけど、しゃべってみたら存外口が軽いやつだよ」

 カルエとミミル。それが、島に突然現れ、エスダリの王宮精霊使いへの道を断とうとしている奴らの名前だ。どちらも、大陸の王都出身で、今年十六歳になるという。最初の顔合わせの時に、そう自己紹介していた。

 正直、エスダリは今日の実技の時間まで、彼ら二人を侮っていた。この時期に転入してくる新入生など、島ではほとんどおらず、いたとしても、精霊使いの才能を持っていることが遅れて判明した素人であるケースがほとんどで、たいていが一番下の学年に入れられて、数日で見込み無しとして放校されていたからだ。それがどうだ。二人は転入手続きの試験をほぼ満点でパスし、年齢から順当な第五学年に編入し、最初の実技の演習で、カルエは炎の精霊を従えて演習用の木人形を一瞬で消し炭にしたし、ミミルは鋼精霊に命じて園芸用のスコップを冶金して雷をまとう魔剣にしてしまった。どちらも、この島では決して見かけない高位の精霊だ。エスダリの使役する獣精霊は、格の違う精霊の現出に委縮して、とうとう実技の間は姿を現すじまいで、使い物にならなかったくらいだ。

 その二精霊を、ファイライオンの精霊が追い散らしているのを見て、エスダリは枠を数えてしまったのだ。この島から輩出される精霊使いは三。

 ファイライオン。

 カルエ、ミミル。

 エスダリは四番手だった。ファイライオンも、それは分かっているだろう。エスダリと同等か、それ以上の熱望を持って、王宮精霊使いになってこの島を出ていきたいと言っていたファイライオンだ。彼自身のために、限られた枠を手放すはずがない。

「あんたたちはこの島を出て行くわけね」

 エスダリは思わず詰るような口調で言ってしまった。ファイライオンは立ち止まった。エスダリも、二、三歩行きすぎてから、足を止めて振り返った。ファイライオンの背後に、そびえたつ学舎が見える。精霊使いの学校。この島で一番背の高い建造物は、お喋りしながら歩いた程度では、視界から消えたりしない。

「置いていかれるのが嫌なら、蹴落とせばいいだろ。ユトにやらせろよ」

「ユトは使い物にならないよ。今日だって、ずっと怖がって出てこなかった」

「ユトは弱虫なんだな。おれの精霊には噛みついてくるのに」

 それはユトが馬鹿だからだ。エスダリは嘆息した。獣精霊ユトは、精霊の格に敏感すぎて、絶対的な力の差を度外視する悪癖を持っているのだ。ユトはそれなりに力を持つ精霊で、正面からぶつかれば、カルエとミミルの精霊と互角に渡り合える可能性もあるのだが、格上だと悟った時点で、既に勝負を投げてしまう。獣精霊は、炎や鋼のような、属精霊の格下なのだ。一方で、明らかに強大な力を持つファイライオンの羽精霊に対しては、力の差を無視して、突っかかって行くのだから、始末が悪い。羽精霊が格下だからという理由一つで、確実に敗れる戦いに身を投じてしまう。

「ユトは弱虫じゃない」

 馬鹿なだけ、とは続けなかった。エスダリの影の中で、ユトが愚かにも喜んでいると知ってしまったからだ。エスダリの影が躍る気配を察してか、ファイライオンは少し表情をゆるめた。エスダリとファイライオンは背の高さが同じくらいだったから、正面で向い合うとお互いの視線が噛みあうようになっている。同い年の十五歳どうしで、島民女性の標準体型のエスダリと同程度なのだから、つまり、ファイライオンは同年代の少年たちの中ではかなり背が低い。こうして真正面から視線を絡めると、ますますそう思う。もしかしたらファイライオンもそうかもしれない。エスダリと相対するたびに、背の高さを気にしているかもしれない。

「……最近、あんたのとこの兄弟はどうなの」

 まだファイライオンが去る気配を見せないので、エスダリは下宿への歩みを再開させながら、そんなことを聞いた。大陸から来た精霊使い見習いの話は終りだが、ファイライオンはエスダリについてくる姿勢だ。

「ん? まあ、普通」

「このまま行けば、港に出るけど、こっちに用でもあるの?」

「船を見ようと思ったんだよ。カルエとミミルの乗ってきた船、オラサの爺が買い取ったんだろ。今日修繕が終わるって聞いてたから」

「あんた、船なんかに興味あったんだ」

「おまえはないの? 船があれば大陸に渡れるんだぞ。それに」と言いかけて、彼は言葉を切った。「なんだあれ」

「ファイライオン?」

「おれちょっと見に行ってくる」

 ファイライオンは、途中で明らかに上の空になって、エスダリを置いて走り去って行った。精霊学校から港町へと続く下り坂を転げるように駆けおりていく。エスダリもまた港の方を見た。黒煙が一筋、上がっているのが見える。火事だろうか? 横に広がる港町を一望できる坂の上だ。最初に火元が自分の下宿の近くではないことを確認していたので、エスダリにそれほどの焦りはなかった。ファイライオンの家も港とは離れている。彼がなぜあんなに必死に走るのか、エスダリには理解できなかった。

 細く、長い黒煙が、天と地を結ぶ一本の紐のように、海の青を背景に伸びている。炎は燃えているだろう。火勢と状況次第では、あの根元で逃げまどう人がいるのかもしれない。だが、エスダリは美しさを感じていた。

 それから、ずっと時が流れて、エスダリが久しぶりに人間に戻って、ふと島のことを思い出すときは、真っ先にこのときの煙が脳裏に過ることになった。たぶん、本当に思い出したかったのはファイライオンとの最後の会話だったのだが、彼とのやりとりは、ほんの小さな火事の美しい光景に負けてしまった。一本の細く天にたなびく煙と、エスダリの怒りはつながっている。ユトに教えてはいけないことを教えてしまった奴を、エスダリは生涯許さないと心に誓ったのだ。人間は獣精霊に格の上で劣ると告げたそいつを、エスダリは夢の中で八つ裂きにし続けた。

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