名状しがたい邪神 (メニュー:お子様ランチ)


 カランコロン、とボルケイノの扉の鈴が鳴ったのは、ある昼下がりの時だった。


「いらっしゃいませ」


 営業スマイルも、やってきたお客さんの姿を見て少々引き攣ってしまった。

 なぜそんな表情になってしまったかというと、答えは簡単。

 お客さんの姿が、あまりにも特異だったためだ。ボロボロの黄色い布を身に纏い、青白い仮面を被っている。別にドレスコードなんてこの店には存在しないのでお断りすることは無いのだが、それにしてもちょっと異質だ。まるで人間じゃない、また何か別の生き物のような……。


「……何か、美味しいものを……」


 ぽつり、ぽつり、とつぶやいたその言葉はどこか今にも消えてしまいそうなか細いものだった。


「かしこまりました」


 客であることには変わりない。そう思って俺は大急ぎで厨房へ向かうのだった。



 ◇◇◇



「それはきっと黄衣の王ね」


「黄衣の王?」


 メリューさんは料理を作りながら、俺にそう言った。


「うん。まだ確定じゃないからはっきりとは言えないけれど……。その身体的特徴からして紛れもなくそうじゃないかな。かなり人間社会に馴染んでいるようだけれど」


「確かに。でもとても疲れているように見えた。今にも倒れそうだった」


「そうかもしれないねえ。彼にはいわくつきの伝説があるとも言われているから。あれ、この場合って彼でいいのかな? それとも彼女? でも性別は明確に決められていなかった記憶があったから別にどうでもよかったかな」


「???」


 俺はメリューさんの言っている言葉が理解できなかった。

 けれど、きっとメリューさんは小難しい言葉を言っているだけに過ぎないので、取り敢えず無視しておくことにした。


「まあ、取り敢えず水でも出しておいてよ。私はこれを作っておくから。なに、そう時間はかからない。五分も経たないうちに完成するさ。生憎、彼が欲している料理はいろいろと作り置きしていたものが多かったからね」


「……作り置きしておいたものが多い? まあ、いいです。了解しました。じゃあ、水を出して時間を稼ぎます。取り敢えず早めにお願いしますね」


 こんなところで倒れてもらっちゃ困る、という思いがあったのかもしれない。

 そう思って俺は、カウンターへと戻るのだった。




 カウンターに戻り、水を提供する。

 無言でグラスを傾け、水を飲んでいく。一応、言及しなかったから解っているとは思うかもしれないが、仮面はつけたままだ。つけたままでよく水が飲めるな、って思うのだけれど、まさか食べ物もそのまま食べるつもりじゃないだろうな?


「……ありがとう。少し回復したよ。水を飲むだけでここまで回復するとはな。私ももう少し勉強する必要があるかもしれない」


 それってただの水分不足だけだったのでは?

 そんなことはもちろん言うことは無かったけれど、俺はそうとしか思えなかった。だって声のトーンもちょっと戻った感じがするし。もちろん『戻った』と言ってももともとがどういう様子だったのかは知る由もないのだけれど。


「……ところで、話をしてもかまわないだろうか?」


「話?」


 唐突にそんなことを言い出したのだけれど、まあ、別にそれくらいしても構わないと思う。どうせまだ料理は出来ないだろうし。


「そう、昔話のようなものだよ。……あまりにも長くなってしまうから、少々簡単な話にはなってしまうだろうけれどね」


 そういって、黄衣の王は話を始めた。



 ◇◇◇



 確かに長い話だった。

 いろいろあったのだけれど、簡単に説明をすると、この人は王様だったらしい。それもめちゃくちゃ大きい国の王様だった。けれど、結局のところ、その王国は滅んでしまった。まあ、滅ぶとか何か甚大なことが起きるとか、そういうことがない限り王様が旅をすることなんてできやしないから、大方そういうことかな、とは思っていたけれど、まさかそんなことだとは思いもしなかった。とはいえ、王様の話で気になったのは――正確に言えばその話の転換点となったのは、瑪瑙のアクセサリーを拾ったところだった。それを拾って装着したことによって国や王様自身の周りで不幸がやってきたのだという。しかしながら、それが原因ではないか、なんてことは解らなかった。まあ、当然といえば当然かもしれない。何で自分の周りに起きている事象がそのアクセサリーに一因があるなんて、思いもしないだろう。

 そして、そのまま逃げるように旅をしていたところで――ここを見つけたのだという。


「……だから、君たちには大変助かっている。まさかこのような場所に……砂漠の中心に家があるなんて。しかもその家は中に入れば立派な喫茶店。もしかして、空間が歪んでいるのか……? うん、まあ、それはあまり考えないほうがいいだろうね」


「ここは憩いの場所ではありません。けれど、あなたはお客さんです。ですからあなたには私たちが持て成すことができますし、それを一生懸命させていただくつもりです。なぜなら……私たちは喫茶店の店員なのですから」


「ほい。ケイタ。お客さんに出してくれ」


 ちょうどメリューさんがやってきたタイミングはその時だった。会話も切れかけていたので、ちょうどよかった。

 俺はそれを受け取って、黄衣の王の前に置いた。

 それはチャーハンの上に旗が刺さっている、とても変わった料理だった。それ以外にもハンバーグ、オムレツ、エビフライなど子供に大人気な料理が盛りだくさん。デザートにプリンまで用意されている。

 俺はその料理を知っている。どのお店にもあるだろう、子供が大好きな料理。

 そう、お子様ランチだ。お子様ランチが黄衣の王の前に置かれていた。


「……これは?」


 その反応からして、どうやら食べたかったものは深層心理的に出てきたものだったのだろうか。実際問題、メリューさんの見える『食べたいモノ』は本人が思い浮かべているものか、もしくは深層心理に語り掛けているモノまで様々だ。仮に後者ならば、知らない料理が登場しても何ら不思議ではない。けれど、その料理は必ず食べたいモノに間違いないだろう。メリューさんの目に狂いはないのだから。



 ◇◇◇



 そのあと。

 黄衣の王はそれを疑いながらも、少しずつそれを口に入れていった。やっぱり一回食べれば慣れてしまうもので、あっという間に食べていった。一度これは安全だと解ってしまえば楽になる――ということなのだろう。

 しかしながら黄衣の王はずっとそれを食べていき、最終的に食べ終えるまで何も言うことはなかった。感想も述べることなく、ただずっと食べ続けていった。

 そうして食べ終えると、ただ一言こう言った。


「……美味しかった。とても美味しかった。ありがとう」


 そう、その一言だけを残して。

 黄衣の王は立ち去っていった。

 ただ俺の心には、モヤモヤが残ってしまっただけだったけれど。



 ◇◇◇



 エピローグ。

 というよりも後日談。

 メリューさん曰く、


「……記憶を取り戻さなかったか。そいつは残念だったね。まあ、いつか記憶を取り戻す日が来るだろう。あるいは、永遠と取り戻さないかもしれないけれど、それについては私の知るところではないね」


 珍しく、突き放した。

 ほんとうに珍しい。


「なぜ私が突き放したか、解るか? それは簡単なことだよ。あれには意志があった。そして、私が無理に思い出させる方法は無いわけではなかった。けれど、それでもそれを実行しなかったのには意味がある。意志を尊重するためだ。仮に思い出させたところで、それを嫌がっていたのならば? 話を聞いている限り、どうやら相当自分の立場に嫌悪感を抱いていたようだったから……、それを考えると、難しい話だろうね。まあ、それがどこまで続くか一料理人には言える話ではないけれど」


 そう言って――吐き捨てるように言って――メリューさんは厨房へと消えていった。

 俺はそれを見て小さく溜息を吐くと、洗い物を再開した。もしかしたら、黄衣の王が自らの記憶を思い出す時間軸があるのか、なんてことを思いながら。

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