新聞記者とペペロンチーノ (メニュー:ペペロンチーノ)
ドラゴンメイド喫茶、ボルケイノ。
このお店はどんな異世界にも繋がっていて、どんな異世界からも干渉することの出来る、ちょっと変わった空間にある喫茶店だ――なんてことを言ってもきっと理解してくれないだろうと思うので、簡単に告げよう。
このお店はいろんな世界に扉が繋がっている。そしてその扉はどんなタイミングでも使うことが出来る。だから一見さん大歓迎。むしろ一見が多すぎてちょっと回っていないくらい。
だからと言ってサービスの質が落ちることは無い。そんなことは有り得ない。そんなことをさせないためにも、俺たちは必死に頑張っている……ということになる。
……申し遅れたけど、俺はこのボルケイノのアルバイターだ。名前はケイタ。まあ、それくらい覚えておけばあとはこのお店については関係ないだろう。流れで理解してもらえればいい。そんな深い話は、まあ、きっとないと思うから。
ちなみに今は何の時間かというと、朝の準備中。営業時間は決まっているので、それが始まる前――だいたい三十分前くらいに準備が終わるようになっている。とはいえ、それはたいていルーチンワーク化しているので、下手したら一時間前には終わってしまうこともあるのだけれど。
そんなわけでお店には俺を含めて店員三名のみ。カウンターで優雅にコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる女性が目の前に居るが、その女性も店員の一人だ。
メリューさんはいつもこの時間を楽しみにしていた。新聞を読む時間だ。
新聞はあまり好きではないけれど、メリューさんは毎日新聞を熟読している。まあ、俺の居る世界のようにスマートフォンとかパソコン――いわゆる電子機器がないから、新聞くらいしか情報を知る手段が無いのかもしれないけれど。
「どうした、ケイタ。そんなに私が新聞を読む姿が物珍しいか? 別にいつも通りのことではないか。普段通りのことを見せているだけに過ぎないのに、どうしてそんなに気になっている?」
「気になっているわけでは……無いといえば嘘になりますけれど。どうしてメリューさんは新聞を読むのかな、って。だってここは異世界じゃないですか。それもどの世界にも繋がっている、まったく別次元の異世界。だのにある特定の世界の新聞を読んでも意味はないのかな、って……」
「それはどうかと思うけれどね、ケイタ」
メリューさんはそういうと新聞を畳んで、カウンターに置いた。
「実際、新聞はかなり便利だよ。いろんな話をしていくうえで少しくらい知識を事前に得ていくことは大事だ。……とはいえ、全部の世界の新聞を買うととんでもないことになるからね。だから、ある一つの世界の新聞だけ購入している、というわけだ」
「それって……」
俺がメリューさんに質問をしようとした、そんなタイミングでのことだった。
カランコロン、と鈴の音が鳴ってそこから誰かが入ってきた。
ピンクのフリルがついたドレス、栗色の髪はツインテールになっている。そして、髪の上には小さなティアラが飾りのように装着されていた。
目鼻顔立ちは整っており、どこか貴族のような雰囲気も感じさせる。
ミルシア女王陛下。
それが彼女の名前と、階級だった。
メリューさんは新聞をもって立ち上がると、ゆっくりとバックヤードへと戻っていく。
「いらっしゃいませ、ミルシア女王陛下。まだちょっと時間が早いのですが……」
「それは重々承知しているわ! けれど、ちょっと用事があってね。メリュー、あなた新聞は読んでいるかしら?」
「新聞。なら読んでいるが」
「それってアルキメディアタイムズ?」
「そうだけれど?」
「それならオーケイ。実はちょっと頼みがあってね……。いいかしら?」
よく見るとミルシア女王陛下の背後には、彼女より少し低い身長の女性が立っていた。ベレー帽のような帽子を被って、手帳とペンを持っている。
簡単に言えば、記者のような感じ。
そんな感じの女性が彼女の背後に立っていた。
ミルシア女王陛下はそれに気づいて、彼女に問いかける。
「ほら。前に出ないと解らないでしょう? いいから、挨拶だけでも早々に済ませてちょうだい」
そうして強引に前に出すミルシア女王陛下。
女性は緊張した様子のまま、頭を下げた。
「はじめまして。私の名前はアルター・イノシスといいます。新聞記者を、務めています」
「新聞記者?」
俺は首を傾げる。一体全体、どうしてそのような業種の人間がここにやってきたのだろうか。
笑みを浮かべたのはミルシア女王陛下だった。
「実は、アルキメディアタイムズはお店を紹介するコーナーがあるのよね。そこで宣伝されるといろんなお客がやってきて必ず集客増に繋がるという、とても素晴らしいものなのだけれど」
前置きした後に、アルターさんに手を添えた。
「今回、ボルケイノでその取材をしたい、と言ってきたのよ!」
「な、なんだってー!」
それは一大事だ! もしそれが成功すれば集客増は間違いない。最近新規客が少なくなってきている現状、新規客の獲得をどうすればいいかメリューさんは考えていたはずだ。
もしこれが本当にあることならば、願ってもいないチャンスだと思う。これは絶対に受けるべき――。
「お言葉ですが、女王陛下」
メリューさんは俺の思考を中断するように言った。
「今回の申し出、お断りしたく思います」
「……理由を聞かせてくれないかしら?」
突然の却下にミルシア女王陛下は怒りを露わにすることなく、メリューさんに尋ねた。
メリューさんは頷いて、
「このお店は、確かに最近新規の客があまり入ってきていません。既存の常連さんによく来ていただいてなんとか経営を持っている状態といっても半ば過言ではない」
「うむ。確かにそうだろうな。少し前までは私がいた時もそれなりに人がいたらしいが、今はほとんど見かけることもない。私はそれを心配しているのだぞ?」
「心配していただけているのは、大変有り難いことだというのは十分理解しています。ですが……」
「ですが……?」
「新規ばかりやってきて、その先に何が生まれますでしょうか? 確かに新規客は重要です。ですが、新聞などのマスメディアで得られる情報はあくまでも表面的なもので、人によって受け取ることのできる情報は異なります。その異なる情報は、最終的に人に『誤った知識』として与えてしまいます。その結果、修正されないまま店に向かうことになるのです」
「誤った知識、ですか」
アルターさんはそう言うと小さく溜息を吐いた。
「確かにそれはその通りかもしれませんね。あなたの言う通り、マスメディアにはあなたの思っている通り、いや、それ以上の力があります。影響を受けやすい人はそれなりに影響を受けてしまう。取捨選択をできる人ならばなんとかなるとは思いますが……、それでも『この新聞で宣伝していたから』という言葉だけで行く人間は実際多いことでしょう」
「しかし、あなた。それは店の考えかもしれないけれど、そのデメリットを考慮しても客が増えることは大きいことではなくて? デメリットがメリットよりも小さければそれでいいじゃない」
「それはスポット上の問題にすぎませんよ、ミルシア女王陛下」
メリューさんはミルシア女王陛下の言葉を一刀両断した。余程発言が気に入らなかったのだろうか。
「つまり……最終的にはスポット以上のデメリットを得る、と?」
スポットということは意味がよく解っていないのだけれど、感じからすると悪いことは理解できる。継続的に不利益が生じる、ということなのか?
「ひとまず、今回については申し訳ないですけれど、無かったことに……」
「うーん、まあ、しょうがないですかね」
アルターさんは意外にもあっさりと折れた。
ミルシア女王陛下は表情を変えることなく頷くと、カウンター席に座った。
「……なあ、メリュー。取り敢えず、食事をさせてくれないか? これからは、新聞の取材とか関係なく、だ。一度でいいからほかの人にここの食事の美味しさを伝えてやりたいんだよ。……食べたいモノは言わずとも解るよな?」
「……しょうがないわね」
溜息を吐いて、メリューさんはミルシア女王陛下とアルターさんを一瞥する。そして目を瞑ると、少しの間沈黙する。
そうして、次に目を開けたとき、
「二人とも料理は別でいいのかしら? それともどちらかに合わせる?」
「この新聞記者の好みに合わせていいわよ。どうせ私は好き嫌いも無いから」
それを聞いてメリューさんは頷くと、何も言わずに厨房へと向かっていった。
メリューさんがやってきたのはそれから十五分後のことだった。それまでの間、コーヒーを二杯飲みほしただけだったアルターさんは何も言うことはなく、ただ時折手帳にメモを書き記していくだけだった。
アルターさんはまだ時間がかかると思っていただけに、その良い香りを嗅いだときは目を丸くしていた。
「……ほんっと、相変わらず早いわよね。いったいどういう技術を使っているのやら」
「そういうものは企業秘密、というやつですよ。はい、どうぞ」
そう言ってミルシア女王陛下とアルターさんの前に置いたものは、ペペロンチーノだった。
ペペロンチーノ。
スパゲッティをニンニク、オリーブオイル、唐辛子のソースで絡めた非常にシンプルなパスタ料理だ。そもそもペペロンチーノはイタリア語で『唐辛子』という意味なので、正確にミルシア女王陛下の国の言語で言えば――『リノカードア』だったかな。はじめてこのパスタ料理を作った人間の名前に由来しているとか。
「……とてもいい香りだ」
アルターさんは一言、そう言って唾を飲み込んだ。
そしてアルターさんはフォークを使ってパスタを巻くとそのまま口の中に放り込んだ。
同時に頬を紅潮させ、笑みを浮かべるアルターさん。
ニンニクと唐辛子の香りが俺のところまでやってくるので、その味がとても気になるところだったが……きっと今頃アルターさんの口の中ではニンニクとオリーブオイルと唐辛子――その三つの要素でビッグバンが起きていることに違いない。
「………………旨い」
ただ一言そう告げると、ただパスタをフォークに巻いてそれを口に入れる作業を繰り返した。長々と語るよりも食べるほうがいい――彼女の本能がそう告げているのだろう。
そしてそれはミルシア女王陛下も同じだった。ペペロンチーノは絶望のパスタだなんて逸話もあるけれど、これを見た限りだとペペロンチーノは人を幸せにしているのだから、少なくとも絶望よりかは希望のパスタになっているのかもしれない。絶望はどこ吹く風。二人は笑みを浮かべながら、ペペロンチーノを頬張っていく。
二人の皿からペペロンチーノが消失するまでそう時間はかからなかった。美味しかったという言葉を呟く一方、もう無くなってしまったのかという悲壮感も見られた。
「……成る程。女王陛下がわざわざこのお店まで私を連れてきた理由が解った気がします。そしてメリューさん、あなたが報道されたくない理由も。この味は広く伝わってほしい反面、それをしてしまうことで味が落ちてしまう可能性もあるかもしれない。いや、味だけじゃない。サービスそのものが落ちる可能性もある」
「解ってもらえたようで何より」
背後から声が聞こえたので振り返ると、そこにはメリューさんが立っていた。メリューさんは笑みを浮かべながら、幾度か頷いていた。
俺はいつの間に、とメリューさんの登場に驚いていたが当の本人はそれを気にすることなく、
「このお店はひっそりとやっていくことが一番ですからね。それも、もし可能であれば理解していただきたかった。このお店が満員になって、入ることができない……なんてことは出来ればしたくないの。せっかく来てもらったのに、満員だから待ってもらう? そんなこと、させたくない」
「……成る程ね。道理は通っているわ」
先に折れたのはミルシア女王陛下だった。立ち上がり、お金を二人分きっちり置いておくと、そのまま踵を返した。
「料理、美味しかったわ。今回のこと、もし気分を悪くしたのならごめんなさいね」
「あ、待ってください! ……とっても美味しかったです。また、客としてきていいですか?」
「ええ。お客さんならばまた何度来ても構わない」
そう言うと、アルターさんは笑みを浮かべて頷き、そうして頭を下げた。
「ありがとう。それでは、またいつか。今日はありがとうございました」
踵を返すと、ミルシア女王陛下を追いかけるように小走りに去っていった。
それを見送っていたメリューさんは扉が閉まるのを確認して、溜息を吐いた。恐らく、メリューさんなりに落ち着けるタイミングになった――ということなのだろう。
「ふう、慣れないものはすることではないね。それにしても、新聞の取材……か。今回、断ったことであの記者が新聞社で変なことを言われなければいいけれどね」
「……メリューさんも人のことを考えるんですね」
「なんだそれ、まるで私が何も考えていないような言いぐさだな。私だって少しは考えているぞ。それに、私は報道されたくなかったことも事実だ」
そこだ。
どうしてメリューさんは報道されたくない――そういったのだろうか。いや、メリューさんの言ったことも道理として繋がっているのだけれど、とはいえそれを道理として受け取るほど馬鹿じゃない。きっと何か裏があるに違いないのだ。
「……別に私としてはこの店が発展してもらうことは全然問題ないのだけれどね。ただ、やはり常連がたくさんいることからこの店が成立しているということもある。それを無碍には出来ないのだよ」
メリューさんはそう言って片づけを開始すべく、厨房へと戻っていった。
いつ新しいお客さんがやってくるか解らないので、そのための準備――ということだ。
俺もそろそろ準備しないといけないな、そう思って俺は皿を洗うべく蛇口をひねった。
◇◇◇
「……あっさり追い出されちゃいました」
「まあ、仕方ないことよ。結局、メリューが納得してくれるとは思えなかった。あれはあくまでも当たって砕けろ的な作戦だったからね」
「……それにしても、女王陛下は余程あの店に取り入っているのですね?」
「それは当然よ。あのお店には……」
「……?」
アルターはそれを聞いて首をかしげる。
少ししてミルシア女王陛下は首を振り、笑みを浮かべる。
「なんでもないわ。……さて、あなたの仕事をこのままなくした状態なのはまずいわね。とりあえず、別の店を紹介しましょうか。残念ながら、ボルケイノに比べればダメなのかもしれないけれど」
「いえ。女王陛下の行く場所ならばどことでも!」
そうして二人は町中へと消えていく。
ミルシア女王陛下の楽しそうな笑顔を見ながら、彼女たちとすれ違う人々も笑みを浮かべたが、それに彼女たちが気づくことはなかった。
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