遣らずの雨 (メニュー:カルーアミルク)
そんな珍妙な出来事が起きたのは、ある雨の降る日のことだった。この異世界が別の世界とはまったく違う空間であったにせよ、気候は普通の世界とほぼ同じなので雨は当然降る。
「雨だね。最近晴れ続きだったし、家庭菜園の野菜ちゃんも喜んでいるよ」
ティアさんは窓から外を眺めてそう言った。
しかし雨の日は憂鬱な気分になる。それに意外と人も来ない。だから出来れば降ってほしくないものである。
ただあまり降らないと野菜が育たなくなるので、野菜を外から購入せねばならなくなるのだが。
カランコロン、とドアにつけられた鈴の音が鳴ったのは、そんな退屈な日の昼前の出来事だった。
「いらっしゃいませ」
マントを着けた男だった。
角がついているから、少なくとも人間では無い。それに身体も大きい。俺も少し身体はがっちりとしている方だが、それが小さく見えるほど。二メートルくらいはあるのではないか、そう思うくらいだ。
男は迷わずカウンターの席に腰掛ける。
なんというか、オーラがすごかった。まがまがしい、とでも言えばいいだろうか? 少なくとも普通の人間がこんなオーラを放っているわけがない。そう思った。一応言っておくが、俺にはそのような素質は全くない。ゼロだ。
「……小僧、この店のメニューは無いのか?」
「このお店は、あなたが一番食べたいものを自動的に提供するお店となっています」
もうテンプレートとなっている解答を示す俺。
それに対して男は笑みを浮かべる。
「ほう。我が一番食べたいもの、だと? このようなさびれた店に出せるものがあるのか?」
だったらあんたは何でここに来たんだ?
……とは言えないのが実情だ。なんか言った瞬間オーラで消されそうだ。
それにしてもこの人、ほんとうに人間なのだろうか? いや、一応『人』として定義しただけに過ぎないので、もしかしたら人間では無いのかもしれない。そうだとすれば大変申し訳ない勘違いをかましたことになるのだが。
「……少年、一つ話を聞いてはくれまいか」
そう言われてコップを拭いていた手を止めた俺。
いや、少年と呼ばれる年齢でも無いんだけどな。俺、そんな童顔かなあ。
「いいですよ。ここは喫茶店です。料理が出来るまでの間で構いませんのでしたら、好きなだけお話しください。相手になるかどうか、解らないですけれど」
「……私は魔王なのだ」
こりゃまた唐突なカミングアウトだな。
「魔王って、ロールプレイングゲームとかで出てくるあのラスボス的立ち位置の?」
「君が何を言っているのか正直理解できないが、最後の敵というのは間違いないだろう。なぜなら人間にとっての最大の敵は私なのだから」
おっと、つい俺の世界の常識で言ってしまった。今後は言わないようにしないと。何が起こるか解らない。このまま魔法で消される可能性だって……うん、考えないでおこう。
と、その時だった。
再びカランコロン、と音が鳴った。鈴の音が鳴ったということは、客が来た合図だ。それにしてもこんな雨なのに客がこうやってくるとは――え?
そこに居たのは、もう、目を丸くするレベルだった。
だって、そこに居たのは、蒼を基調とした鎧、兜、赤いマント、身体の半分程はあるだろう剣――見るからに勇者風の格好だ。
強いて言うなら、性別が女性であるが――まあ、この際気にしない。某勇者が銅の剣と五十ゴールドで仲間三人と自分の態勢を整えろと国王に言われる系ロールプレイングゲームでは、確か勇者は女性も選択出来たはずだ。
「いらっしゃいませ」
頭を下げる俺。たとえ客が勇者であろうとも、それは変わらない。
「ああ、ここは食事処か。それにしてもまさかあんな僻地にあるとは……」
同時に魔王はマントをパーカーのように帽子代わりにした。
まあ、なぜそうしたか――理由は単純明快だが。
「ここ、いいですか」
勇者はくしくも魔王の隣に腰掛ける。
「……ああ」
さっきよりトーンが低い魔王。もしかして、魔王と勇者は一度会ったことがあるのだろうか。だからそのように声を低くしているのかもしれない。
「ところで、メニューってあります?」
「このお店は、あなたが一番食べたいものを作っています。提供まで少し時間を要しますが、暫しお待ちください。何を飲みます?」
「酒ってある?」
二言目に酒を言い出すあたり、女性だけど勇者なのかもしれない。
まあ、酒はある。いろんな世界から集めた至極の酒コレクション。これもメリューさんが実際に飲んで確かめたらしい。ほんと、すごいドラゴンだ。
取りあえず言われたので酒を出す。一応メリューさんにも確認を取る為、厨房へと向かう。
「酒でしょ。いいよ、別に。とびっきりうまいものを出してあげなよ」
即答だった。
まあ、そこまでは予想通りだった。
許可を貰えたことだし、質問をしよう。
「酒はそのままで?」
「……というと?」
ほら、食いついてきた。ついでに隣に居る魔王も。仲良しか、お前ら。
「割り方があるんですよ。正確に言えば、飲みやすくすると言えばいいですかね。一番のオススメはカルーアミルクですよ」
「カルーアミルク? なんだそれは」
「珈琲のお酒に牛乳を入れたものです。飲みやすくて、とても美味しいですよ」
それを聞いて勇者は笑みを浮かべる。
「成る程、それをいただこうか」
「ついでに私も頼む。甘めでな」
おい、魔王、お前は甘党か。
魔王の威厳、ガタ落ちだぞ。
でもまあ、そんなこと今の魔王には関係のないことなのだろう。きっと。
取りあえず俺はカルーアミルクを二人分作る為、冷蔵庫からカルーア――コーヒーリキュールのことだ――を取り出した。これをグラスに注ぎ、牛乳で割ることで完成――。いたってシンプルな構成だ。
お待たせしました、と言って俺は二人分のカルーアミルクをそれぞれの席に置いた。
「……ふむ、これがカルーアミルクとやら、か。まあ、うまそうに見えるな。これは珈琲か?」
「そうですよ。コーヒーのようなお酒、とでも言えばいいでしょうか? それに牛乳を加えて混ぜたものとなります。シンプルですが、美味しいですよ」
「ふうむ……?」
魔王はグラスを傾けて中身の様子を眺める。何度眺めてもカルーアミルクはカルーアミルクなのでまったく変わりないのだが……。いや、そんなことをいっても無駄だ。言わないでおいたほうがいい。
対して勇者も勇者で面白い反応をしている。色が苦手なのか、じっと見つめてそのまま待機している。まさか泥水か何かと勘違いしているのではないだろうな?
「……なあ、この飲み物、泥水に見えるのだが……」
「列記とした飲み物ですよ、ええ」
予想通り。
勇者って思ったよりバカなのではないか……いいや、これは言わないでおこう。勇者の威厳が失墜する。そもそも俺の住んでいる世界に勇者はいないから別にいいのだけれど。
「まあ、飲んでみてくださいよ。百聞は一見に如かず、とも言いますし?」
「ふむ……。確かに、訝しんでばかりでは何も進まない。まずは飲まないとな」
そう言って。
動いたのは魔王だった。
一口、カルーアミルクを口に運んだ。そして少しずつ喉を通って体内へ――。
「なんだ、これは!」
ごくり、と喉を鳴らした魔王はコップの中身を見て俺に言った。
いや、だからそれはカルーアミルクだって。
とりあえずもう一度(質問されたのだから答えねばならない)それについて答える俺。
勇者も少しずつそれを飲んでいたが、味がおいしいと分かったからか、一気に飲み干した。
ああ、カルーアミルクってけっこうアルコール度数高いのに……。
まあ、勇者だから、お酒に強いのかもしれない。知らないけど。俺の勝手な想像だけど。
しかし、その俺の予想に反して――勇者は頬を真っ赤にさせた。
「……もしかして、お酒が弱いのですか?」
「そんなわけないでしゅよ」
……だめだ、完全に舌が回っていない。
こんな酩酊している勇者、見たことがない。
いや、正確に言えば勇者を見たのがそもそも初見なのだが。
対して魔王は一杯飲み干しても冷静だった。強がり、にも見えるかもしれないが、少なくともそうではないのだろう。
「眠いよう」
勇者はそう言って、隣に座っている魔王の肩に寄り掛かった。
――衝撃である。
誰が予想しただろうか? 魔王と勇者の、このような光景を。
魔王は冷静をキープしているが、きっと心の中ではドキドキしているのだろう。仮にも敵が、目の前で寄り掛かっている。そして勇者は、敵である以前に一人の女性である、と。
そして勇者はそれだけでは終わらない。
勇者は魔王の腕に自らの腕を絡ませてきたのだ。きっと魔王は勇者の体温を直に感じているはずである。鎧を外しているから、微かに胸のふくらみも感じることができるのだろう。うらやましい……い、いや、それは冗談だ。冗談だぞ。大変だな、って思っているだけだ。ああ、そうだ。それは断言できる。
「ほんと大変なんですよぅ……」
なぜか勇者は魔王に絡みだした。シュールである。シュールな図だ。
魔王はどうにか乗り切ろうとして先ほどカルーアミルクと一緒に出したコロッケに手を出した。きつね色にこんがりと揚がっているそれは、どうやら魔王も見たことのない代物だったらしい。
「……ところで、これはいったい何なのだ?」
魔王が尋ねる。
俺はそのまま、メリューさんから聞いた言葉を返す。
「それはコロッケですよ。正確に言えば揚げ物ですね。おいしいですよ? 確かタネはジャガイモ……馬鈴薯だったかな。それにひき肉を混ぜているんですよ」
「馬鈴薯にひき肉? ……ほほう。それは面白い」
そう言って魔王は箸を奇麗に使って――やはり学があるのだろう、魔王だし――丁寧に一口分コロッケを切った。断面は白いジャガイモと、それにアクセントとして見える茶色のひき肉。まさに絶妙なバランスで入っているといえる。そしてコロッケにかかっているソースが断面から滝のように流れ、ジャガイモへ染みていく。
そしてそれを口へと運んでいく魔王。
口に入れてしっかりと咀嚼し、口全体でコロッケの味を味わう。
「うむ、美味い」
「おいしいの? だったら私にもちょうだい」
そういったのは勇者だった。口を大きく開けて魔王にコロッケをねだっている。
一応言っておくが、この二人――RPGの常識だったら最終的に戦う相手だぞ?
「あーん、ほら、あーんってして」
勇者は言う。
魔王ももう我慢できなくなったのか――もう一口分切り分けてそのまま魔王は勇者にそれを差し出した。
勇者はぱくり、とコロッケを頬張り同じように咀嚼する。だが、女性だからか魔王に比べると少し奇麗だ。
「美味しいー! こんなコロッケ、初めて食べたわ。馬鈴薯の美味しいこと!」
「……ああ、そうだな」
なんか、夫婦みたいになっていないか。
まあ別にいいか。少なくとも、俺がその世界に関与する意味はないのだから。
◇◇◇
結局魔王と勇者はべったりくっついたまま帰っていった。まあ、お互いがお互い入った場所が違うし、あのままくっついても強制的に離れることになるのだけれど。前は厄介だと思っていたあの扉だが、今考えるとそれが正解なのかもしれないな。
「いやあ、何とかなったね」
メリューさんはそう言って厨房から出てきた。
「何とかなった……って、魔王と勇者がああいう関係になったってことが、ですか?」
「ああ、そうだよ。そうしないとあの世界は滅亡しちまうからね」
「……というと?」
「考えてみればわかる話だよ。勇者が魔王を倒さないと世界は平和にならない。しかしそれは人類の主観の上での話。魔王も魔王で魔物の主観で考えて行動している。人間が毒であると考えている。……まあ、あの魔王はどちらかというとそうは思っていないのかもしれないがね。きっと魔物にそそのかれたのだろう。そういう知識を幼少から植え付けられたのだろう。よくある話だよ」
「それじゃ、あれが正解だと? 魔物と人間が手を取り合う世界がハッピーエンドだと?」
「魔王を倒した勇者を、国王はどう思う?」
唐突の質問に俺は少しだけ考えて――答える。
「そりゃ歓迎するだろうよ。魔王は人間にとって最大の敵だ。それを倒したんだから――」
「――裏返せば人類の最強の敵にもなりうるよな?」
「――――え?」
「人類には誰もかなわなかった最強の存在、魔王。それを倒した勇者は人類最強とは思わないか? もし何かあったら勇者が魔王の代わりにとって代わるかもしれない。そう恐れる可能性だって考えられないか?」
それを聞いても、俺は信じられなかった。
だってそんなことはない。ハッピーエンドで終わるはずだ。
「ケイタ。あの世界は人が住んでいる世界だ。連続性のある世界だ。ゲームのようにドラゴンを倒して王女を救って、そして竜王を倒す。そして物語は終わり。そんなわけじゃないんだよ。ハッピーエンドでいったん物語は終わるかもしれない。けれど世界は続いていく。主人公の物語は『一区切りついた』だけで一生終わることはないのだから」
メリューさんは少しだけ悲しい表情をして――再び厨房へと戻っていった。
思えば俺は、メリューさんとティアさんの過去をあまり知らない。
なぜメイド姿なのか。なぜ喫茶店を開いているのか。
俺がそのことを知ることになるのは――少しだけあとの話になるのだけれど、それはまた、別の話。
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