初めての客人 (メニュー:肉じゃが)


 カランコロン、とドアの音が鳴ったのは昼前のことだった。


「いらっしゃいませ。空いている席におかけください」


 営業スマイルを決めて俺はそう言った。

 だがそのスマイルを華麗に無視して、男はそのままカウンターの奥に座った。

 ……少しだけ、苛立つものがあったが致し方ない。そこですぐに怒りに任せてはいけない。

 水をコップに注ぎ、それを男に渡した。

 男は首を傾げて、俺の方を見た。

 やけに鼻の高い男だった。


「……この店は客にメニューも出さないのか。礼儀がなっていない店だ」


 勝手に憤慨されても困る。

 まあ、確かにこの店にはメニューが無い。それでは、何を食べることが出来るのか? なんて当惑する人が出てくるのは当然だ。

 だが、この店ででてくる料理は決まっている。


「お客様、当店にはメニューがございません。正確に言いますと、決まったメニューが無い……とお伝えすればよろしいでしょうか」


「何だと?」


 それを聞いてさらに眉間に皺を寄せる。

 当然だ、当然だろう。そんなことを言われて疑問を抱かないほうがおかしい。


「この店は、『今あなたが一番食べたい』ものを出す店なんですよ」


 そう言ったのは店の奥から出てきたメリューさんだった。


「一番食べたいもの……だと?」


 まあ、そう思うのは仕方ない。

 現に俺がここにやってきたとき――そう、忘れもしない。あの時だって俺はメリューさんの言葉を疑ってかかった。そんなこと、あり得ないなんて思った。

 有り得ない、ってどういうことだ――それは簡単。


「ああ、一応言っておきますが、もう料理は作り始めています。あなたがここにやってきてすぐ……ね」


 それを聞いて溜息を吐く男。


「別にこの店に文句をつけるわけじゃないが、客の注文は聞くべきではないのかね? これだから若い者がやっている店というのは……。まだ常連なら解るものの、私はまだ一回しか来ていないぞ? それを理解していっているのか、君は」


 なぜ俺に訊ねる。

 俺に言われても困る。だってそれは実際に確かめてもらった方が早いからだ。俺の国で言うところの、百聞は一見に如かずってやつ。

 それを聞いてもなお理解してくれない。まあ、仕方ないと言えば仕方ないんだが、ここまでくると理解してくれないと逆に困る。実際問題、そうじゃないと話が先に進まない。


「こんにちは、おや、今日はもう先客が居るのかい」


 カランコロン、と言う音を立てて扉が開いた。

 入ってきたのは杖をついて歩く白髪の男性だった。白衣に濃紺のマフラーをつけているが、暑がる様子は無い。それどころかむしろ寒いとも思っているようだった。

 杖の傍には一匹の狼が居た。まだ子供だからか、その大きさは男性の膝程までしかない。

 そして俺は、その人のことを知っている。

 だから俺はその人の名前を呼んだ。


「ヒリュウさん、いらっしゃい。今日は早いね」


「何を言っておるか。わしはいつもこの時間だよ」


 ヒリュウさんはそう皮肉を言いながら、先程の男から一つ席を空けた席に腰掛けた。

 座ったと同時に俺は水を差し出す。あと温かいおしぼりも。


「おお、ありがとう。ここに来るまでに手が悴んでしまうものでね……。いやあ、ほんとうにここのサービスは翌行き届いておる。どうだ、わしの国で二号店をオープンするというのは?」


「人手が足りないし、今のスタイルをやっていくにはこれが充分なもので」


 ヒリュウさんの言葉をあっさりと受け流すメリューさん。

 確かにそうだ。現状スタッフは俺を入れて三名。それでも充分回していけるかというとそうでもない。メリューさんがほぼ調理に回ってしまうため、俺がホールスタッフとして頑張る必要がある。一応ティアさんもホールスタッフだけど、調理のタスクが増えていくとティアさんも手伝わないといけないので、基本は俺一人。忙しいときはテーブル席とカウンター席を合わせて三十席はある喫茶ボルケイノが満員になってしまうほどだ。最初はどう対処すればいいか解らなかったが、今はやっと捌けるようになってきた。人間、場数を踏めば案外出来るものだと思い知らされた。


「ケイタ、出来たからもっていって」


 ふと厨房から声が聞こえて俺はそっちへ向かう。見るとお皿に盛り付けられていたのは……ジャガイモと牛肉、ニンジンに玉ねぎが入った煮物だった。醤油ベースになっているのか、少し黒めだ。

 というかこれって。


「肉じゃが、じゃないですか」


「そうだが? まあ、味見してみたまえよ」


「……これは、客に出すものでしょう」


「だからこれを、だ」


 よく見ればメリューさんは器用に箸を使ってジャガイモを掴んでいる。

 ……それを食べろ、ってことか?

 俺はそう言いたかった。だって現にメリューさんはニヤニヤしながら俺の行動を窺っているようだったし。わざとこのような状況に陥れたのだ。策士というかなんというか……。


「解りましたよ」


 一つ、溜息を吐いて、俺はジャガイモを口に運んだ。正確には、メリューさんが運んでくれた、という話だが、まあこの際どう説明しようがどうだっていい。

 そしてジャガイモが口の中に崩れて味が広がる――――――ん?


「どうした、ケイタ? 何かおかしい点でも?」


「いや……このジャガイモ、やけに塩気が強くないか?」


「それだよ。そう、それだよ」


 メリューさんは気付いたことに嬉しかったのか、ぴょんぴょん小刻みにジャンプした。こういうところは可愛いのだけれどね。

 話を戻そう。

 メリューさんはどうやら凡て説明し終えたような感じだったけれど、まだ俺は何も理解できていない。いったいメリューさんは何を知っていて、何故このような味の濃い料理を作ったのか。


「……まだ解らないのか?」


 漸く。

 漸く溜息を吐いて、そう言った。

 どうやら教えてくれるようだ。だったら最初から教えてほしいものだったけれど、それはさすがに言わないでおいた。

 そして。

 メリューさんは呆れ果てたのか、自分でそれが入った皿をもっていく。


「もういい。あの客は私が何とかする。お前はこれをもっていけ」


 そう言ってメリューさんは小さい船の形をしたガラスの容器にプリンや果物、プレッツェルが絶妙なバランスで盛り付けられた料理――いわゆるプリンアラモードというやつだ――を俺に押し付ける。ヒリュウさんがここにやってくるときに毎回食べたがっている料理がこれなのだ。

 俺はそれを受け取って、了解、と小さく頷いた。



 ◇◇◇



「お客様、お待たせしました」


 メリューさんがそのお皿を、音を立てずに男の前に置いた。


「……これは?」


「これは煮物です。お肉に馬鈴薯、人参に玉葱……それらをマキヤソースベースにして煮込んだものとなります。きっとあなたの家の方では、家庭料理として出されたものだと思われますが?」


 マキヤソースとは、魚醤に近い、ある世界では醤油のかわりに使われている調味料のことだ。マキヤ・インダストリィが開発しているためそのように命名されている。まあ、それを聞いたのもメリューさんからの入れ知恵だがね。

 マキヤソースと聞いて一番に喜んだのは他ならない、目の前に居る男だった。


「マキヤソース……そうだよ、これだ。懐かしい響きだ……。確かに香りも、マキヤソースの香りがする。うんうん、それに人参のこの大きさといったら! ……しかし、ここは喫茶店だったはずでは?」


「ええ、確かにそうです。ですが、お客様が一番食べたいものを提供する。それがこのお店のルールでして」


「そうじゃよ、名も無き男よ」


 突然横槍を入れられて男は横を向く。そこには満面の笑みを浮かべてプリンを食べているヒリュウの姿があった。因みにプリンアラモードの隣にあるホットコーヒーはサービス。お口直し的な意味も兼ねている。


「成る程」


 小さく頷いて、料理を前に、両手を合わせる。


「いただきます」


 小さく呟き、料理の前に置かれた箸を手に取った。



 ◇◇◇



 私がその料理を見たときは、とても懐かしい見た目に感じた。

 不揃いの馬鈴薯に肉、人参に玉葱。そして少し濃く食材が色づけられている。

 そう、これだよ。

 私が食べたがっていた、『煮物』はこれだよ!

 私は馬鈴薯を箸で掴み、そのまま口に放り込む。


「ああ、美味い」


 思わず口から漏れた言葉を聞いていたのか、目の前に居るメイド――あとから聞いたがメリューと言うらしい――は優しく微笑んでいた。

 まるでそのやさしさが――私の母を想起させた。

 煮物は普通、主菜ではなく副菜におかれるものだ。私も地方から都会に出てきてずっとそうだったからそういう常識を理解せざるを得なかった。

 だが、この構成の煮物だけは――母の作った、あの塩辛い味付けには敵わなかった。

 とはいえ料理を食べたいがために仕事を放り捨てて帰省することなど出来るわけがない。

 だから私は我慢し続けた。

 それが、仕事に対する苛立ちへと変わったのはいつからだろうか。

 日常生活に対する『満足感』が徐々に、仕事に対するモチベーションの維持に繋がっていたことを、私はすぐに思い知らされた。

 私は我慢し続けずに、無視し続けずに、母の味を食べなくてはならなかった!

 それを理解したのは、実家から送られてきた、母の死亡通知を見てからの事だった。

 母が死んでも、私は母が死んだとは理解できなかった。

 親族にはそれを指摘され、それどころか帰ってこなかったくせにと言われる。

 どうしてだ? 私が都会で働くことが決まって、母は一番喜んでいたのに! 親族も全員で喜んでいたではないか!

 だが、そんなことを言っても無駄だった。それどころか私の心を締め付けるだけだった。


「……どうなさいました?」


 それを聞いて私は我に返る。どうやら馬鈴薯一つ食べたところで感傷に浸っていたようだ。……私らしくない。だが、この煮物の馬鈴薯にしみこむ味、とても懐かしく、美味しい。


「済まない、ライスを頂けないだろうか」


 こんなさびれた雰囲気の喫茶店にライスは無い――普段の私ならそんなことを想って居た。

 だが、私はあると思っていたのか――それともそんなこと眼中になかったのか、普通に注文していた。


「はい、どうぞ」


 そのメイド、メリューは私がライスを注文するのを理解していたのか、私の前にライスが盛り付けられた平皿を置いた。

 箸を使ってライスを一口。ああ、マキヤソースの味が濃い。だからライスが進む。絶妙なバランスだ。本当に素晴らしい。


「この煮物、君が作ったのか?」


 私はメリューに訊ねる。


「ええ」


 メリューは笑みを浮かべた。その笑顔が――また母と重なった。

 気付けば、私の目から涙が零れていた。


「お客様、大丈夫ですか?」


 しかしいたって冷静に、メリューはおしぼりを私に差し出す。

 私はそれを受け取り、涙を拭う。


「済まない。つい、あまりにも懐かしくて……」

「大丈夫ですよ。ここはそのようなお店でもありますから」


 そして私は食事を再開する。

 これが永遠と続けばいい――私はそう思った。



 ◇◇◇



「御馳走さま」


 後ろ髪を引かれるような悲しい表情で、男は立ち上がった。ちなみにヒリュウさんはまだプリンアラモードを食べている。本日二杯目。いつも通りだ。


「ありがとうございました。御代は銅貨五枚となります」


 銅貨五枚は、俺の世界で言うところの五百円くらいになるだろうか。まあ、いつもの値段だ。

 それを聞いた男は目を丸くする。


「そんな安くていいのか……? いいんだぞ、別に。銀貨五枚の間違いじゃないのか?」


 銀貨は銅貨二十枚分の価値がある。即ち、男が提示した値段は一万円相当。

 そんな大金、頂くことは出来ない。


「いえ、大丈夫です。銅貨五枚で、お客様の心が満たされたのでしたら」


 渋々男は銅貨五枚を置いていき、出口へと向かう。


「あ、そうだ」


 思い出したかのように、踵を返し俺に目線を送る。


「……どうなさいました、お客様?」

「私の名前はラインハルトだ。また来るときは、よろしく頼む」

「はい。かしこまりました。ありがとうございました」


 俺は頭を下げて、ラインハルトを見送った。

 ドラゴンメイド喫茶、ボルケイノに一人の常連客が生まれた瞬間であった。


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