一日目 高山(その一)

 さくらと一緒に元の世界に戻ってきたぼくらを、さくらが宣言したとおり、満開のままの荘川桜が出迎えてくれた。

 ぼくはまた来ることを荘川桜に約束してからバスに乗り、高山駅前に到着した。


 日本の古い街並みなどを売りにする観光の街だけあって、昼下がりの駅前は人で溢れかえっている。


 初めて訪れた街なのだから、平日の人どおりがどれほどなのかは分からない。

 けれど、普段の比でないことは間違いないのだろうなと、止まったバスから降車中のぼくは思った。


 「ところで風太よ」

 バスを先に降りたさくらは、軽やかな足運びでくるりとぼくに振り向いた。


 「昼餉はどこで食べるのじゃ?もちろん決めてあるのじゃろう」


 さくらは、煌めく桃色の瞳でぼくの顔を捉えて離さない。

 何故か、背中に冷たいものが走っていく。


 節約をモットーに、日々の大学生活を送っているぼくだ。

 この旅においても出来るだけお金を使わないプランを立案していたので、食事のことはほとんど考えていなかった。


 朝と夜は名古屋のファミレスなど。

 昼については、高山市内の目についたお店でラーメンとか定食。あるいはコンビニ飯で済ませればいいや。そのくらいにしか思っていなかったのである。

 これでもぼくなりに奮発したほうだ。


 「なんじゃと!せっかく旅に出ておきながら、どこでも食べられる物をお主はわざわざ食べようというのか?」


 怒り心頭とまではいかないまでも、憮然とした顔を見せるさくら。

 先ほどの悪寒の正体はこれだったみたいである。


 「名物料理を食す。美しい景観を見に行くことや、伝統工芸などの体験をしに行くのもいい。が、やはり旅の醍醐味と言うように、旅に出たからには当地の美味い味に会いに行かんことにはな。食べ物にこそ気候風土に人柄といった、その土地の真髄が凝縮されておるのじゃからの」


 ・・・自分の枠に他人を当てはめてはならないんじゃなかったっけ。

 ぼくは舌の根も乾いていない、さくらの言葉を思い出す。


 でも、そんなに数が多く経験した訳ではないけれど、美味しい物を食べると幸せな気分になれるのも確かだ。


 他人の枠にはまるのではなく、さくらの言い分を自分のものにするための枠を構築しようと思い立つ。

 そんなに押しつけがましい感じもないし。


 が、

 「でも、お金が・・・」

 そのための予算が無いことに、すぐに思い至る。


 「そう言うと思ったわい。しかし、案ずるでない。金ならわらわが出そう」


 そう言い放つと、さくらは着物の懐からピンク色の包みを取り出した。


 中身は三枚の、金色の小判だった。


 古銭を鑑定するための知識も。鑑定した経験がないぼくが見たことなので、その真偽はもちろん不明だ。


 「無論、本物じゃ。慶長の時にわらわと共に旅をした者がどうしてもと言うから受け取った物で、いまは質屋で高く売れるのじゃろう?わらわに人間の金など必要ないからの。いい機会じゃ。三枚とも風太に譲ることにしよう」


 「い、いや、いきなりこんな高価な物もらえないよ」


 この三枚を本物だとする、さくらの言うことが信じられなかった訳ではない。


 差し出された物を間髪入れずにくれと言えるほど、ぼくは図太くないだけだ。

 神様が嘘をつくなど考えたくもない。


 「いいから受け取れ」

 しかし、さくらも引かない。


 「必要ないわらわが持っておるより、風太みたいな金に窮しておる者にこれを渡してこそあやつも浮かばれるし、本望のはずじゃろうて。そういう奴じゃったわい」


 慶長といえば江戸時代の初期。

 何百年も前に亡くなっている人を引き合いに出されては、固辞し続けるわけにはいかない。


 「分かったよ。そこまで言うのなら、ありがたくもらうことにするよ」


 手に取った小判三枚は重かった。

 大きさ、薄さからは想像がつかないほどに。


 ぼくは背負っていたザックを下ろし、その中に小判を包みごとしまう。

 ザックに穴が空いていないか、ぼくはいつも以上に気になった。


 「で、さくらは何を食べたいの?」

 穴が空いていないことを確認し終えたぼくは、さくらに言った。


 「話が早くて良い。この街は飛騨にある。飛騨とくればもちろんあれしかなかろう」

 「あれ・・・」

 「最初を彩る一皿として相応しいわい」

 思い当たるのは一つしかなかった。


 当然、小判はそのままでは現代のお金として使えない。


 なので、未来の話となるが、ぼくは期せずしてまとまったお金を手に入れた。


 大金をいきなり手にした温か過ぎる懐具合であるが、施設で暮らしていた頃からずっとぼくは質素な食生活を送って来た。


 長年に渡って染みついた習慣はそう簡単に変えようがない。


 たったいまの、目の前に置かれた一皿に、未だかつてないほどの戦慄を覚えたのがその証明と言える。


 温められた真っ白い皿に、ソースとつけ合わせの温野菜と一緒に盛りつけられた、A5等級飛騨牛フィレステーキ二百グラム。

 セットのパンやサラダを含めると、なんと八千円以上もする。


 一人暮らしをするようになってからは、一日の食費を千円以下に抑えることを目標に掲げてきたぼくにとって、その値段はにわかには信じられなかった。


 一週間以上の食費がたったの一食で消えてしまうからね。


 安さを売りにする焼肉屋だったら、八千円に届くずっと前に腹一杯になっていること請け合いだ。

 これほど高い昼食は生まれて初めてのことである。


 当初、根っからの庶民であるぼくは、一番安いA4等級百グラムのステーキ単品を頼もうとした。


 それに待ったをかけたのは、もちろんさくらである。


 曰く、わらわが譲った金を持っていながら新しい世界を口にする機会を中途半端に終わらせるのか?その店の最上級の品でなければ食す意味がないじゃろう。と。


 最後は押し切られる形となった。


 落ち着きなく待つ内に、至高の牛肉料理が現れたのである。

 ステーキへの畏怖の念は、未だぼくの心臓を打ち鳴らしている。


 「早く、早く切るのじゃ」

 神様とは思えないテンションで命じるさくら。


 「急かさないでよ。いま切るからさ」

 マタタビを目の当たりにした猫のようにいきりたつさくらをなだめてから、右手にナイフ。左手にフォークを取るぼく。


 驚いた。


 右手でナイフを入れた瞬間に分かる柔らかさと、ソースの上に溢れる肉汁。

 それだけでこの肉のポテンシャルの高さが窺い知れる。


 ぼくの物になったとはいえ、お金の出どころはさくらの懐からであり、最初に食べるべきはさくらからでないと筋は通らない。


 やや薄暗く、木が多用されていることから雰囲気抜群のカウンター席に座るぼくは、フォークの持ち手をさくらに差し出した。


 「先に食べていいよ」

 「いいのか?」

 「もちろんだよ」

 「では、遠慮なく頂くとしよう」


 さくらはステーキに触れないように左手で着物の右裾をたくしあげると、右手のフォークを肉に突き刺して口へと運ぶ。


 「んんんーっ」


 恍惚の表情を浮かべるさくら。

 肉の美味しさは、十分すぎるほどに伝わってきた。

 ごく自然に、ごくりとぼくの喉が鳴る。


 「ほれ。次は風太が食え」

 さくらはフォークの柄を僕に差し出す。

 「うん」


 ぼくは肉を口に運ぶ。


 なに、これ・・・

 噛むまでもなく、肉質はとろけるように柔らかく。肉汁も全然脂くどくなくて。何をとっても、いままで食べてきた牛肉とは全然別物だった。


 「どうじゃ?牛肉一つとっても普段食っているものとはまるで違うじゃろうて。しかも肉と一口に言っても豚や鳥、牡丹などと色々ある。そのほかにも野菜や果物、海の幸を含めれば、食材の数は膨大となる。調理法と合わせれば最早はかりしれん。旅にはそれらと出会いに行くという側面もあるのじゃよ。それだけで面白いと思わんか?」

 「・・・そうだね。そのことは肯定するよ」


 言いながらもぼくは、尊敬よりも親近を隣のちっちゃな女神様に感じていた。


 ステーキを頬張った時の言動と、その後の大層な発言。

 前者の方が断然、印象に残っていたからである。


 「微妙な物言いだが、まあ良い。温かい物は温かいうちに食べんといかん。わらわは一切れで十分じゃ。残りは風太が全部食うがよい」

 「そんな。悪いよ、それじゃ」

 「いいから食え。風太の世界が少しは拡がった記念じゃ。遠慮は無用ぞ」


 記念・・・

 これを新たな世界に出会えた記念と言うのなら、さくらが言ったように、この一皿はその先駆けとして申し分ないのだろう。


 「・・・じゃあ、もらうよ」

 申し訳なさを感じつつも、ぼくは生まれて初めて食べる飛騨牛ステーキを、残さず食べたのだった。

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