第7話 幽霊警察と先生、それと聴診器

 先生の家は古い二階建ての木造住宅で周りは垣根で覆われている。周辺の建物と比べても一昔前の住宅というのが一目でわかる風体で、広い庭がついていてお金持ちの家、と言う雰囲気がした。私はこの古民家が好きだった。何が好きかと言われればよくわからないけど、なんとなく安心感があった。私の住んでいた家か、もしくは祖父母の家とかがこんな感じに似ていたのかもしれない。


 そういえばお爺ちゃんお婆ちゃんが病院に見舞いに来たという事はなかったので、既に亡くなっているんだろう。


 門の前にあるインターホンは、壊れているのか元々からそうなのか、鳴らすとベルの音じゃなくて豚の鳴き声みたいな音がした。


「はい、どちら様でしょう」


 インターホン越しに聞こえてきた声はしわがれていてどこか暗かった。普段先生と話している時にはもう少し明るい口調だから、今の声には警戒心が聞き取れた。マスコミが押し寄せてきていた頃の緊張が抜けきれないのかな。 


「帖佐です、先生!」

「ああ、君か。今開けに行くよ」


 数十秒おいて、玄関のドアが開いて中から先生が出てくる。ジャージにサンダルの格好で現れた老人は、この前まで病院で医者をやって教授も勤めていたような人間には見えなかった。


 二ヶ月前まで黒かった髪は一気に白髪に置き換わり、あの事件で注目されてから髭も剃ってない。目もどこかとろんとしていて、覇気がなかった。私とは比べ物にならない、すごいストレスだったんだろうな。


「いらっしゃい、今日はいつもの検診の日じゃないけどどうしたんだい」


 先生は門の内鍵を外して、私を中に招き入れながら訊いた。


「さっき急に胸が痛くなったので、一応見てもらおうかなーって」

「かなり苦しそうにしていたから心配でしてね」


 牛村さんが付け加える。先生はサンダルを脱ぎ捨てて揃えることなく廊下に上がった。玄関の中に入ると私は座り込んで靴を脱ぎ始める。


「そもそも退院できていること自体がおかしいくらいだったのだから、注意するにこした事はないでしょう」


 私がローファーを脱いでいる間、牛村さんはドアを閉めて先生に事情を簡潔に説明した。先生は幽霊が見えるレア体質の一人で、でもあまり幽霊側に干渉しようとはしていなかった。幽霊警察の存在は知っているけど協力する気はないらしい。幽霊のことは幽霊に任せるというのが先生のスタンスだった。


 私はローファーと先生の脱いだサンダルをきっちりと揃えて並べた。 


「それじゃ、わしの部屋にどうぞ。検診が終わったらお茶とお菓子でも出そう」

「先生、別におかまいなく」


 牛村さんがまさかの拒否を示した。何を考えているんだ!


「うーむ。昨日知人からもらったケーキが余っていてね。わしはあまり甘いものが好きじゃないからこのままだと捨てちゃうことになるんじゃけど……」

「それだったら仕方ないですね! 私が食べます!」

「……太るぞ」

「うるさい、牛」

「なんだと。牛だけども」


 折角のケーキを無駄にしようとする牛村さんはもったいないの精神が足りない。いや、もしかしたら牛村さんはケーキが好きで、幽霊になって食べられなくなったので私に嫉妬しているのかもしれない。本当にそうなのかどうかは牛村さんの表情から読み取ることはできない。


 私は廊下を進みながら一つ深呼吸をして空気を取り込んだ。こういった古い家の木の香りというのは落ち着く。


 先生の部屋に入るとザ・書斎といった私のイメージそのままで、壁は本棚で埋め尽くされていて、木製の高級そうな机と皮製のふかふかの椅子が一つずつ置かれていた。机の上には何冊かの本とインテリアなライトが置かれている。机の上に埃一つないのは普段からこの部屋を先生が使っているからだろう。


 部屋の一面にある大きな窓は、垣根が直射日光を防いで、昼間の部屋内がちょうどよい明るさになるように設計されているようだった。夕方に近づいているからか薄暗いので先生は部屋の照明をつけた。


 先生は部屋の隅におかれていた丸椅子を二つ部屋の中央に持ってくると、私の目の前に一つ置いた。私はスカートの裾を気にしつつ足を閉じてこれに座る。椅子は診療がしやすいように高くしてあるので私の足は地面から浮いた。


 先生は机の引き出しから聴診器と腕に巻く血圧計、机の横においてあった腕を置いておく台を持ってきて、もう一つの丸椅子に座った。


 慣れた手つきで血圧計を腕に巻きつける。血圧を計り、先生はその数値を診ると、異常なし、といって続けて聴診器を耳につけた。


「それじゃ、シャツを捲ってくれるかな」

「はい」


 と私はシャツの端を持つと、えいやっと勢いよく捲り上げた。それを見ていた先生は何故か狼狽して、


「男の子じゃないんじゃからそこまでしなくて大丈夫」


 と、全部捲ろうとしていた手を先生は押さえて制止した。


 先生は紳士だなあ。先生は奥さんを早くに亡くしてそれ以来ずっと独り身で子供もいないらしいので、私のような年齢の子は孫のように思えるのかもしれない。けどちゃんと医者として気を払うべきところは忘れていない。


「そうなんですか」

「胸が見えないところまで上げてもらえれば後は聴診器の位置を変えれば済むことだから。というか、前にもこの話したよね」

「そうでしたっけ? ついシャツを脱ごうとしちゃうのは癖みたいなものですし」

「癖って……もう少し女の子としての自覚を持った方がいいよ。トランスジェンダーでもないんじゃろ」

「トランス……ん?」

「トランスジェンダー。女の子の体で男の子の心を持ってるってことじゃよ」

「それはないです。というか女の子ってことは自覚ちゃんとしてます。スカートとか気をつけてるし」

「そうかね。それならいいんじゃ」


 先生は聴診器を胸に当てると、そこがひやっとした。このひんやりしているのがどうも苦手だった。予め暖めておいたりしてくれないもんだろうか。先生はタダで診てくれているのでさすがに注文をつけたりはしないけど。


「息を吸って…………吐いて」


 私が呼吸し終わるのにあわせて聴診器を胸の別のところに当てる。これを数回繰り返すと、先生は聴診器を耳から外して、


「わかる範囲では異常はないよ。本来ならきちんと病院で検査を受けるべきなんじゃろうが、あの病院はもう閉鎖してしまったしの」


 事件があってあの場で大量に死人が出てしまった私の入院していた病院は、今のところ病院として運営できなくなっていた。警察が現場を封鎖してしまったのもあるし、封鎖が解除されても風評は良くないだろうし。というわけで患者を別の病院に移して閉鎖してしまっていた。


「それじゃ、お茶とケーキの用意をするかね」

「待ってました!」

「雪よ、もしかして茶菓子目当てに先生のところに来たわけではあるまいな」

「ここに来たのは胸が痛くなったからです! というか牛村さんわかってるでしょ? あれは演技とかじゃないよ」

「う、うむ……」


 胸が痛くなったのは嘘ではないのでこの理由も嘘ではない。理由の一つ。お菓子も理由の一つだけど。嘘はついてない。


 道具を元に位置に片付けると、先生は書斎を一旦出て行った。

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