第38話 幼き頃のアナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタ

「あれは私? アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタ?」

 私は耳を疑った。……まさか、そんな筈がない! あの穏やかな神が私だって言うの?


「アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタは心優しい神でした……」


 ルカの声が再び脳内に響いた。ルカの声は、どこか悲しそうな色を帯びている。


「しかし、あなたは神としての存在に疑問を持ちました。『生きている実感がない』と……。数多あまたに存在する神の中で、神の存在に疑問を持ったのはあなただけです」


 生きている実感……神の存在……。なぜ、私は疑問を持ったのだろうか? 私は大宇宙神の創った失敗作だったのだろうか? 

――生きている実感、それは確かに大事なものかもしれない。でも、昆虫や鳥と戯れている時にも生きている実感は得られた様に思う。いや、命と共に生き命を慈しんでいる時間こそ、本当の意味での生きている実感が得られたのではないだろうか? 私自身もシンやモノノリ、アオノリ、そしてルカと共に歩んでいた時、辛い事もたくさんあったけれど生きている実感を得ていたと思う。でも、私は、神だった時の私は……。


「神の存在に疑問を持ったそんな時、あなたはある星の男神を殺めてしまいました。本来、神は神を殺す事など出来ません。しかし、大宇宙神が敢えてあなたに神を殺させたのです」


「どうして……どうして私に神を殺させたの! 大宇宙神が私を止めてくれたら、私は大殺戮という罪を犯さずに済んだかもしれないのに!」

 私の大きな声に驚いたせいか、神と戯れていた昆虫や鳥達が一斉に空へ舞い上がった。昆虫や鳥達は上空を旋回し巨大な蛇になると、どこか遠くへ飛んで行ってしまった。

 草原に一人残された神は、悲しそうな顔をして空を見つめている様に見える。


「なぜ、大宇宙神があなたに神を殺させたのかは分かりません。もしかすると、神を殺した事を後悔し反省したあなたが、元の正しい神に戻る事を期待したのかもしれません。しかし、あなたは後悔も反省もせず元の正しい神に戻りはしませんでした」


 ルカは大きな溜息をついた。


「大宇宙神はあなたの殺戮を止めなかった。あなたの望むままにした……」


 一体、大宇宙神はなぜ私の殺戮を止めなかったのだろうか? 多くの神が死ぬ事になるのに、なぜ私を止めようとはしなかったのだろうか? 

 空が暗くなり雨が降ってきた。風も出てきた。草原が波打ち、私の髪の毛やセーラー服も煽られる。アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタは雨に打たれたまま相変わらず空を見つめている。空を見つめながら一体、何を考えているのだろうか?


「あなたは気が遠くなるほどたくさんの神々を殺したところで大宇宙神に眠らされました」


 ルカの声が脳内に響く。

「……眠らされた」 

 私は呟いた。

「私の大殺戮はそこで終わったのね……」


「しかし、あなたが眠らされた後も宇宙は混乱したままでした。平和なんて訪れませんでした」


 私の呟きが聞こえたのだろうか? ルカが私を非難する様に言った。


「宇宙の至る所で星同士が衝突し消え去りました。多くの銀河も消え去りました。自らの星を失くし深手を負った多くの神々は、新たな星を生みだす事も出来ず、ただ宇宙空間を漂うだけの塵の様な存在となってしまいました」


 私の額にじわりと汗がにじんだ。汗は雨に混ざって流れ落ちた。

 私は眠らされた後も他の神々を苦しめた……。なぜ大宇宙神は宇宙を安定させようとしなかったのだろうか? そのくらいの事、大宇宙神の力を持ってすれば容易い事でしょ! 


「力を失った多くの神々は、全宇宙の中心に存在する超巨大ブラックホールの周囲に集まり始めました。神々は自ら命を断つ事が出来ない為、このとてつもなく巨大なブラックホールに身を投げ、いったん眠りにつこうとしたのです。――そう、神々は神としての立場を放棄しようとしたのです。多くの偉大な神々は、あなたの犯した蛮行の為に理性も希望も失ってしまったのです。あなたは何と恐ろしい罪を犯したのでしょう!」


「やめて! もうやめて!」

 私は両手で耳を塞いだ。でも、掌に衝撃が走り、弾かれる様に両手が耳から離れた。


「甘えてはいけない、つぶさに私の話しを聞くのです! 全てはあなたが招いた出来事! あなたが犯した大殺戮という罪の帰結!」


 天女の姿をしたルカの厳しい表情が脳内に映った。こんな表情のルカを見た事がない。地獄にいるという閻魔様は、きっとこんな表情で罪人を糾弾するのだろう。――罪人。そうだ、今の私は罪を咎められている罪人なのだ。

 雨に打たれながら空をじっと見つめていた神、アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタにもルカの怒声が聞こえたのだろうか、周囲をきょろきょろと眺め、声の主を探す様なしぐさをしている。


「理性を失くした神々は超巨大ブラックホールへと身を投げ始めました。神々は超巨大ブラックホールの中で暫く眠りにつこうと考えたのです。眼の前に広がる手に負えない現実から逃げてしまおうとしたのです」


 ルカの震える声が脳内に響く。――泣いているのだ。私の犯した蛮行の為に道を誤った神々に思いを馳せ、ルカは泣いているのだ。……あぁ、私も超巨大ブラックホールに身を投げられたらどんなに幸せだろうか!


「すると神々の前に大宇宙神が現れました。大宇宙神は宇宙全体を照らす程の凄まじい光を放って言いました、『私はこの宇宙を閉じる』と」


 ルカの声が聞こえたのだろうか、眼の前に立つ神の肩がびくりと震えた。宇宙を閉じるって一体どういう事だろうか? まさか、それって――


「大宇宙神は言葉を発すると姿を消しました。同時に超巨大ブラックホールも消えました。すると宇宙全体が激しく揺さぶられました。拡張を続けていた宇宙空間が突如、大収縮に転じたからです。――そう、大宇宙神は宇宙全てを消し去る事にしたのです」


 私は鈍器で頭を殴られた様な衝撃を受けた。

「別に宇宙を消し去らなくても良いじゃない! 大宇宙神の力を持ってすれば、何もかも全て元通りに出来るでしょ!」

 私はギリギリと歯ぎしりをした。……あぁ、別に宇宙全てを潰してしまわなくたっていいじゃない! 私を眠らせなんかせずにさっさと殺して、神々を救ってあげたらいいじゃない!


「宇宙の大収縮によって銀河同士、銀河団同士が衝突し爆発する事態が繰り広げられました。あなたの殺戮も霞んでしまうくらいの激しい爆発が、宇宙のあちらこちらで繰り広げられました」


 背中に冷たい汗が流れた。口の中が乾いて喉の奥が貼りつく。


「宇宙は凄まじい勢いで収縮していきました。逃げ場を失い身動きの取れなくなった夥しい数の神々は、激しい爆発によって身体を吹き飛ばされ死んでいきました。宇宙全体が神々の叫び声と肉片で埋め尽くされました」


「やめて、もうやめて!」


「凄まじい勢いで収縮し、至る所で爆発を繰り返した宇宙は最期、生き残った数千の神々を押し潰し、激しい光を放って消え去りました」


「もういい、分かったからやめて!」


「前時代宇宙はこうして終焉を迎えました。全ての神は死に絶えた……。アナよ、あなたの犯した罪が宇宙の全てを終わらせたのです!」


「うるさい、やめろおお!」

 私は首を振って絶叫した。

「あぁ、私なんて生まれてこなければ良かった! 死んでしまえ!」

 私はズブ濡れになった頭を掻きむしった。すると浮力が失われ私の身体が落下した。

 私は雨に濡れる草の上にドサリと落ちた。セーラー服や髪の毛が泥だらけになる。

「大宇宙神よ、なぜ私を殺さなかったの! なぜ前時代宇宙と共に私の命も消し去ってくれなかったの!」

 私は両手で草を握り締めた。握った草がブチブチと千切れる。

 すると再び私の身体が浮き上がった。……いや違う、神が――アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタが、掌で私の身体を掬う様にして持ち上げたのだ。

 神はしゃがんだ姿勢で私の顔を覗き込んでいる。私は神の顔に唾を吐きかけた。

「殺せ! 破壊の神よ!」

 私はもう何も見たくないし知りたくない!

「アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタ、私を殺して! ひと思いに私を握り潰して!」

 神は私の顔をじっと見つめている。さぁ、破壊の神よ、怒りにまかせて私を殺すのだ!

 神は、もう片方の手の人差し指をゆっくりと持ち上げた。神の人差し指は私のすぐ目の前で止まる。私は眼を閉じた。


「人間ヨ 生キナクテハ イケナイ」


 私は眼を開けた。

 神が――アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタが言葉を発した。光輝く顔は優しく微笑んでいる様に見える。


「辛クトモ 生キナクテハ イケナイ」

 

 神の人差し指が白く光った。すると私の全身に付着していた泥が消え、髪の毛やセーラー服が乾いた。


「コレデ オマエハ 綺麗ニナッタ。元ノ姿ニ 戻ッタ。綺麗ダ 綺麗ダ」


「お前……」

 神は無邪気に笑っている様に見える。なぜ、なぜお前はそんな風に……。

 私の身体が、グンと上昇する。神が私を掌に乗せたまま立ち上がったのだ。神の顔が私から遠ざかっていく。神は私を乗せた掌を遠くへ伸ばした。


「人間ヨ 向コウヲ 見テゴラン」


 私は神に促され後ろを振り返った。周囲の景色を見た私は思わず声を洩らした。

 空に浮かぶ雨雲の隙間から、白く柔らかい光が何本も射し込む。射し込んだ光は、白い穴をうがつ様にして草原の所々を照らす。風が草原を撫でると、付着した雨粒が光を反射して輝く。光と水、風そして植物がお互いに呼応し一つの世界を創る。――いつの間にか雨は上がり、周囲には神秘的な景色が広がっていた。

「美しい……」

 私は声に出して呟いた。


「ソウダ 美シイ」


 背後で神が呟く。

 私は振り返って神の顔を見た。神は優しく微笑み、私の顔を見つめた。


「世界ハ イツデモ 美シイ。人間ヨ 生キナクテハ イケナイ」


 私は胸が締め付けられる様な気持ちになった。

 この神は――アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタはおそらくまだ子供なのだ。人間で言うと五歳くらいの齢だろう。邪気がなく優しい心を持っている。でも、大きくなったらお前は……お前は……。

 私は倒れ込む様にして神の掌に抱きついた、

「でも、お前は……いや、私は大きくなったら破壊の神になる! 大殺戮という罪を犯す! ……一体、どうして? どうしてなの!」

 私は神の掌に顔を埋めたまま声を上げて泣いた。

「……ねぇ、例え大殺戮という罪を犯したのだとしても、私は生きていかなければいけないの? 拭えない罪悪感を背負ったまま、私は生きていかなければいけないの?」

 その時、私はハッと気付いて神の顔を見上げた。

「……もしかして、生きるという事は私に与えられた罰なの? 理由も分からずに何千年もシンの傍に存在させられたり、タイムスリップを繰り返して何度も何度も翻弄されたり、ルカと離れ離れになったり、知らなければ良かった前世の罪を突きつけられたり……。こういった出来事は全て、私の罪に対する罰として与えられた出来事なの?」


「罰なんかでは……ありません。」


 ルカの声が脳内に響く。……なぜだろう、ルカは息が荒く苦しそうな様子だ。


「あなたが経験した出来事は……罰なんかでは……ありません」


 突然、どこからか小さな白い鳥が現れた。鳩の様にも見える白い鳥は、私の鼻先をかすめると空高く飛んで行く。私は白い鳥を眼で追った。すると白い鳥と擦れ違う様にして天から何かが下りて来た。……人間の背中? 桜色の着物をまとった人間。――ルカだ! ルカが背中を下にしてゆっくりと天から下りてくる。

「アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタ! あの人間を受け止めて!」

 私はルカを指差して神に訴えた。

 神は天を仰ぐと、私を乗せた手とは反対の手でルカを受け止めた。

 私は立ち上がり走り出すと、神の掌から掌へと飛び移った。――空から下りてきたのはやっぱりルカだ! 天女の姿をしたルカは苦しそうに喘いでいる。

「ルカ!」

 私は跪いてルカの身体を抱き起こした。

「一体、どうしたの? 何があったの!」

「……アナ」

 ルカはうっすらと眼を開いた。

「……アナ、罰なんかじゃないわ」

 ルカは喘ぎながら呟いた。

「……優しさよ。大宇宙神の……残酷なまでの優しさ……」

「優しさ? ……どういう事?」

 私が生きている事……これは与えられた罰ではないって言うの?

 すると突然、周囲が暗くなった。見ると、私とルカの頭上に巨大な物体が浮いている。


「弱ッテイル。元気ナ姿ニ 戻ソウ」


 神が再び言葉を発した。……そうか、頭上の巨大な物体は神の人差し指だ。神は私達を乗せた手とは反対の手の人差し指で、ルカの身体を癒そうとしているのだ。

「お願い、ルカを助けてあげて!」

 神の人指し指が白く光った。私は暫く眼を閉じて激しい光をやり過ごした。光が消失すると私は眼を開いてルカの姿を見た。……でも、ルカの身体は癒されていなかった。ルカは相変わらず苦しそうに喘いでいる。

「……何で、どうして!」

 すると私とルカの身体が上昇し始めた。神が飛び上がったのではない、私とルカの身体だけが天に向かって上昇し始めたのだ。

 眼下を見下ろすと、力なく両腕を上げた神が私達を見上げている姿が見える。

 あぁ、ルカは一体どうしてしまったのだろうか? このまま死んでしまうのだろうか?

 眠気が襲ってきた。私の意識が段々と薄れていく……。

 アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタの姿が脳裏をよぎる。……まだ幼いアナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタ……これでお別れみたいね。どうか出来る事なら、神としての道を踏み外さずに……そのままのあなたでいて。昆虫を愛で、鳥を愛で……「世界は美しい」と言える……あなたのままで――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る