第26話 ホワイトボール ~戻って来た三人~

「何だこれ……」 

 私の眼の前に突然何かが現れた。セーラー服の女の子と二匹の白い毛の動物。――女の子は私だ、アナだ! 白い毛の動物は――モノノリとアオノリだ! 三人は絡まる様にして路面に倒れている。

「うぅ、痛ぁ……」

 私が――アナがお尻を押さえて呻いている。夏服のセーラー服に長い黒髪、これは紛れもなく私だ。ていうか私の姿が――アナの姿が見える! 待って……だとすると、この眼の前に倒れているアナは……。

 倒れているアナが私に気付いた。

「アナ、俺だよ! シンだよ!」

 アナが――シンが私に向かって訴えた。

「……シン! やっぱりシンなのね!」

 私はアナ――シンを抱き起こした。

「……時空の歪みが酷くて……やっとアナのいる世界に辿り着いた。俺は相変わらずアナの体内に宿ったままだ」

 アナ――シンが顔を歪めたまま笑った。……やめてシン、私の顔がとっても汚い。

 するとアナ――シンは何かを思い出したのか私の手を振り払い立ち上がった。アナ――シンは空に浮かんだ黒い球体を睨みつけた。

「くそ、あいつか! ……アナ、モノノリとアオノリを起こしてくれ!」

 私はモノノリとアオノリを抱き起こした。二人とも意識が朦朧としている。モノノリが私に気付いた。モノノリは意外にも素早く立ち上がった。

「おぉ、姿はシン君だが中身はアナさんだね? ようやく君に辿り着いた。いやぁ、少し頭を打ったようだ。さて、思えば我々には様々な苦難が――」

「――悠長に話しをしている場合ではありません!」

 アオノリがふらふらと立ち上がりモノノリの話しを遮った。……良かった、二人共元気だ!

「モノノリ先生、早くアレを!」

「そうだ、モノノリ! 早くしてくれ!」

 シンとアオノリは両手を大きく振ってモノノリに何かを催促している。

 私はアナ――シンの肩をむんずと掴んだ。

「シン! ルカがあの黒い空間の中に吸い込まれてしまったの! どうしよう」

 アナ――シンは私の手を振り払った。

「分かっている! そんな事は分かっている! だから、ルカを助ける! ……アレを使って助ける!」

「何なのアレって? アレって何なの!」

 するとアナ――シンは、人差し指を口に当てた。

「黙るんだアナ、モノノリがほら――」

 アナ――シンがモノノリを指差した。

 モノノリは眼を閉じて合掌しながら呪文の様なものを唱え始めた。

「ねぇ、アレって何? アオノリ!」

「アレと言うのは、アレです! 『ホワイトボール』です!」

 アオノリが人差し指を上に向けて答えた。でも、まだ意識が朦朧としているのか、モノノリは私の姿を見つけられずふらふらとしている。

「アオノリ、こっち!」

 私はアオノリの肩を掴み私の方へと向けた。

「……すいません、地球があまりに暑くてボーっとしていました。私達の住むマルクナールはどちらかと言うと寒いのが基本――」

「アオノリ、いいからホワイトホールの説明をして!」

 私は怒った。全くじれったい!

「あぁ、はい! ……ええと、ホールではありません、ボールです。ホワイトボール。体内ブラックホールを除去するボールです!」

「除去するボール?」

「そうです、体内ブラックホールを」

「アオノリ、と言う事は――」

 すると、アナ――シンが私の肩をポンと叩いた。

「体内ブラックホールを消し去る方法が見つかったって事だよ」

 アナ――シンが人差し指を口に当てながら微笑んだ。

「まさか……間違いないのね?」 

 私はアナ――シンの眼を見つめた。アナ――シンは黙って頷いた。

「モノノリ、本当に体内ブラックホールを消し去れるのね? 返事をして!」

 私はモノノリに向かって叫んだ。でも、モノノリは両手を上げてぶつぶつと何かを唱えたまま返事もしない。

 アオノリが私の正面に立ち両手を広げた。

「アナさん、邪魔をしたら駄目だ! 一言一句間違えずに唱えないとホワイトボールが生まれない!」

「一言一句って何? モノノリは一体何をしているって言うの!」

 私はアオノリの肩を両手で揺すった。

 アオノリは私の両手を振り払うと、じれったそうに頭を掻いた。

「……今はそれどころではないのですが。うーん、仕方ない!」

 アオノリは右手の人差し指を上に立てた。

「私達は時空移動船の船内で、体内ブラックホールを除去する方法を模索しました。……しかし、全く成果を得られませんでした。私達は途方に暮れました。そんな時、ふと手にした古い書物になんと体内ブラックホールを除去する方法が書いてありました。この書物が書かれた時期は定かではありませんが、どうやら『前時代ゼンジダイ宇宙ウチュウ』の頃です。今の宇宙の前に存在していた宇宙で書かれた書物だそうです。そんな時代の書物が残っているのは奇跡的です。そもそも物理的に、前時代宇宙の書物が残存する訳はないのですから……」

 アオノリは首を傾げている。

「アオノリ、前時代宇宙って何? 今の宇宙とは違うの?」

「説明します。あなた達地球人の言う『ビッグバン』によって、約百三十八億年前に宇宙は誕生しました。小さな点にすぎなかった宇宙は急膨張を遂げて今の宇宙になりましたが、ビッグバンが起こる前にも宇宙がありました。これが前時代宇宙です。ビッグバンの前の時代の宇宙です。前時代宇宙は今の宇宙の様に膨張を続けた後、突如大収縮に転じました。理由は分かりません。大収縮し全てが小さな点になった時、ビッグバンが起こり今の宇宙が生まれたのです。従って、今の宇宙と前時代宇宙は連続性があると言えます」

 ビッグバンは知っている。ビッグバンがあったから今の宇宙は生まれた。でも、さらにその前にも宇宙が存在していたなんて……。

「その前時代宇宙で書かれたという書物に答えが書いてあったのです。モノノリ先生も私もこんな書物を時空移動船に積んだ記憶はないのですが……」

 アオノリは再び首を傾げている。

「その本にホワイトボールの事が書かれていたのね?」

「えぇ」

 アオノリは頷いた。

「その通りです。体内ブラックホールが生命体に宿ると同時に、『反体内ブラックホール』もこの世のどこかに生まれるそうです。物質に対する反物質みたいなものですね。質量やスピンは全く同じだけれど、電化などが正反対の性質を持つ反粒子によって構成された物質――反物質」

「反物質……聞いた事がある……」

「ビッグバン後の初期宇宙には物質とほぼ同じ数の反物質が存在していた筈ですが、現在の宇宙に反物質は殆ど存在していません。ほとんどが物質です。K中間子の『CP対称性の破れ』から考えると、物質と反物質の寿命の差がその原因ではないかとする説が地球では有力の様です。コタッツ銀河でも様々な説が唱えられていますが詳しい原因は分かりません。ただ、生命体にブラックホールが宿った際に生まれる反体内ブラックホールは消える事なく、半永久的に宇宙のどこかに残るそうです」

「……そう言えば、対の関係にあたる物質と反物質が衝突すると、どちらも消えてしまうって聞いた事があるけれど?」

「その通りです!」

 アオノリの眼が輝いた。

「『対消滅ツイショウメツ』という現象です。対になって生成した物質と反物質は、衝突すると消えてしまうのです。体内ブラックホールと反体内ブラックホールというのは、対の関係にあたる物質と反物質なのです」

「もしかしてホワイトボールって、『反体内ブラックホール』の事?」

「その通りです!」

 アオノリは私の顔を指差し、「ニッ」と笑った。

「ホワイトボールというのは反体内ブラックホールの別名です。従って――」

 するとアナ――シンがアオノリを押し退けた。

「従ってホワイトボールを体内ブラックホールに衝突させてやれば、対消滅によって体内ブラックホールはきれいさっぱり消えてしまうのさ!」

 アナ――シンはそう言うと勝ち誇った様な表情をした。

 アオノリは自分の言いたかったセリフを持っていかれた為か、口を尖らせてアナ――シンを睨んでいる。アナ――シンは何事もなかったかの様に黒い空間を見つめている。

「……シン君の言った通りです。ホワイトボールをぶつけて体内ブラックホールを消せるのです。通常、対消滅が起こると莫大なエネルギーが発生します。でも、体内ブラックホールと反体内ブラックホールの衝突においては、物理的な現象は何も起きません。従って、シン君の体が傷ついたり地球が傷ついたりとするおそれはありません」

「本当なのね? 何も起きないのね?」

「……えぇ、多分。……はい、何もないと思います」

 それは良かった。これ以上、誰かが傷ついたり天変地異が起きたりするのは御免だ。

「体内ブラックホールを消滅させると、体内ブラックホールの影響によって生み出されたと思われる、あの空に浮いている黒い空間も消えるでしょう。すると――」

 その時、モノノリが大きな声で、「ニャー!」と叫んだ。アオノリは「うわぁ、びっくりした!」と驚いた。

 するとアナ――シンが私に向かって微笑んだ。

「黒い空間が消えると、ルカは再び俺達の前に戻って来る筈だ!」

 アナ――シンはそう説明すると、黒い空間の方へ眼を遣った。

 アオノリは言いたかったセリフを再び持っていかれた為だろう、絵に描いた様な地団駄を踏んで悔しがっている。

「アオノリ、対消滅は分かった。ところで、あのモノノリの呪文は一体何なの?」

「あ、あれですか?」

 アオノリはびくりと身体を震わせた。

「あれは……あれですよね、シン君?」

 アオノリは何か言いづらい事でもあるのか、アナ――シンの方をちらりと見た。アナ――シンは黒い空間に眼を遣ったまま動かない。アオノリはバツが悪そうな様子で右往左往し始めた。

「あ、あれはですね、この宇宙のどこかに散逸した反体内ブラックホール――ホワイトボールを呼び寄せる呪文です。とても長い呪文なので詠唱に時間を要しているのです……」

 アオノリはそう説明すると、私に背を向けて口笛を吹き始めた。

 ……よ、呼び寄せる? 何、その恐山のイタコみたいな話しは……。

 モノノリは回転しながら歌の様なものを歌い始めた。……何だこれは? この方法は本当に大丈夫なのだろうか? 

「……アオノリ?」

 私はアオノリを呼んだ。

「――あの呪文が終われば、白く光った小さい球が眼の前に現れる筈なんです!」

 アオノリは背を向けたまま私を見ようとしない。「筈」って何?「筈」って!

「……アオノリ?」

 アオノリは勢い良く振り返った。

「その球がホワイトボールです! それをシン君の体に――今、アナさんが入っているシン君の体に埋め込むと、体内ブラックホールは消滅するのです! そういうふうに、『前時代宇宙の奇妙な話し』の三千ページ目に書かれているのです!」

 アオノリはそう叫ぶと、両耳を塞いで眼を固く閉じてしまった。

――何て言う事だ、三人は成果があやふやな方法に頼っていたのだ! 「前時代宇宙の奇妙な話し」って……。タイトルからしてオカルト本でしょ! 

 アナ――シンが振り返った。

「アナ、確かに怪しげな本に書かれていた方法なのは確かだ。でも、この方法で間違いない筈だ。この方法を知った俺にはあの声が聞こえたんだ!」

「……あの声?」

「『協力しなさい。世界を変えてはならぬ』って声だよ!」

「神様の声? 神様の声が聞こえたの?」

 私はアナ――シンに詰め寄った。

「でも、私とモノノリ先生にはそんな声は聞こえませんでした!」

 アオノリがべそをかきながら叫んだ。

「……でも、シン君から神様の声について色々と聞いたモノノリ先生は決断したのです。『このホワイトボールの方法でいこう!』って……。『神様のお告げだ』って言って……」

 アオノリは両手で顔を押さえた。

「モノノリ先生は大学者のくせに、そういう信心深い所があるから……」

 アオノリは涙を拭いながらモノノリを見た。モノノリはラジオ体操の様な動きをしながら呪文を唱えている。

 でも、神様の声が聞こえたのだとしたら、もしかすると……もしかすると――

 

「協力しなさい。世界を変えてはならぬ」


 声が聞こえた! 今、聞こえた! 紛れもない、神様の声だ!

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