第19話 桜木の恫喝

「どうやって、この落とし前をつけるつもりだ!」


 私は大きな声にびっくりして飛び上がった。 何? 眼の前でスキンヘッドの男がタケシを恫喝している。また二人の喧嘩が始まったの? でも、ここは七王子駅の繁華街じゃない! 別の場所だ。

 スキンヘッドの男は二人掛けの黒いソファの真ん中にふんぞり返って座っている。

「見ろ、この腕、折れちまったじゃねえかよ! お前が俺を投げ飛ばしたせいだぞ!」

 スキンヘッドの男は、ギプスで固定し包帯で吊った左腕をタケシに示している。

 スキンヘッドの男の向かい側にも二人掛けの黒いソファが向き合う形で置かれていて、タケシがその右端に足を組んで座っている。

 タケシは右肘を肘掛に乗せ、右手で顎髭をいじりながらじっとスキンヘッドの男の顔を見つめている。ソファの左側のスペースには黒いコートが二つに畳んで置かれている。

「黙ってないで何か言ったらどうなんだい、黒須タケシさん?」

 スキンヘッドの男は自分とタケシの間にある小さな白木のテーブルの上に両足を乗せた。先端の尖った黒いブーツがテーブルの上でゴトゴトと音を立てる。タケシは何も言わず顎髭をいじっている。

 スキンヘッドの男は白いシャツに皮のパンツ姿、タケシは黒いセーターに濃い色のデニムのパンツ姿だ。私の右側にスキンヘッドの男、左側にタケシ。私は立ったまま、二人の姿を見下ろしている状態だ。二人とも私の姿は見えていないみたい。おそらく私は、また身体ごとタイムスリップしてしまったのだろう。

 スキンヘッドの男の話す内容から、おそらく今の時間は七王子駅の繁華街で二人が喧嘩をした後の時間になるのだろう。テーブルの上には小さな卓上カレンダーが置かれているけれど、ページは二〇〇五年十一月だ。詳しい日付は分からないけれど、今の時間はシンとルカが中学三年生の十一月。――ルカの亡くなるちょうど一年前だ。

 スキンヘッドの男は怒鳴るのを止めてじっとタケシを睨みつけている。

 タケシとスキンヘッドの男が座っているすぐ向こう側、私から見て正面にあたる場所には、観葉植物の鉢植えを乗せた白木のベンチが二台、横に長く並べられている。おそらく奥にある空間と、この応接スペースみたいな場所を区切っているのだろう。

 奥の空間はオフィスの様だ。オフィスは白い壁に囲まれていて床は白木のフローリングだ。右側の白い壁には白木のデスクが四台並んでいる。デスクの上にはパソコンや固定電話、書類や雑誌が置かれている。黒くてアームが長いライトもそれぞれのデスクに設置されている。デスクの上の壁には黒い時計が掛けられていて、針は二時三十分を指している。 

 その反対側、左側の壁には白木の大きな本棚が置かれ、本がたくさん並べられている。所々に観葉植物や間接照明が置かれていたり、白木を彫って造った動物の置物が飾ってあったりもする。

 部屋の中央には白木の四角いテーブルが置かれている。この大きなテーブルの上には、厚紙の様な物で作った住宅やビルの模型が五つ置かれている。そして、そのテーブルの脇には社員らしき男性三人が立ち、怯えた表情でタケシとスキンヘッドの男の様子を窺っている。その中の一人、黒い背広を着ているのは七王子駅の繁華街でも見た丸山だ。

「シン君……」

 誰かが私の右腕を掴んだ。

 見るとルカが立っていた。怯えた表情で私の眼を見ている。ルカも一緒にタイムスリップしたのだ。ルカは小声で私に何か話しかけてきたけれどよく聞き取れない。タケシとスキンヘッドの男には、やはりルカの姿も見えていない様だ。

「誠意を見せてくんねぇと困るな! 謝るくらいしたらどうなんだい!」

 スキンヘッドの男は突然大声を出すと、履いているブーツでテーブルを蹴り始めた。卓上カレンダーが上を向いて倒れた。タケシは黙ったまま何も言わない。ルカは私にしがみついて震えている。

 するとスキンヘッドの男が勢いよく立ち上がった。

 ルカはタケシが殴られると思ったのだろうか? 「駄目!」と叫びながら私の前を横切りタケシの体に覆いかぶさろうとした。でも、ルカはタケシの体をスリ抜け向こう側に飛び出した。――瞬間、ルカは私の右側に戻ってしまった。……七王子駅の繁華街と同じだ、二メートル以上その場から離れられない!

「何で……何で戻っちゃうの?」

 ルカは自分の両手を交互に見た。するとルカは慌てて両手を口にあてスキンヘッドの男の顔を見た。自分の声が聞こえてしまったと思ったのだろうか? でも、スキンヘッドの男にもタケシにもルカの声は聞こえていない。

 スキンヘッドの男は立ち上がると、憮然とした顔でタケシを見下ろした。

「……おい、便所はどこだ? 小便させてもらってもいいだろ?」

 タケシは相変わらず黙ったまま何も言わない。

 スキンヘッドの男は「フン」と笑うと、部屋の中央で身を寄せ合っている男の人達に向かって声を荒げた。

「便所はどこだ! 小便だ!」

 すると丸山が慌ててやって来た。

「さっさと案内しろぃ馬鹿野郎」

 丸山は「はい!」と返事をすると「こちらです、桜木様」とスキンヘッドの男の前を歩いて誘導した。……どうやらスキンヘッドの男は桜木と言うらしい。ルカも「桜木」と呟いている。

 丸山はテーブルの脇を素早く通り抜け入り口のドアを開けた。丸山はドアが閉まらない様に手で押さえたまま脇に控えた。まるで大名に付き従う小姓の様にかしこまっている。

 桜木はドアの前で立ち止ると振り返った。

「黒須! もっと遊んでやるから覚悟しとけよ」

 桜木はニヤリと笑うと肩をいからせて部屋から出て行った。丸山も後を追ってそそくさと部屋を出て行った。

「……チンピラが」

 タケシはそう呟くと立ち上がった。

 タケシはソファの上に置いたコートを手に取ると、入り口に向かって歩き始めた。

 白木のテーブルの脇にいる男性社員が「社長、どこへ?」と尋ねた。タケシは「永峰先生のところだ」と答え外に出て行ってしまった。

 残された男性社員二人は不安そうな表情で顔を見合わせている。永峰とは知り合いの弁護士だろうか? 

 タケシと桜木がいなくなるとルカが早口に喋り始めた。

「シン君、ここはお父さんの設計事務所! 南大川駅のすぐ近くにあるビルの三階!」

 そう言うとルカは、頭や首の後ろを両手でせわしなく触りながら何やらぶつぶつと呟きだした。

……なるほど、桜木はタケシの経営する設計事務所にやって来て、タケシに投げ飛ばされた事を責め立てているのだ。でも、先に殴ろうとしたのは自分の方じゃない! あれはタケシの正当防衛。それに包帯なんて巻いているけれど、どうせ怪我なんてしていないと思う。

 するとルカが私の左腕を掴んだ。

「シン君、私達はついさっきまで七王子駅の繁華街にいた。でも、一瞬でまた違う場所に移動した! そこのテーブルのカレンダーは二〇〇五年十一月、私達が南大川駅で自転車に乗っていたのは二〇〇六年七月二十二日! 私達は何で中学三年の十一月に移動してしまったの? それに、やっぱり私達の姿はお父さんやスキンヘッドの人には見えていないらしいし! ……ねぇ、どうしてなの!」

「それは俺にも分からない。なぜ見えないか分からないし、どういう力が働いて七王子駅からこの事務所に移動したのかも分からない! でも、俺達がタイムスリップする先は、ルカのお父さんと桜木のトラブルに関係する場所に限定されている様に思う。それは間違いなさそうだ」

「何で? 何でその過去に限定されているの? 誰かに強制されているの? 一体どうして!」

「体内ブラックホールが――いや、そんな事分からないって!」

「最近お父さんの様子が変だと思っていたから、その理由が分かった様な気はするよ?

 お父さんが少しヘンになりだしたのって私が中学三年の冬からだった。お父さんは桜木との件で疲れてヘンになってしまったのだと思う。でも、そんな事を私は別に知りたくもないよ! 知ったら一体、何だって言うの?」

「知る必要あるよ、大ありだよ! あれを防げるかもしれないだろ?」

「あれって何!」

 私は一瞬、言葉を詰まらせた。

「あれは、あれだよ!」

「はっきり答えて!」

「お父さんが自分の家に火を放つ事だよ!」

 私は叫ぶように言った。

「精神に異常を来したルカのお父さんは、今から一年後に家族全員殺してしまう! ルカだって殺されてしまう!」

 ……まずい! 私は完全に余計な事を言ってしまった。ルカが私に向かって責める様に捲し立てるから、つい頭にきて未来についての話しをしてしまった。ルカは未来について知ってはいけない。ルカが未来を知ると世界に悪い影響が出てしまうかもしれない。そうするとルカを助けられなくなるかもしれない。それに、火事で焼け死ぬなんていう自分の未来を誰が知りたいだろうか?

「……お父さんが、家族全員殺す? 何でお父さんがそんな事をするの? あなた、本当にシン君? 一体、何を言っているの?」

 私は何も答えられなかった。ルカは指先で両眼を押さえたまま俯いてしまった。

 私は体内ブラックホールをやっつける為にシンの中で生きている。でも、私は今タイムスリップを繰り返し、それどころではない状況だ。このタイムスリップにはルカも巻き込まれている。私は一体どうすればいいの? 

 七王子駅の繁華街にタイムスリップした時のルカは冷静に見えた。でも、今のルカはパニックを起こしている。体内ブラックホールをやっつける理由の一つは、ルカに苦しみを与えない様にする為。でも、ルカは今苦しんでいる。良くない状況だ。とてもまずい!


「黒須はどこに行った? 逃げたのかあいつは!」


 桜木だ! 桜木が凄い剣幕で怒鳴り散らしている。いつの間にかトイレから戻って来た様だ。

「あれ? どこへ行ってしまったのでしょうか? ――社長!」

 丸山がおろおろとしながら白木のテーブルの周りを歩き回っている。

「くそ! 逃がしはしねえからな黒須!」

 桜木はそう喚くと白木のベンチを蹴り飛ばした。観葉植物の鉢植えが床に転がり土が飛び散った。

「もう、やめて! もう、イヤ!」

 ルカは両手で頭を押さえ首を左右に振った。

 

 その時、突然私の眼の前が白く光った! ……タイムスリップだ! もういい加減にして――

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