13、パン屋のマルク
カールンの町に、マルクという男が住んでいた。
帝国時代から先祖代々受け継いだ工房で、先祖代々受け継いだパン焼き釜を使って毎朝パンを焼いていた。
十代のころから毎日まじめに働き、若くして両親を亡くし工房を相続してからは、自分も、自分の店も、この住んでいる地区の住人にとって無くてはならない存在だという自負を持ってパン作りに励んでいた。
両親が亡くなって
二人の妹は既に
子供は、まだなかった。
* * *
その夜も、いつも通り、翌日に使うパン生地の最終確認をし、工房の見回りを終え、マルクは二階の寝室に向かった。
寝巻に着替え、先にベッドに入っていたエリの
朝の早いパン職人にとって、布団に入って目を閉じれば
妻の体温を感じ、こんなに気立てが良く働き者で美人の女と一緒になれた自分は果報者だと思っているうちに、マルクの意識は闇の中に沈んでいった。
* * *
……ふと、眠っていたマルクの無意識が違和感を感じ、眠りから
(何だ? もう夜明けか? ……いや、違う……なんで、俺は、こんな中途半端な時間に目覚めたんだ?)
違和感の正体は
(へ……部屋の中が明るい?)
閉じた
もちろん、いつも寝る前に
では、なぜ?
何だか分からない、恐ろしい予感に全身の毛穴が開く。
思い切って目を開け、頭を起こしてベッドの足元の方を見た。
誰かが、そこに立っていた。
マルクの「ひっ」という悲鳴に被せるように、足元に立つ人影が「静かにしろ」と押し殺した声で言った。
人影は三人。
真っ黒なフード付きのマント。
目の周りだけを仮面で隠した、三人の不法侵入者たち……
真ん中の人物が
「あなた……どうしたの? こんな夜中に明かりなんか点けて……」
寝ぼけ
「静かにしろ」
真ん中の人物が低い声で妻に言った。
その声で、マルコは気づいた。
「お……女?」
改めて、暗い
真ん中でカンテラを持っているリーダーらしき人物は、両側でクロスボウを持つ二人よりやや背が低く、やや細身だ。
三人とも同じ黒のマントを羽織り、フードを
三人の賊はマントの間から手を出して、カンテラやクロスボウをこちらに向けている。マントの隙間から革製の軽装
手入れ不足の薄汚れた
(帝国の紋章? で……では、こいつらは、カールン警備兵団の者か?)
そのマルクの疑問に答えるように、真ん中のリーダーらしき仮面の女が名乗りを上げた。
「我々は、〈
「た、助ける?」
「時間がない、早く外出着に着替えろ」
「が、外出着に、って……な、なんで」
「いいから、はやく準備をしろ! 時間が無いぞ!」
訳が分からず問答を続けようとするマルクに、右側に立っていた仮面の男が
「し、しかし……今ここで着替えろ……?」
お前たち賊の前で服を脱げというのか、と問うたパン屋の主人に対し、真ん中の仮面の女が(意外にも)なだめるような声で答えた。
「すまんな……とにかく時間が無いので、な。お前も……お前の妻なら
そして女がカンテラを揺らすと同時に、両側に立った男たちがクロスボウを構えなおし、あらためてマルコとエリの額に矢じりを向けた。
「あ、あなた……い、いまは言うことを聞きましょう……」
「あ、ああ……そうだな……」
二人は急いでベッドから飛び出し、寝巻を脱いで衣装ダンスから外出着を取りだして着込んだ。
準備が出来た事を確認して、クロスボウを持った仮面の男の一人が夫婦に真っ黒なマントを放り投げた。
「これを羽織れ」
言われた通りマントを羽織ってフードを被り、背中にクロスボウを突き付けられながら階段を下りて、裏口から裏通りへ出た。
賊……自称〈
「おい、お前ら、これを見ろ」
振り返って扉を見た夫婦は息を飲む。
木製の扉に深々と突き刺さる真っ赤なナイフ……翌朝、この家の女は公邸に出頭しろという
誰も大ぴらには言わないが、〈妖魔〉に取り
出頭命令に応じなければ、一家全員が投獄され、処刑された。
どのみち、赤いナイフを立てられた家の女は殺される運命にあった。
「このままジッとしていれば、明日の朝、お前は
仮面の男がエリに言った。
妻に代わってマルクが仮面の男に
「逃がす? ……エリを……妻を逃がしてくれるのですか?」
「女だけじゃない……パン屋、お前も一緒だ」
「私も、ですか? 出頭を命じられた妻だけでなく、夫の私も……」
「女を逃がせば、残った家族全員、見せしめに投獄されて処刑さえるからな。夫婦そろって逃がさないと意味がない」
「あ……あなたたちは、一体……」
「だから言っているだろう……
この男の言うことを全て真に受けて良いものかとマルクが迷っていると、後ろからリーダーらしき女が声を掛けた。
「説明はそれくらいで良いだろう。さあ、行くぞ」
近くにいた仮面の男に小突かれ、半ば強引に、そして彼自身が(この怪しげな三人組に賭ける以外にエリを救う手は無い)と心を決め、妻と一緒に仮面の者らに従い裏通りを速足で抜けた。
* * *
〈
鉄柵門に掛けられた
「こっちだ」
リーダーの女に従う格好で、五人の集団はかつては絢爛だった……しかし今は朽ち果てた……屋敷の中に入る。
かび臭い建物を通り抜け、五人は、かつては美しい庭園があったであろう雑草の茂った中庭に出た。
中庭の中央に、五人の男たちが立っていた。
マルクとエリを連れてきた三人組と同じ、真っ黒なマントにフード。そのうち三人がクロスボウを構え、一人は手に持ったカンテラでこちらを照らしている。
真ん中に立つ一人だけは、手ぶらだった。
マントの下から
待っていた五人の男らのうち、四人は、目の周りを隠すマスクを付けている。
……真ん中に立ち、一人だけマスクの無い男が、黒いフードを取ってカンテラの光に顔を
「あ……あなた様は……」
薄い霧を通して目の前に現れた人物に、マルクは驚きの声を上げる。
「カールン警備兵団団長……ア、アーレンさま!」
「そうだ……」
アーレンと呼ばれた三十歳くらいの頬のそげた男が、マルクに向かって
「……いや……元カールン警備兵団団長、と名乗るべきか。……今は、地下組織、〈
「あ、あなた様が、この者たちの、指導者?」
「……そうだ」
その時、パン屋の夫婦をこのアジトまで連れてきた三人組の一人、仮面の女が、レジスタンシアの指導者アーレンの方へ歩いて行き、その
……切れ長の、美しくも涼しげな瞳が現れる。
現れたその顔を見て、パン屋は再度おどろきの声を上げた。
「カールン警備兵団、副団長……〈
「そう……」
元警備兵団団長アーレンが、
「今はこの
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