8、クロスボウ

「これから、どうするつもりだ?」

 木々の間を歩きながら、剣士ゾルが父親にたずねた。


「行くあては、あるのか?」


「……街道をもう少し行った先に、村があります。そこに親戚が居ます」


「親戚の村といっても、カールン州の領内だろう。いずれ警備兵士団の手が周るぞ……行政長官ガバナーの命に背いて逃げている親子をかくまってくれるほど、なのか? その連中は?」


「……」


「やはり、災厄はから断たねばならん、か」


「そ、それは一体いったいどういう意味ですか?」


「いや……それに、問題がもう一つ。さっき、親戚のいる村とやらまで『街道をもう少し』と言っていたが、それは『徒歩で』という意味か? それとも」


「い、いいえ……荷馬車に乗って、という意味です」


「馬車が壊れてしまった今、幼い娘を連れて歩くしかないとなれば、ずいぶん時間が掛かるのではないか?」


「……」


「街道は危険な場所だからな。路上にいる時間が長ければ長いほど、それに比例して危険度も増す。今は霧の濃度が薄いが、この状態が何時いつまで持つかは分からんぞ。そもそも、その村は、徒歩で日暮れまでに辿たどりつける距離なのか?」


「そ、それは……」


「せっかく命がけで助けた娘に、そんな危ない橋を渡らせるのか?」


「しかし……では、どうしたら?」


「……」

 それっきり、剣士は口を閉じ、一行は黙々と狭い獣道けものみちを歩いた。


 * * *


 ようやく街道に辿たどりりつき、周囲に人影が無いのを確認して街道に戻る。

 少しだけホッとしている親子の横で、ゾルは馬の荷袋から毛布を出した。


「マントを返してくれ。代わりにこれを貸してやろう」


 親子に毛布を渡し、受け取った灰色のマントを羽織る。

 さらに、くらに縛り付けてあったクロスボウと矢をいったん石畳の端に置いて、ゾルは振り返って親子を見た。


「……さて」

 剣士がサイケンに言った。

「ここでお別れだ。我が愛馬グランニッグを貸してやろう。こいつに乗って、その親戚のいる村とやらに行くが良い。乗馬の経験は?」


「い、いえ……ありません。馬車は動かせますが……」


「グランニッグは頭が良いからな。経験が無くても、やつに任せて背中に乗っていれば良い。その村までの道筋が単純な一本道なら、黙っていても届けてくれる」


「そんな、良いのですか?」


「気にするな。村について降りたあとは、馬は放っておけ……カールンの町へ行くのも街道を真っ直ぐの単純な道のりだろう? 道が単純なら、グランニッグは勝手に俺を追いかけて来るよ」


「カールン? カールンの町へ行かれるのですか?」


「ああ。最初からそのつもりだったしな。それに……カールンへ行ってが出来た」


「や、やるべき事って……」


「災厄はから断たねばならん、という事さ」


 そして、半ば無理矢理むりやりにサイケンを馬の背に押し上げ、その前に、毛布を巻いた娘のレイネを乗せた。


「馬に乗るときは、必ず娘が前、父親が後ろだ。そして手綱を持った両腕の内側で娘の体を支えるようにするんだ。そうすれば安定する」


 最後に、ゾルは、馬の両側に振り分けられた二つの荷袋の上で指を交差させて印を結び、何やらブツブツと呪文を唱えた。


「たった今、『封印の呪文』を荷袋にかけた。袋を開けるなよ。呪いが掛かるぞ」


「は、はいっ」

 父親がうなづいたのを確認して、ゾルは粕毛かすげの尻をペンッペンッと二度、軽く叩いた。

 粕毛馬が街道を並足で歩きだす。カールンの町から遠ざかる方角へ。

 振り返り、毛布から出た頭をコクリッと下げた少女レイネに、ゾルは軽く手を振った。


 薄い霧の向こうに親子の乗る馬が消えたのを見届けて、剣士は「さて」とつぶやく。

「〈妖魔〉に取りかれた行政長官ガバナーの息子か……

 肩に乗る黄金のトカゲが「キキッ」と返事をした。

 灰色の旅人は、石畳の上に置いてあったクロスボウと矢を取ってマントの下に隠し、サイケンとレイネ親子とは逆の方向……カールンの町へ向かう方へ歩き始めた。

 肩のトカゲが、また「キキッ」と鳴いた。


「『封印の呪文』? もちろんだ。適当に指を動かしてブツブツつぶやいただけだ……ああ言っておけば、あの正直そうな親子は手を出さんと思ってな」


 * * *


「まったく……行政長官ガバナー閣下にも困ったものだ」

 街道の上、騎馬の一団の先頭を走りながら、隊長のザンギムがは独りごちた。

「たかが娘っ子ひとり逃がしたところで、大事な一人息子さんにゃ他の女をあてがえば良いだけだろうに……それを『たとえ子供一人でも逃がせば、規律が乱れる。夜が明けたらすぐに追いかけるのだ』なんて、よ……俺ら、やくざ者を正規軍にしておいて、『規律』も何もねぇだろうが」


 馬上で苦虫をむ。

「だいたい、あの〈灰色の男〉の凄さを知らないから、気安く『娘を取り戻せ』なんて言えるんだ。矢面に立たされるこっちも身にもなってみろ、ってんだ……まあ、しかし……」

 後ろを走る十騎の馬と、そのさらに後ろの大きな二頭立ての幌付き荷馬車を見て「まあ、良いか」と考え直す。

「部下は昨日の倍。その上、警備兵士団長のジャギルス様は、をお貸しくださった……」

 その時、薄い霧の向こうに人影が見えた。


「全隊、止まれぇ!」

 左手を馬上で上げ、後続の馬と馬車に停止の合図を送る。隊長自身も馬の手綱を引いた。

 石畳を打つひづめの音が消え、森に静寂が戻る。

 ザンギム隊長と十騎の兵士、そして幌馬車を操る御者台の兵士たちは、ゴクリと唾を飲み込み、前方、街道を覆う霧の向こうからやってくる影をジッと見つめた。


 ……影はやがて輪郭を現し、筋骨たくましい長身の男の姿になる。

 身長百九十センティ・メドール。灰色のマントを纏い、灰色の髪と、青灰色の瞳を持つ男。


「よう……また会ったな」

 隊長ザンギムを冷たい目でにらみ、男が言った。


「なんだ? ゾル・ギフィウスとか言ったな? 今頃は必死で街道を逃げていると思ったがな。のこのことカールンへ向かって歩いてくるとは……気でも狂ったか?」


「それは、こっちのセリフだ。わざわざ殺されに戻って来たのか?」


 ゾルの挑発の言葉にザンギムの顔が強ばり、その手が後ろの男たちに合図を送った。

 十人の部下たちは、いっせいに馬を下りてくらに縛り付けてあったクロスボウを手に隊長の馬の前に並ぶ。

 横に五人、前後に二列。

 前列が片膝をつき、後列は立ったまま、いっせいにクロスボウの矢を灰色の男に向ける。


「十人……昨日の倍だな。しかし何人居ようと、貴様らに俺は殺せん。そして、誰であろうと俺に弓を引いた者は、問答無用で殺す」


「ふん、強がりも大概にしろ。全身からクロスボウの矢を生やして死ぬがいい! ぇぇっ!」

 号令とともに十本の矢がゾルめがけて一斉に飛んだ。


 ……しかし。


 至近距離なら骨も砕く強力なクロスボウの矢は、灰色のマントに当たると同時に力を失ってゾルの足元にポトリと落ちた。


「な、何ぃぃぃ!」


 驚くザンギムと弓兵たちに、ゾルはさとして聞かせるような口調で言った。

「だから言っただろう。俺に一切の遠距離攻撃は効かん……このマントは、な……どんな弓の名手も、どんな狩の名人も射殺せなかった『ヴァリアダンの牡鹿』の皮をなめして作ったものだ。クロスボウだろうが投石器だろうが、このマントをまとった俺に、かすり傷一つでも付ける事は出来ん」


 そして、足元に落ちた矢を左手で拾い集める。

「さすがは腐っても正規軍、と言ったところか……精度の高い矢を使っている……ん?」

 ゾルは弓兵たちの矢をながめるうちに何かに気づき、矢じりに鼻先を近づけた。

「この匂い……毒か? 矢じりに即効性の毒を塗ったな?」


 十本の矢を受けて平然とする灰色の男……目の前の光景が信じられず、しばし呆然となっていたザンギムが、そこでハッと我に返り、部下たちに叫ぶ。


「な、何をしている! 二の矢だ! 二の矢を撃てぇぇぇ!」

 隊長の号令に十人の兵士たちも我に返り、あわててクロスボウの先端にある輪っかを地面に付け、それを踏んで両手で弦を引き上げた。


 簡単、正確、強力と三拍子そろった遠距離武器であるクロスボウにも、一つだけ弱点があった。ということだ。

 金属の弾力を利用したクロスボウの弓は、そのあまりの強さゆえ、腕の筋力だけでは引くことができない。いったん射撃体勢を解いて先端の輪を足で踏み、両手で弦を持って全身の筋肉を使って引き上げなければならない。


 十人の弓兵がもたもたと弦を引き金に連動した金属の爪に引っ掛けている間に、ゾルはマントの下から自分のクロスボウを出して、自分を殺そうとした敵の矢をその上に置き、隊列の真ん中に立つ兵士の腹を射た。

 腹に刺さった矢の毒は、あっという間に全身に回り、兵士は少しのあいだ石畳の上で悶え苦しんだあと泡を吹いて絶命した。

 その様を見て「ひっ」と叫んだ隣の男のに二本目の矢が突き刺さる。

 続いて三人目。

 兵士たちが二の矢の発射準備を終える間に、連続して放たれた三本の矢が効率良く三人の男たちの命を奪った。


「な、何! き、貴様、腕の力だけでクロスボウを……」

 弓兵の後ろ、馬上からゾルの様子を見ていたザンギム隊長が、驚きの声を上げる。


 灰色の剣士……いや、今は灰色のクロスボウ使いか……は、左手の小指と薬指で矢の束を持ち、親指、人差し指、中指の三本だけで固い金属の弓を易々やすやすと引いて、弦を鉤爪に引っ掛けていた。


 ゾルは灰色のマントをひるがして横方向に走りながら、さも簡単そうに左手で弦を引いては撃ち、引いては撃ちを繰り返し、兵士たちが射撃体制に入る頃には、さらに二人の男を仕留めて街道わきの森の中に逃げ込み、霧の中に消えてしまった。


 十人の戦力は数瞬のうちに半分に減り、残った兵士たちは、自分が相手にしているのが化け物じみた戦闘能力を持つ男だとようやく気付き、怯えながら森の中の見えない敵にクロスボウの先を向けた。


 突然、霧の中から高速の矢が飛来し、弓兵の一人が左目を貫かれて悶死する。

 残った四人は、敵はどこかと森の中に目を凝らすが、しかし発射地点も特定できず、ただ矢の先端をうろうろと動かすばかりだった。


 また一人、太腿ふとももの大動脈を貫かれて毒に冒され、石畳の上で苦しみながら死んだ。

 三人が「ひいい」と悲鳴を上げながら、一斉にクロスボウを捨て、馬に向かって走り出す。


 しかし、森に隠れた灰色の死神は、誰一人見逃す気も無いらしく、一人はあぶみに片足を掛けた所を尾てい骨から下腹部にかけて貫かれ、貫いた矢はそのまま馬の脇腹に突き刺り、馬は脇腹に兵士の死体をぬいい付けたまま暴れ飛び跳ねながら霧の奥へ逃げて行った。


 残る二人のうち一人は馬にまたがった所で脇腹を撃たれ、最後の一人は左右のほおを串刺しにされて馬から落ち、毒が回る前に首の骨を折って死んだ。

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