#05

 

 ノアの問いにソニアは、昨日のビーダ=ザイードらとの、廃ビルの中での出逢いの場面を思い出していた―――



 ソニアに近寄る女装のビーダが、品定めするような眼で見回しながら、ゆっくりとした口調で告げる。


「私達はね、旧サイドゥ家の家臣として、ノア姫様を大うつ…じゃなかったノヴァルナ様から、解放して差し上げたいと思って、活動しているの」


「解放…?」


「そう。あなたも知ってるでしょ?…ウォーダのノヴァルナ様の評判の悪さ」


「それは…」


 それはソニア自身も知るところであった。そうであるからこそ昼間、親友としてノアに政略結婚などやめて、自由に生きるように説こうとしたのだ。もっともこのノヴァルナに対する悪評は一方的なものである事は、何度も前述した通りである。オ・ワーリ宙域では最近になって、ようやくこの悪評も覆りつつあったが、今の荒れた皇都では、他宙域の星大名の再評価などどうでもいい話であって、ソニアの耳に届こうはずもなかった。


 事実を知らないソニアに、ビーダが悪魔の如く囁く。


「ノヴァルナ様はむごいお方…サイドゥ家が滅んだ時、脱出されたノア様の二人の弟君を捕らえて、人質にしたの。何のためだと思う?…それは政略結婚の意味が無くなったノア姫様が、自由の身になるのを求めても許さないためなのよ」

 

 イースキー家嫡男オルグターツの側近筆頭ビーダ=ザイードは、もう一人の側近筆頭ラクシャス=ハルマと同じく二十一歳。オルグターツの同性の愛人で、物言いや立ち居振る舞いにユニークなところはあるが、細身の容姿は確かに妖艶であり、両性愛者のオルグターツの寵愛を受けていたとしても納得できる。


 だがしかしビーダは己の肉体のみで、オルグターツの側近筆頭の座を得たのではなかった。“メンタルドミネーション”と呼ばれる、巧みな誘導話術と催眠暗示術…いわゆる簡易的な洗脳能力を有していたのである。そして今もその能力を使って、ソニアの眼球の動き、声の調子から心理状態を読み取り、言葉によって心の隙間に巧妙に入り込んで、思考を誘導してゆく………


「ノア姫様の美しさはあなただって認めるでしょ? ノヴァルナ様はね、そんなノア姫様をこの先も慰み物にしたいがために、弟君を人質にして、ウォーダ家から離れられなくしたの。ひどい話じゃない?」


 自分のノアに対する心配を裏付けるようなビーダの言葉に、ソニアは目を泳がせた。それをビーダは見逃さず、ソニア自身にも何か思うところ―――共感する部分があるのだと勘づく。即座に思い付いた嘘を吹き込むビーダ。


「私達はね、そんなノア姫様をお助けしたいの。実はね、今オ・ワーリではウォーダ家に潜伏した私達の仲間が、ノア姫様の弟君の脱出計画を進めてるのよ。そしてこのキヨウにいる間に、私達がノア姫様を救い出し、それに合わせてオ・ワーリで弟君を連れ出す手筈になってるの。そこでソニア。あなたに力を貸してほしいってわけ」


「あ…あたしに?」


「そう。あなたにノア姫様を、ノヴァルナ様のもとから連れ出してほしいの。二日後、ノヴァルナ様は星帥皇テルーザ陛下に拝謁されるらしいから、その時にね」


「………」


 再び目を泳がせて迷うソニア。ノアの事が心配なのは間違いないが、果たしてここにいる初対面の人間達を信用して良いものかどうか…そんな目だ。そこにすかさずビーダが言葉を滑り込ませる。


「もちろん。あなたにも、相応のお礼はするわよぉ」


 それを聞いてピクリ…と肩を震わせ反応するソニア。無論、これもビーダは見逃さない。


「あなたにも、妹と弟さんがいるのよねぇ」


「どうしてそれを?」


「あなたを“買ってる”、ここの連中に聞いたのよ」


「…!」


 ここの連中…とは、この廃ビル街を牛耳っている『アクレイド傭兵団』の部隊の事である。“買ってる”という、聞きたくもない言葉を面と向かって聞かされて、ソニアは顔をそむけた。そこへ今度はもう一人のオルグターツの側近ラクシャス=ハルマが、背筋を伸ばして歩み寄って来る。

 ラクシャス=ハルマは、浅黒い肌の美しい女性だが、何より印象的なのはスキンヘッドである事だ。これは彼女を寵愛するオルグターツの指示で、頭髪を剃っているのではなく、永久脱毛しているらしい。

 ライトグリーンのスーツの中身は、鍛え上げられた筋肉質の肉体で、特異で様々な性癖を持つオルグターツの相手として、細身で女性的な男のビーダは受け。筋肉質で男性的なラクシャスは攻めとなっていた。


 そしてビーダが“メンタルドミネーション”という特殊技能を持つように、ラクシャスにはあの“トランサー”を自由に発動できる能力を備えている。


 だた彼女の場合は、ノヴァルナやテルーザのようなBSIユニット操縦の才能の方を、持ち合わせてはいなかった。したがってラクシャスが得意としているのは、NNL(ニューロネットライン)に一般人を遥かに上回る深度でアクセスし、通常では簡単に探し出せないようなプロテクト付きの情報も短時間で取得する、情報収集能力である。


 ノヴァルナ達が『ヴァンドルデン・フォース』との戦いと、その事後処理で時間を喰っている間に、ビーダらと共に先行してキヨウに到着したラクシャスは、すぐにNNLにディープダイブし、ノヴァルナがキヨウに未着で、ノア達が先着している事、そしてその情報にNNLからアクセスしているソニア―――ノア姫の身辺調査に記録されている、キヨウ皇国大学時代の親しい友人の存在を知ったのだった。


 調査の価値ありとを認めたラクシャスにとって、没落貴族であるソニア・ファフラ=マットグースを、情報の海の中で丸裸にするなど、容易い事である。

 今の住処はもちろんの事…両親がミョルジ家の攻撃で死んだ事…幼い妹と弟がいる事…ミョルジ家によって屋敷以外のすべての資産を奪われた事…生活苦で屋敷も安値で売り払った事…すべて。

 そして銀行口座の振込先にあった、『アクレイド傭兵団』の最下級兵のアクセスコードを探り出してそちらへ移動すると、メール記録からソニアが『アクレイド傭兵団』や、ミョルジ家の下級兵士相手の売春行為で生活費を得ている事まで、数日で突き止めたのであった。


 ソニアの面前に立ったラクシャスは右手を伸ばし、彼女の顎先を親指で軽くひと撫ですると、その双眸にわざとらしい同情の光を宿した。アイスブルーのルージュを塗った唇が、ソニアに向けて忌まわしい言葉を紡ぐ。


「私達に協力するなら、ここから抜け出させてあげるよ。私達旧サイドゥ家があんたの生活を保障しようじゃないか。薄汚れた兵隊相手に体を売って、妹や弟を養う日銭を稼ぐ生活なんて、あんたも抜け出したいだろ?………」



 

「ソニア!…ソニアったら!」


「え?…えっ! なに?」


 自分を呼ぶノアの声でソニアは我に返った。いつの間にか昨日の事で考え込んでいたらしい…だが、肝心な部分が思い出せない…いや、そうだ…私はノアを連れだすんだった―――


「なにって? 私の弟の話を、誰から聞いたのって…!?」


 このソニアが今、一瞬ぼんやりとして思考が曖昧になった事。実はこれがビーダの特殊技能、“メンタルドミネーション”の効果だった。“肝心な部分が思い出せない”と思ったその“肝心な部分”とは、ノアに対する自分の行動に疑問を持った時間―――つまり、ソニアが冷静な判断力を取り戻した一瞬なのである。そしてそれを妨げたのが、ビーダの催眠暗示だ。冷静な判断力を取り戻した一瞬を催眠暗示が、ビーダから与えられた“ノアを連れ出す”という指示で上書きしたのだ。


 そしてソニアは、“弟の話を誰から聞いた?”と詰め寄るノアに、ビーダ達から予め用意されていた人物の名を出した。当然それは、ビーダやラクシャスの名前ではない。


「ミディルツ・ヒュウム=アルケティって人よ」


「ええっ!!??」


 その名を聞いてノアは跳び上がりそうになった。ミディルツ・ヒュウム=アルケティはノアの従兄弟にあたり、浪人となって仕官先を求め諸国を回っている。

 三年前の、イル・ワークラン=ウォーダ家が雇った傭兵による、キオ・スー城襲撃をノヴァルナが未然に防いだのも、ミディルツが事前にもたらした情報のおかげであり、その時は自分に仕えるよう言ったノヴァルナに、“今はまだその時期ではない”との趣旨の言葉を残し、去って行ったという。


「ミディルツ…」


 ノアはふと遠い眼になる。ミディルツには子供の頃、よく遊んでもらった思い出があった。サイドゥ家を離れると聞いた時は、悲しくて泣いたものだ。


「でもどうして、あなたがミディルツと?」


「この前…ノアがキヨウへ来る少し前に、仕事先で偶然出逢ったの。私がノアの大学時代の親友だと知ると、弟さんの事も含めて、あなたの今をいろいろ教えてくれて…それで、あなたに会う決心をしたの」


 これらの話も無論、ビーダが仕込んだつくり話である。だが“メンタルドミネーション”の効果によって、ソニアには最早これが嘘か誠かの区別もつかなくなっており、ソニア自身で話を創作してしまっていた。。そして「そう…」と応じて困惑の様子を見せるノアに、少し間を置いて提案する。


「ノアもアルケティさんに会う?」


「キヨウにいるの?」


 驚いて尋ねて来るノア。ソニアはぎこちない笑顔で告げた。


「うん。住んでる場所。ここからそう遠くないよ………」



 


▶#06につづく

 

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