#10

 

 ノヴァルナ達が惑星ルシナスにいられるのは一昼夜であった。翌朝には『クォルガルード』が補給と整備を終え、出港するからである。

 そうであるならば、海洋惑星ルシナスをできるだけ堪能しようという、ノヴァルナ達の行動も頷けた。海辺でひと遊びしたあとは、この島で一般的にレンタルされている水上バイクに乗り換えると、キラメルラ島から海を渡り、ミショスという名の小島に向かう。

 このミショス島は海上の島から約五百メートルの海底まで、透明金属で出来た塔で繋げられている人工島だった。塔の内部は三つの螺旋型のエスカレーターが設置されており、海面近くから深海に至る海の光景を鑑賞できる、天然の水族館というわけだ。そして今日のこの時間、海底への塔はノヴァルナ一行の貸し切りとなっている。雑用係として連れてきているトゥ・キーツ=キノッサが、気を利かせて予め貸し切りの予約を入れていたのだ。


「凄いすごーい! マリーナ姉様、あの魚の形見てー。変なのー!」


「わかったから、しがみつかないで!」


 左腕を抱えて抱き着いてくるフェアンに、マリーナは迷惑そうな声で、引き剥がそうとする。透明金属製の塔の外では、色とりどりの熱帯魚が泳いでいた。大きな“枝ぶり”の赤い珊瑚は、マリーナたちの故郷、惑星ラゴンにも無いほどのサイズで、それがまるで森林のように広がるさまは、息を呑むほど美しい。


 さらに下へ進むと、そこは広い円形のホールとなっており、ヤヴァルト銀河皇国のヒト種がまだ、惑星キヨウのみで暮らしていた大昔の時代からの、様々な潜水艇や潜水艦が展示されていた。全て実物大で、来場者は中に乗り込むことも出来る。これはほとんどが模型だが、一隻だけ展示の目玉として、惑星キヨウから持ち込まれた約五百年前の、本物の潜水艦があった。

 この艦はヤヴァルト銀河皇国の前身となった惑星キヨウの大陸国家が当時、他国との大陸間戦争を戦った際に、敵国の海上補給線を断つために、大量に建造した潜水艦の一隻で、保存状態の良かったものを当時の技術で補修し、イベント用として実際に電池航行も可能な状態まで復元したものである。


「こういう施設は、ラゴンにはねーな」


 固定台に置かれた本物の潜水艦の司令塔に書かれている、『L-415』という数字のみの簡素な艦名を眺めながら、ノヴァルナは呑気な声で告げた。惑星ラゴンも表面積の七割を海が占める海洋惑星だが、大規模な海浜娯楽施設をはじめ観光資源としての海の活用では、この惑星ルシナスには及ばないようである。


 ノヴァルナが三年前に訪れた、同じく中立宙域にある惑星サフローもそうだが、このような観光や娯楽産業が発達しているのは、皇国貴族の領有する荘園惑星に多い。荘園惑星は余程のことが無い限り、星大名の侵攻を受けないからだ。


「帰ったら、考えてみる?」


 そう問い掛けたのは、ノヴァルナの隣に寄り添っているノアだった。周りを『ホロウシュ』達がガードしている状態で、二人はこっそりと手を繋いでいる。


「うーん。まぁもうチョイ、宙域の情勢が安定したらな…」


 ノアの言葉に応じたノヴァルナは、恋人繋ぎをした手を僅かに振った。

 

 そこからまた階下に降り、深度が下がるにつれて、海中の様相も変化して来た。上からの太陽光が減って海中が薄暗くなる。

 するとその代わりに塔の周囲を取り囲んだ、巨大な蛍光灯を思わせる五本の照明柱が、海底から伸びて来ていて白い光を輝かせていた。照明柱は直径三メートルで高さが二百メートルはあり、その光に引かれてやって来る、深海に棲息する奇妙な形状の、甲殻類や魚類を観察できるようになっている。『ホロウシュ』達も普段、あまりこういった場所に来る事がないため、物珍しそうに辺りを見回していた。


 その間にノヴァルナとノアがこっそり、手を恋人繋ぎにしている事に気付いたノヴァルナの妹マリーナは、対抗意識を燃やしたのか、さりげなく空いている方の兄の腕に自分の腕を組ませて来る。さらにそれを見たフェアンも黙ってはいない。


「あー! マリーナ姉様、ずるいぃ~っ!」


 フェアンに頓狂な声を上げられて、たじろいだのはノヴァルナだ。マリーナに先を越されて「ずるい」と騒ぐのは、フェアンのお決まりのパターンだが、見つかれば囃し立てるであろう『ホロウシュ』達の目を盗んで、ノアと恋人繋ぎをしていたノヴァルナからすれば、迷惑この上ない状況だった。案の定、フェアンの声で振り向いた『ホロウシュ』に右手はノアとの恋人繋ぎ、左腕はマリーナと腕組みの姿を見つかったノヴァルナは、“なにやってんスか?”という『ホロウシュ』達の視線に晒されて赤面する。


 ただそんなノヴァルナを囲む婚約者と、妹達に怯む様子はない。すました顔で当たり前のように言う。


「この戦乱の世に、うかうかしている貴女が迂闊なのよ」


 平然と言い放つマリーナに、フェアンは「むー!」と不満そうな声を漏らして、「なら、いいもん!」とノアと腕を組んだ。しかし無論、そんな事で動じるマリーナではない。落ち着き払った口調でフェアンに告げた。


「それでいいなら、お好きにどうぞ」


 マリーナとフェアンとではノアに対する距離感が違う。フェアンは元来の人懐っこい性格から、ノヴァルナの婚約者となったノアの事も、一目見て大好きになったのだが、マリーナの方はノアに対して対抗意識を抱いたのだ。

 それはマリーナの方が兄のノヴァルナに対して、恋慕に近い感情を抱いているからに他ならない。

 生まれてすぐにノヴァルナと引き離されて育てられた、マリーナとフェアンがノヴァルナと初めて会ったのは、マリーナが十二歳でフェアンが十一歳の時だった。



実年齢に対して大人だったマリーナと、幼かったフェアン―――



 僅か一年の差であっても、多感な時期のこのノヴァルナとの出逢いの年齢差が、ノヴァルナに対する想いの違いとなったのである。

 

 母トゥディラのもと、スェルモル城で育てられていてマリーナとフェアンは、将来のナグヤ=ウォーダ家のための政略結婚の道具として、様々な学問の他は礼儀作法や典礼知識を学ぶだけの、人形のように扱われる日々を送っていた。


 ところが、そんな無機質な日々が、母の不在を狙ってスェルモル城に乗り込んで来た、豪放磊落で奇抜な格好をした兄の姿を初めて見せつけられ、一瞬で打ち砕かれる。


「へぇえー。おまえらが、俺の妹かぁ!」


 見た目には乱暴者に思える兄だったが、母親や教育係達の顔色を窺うばかりの毎日を過ごした事によって、結果的に優れた洞察力を身に着けていたマリーナとフェアンは、兄のそんな態度が仮の姿であり、本当はとても優しい性格の持ち主だと、すぐに見抜いたのである。


「俺はノヴァルナ。おまえらの兄貴だ。よろしくな!」


 わざとらしく気取って自己紹介した兄の笑顔が眩しく、マリーナとフェアンは一瞬で魅了されてしまった。そしてその魅了のされ方が、まだ幼いフェアンは最大級ではあっても“大好き”の範疇だったのに対し、年齢以上に大人びた感性を持っていたマリーナは、実感のない自分の兄という意識より先に、恋慕の情…初恋の相手となったのであった。


 無論それが叶う事のない恋慕であるのが、理解できないマリーナではない。自制もできているし、兄の選んだノア姫が素晴らしい女性だという事も承知している。

ただやはり恋人繋ぎなどを目の前で見せられると、嫉妬心という衝動が沸き上がって来てしまうのも、人として女性としての感情を持つ以上は、どうしようもない部分ではあった。




「ね、ね、見てノア義姉様ねえさま、ノヴァルナ兄様。あのクラゲみたいなの、すごくキレイだよ」


 ノアと腕を組むフェアンがそう言いながら、照明柱に虹色に照らし出された、ねじり鉢巻きのようなクラゲの一種を指させば、ノヴァルナと腕を組むマリーナが、別方向を指さして告げる。


「あら、それより兄上、あちらを。ウミユリの一種でしょうか…まるで孔雀が羽を広げたようで、綺麗ですね」


「ちょっとぉ、マリーナ姉様。邪魔しないで!」


「貴女こそ、ノア様とだけ仲良くしていれば良いでしょう」


「やだもん。ノヴァルナ兄様もノア義姉様も、あたしと仲良くするんだもん!」


「欲の皮を突っ張らすと、ウォーダの姫としての資質が問われてよ」


「いいもん!」


 塔の外の海洋生物そっちのけで、兄の取り合いを始めるマリーナとフェアン。普段は姉の言うことを聞くフェアンもここは譲らない。そうなるともはや、せっかく『ホロウシュ』の目を盗んで、こっそり手を繋いで二人の世界を作っていた事が完全に台無しになり、ノヴァルナもノアも苦笑するしかない。ただまぁ、これも近頃あまり二人の妹に構ってやれなかった、その埋め合わせといったところであろう。





▶#11につづく

 

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