#09
やがて三日後、ノヴァルナは自らの第1艦隊とカルツェの第2艦隊、そしてウォルフベルト=ウォーダの第5艦隊を進発させた。
ノヴァルナとカルツェの艦隊は、シゴア=ツォルド艦隊が不当占拠しているイノス星系へ向かうのだが、ウォルフベルトの第5艦隊は別方向、アイノンザン星系とイル・ワークラン=ウォーダ家のあるオ・ワーリ=カーミラ星系の、中間星域へ舵を切った。ここに来て同じウォーダの一族、ノヴァルナにとっては従弟となるヴァルキス=ウォーダが支配するアイノンザン星系までが、不穏な動きを見せ始めたからである。
ヴァルキスは従弟だが、年齢的にはノヴァルナより年上の二十二歳。父のヴェルザーはノヴァルナの父ヒディラス、叔父のヴァルツのさらに弟にあたる。
ヴェルザーが死んで以来、跡を継いだヴァルキスは家中の取りまとめに専念し、ここまで一貫して、ウォーダ一族のどの陣営にも与する事は無かった。ただヴァルキスは、ヒディラスの強引な勢力伸長に巻き込まれた事が、父を死に追いやったと思っているらしく、ノヴァルナに反感を抱いていてもおかしくはない。
ノヴァルナにとっては正直、頭の痛い話であった。
アイノンザン星系には、モルザン星系と同規模の恒星間打撃艦隊があり、もしこのタイミングで敵に回られては、いよいよ窮地に追い込まれる。
しかしながら窮地に陥れば陥るほど、顔に浮かべる不敵な笑みが大きくなってしまうのもまた、ノヴァルナだった。
「なぁに、どうしようもなくなりゃ、動かせる艦を総動員して、シーモア星系に引き籠るだけのこった!」
総旗艦『ヒテン』の艦橋、司令官席に座るノヴァルナは、惑星ラゴンの月にある艦隊基地『ムーンベース・アルバ』から発進する、第5宇宙艦隊の様子を眺めながら、『ホロウシュ』のナルマルザ=ササーラに陽気な口調で話しかけた。
ノヴァルナの言葉通り、先日のサイドゥ家救援戦に参加した第3、4、6艦隊には、修理を必要としない健在な艦もそれなりの数が存在している。それらを纏めれば、基幹艦隊一個半程度の戦力にはなるはずだ。
「ですが、訓練もせず数ばかり集めても烏合の衆。せいぜい戦隊規模で、どうにか動けるぐらいでしょう」
真面目なササーラがズバリと応じると、ノヴァルナの不敵な笑みは苦笑いへと変化した。
「身も蓋もねぇヤツだな、てめーは」
そこに通信オペレーターから報告。
「カルツェ様の第2艦隊より連絡。出港準備完了との事です」
「おう。んじゃ、張り切って行くとすっか! これより出港する!」
カルツェ艦隊の集結完了を待っていたノヴァルナは、砕けた調子で出港命令を発する。それを受けてキオ・スーの恒星間打撃部隊は、惑星ラゴンの青い海を眼下にして、衛星軌道を離脱していった………
ノヴァルナとカルツェの母トゥディラは、この時四十一歳。その出身はオウ・ルミル宙域星大名ロッガ家の一族であった。
ロッガ家は銀河皇国の上級貴族であり、星帥皇室の強力な支援者でもある。トゥディラが当時のナグヤ家次期当主であった、ヒディラス・ダン=ウォーダの元へ嫁いだのは皇国暦1536年、今から二十二年前の事だ。星大名家にとっては当然の如く政略結婚である。
今はノヴァルナと敵対しているロッガ家であるが、イル・ワークラン=ウォーダ家とは協力関係にあるように、本来ウォーダ家との間柄は悪くは無く、旧キオ・スー=ウォーダ家とも関係は良好で、当時、新進気鋭だったナグヤ家のヒディラスとの関係を深めようとしたロッガ家と、ウォーダ一族内での勢力を高めたかったナグヤ家の思惑が一致して、トゥディラとの政略結婚が決まったのだった。
長男であるノヴァルナやその弟妹が皆、美しい容姿をしている通り、トゥディラは美女であった。また結婚当初はヒディラスに従順で、淑やかな人柄は評判も良くウォーダ家に迎えられていた。
ただ皇国の由緒正しい上級貴族でもあるロッガ家に生まれたトゥディラは、礼節に事細かく躾け、育てられた事もあって、気位の高いところがあり、また人や物事について好き嫌いが徹底していた。そのようなところが、ノヴァルナとカルツェの扱いの違いに出ているとも言える。
やはり…やるしかないのだろうか―――
球形陣を組んだノヴァルナの第1艦隊を前方に見詰め、カルツェは座乗する第2艦隊旗艦『リグ・ブレーリア』の司令官席で唇を噛んだ。それでも端正な顔に浮かぶ表情の方はいつもの通り、冷静そのものである。
昨夜、スェルモル城の私室を突然訪れた、母から告げられた言葉…「この戦いで兄ノヴァルナを敗北せしめ、あなたがキオ・スー家当主の座に就くのです」が、頭の中に蘇る。
事はすでにミーグ・ミーマザッカ=リンとクラード=トゥズークが、裏で手を回しており、モルザン=ウォーダ家のシゴア=ツォルドとも結託し、自分抜きで計画は発動してしまっていた。
第2艦隊に所属する兵は全て、以前からカルツェ派が子飼いにしている兵で、どのような命令にも従うだろう。あとはイノス星系に到着し、モルザン星系艦隊と対峙する時が来た際、自分がキオ・スー家当主の座に就く事を宣言し、そして艦隊司令官として、ノヴァルナ艦隊への攻撃を命じればいいだけとなっている。
罠の一端を担うシゴア=ツォルドに、最初から兄と交渉する意思は無く、精強を持って鳴るモルザン星系艦隊の正面攻撃を受けているところに、背後から襲い掛かれば、これまでの戦いを見てその強さを認めざるを得なかった、さしもの兄ノヴァルナも敗北は免れないだろう。
カルツェは兄ノヴァルナが嫌いである。それは偽らざるカルツェ自身の気持だった。星大名家当主として相応しくない、という思いも変わらぬままだ。
ともかく兄ノヴァルナは、内外に敵を作り過ぎる。今の兄の周囲は敵だらけだ。父ヒディラスも同じような構図であったが、それでも引くところは引いて、バランスは取っていた。今のままではいつか、自分達は滅んでしまうだろう。だからこそ自分が当主にならなければならない。そう考えていた…最近までは。
だが今は兄ノヴァルナがどこまで行けるのか、見てみたいという興味が湧いて来ている。自分に足り無いものを全部持っている兄―――恐れず、怯まず、自らの死も笑い飛ばす、刹那的ですらある危うい兄が、その先には破滅しかないとしても、何処を目指し、何処まで行けるのかを………
しかしそれももう、終わりにしなければならなくなった。母の指図…いや、命令が出た以上は、それに従わねばならないからだ。
そう…兄と引き離され、母と共にナグヤ城で暮らし始めたあの日以来、繰り返し母に囁かれていた、“ナグヤの家を継ぐのはカルツェ、あなたこそが相応しいの”という期待の通りに。
家はキオ・スー家を征服してさらに大きくなったが、自分には纏めていく自信もある。まずは外部の敵対勢力との和解。これは恒久的なもので無くてもよい。今の敵対関係の悪化は、主に兄の傍若無人さが招いたものであり、兄がその地位を失えば和解も困難ではないだろう。
そしてあとは無理を控えて、手堅く家勢を蓄えて行く。なんとなればイル・ワークラン家に対し、当面は従属的立場を取るのも甘受しよう。まずは折角手に入れたキオ・スー家の存続、それこそが至上命題だ。
ミーマザッカやクラードが自分に無断で、兄にこのような罠を仕組んでいた事には些か不満を感じるが、“敵を騙すにはまず味方から”という言葉があるように、外見とは裏腹に本当は用心深い兄の洞察力を躱すには、最初から知らないのが最善手であるには違いない。
ミーマザッカ達、自分に従う者が単なる忠誠心ではなく、自らの野心で自分を利用している事はカルツェ自身が一番理解している。ただ…それで良いのだ。兄みたいに、友人ですらある『ホロウシュ』のような、忠勇の士を自分の手で集める事など出来ないのだから…
そうだ、自分は兄上のようにはなれない………
逡巡と葛藤がカルツェの意識に湧き上がって来る。母の期待…自分の器量…部下達の野心…キオ・スー家の命運…そしてまた、同じ言葉が胸の内で繰り返される…
やはり…やるしかないのだろうか―――
▶#10につづく
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