#15
ドゥ・ザン=サイドゥからノヴァルナへ与えられた、ミノネリラ宙域支配権の譲渡状。これがのちに『ドゥ・ザンの国譲り状』と呼ばれるものであった。
現実として現在のミノネリラ宙域は、ギルターツ=イースキーが支配するところだが、形式上は先代の支配者ドゥ・ザン=サイドゥは、自分が有していた宙域の支配権をギルターツではなく、ノヴァルナ・ダン=ウォーダに譲渡した事になったのである。
ただ形式上であっても、これが意味するところは大きい。これから先、ノヴァルナがイースキー家と再び戦う事―――特に、ミノネリラ宙域へ侵入して戦う場合、侵略者ではなく、ドゥ・ザン=サイドゥから指名された正式な後継者という、戦略的な大義名分を手に入れられたからだ。
“…とは言え、今んとこ使いどころは、ねぇだろうがな”
ノヴァルナは内心でそう呟いて、苦笑を浮かべた。今はキオ・スー家を立て直して統治を安定化するのが先である。だがしかし、ドゥ・ザンという大きな後ろ盾を失った以上、それには大きな困難が伴うようになるに違いない。言ってしまえば、自分達の身を守るので精一杯になるはずであった。
それでも、ドゥ・ザンの後継者となる事は敗残兵達へ勇気を与え、心の拠り所となる事ができるだろう。ノヴァルナは書状を封筒に戻すとノアに預け、ホルタに向き直って穏やかな表情で礼を告げた。
「書状、有難く頂戴致します。このノヴァルナ、きっとドゥ・ザン殿のご遺志に応えられるよう、精進して参ります」
その後も話し合いは続き、三人にはそれぞれに役目が与えられた。ドルグ=ホルタとコーティ=フーマは、サイドゥ家にいた時と同様の家老待遇を与えられ、ホルタはドゥ・ザン軍将兵の代表者として、彼等をまとめる役目。フーマはテシウス=ラームと同位の外務担当となり、イースキー家との交渉にあたる事となる。
イースキー家との交渉とはつまり、ドゥ・ザン軍将兵の中で、ミノネリラ宙域への帰還を望む者についてである。惑星ラゴンまで逃げて来た敗残兵の中には、成り行きでついて来ざるを得なかった者もいるはずで、そういった者達に、本国への帰還の機会を与えようと言うのである。
無論、敵対する事となったイースキー家との交渉であるから、困難は予想されるところであるが、ギルターツも新たなミノネリラ宙域の支配者としての、度量の大きさも示さねばならず、その辺りにサイドゥ家でも外務を担当し、相手の事情にも詳しいフーマが手腕を発揮する場になるはずだ。
そしてホルタが連れて来た、ドゥ・ザンからの書状を携えた従兵は、ノヴァルナに仕える事となった。名はジョルジュ・ヘルザー=フォークゼム。その名を聞いたノアが、自分の母の実家アルケティ家の、傍流となる家の者だと気付いたからだ。
これにはドルグ=ホルタの推薦もあった。実はこのフォークゼムという若者、総旗艦『ガイライレイ』をシャトルで離れて、ホルタの第2艦隊旗艦『バルグシェーダ』へ向かう間に、敵の攻撃艇集団に追われたのだが、卓越した操縦技術を見せて振り切る事に成功したのである。
聞けばBSIパイロットとして訓練中であり、調べてみるとその成績もトップクラスであった。それでどうせならドゥ・ザンの残党軍ではなく、ノヴァルナ軍の正式なパイロットとなったらどうか、という話になったのだ。
「…わかった。後日、テストさせてもらって、その結果で配属を決める。見込みがありゃあ『ホロウシュ』入りも考える。それでいいか? フォークゼム」
「はい。ありがとうございます」
長めの黒髪に緑がかった瞳の、真面目そうなフォークゼムは、ぎこちない笑顔を見せて礼を返した。
こうして話し合いを終えたノヴァルナは、そこでの決定事項を副官のランに伝えて処理を任せると、さらに別の重臣達との打ち合わせを終え、昼食を摂って、ノアとのバイクツーリングへ出かけようとしていた。
先に支度を終え、キオ・スー城の地下駐車場出口でノアを待つノヴァルナ。バイクはいつもの愛車、マニア好みの『ルキランZVC―686R』。白と青のツートンカラーのライダースーツは新品だった。駐車場の出口から見える空は青く、風は夏の熱気を運んで来る。
「おせーな…ノアの奴」
タイヤ走行モードにした反重力バイクに跨るノヴァルナは、夏の熱風に閉口した様子で、ライダースーツの胸元を
ノアをツーリングに連れ出そうと思ったのは、重傷の身を置いた総旗艦の『ヒテン』がオ・ワーリ=シーモア星系へ入った時だった。大ケガをしたノヴァルナにノアより先に見舞いに訪れた、妹のマリーナとフェアンの等身大ホログラムから、キオ・スー城でノアがどれだけ憔悴しているか、ベッドの両側から二人がかりで散々に説教されたのである。二人も今ではすっかりノアに懐いており、その怒りようは本物だった。
「
「そうですわ。ノア様がどれだけ兄上の怪我を聞いて、ご心痛あそばされておられる事か! 無茶もほどほどになされませ!」
自分達も心配であろう事は棚に上げ、ノアの事を気遣ってやれという二人の妹の切実な表情に、さすがのノヴァルナも反省しない訳にはいかなかった。ノアが物言いや態度は強気であっても、その一方であまりにも物分かりがいいため、つい気に掛ける事を疎かにしてしまっていたのだ。
“帰ったらノアの奴と、早めに時間作ってやらねーとな…”
それで思いつくのが特別なイベントというものでもなく、バイクツーリングという結論はノヴァルナも単純なところであるが、怪我が回復して直ぐという事を重視したのだろう。それにノアもお気に入りのバイクツーリングであるから、誘われて即座にOKしたのは確かだ。
「ごめん。お待たせ」
背後で不意にノアの声がして、ノヴァルナは驚いて振り返った。驚く理由はノアの乗るバイクの音が、しなかったからである。それもそのはずだった、真紅のライダースーツこそ着てはいるがノアはバイクに乗っておらず、ヘルメット片手に立ったままだったのだ。広い駐車場を出口まで徒歩で来たのなら、そりゃあ時間は掛かるはずだ。
「ちょ、おま…バイクは?」
何してんだよ…と言いたげな目で尋ねるノヴァルナ。するとノアは少し照れた様子で告げる。
「今日は…さ、後ろに乗せてよ」
ノアの照れた表情に、何となくノヴァルナも頬が紅潮し、躊躇いがちに応じた。
「い…いいけど」
そう言ってヘルメットを被り、前を向くと、ノアもヘルメットを被ってタンデムシートに跨る。ヘルメットには通信機能が備わっており、被ったままの明瞭な音声会話が可能となっている。
「じゃ、行くぞ。掴まってろよ」
「うん」
返事をしたノアが、ノヴァルナの体に両腕を回してしがみつくと、ノヴァルナはバイクを走らせ始めた。緩やかな二段スロープになった地下駐車場の出口を登り、太陽の下へ出ると、ヘルメットのバイザーが色の濃さを変え、真夏の強い日差しを遮光する。
そこでスロットルを上げ、加速を増したバイクは、一気にキオ・スー城の門を通り抜けた。広大な城の敷地は城から最外壁まで2キロはあり、外へ向って、きちんと区画整理された家老などの上級将官居住区、士官居住区と続いている。
ノアを乗せて、城の敷地を風のように走り抜けたノヴァルナのバイクは、キオ・スーの市内に入る。
「ノア。行きたいとこ、あるか?」
ノヴァルナはヘルメットのインターコムでノアに尋ねた。年上のノアは、わざとらしくお姉さんぶった口調で応じる。
「ノバくんの行きたいところ」
「ノバくん言うな!」
ノヴァルナは怒った振りで、スロットルをさらに上げた。急加速するバイクに、ノアは「きゃ!…」と小さく叫んで、ノヴァルナの体に回した両腕へ力を込める。
「アッハハハ」と、一つ高笑いしたノヴァルナは言い放った。
「じゃ、西の海岸線を攻めてみっか。キオ・スーに来てから、まだ一度も行ったことねーし」
ノヴァルナの言葉に、ノアは「うん…」と囁くように同意すると、両腕に込めた力を抜く事なく、体をノヴァルナの背中に預ける。
「………」
ノアのしがみつく腕の強さを脇腹に、寄りかかる体のぬくもりを背中に感じて、ノヴァルナは今回に限りどうしてノアが自分のバイクを使わず、二人乗りを望んだのかを何となく理解した。
つまり…ノアは甘えたかったのだ。
才色兼備、空気を察するに敏なノアは、ノヴァルナが不意に自分を誘ってくれた意味を、すぐに読み解いていた。ただ明敏なノアであっても、勝ち気で弱味を見せたがらない性格と、普段年上の婚約者として保護者的な態度を取っている事が、簡単に「甘えさせて」とは言わせない。
“ま、それも悪くねーか…”
内心で独り言ちるノヴァルナ。そう言えば一年前の今頃も、ムツルー宙域の未開惑星パグナック・ムシュで、ノアをバイクの後ろに乗せていたっけ…と思い出す。
思い返せば一年前の出逢った頃は、互いに相手の事が理解も出来ずに煩わしいばかりで、口を開けば喧嘩になっていた。それが今では、こうして分かり合っていられるのだ。ノヴァルナは不敵な笑みを浮かべ、わざとインターコムのボリュームを下げて告げる。
「飛ばすかんな。ちゃんと掴まってろよ、ツンデレ姫様!」
バイクのポジトロンモーターの騒音と、風を切る音に紛れた恋人の言葉に、ノアは訝しげに訊いた。
「え?…何か言った!?」
「なんでもねーよ!!」
ボリュームを元に戻して言い返したノヴァルナは、ノアを乗せたバイクを操り、海岸線へ続く高速道路のインターへ向かって行った………
▶#16につづく
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