#12

 

 フェアンの声に咄嗟に反応したマーディンは、胸倉を締め上げていた男を突き飛ばし、警棒の一撃を回避した。

 突き飛ばされた男は、車体の縁に後頭部を強打させて座席の上で頭を抱え、空振りした警棒はシートの背もたれを叩くと、バリッ!と火花を散らす。布地が焦げる嫌な臭いが立ち上り、フェアンは怯えて後部座席に身を沈めた。


 マーディンは振り下ろされた警棒を握る手首に、空手で言う手刀を浴びせて叩き落した。警棒はシートのうえで跳ね、足元の床に転がる。それを拾おうかと迷ったマーディンに隙が生まれ、そこに警棒を失った男がダイブして来る。


 すると路面電車と馬車が並走していた、道路の状況に変化が起きた。中央部の複線となっている線路の部分が上り坂に、そしてその両側を走る自動車用車線と歩道は、下り坂になり始めたのである。その道路状況の変化に気付いたのは、戦っていないマリーナとイェルサスだけだ。


「大変!道が分かれてる」


 マリーナはそう言って、オープンデッキから僅かに身を乗り出し、路面電車の進行方向を見た。上り坂はやがて、六角形の透明チューブの中を行く長い鉄橋となり、右のほぼ直角方向に向けて、大きく緩やかなカーブを描いている。

 鉄橋の下は水路となっていて、それを渡り切って進んだ先がアミューズメントパークの駅であった。アミューズメントパーク『ワンダーグリム』は、中央の中世風のお城を様々な色の光で彩り、幻想的な光景を夜景の中に浮かび上がらせている。

 一方の道路の方は下り坂の先は直進で、高級カジノが並ぶ大通りだった。どこかの交差点を右折すれば、やがてはアミューズメントパークへの橋に出る。だがいずれにしても、この状況は良くない。


「マーディン!!!!」


 大声で呼び掛けるマリーナだが、馬車の上で陸戦隊員と格闘中のマーディンには、届くはずもなかった。


“一体どうすれば…”


 焦る気持ちでマリーナは、車内でこちらも陸戦隊員と闘っているササーラに振り向く。

 しかしササーラにも余裕はなさそうであった。背後からしがみついて首を絞めて来る男の腕に、自分の右手を捻じ込んで窒息は免れているものの、左半身の麻痺が回復しておらず、そこから先が打開出来ないでいる。


 するとよろめいたササーラは。路面電車の床で気絶していた別の男の横腹を蹴飛ばした。それがきっかけで男は目を覚まして、ふらふらと起き上がる。

 頭を振って意識の回復を促した男は、仲間の応援にササーラに殴りかかろうと身構えるが、ササーラの背中にしかみつくその仲間が、後方に見えるオープンデッキに向けて顎をしゃくって告げた。


「向こうにいるガキ共を捕まえろ!」


 そう言われてオープンデッキを振り向くと、マリーナとイェルサスがいる。男は無言で頷いて麻痺警棒を拾い上げ、オープンデッキへの出口に向かう。


「き、貴様らッ!!!!」


 敵の行動にササーラは怒りの声を上げ、麻痺の残る体ではあるが、力を振り絞ろうとした。だがその時、左の脇腹にドスンという殴打の感覚があり、痛みが走る。


「へへへ…どうやら先に、麻痺が治まって来たようだぜ」


 それはササーラの背中にしがみついていた男の声だ。味方の振り回した麻痺警棒に触れて倒れたのだが、思ったより軽く触れただけだったのであろう。相手が両手を使えるとなると、形勢は不利と言うしかない。


 一方オープンデッキでは麻痺警棒を片手に握り、薄笑いを浮かべて近付いて来る男を前にして、マリーナとイェルサスが身を寄せ合い、顔を強張らせていた。イェルサスは恐怖に駆られたのか、両腕に抱える大きなバッグに顔をうずめる。

 それでもマリーナは気丈に振る舞い、唇をわななかせながらも、男の顔を正面から見据えて言い放った。


「お下がりなさい。無礼者」


 しかしこのような場面でそのような態度をとっても、あどけなさの残る少女では虚勢に見えるばかりで、相手を増長させるだけだ。男は両腕を下がり気味に広げ、薄笑いをさらに大きくして、マリーナとイェルサスを追い込む。


“こんな所で捕らえられて、兄上に面目が立つものですか!”


 窮地に立たされたマリーナは、犬の縫いぐるみを抱く左腕に力を込め、隣でバッグに顔をうずめ続けているイェルサスとともに、オープンデッキから飛び降りる事を考えた。電車が上り坂を進み始めた今となっては、怪我をする危険度が増したが、このまま登り続けて、透明チューブの中を走る鉄橋にまで達っしてしまうと、今度は飛び降りても追って来られた時、それ以上は逃げられなくなる。


 しかしその直後、自分達の背後を窺うマリーナの意図に気付いたのか、陸戦隊員は急に顔を凶悪に歪め、麻痺警棒を振り上げて来た。


「!!!!!!!!」


 恐怖で言葉を失うマリーナ。飛び降りようという意思はあるが、それに反して足が動かない。


 次の瞬間、男は相手が少女にも関わらず、高圧電流を帯びた警棒を振り下ろした。ところがその警棒は予想外のものを殴りつける。マリーナをかばって飛び出したイェルサスが突き上げた、革製の大きなバッグだ。分厚い革が絶縁体となって、警棒の電流を通さない。


「なにッ!?」


 少女以上に怯えていた少年の思わぬ行動に、陸戦隊員は目を見開いた。しかもイェルサスの行動は、それだけで終わりではなかった。バッグで麻痺警棒を挟み付けたまま、大声を上げて陸戦隊員を押し返す。


「たあああああああああ!!!!!!!!」


「トクルガル殿ッ!?」


 面食らったのはマリーナも同じで、思わずあんぐりと開けてしまった口を右手で隠した。

 陸戦隊の男をマリーナから引き離したイェルサスは、力任せに腕を振り抜き、大きなバッグごと麻痺警棒を路面電車から放り出す。


「このガキ、ふざけやがって!!」


 宙を舞う警棒とバッグを目で追った男は、怒声を発して振り向く。しかしその視線の先では、気弱だとばかり思っていた少年が腰を落として、ひと目で有段者と分かる武術の構えを見せていた。眼差しも鋭くこちらを見据える。


「な!…」


 陸戦隊員も当然、武術の心得がある。それ故にイェルサスの構えに意表を突かれた。そこに間合いを詰めたイェルサスの正拳突きが、みぞおちへと入る。


「おぶッ!」


 呻く男に反撃の機会を与えず、イェルサスは相手の膝関節に横から蹴りを見舞い、バランスを崩したところへ、側頭部に肘当てを喰らわせ、完全にノックアウトした。


「………」


 信じられない思いで立ち尽くすマリーナ。すると突然イェルサスは腰砕けになり、へなへなと尻餅をついて肩を落としながら、「ふええええ~」と大きく息を吐く。


「トクルガル殿」


 頼りなさばかりが目立っていたイェルサスの、思わぬ活躍にまだ驚いたまま、マリーナは膝を落として背中を支える。


「こ、怖かったぁあ~~」


 今の豹変ぶりはどこへやら、困り顔で訴えるそれは紛れもなく、いつもの内気なイェルサスであった…


「ぬおおおお!」


 一方で雄たけびを上げたのはササーラだった。先に麻痺から回復した相手に背後から組み付かれ、横腹へのボディブローの連続で体力を奪われつつあったササーラだが、車内から見えたイェルサスの奮戦に、俄然闘志を蘇らせたのだ。まだ麻痺の残る左腕で、ボディブローを繰り出す相手の左手首を掴み取る。


「なに!?こいつッ!」


 相手がそう言うと同時に、ササーラは巨体を屈め、その男を背負った形で路面電車の窓へ突進した。そしてガラスのない窓から身を乗り出して、背中の上に乗せた男の脳天を、窓枠部分に思いきり激突させる。


「ギャッ!」


 額を割ったその男は人事不省に陥って、頭から血を流しながら床に落ち、仰向けにひっくり返った。ササーラはそれには目もくれずオープンデッキに走り出て、「姫様、トクルガル様、御免!」と叫ぶと、二人を両腕で抱きかかえ、路面電車を飛び降りる。馬車に乗ったまま下り坂の車道を進んで行った、フェアンとマーディンの後を追うためだ。


「うぐっ!!」


 坂道を上り始めて速度が幾分落ちたとは言え、20キロ以上は速度が出ている路面電車の上から、硬い路面に跳躍し、マリーナとイェルサスを守って背中から落ちたササーラは、激痛に顔を歪めた。

 しかしそれも一瞬の事で、すぐに痛みを抑え込み、ササーラは抱きかかえていた二人を立たせる。路面電車を振り向くが、陸戦隊員は誰も追っては来ない。


「お二人とも、ご無事ですか?」


 それに対し、マリーナとイェルサスは「ええ」「大丈夫」と即答する。頷いたササーラが、上り坂の線路の上で辺りを見回すと、運よくすぐ先に車道へと降りられる、非常用の梯子が掛けられていた。


「あれに!」とササーラ。


 三人は非常用梯子を使って、五メートルほど下の車道へ下りる。馬車はどこまで行ったか分からないが、とにかくフェアンとマーディンを追わなければとの思いだった。


 すると車道は渋滞していた。奇妙である。個々の運転者が勝手に運転していた大昔の、内燃機関を使用した自動車の時代ならともかく、NNL(ニューロネットライン)と併用した、運転サポートシステムがあるこの時代で、渋滞などはよほど特殊な事態でもない限り、発生しないからだ。


 だが今がその特殊な事態の時である。同様の不安を抱いた三人は顔を見合わせて、渋滞の向かう前方へと急ぎだした。

 そして二百メートルほど進んだ所で渋滞が途切れ、車に乗っていたと思われる人間達が集まっている。


 ササーラ達がその人だかりを掻き分けて発見したのは、路上に倒れている陸戦隊員の一人であった。フェアンを連れ去ろうとした馬車の御者をしていた男だ。

 ササーラが近づいて様子を見ると、その男はすでに事切れていた。馬車から落ちた時にでも首の骨を折ったらしい。


 とその時、ササーラの背後からマリーナの、緊迫した声が聞こえて来た。


「ササーラ!向こう!」


 振り返ったササーラの視界の中で、マリーナが指差す50メートルほど前方の路上には、さらに二つの人影らしきものが、車のヘッドライトに照らされて転がっている。ただ周囲に馬車の姿はない。

 ササーラはその二つの人影に駆け寄った。一人は陸戦隊員であったが、もう一人はマーディンだ!


「マーディン!!」


 ササーラは顔を引き攣らせて、マーディンに呼び掛ける。するとマーディンは「うう…」と呻いて身じろぎし、頭を重そうに起こした。そしてすぐに目を見開き、上体を跳ね上げる。傍らの陸戦隊員は顔面を血だらけにしているが、マーディンの方は大した怪我も負ってはいないらしい。


“俺は…馬車の上で陸戦隊の男と格闘していて…そして…”


 そこから先の記憶を思い出したマーディンは慄然となった。くしくもそれをマリーナが問い質す。


「マーディン!私の妹は!?イチはどうしたのです!?」


「イ、イチ姫様は…」


「どうしたと言うんだ!?」


 ササーラが強い口調で尋ねる。友人でもあるマーディンが、本当に無事か気遣わないわけではないが、自分達の主君の妹君の方が優先順位が高いのは、『ホロウシュ』であれば当然の事であった。

 そのマーディンは端正な顔を憔悴に歪めて、絞り出すように告げる。


「イチ姫様は…一人で馬車に乗ったままだ」


「なんだと!?」


 ササーラは愕然として、道路の進行方向に顔を向けた。しかし先ほども述べた通り、馬車などはどこにも見当たらない。

 視界の中を流れて行く赤いテールランプの列と、高級カジノ街の鮮やかな光の瞬きだけが虚しく、マリーナは途方に暮れて呟いた………


「ああ…なんてこと…」



【第5部につづく】

 

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