第38話 企み

「オーナー、デモCD聴いてくれたかなぁ……」


 ソファに二人並んで座り、テレビを見ながら京が半ば独りごちた。あれから一週間、急ごしらえで歌詞をつけたデモCDは、すでに正史郎さんに渡してあった。


「ああ。後は神頼みだな」


 必要以上に京に引っ付いて言う俺を、だが京は咎めない。腕を肩に回すと、しどけなく体重を預けられる。俺は、風呂上がりでまだ僅かに濡れている京のブラウンの髪に口付けた。


「真一……」


 京が艶やかな声で呟く。安心しきって俺にもたれかかる京に、少し心配になった。


「京……簡単に人を信用するんじゃねぇぞ」


 ふふと腕の中の京が笑う。


「こんな風に甘えるのは、君にだけだよ」


 見透かされて、俺はばつの悪い顔をする。間近に見上げられて、その表情を見られてしまい、また京は可笑しそうに笑った。


「ふふ……んっ」


 俺は笑みの形に上がった京の唇を、塞いでしまう。啄むようにリップ音を立てると、京もうっとりと俺の首へ腕を回した。


「なぁ真一、オーナー、歌ってくれるかなぁ……」


 唇を触れ合わせたまま言葉を紡ぐ。


「おいおい、キスしてる時に、他の男の話はよしてくれよ」


「ごめん……だって」


 一度強く下唇を吸って、俺は京を抱き締めた。京は正史郎さんと顔を合わせる度、懸命に説得しているらしい。オーナーと言っても経営は店長に一任していて、ヴォーカルになるのに何の支障もない、という事まで突き止めてくれた。後は、正史郎さんのやる気の問題だった。


「真一……じゃ俺、明日朝番だから、もう帰るな」


 名残惜しくもう一度だけ唇を重ね、京は部屋へ帰っていった。


    *    *    *


 ──ピンポンピンポンピンポン。


 明け方近くまでベースの練習をし、熟睡していた頭に、派手にチャイムが響く。耳の奥がキーンと鳴った。俺が出るまで鳴らすのをやめる気はないらしく、チャイムは僅かに休んでは連打される。寝覚めの悪い俺は、重い身体を引きずるようにして玄関へと下り立った。


「真一!」


 ドアを開けると飛び付く勢いで、京が抱き付いてくる。


「京っ……?」


 その勢いに危うくバランスを崩しかけ、俺は京の背に腕を回して踏みとどまった。いつもなら合鍵で入ってくる筈なのになんで……。疑問はそのまま顔に出ていたらしく、京が笑った。


「ああ真一、起こしてごめん……すぐ報せたい事があって」


 昨日のやり取りを思いだし、ピンときた。


「まさか……」


「そのまさかだよ! オーナー、一度練習に参加してみても良いって!」


 喜びはそのまま、口付けへと直行した。玄関先で、俺たちは食むように角度をかえてキスを交わす。ようやくキスの嵐が過ぎ去ると、抱き締め合って語った。


「脈ありなんだな?」


「うん、でも、『取り敢えず一回だけ』って念押されたけど」


「一回だけか……よし。いつ都合が良いって?」


「今日の夕方だって」


「おあつらえ向きだな」


俺も今日は休み、京も朝番だから夕方は空いてる。


「マコは?」


「夜番だから、夕方は空いてる筈だよ」


「後は健吾だけだな……電話してみる」


 そこでハタと気付いた。


「京、時間は?」


「あっ……まずい、遅刻しちゃう! じゃ、夕方にな、真一!」


 身を離しかけ、


「あ」


 と見上げてくる。


「どうした、忘れ物か?」


「うん、大事な忘れ物」


 そう笑顔で言うと、背伸びして唇が重なった。悪戯っぽく笑む。


「行ってきます」


「おう……いってら」


 コイツめ。何処まで俺を煽るんだ。ドアを抜け走り出していく背中を見送り、甘い感触の残る唇が笑ってしまうのを堪え、掌でそっと覆う。


 チャンスは一度。健吾に夕方の予定を聞く為、枕元の携帯を取りながら、俺は正史郎さんにイエスと言わせる算段を、目まぐるしく頭の中で組み立てていた。

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