第36話 想い人

 しばらくの間、俺は取り憑かれたように曲作りに励んだ。でも、今度は京とのスキンシップも忘れずに。そんな俺の気遣いの甲斐あってか、京はヤキモチを妬く事もなく、代わりに甲斐甲斐しく俺の食事や洗濯の世話を焼いてくれる。まるで夫婦だった。


 そして今日は、深夜に近かったがようやく四人の時間が空き、音合わせをする事になった。いつものスタジオに現地集合。最寄り駅からも近かったが、健吾はデカいナナハンでやってきた。シルバーのフルフェイスヘルメットを取ると、プラチナブロンドが覗く。派手な奴だ。


「チーッス」


 ノリも相変わらず軽い。だが、何度も電話で音楽性をすり合わせ、パソコンで健吾の作った音源ともやり取りしている。実力は折り紙付きだった。


「おう。久しぶりだな」


「そうっスね。恋人かってくらい電話してたんで、そんな気しないっスけど」


 朗らかな言葉に、マコが、


「あ~ら、そうなの」


 と含み笑い、京が小さくむせた。マコの奴……。


「恋人は別口だ。互いの恋愛事情には、干渉しねぇ事」


 立場上リーダーになった俺は、まず一つ目のルールを作る事になった。


    *    *    *


 音合わせは、初めてとは思えないほど充実した内容になった。健吾のテクニックは確かなもので、四人の相性もぴったりだった。今までやってきたバンドの中で最高のサウンドに酔いしれ、俺は気分良く京とマコを乗せて車を走らせる。京も、幾らか興奮しているのが紅潮した頬で分かる。マコはと言えば、後部座席で大声で騒いでいた。


「あたしたち、ホントにデビューしちゃうんじゃないの!?」


「そう甘くねぇ。ヴォーカルで人気が出るかどうか、決まる」


「あ……。まだ決まってなかったな」


「一番の難題だな」


「募集するってのはどう?」


 俺は後ろに健吾のナナハンを引き連れて、京のバイト先へとハンドルを切る。


「ヴォーカル志望は巨万ごまんと居る。携帯が鳴りっ放しになるぞ」


「あらそう……早く武道館で弾きたいわ」


 気軽に発された言葉に、俺は苦笑した。


「初めは小さな箱からだ。根気がなきゃ、続かねぇ」


「つまんないの」


 マコが小さく呟く頃、俺たちは京のバイト先の居酒屋へと着いた。朝から深夜までやっている、大手チェーンのそこに個室を取って、懇親会をやろうと言う事になったのだった。


 駐車場を回ってきた俺と健吾が部屋に入ると、個室にはカラオケが流れていた。マコが出鱈目に好みの洋楽をBGMとしてかけたようで、歌っている訳ではない。センスのある選曲だな。そんな風に思った。


 注文をとりにきた店員に、生を三つと烏龍茶を一つ頼む。今夜は、気の早い前祝いだ。各自、次の日の予定は午後遅くからで、大いに呑む予定だった。京を抜かして、な。


「お待たせ致しました」


 やや癖のあるテノールが、ドリンクを運んできた。それに、パッとマコが反応する。


「セイ! 来てくれたのね!」


 振り向くと、スラリと背が高くオールバックで、切れ長の瞳に黒縁眼鏡をかけたインテリっぽい男が、上等な三つ揃いを着てドリンクのトレイを捧げ持っていた。年は俺やマコより幾つか上だろう。あるいは、上品な佇まいが、そう思わせるのかもしれなかった。


 マコが真っ正面から抱き付こうとするが、男は闘牛でもするように、華麗にヒラリとかわす。ドアにぶつかり、マコはぐぬぬと呻いた。だが、すぐに立ち直る。


「……ちょっとセイ! オーナー自ら来てくれたのかと思ったのに、どういう事!?」


「貴方の名前で予約が入っていたので、設備を壊されやしないかと覗きに来ただけです」


 トレイをテーブルに置き、室内を見回す。


「嗚呼やっぱり……歌いもしないのに、カラオケを入れるのはやめてください。光熱費の無駄です」


 そう言うと、にべもなくセイと呼ばれた男はカラオケを演奏中止してしまう。ところが、消しても消しても次の曲がかかるだけだった。


「セイ! そういう冷たい所も勿論好きだけど、あたしたち今、客なのよ? ちょっとくらい優しくしてくれても……」


 マコがしなだれかかろうとして、またもやヒラリと躱され、バッタリと倒れた。付き合いたての頃、京が言った言葉を思い出し、思わず俺は声を上げた。


「あーっ、あんたがマコの好きな……」


「そう。セイよ」


「馴れ馴れしく呼ばないでください。御堂正史郎みどうせいしろうです。小山田眞琴おやまだまこと、カラオケを消しなさい」


「分かったわよ、歌えば文句ないんでしょ? はぁーい、お・ま・た・せ! 皆のアイドル、マコでっす!」


 尻を突き出して上半身を折り両手を膝に当てて、アイドルとは思えないいかがわしいポーズを決めると、マコはマイクを手に歌い始めた。下手ではないが、ロックテイストの洋楽とオペラ調の発声は全く合っていなかった。すると正史郎が、呆れ果ててマイクを横取りした。


「およしなさい。聞き苦しい」


 マコ、こんな奴の何処が良いんだか……。


「ロックというのはこう歌うんです」


 思いもかけなかった事に、正史郎が歌い始める。直立不動で眼鏡をきっちりと押し上げながらだが、それはリズムを正確にとらえ、発声も少し癖があったが確かなものだった。何より、


「上手い……!!」


 思わず漏らすと、横で京も驚きの声を上げた。


「うん、真一、これって……」


「決まりだな。マコに口説き落として貰うか」


「えっ……それは駄目だ。眞琴さん、嫌われてるもん」


「……分かった。俺が何とかする」


 マコは見せ場を取られ、マイクを取り戻そうと躍起になっている。健吾も俺たちの会話が耳に入ったようで、意気揚々と呟いた。


「この五人なら、最強のルックスっスね!」


「そうだな。音も完璧だ」

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