第10話
いつもの通りスイミーが庭で依子と雷三を籠から出したちょうどその時、塀に穴が開き、大人の異形が外から帰ってきた。異形は大股でスイミーに近づくと腕をつかみ無理矢理立たせた。スイミーはもがいたが大人の力にはかなわなかった。そのまま玄関へと引きずられていく。
「依子、行こう!」
雷三が依子の手をとり走り出した。塀に開いた穴はまだそのままそこにあった。二人が穴から外へ飛び出すとスイミーがキイっと高く叫んだ。依子は思わず振り返った。大人の異形が塀を閉める寸前、スイミーが涙目で二人のそばに駆け寄ろうとしている姿が見えた。
音もなく閉まりきった塀の前に、依子と雷三は座り込んだ。はあはあと息が上がって鼓動が早い。今にも塀が開いてまた掴まるのではないかと思ったが、立ち上がる気力が湧かなかった。しばらく二人はじっと塀を見つめ続けた。
「……開かないな」
「私たちのこと、追いかけて来ないみたいね」
二人は顔を見合わせた。みるみる笑顔になって抱き合った。
「外だ!」
叫んだ雷三に依子は何度もうなずいてみせた。
喜びはすぐに薄れた。寒さが二人の笑顔を消した。防寒の黒い布をまとってはいたけれど塀の外の寒さはそれだけではしのげない。裸足の足が灰色の、石のような地面の冷たさに触れ、切られるように痛む。雷三は黒い布を歯で噛み切り細く裂いていく。
「依子、座って足を出して」
言われたとおりにすると、雷三は依子の足に包帯を巻くように黒い布を巻き付けていく。足がじわりと暖かくなっていく。依子の両足を包み終えると、雷三は自分の足にも布を巻き付けた。
「雷三、すごい。なんでこんなことできるの?」
「俺はいろいろできる。だから依子は俺が守るよ」
雷三は依子の手をしっかりと握った。依子も手を握りかえし、深くうなずいた。
塀の外はどこまでも平らだった。地平線が見えるほど広々としていたが、地平線は丸くなかった。
「ここは地球じゃない……」
空を見上げてもただ灰色なだけで、どこから光が発してくるのか見当もつかなかった。草や木も、動物も何も見えない。道らしきものもなかった。
「依子、この家を背にしてまっすぐ歩こう。そうしたら振り返れば方角を確かめられる」
依子はうなずき、二人は手を繋いで歩き出した、どこまでもまっすぐに。けれどどこまで行っても目に入るのは灰色の空と灰色の地面だけ。振り返って確認し続けた家が豆粒のように小さくなったころ、急に電気を消したように辺りが暗くなった。
「停電!?」
依子の叫びに雷三が首をかしげる。
「ていでん……ってなに?」
「電気が止まってしまうこと……、ううん、そんなことあるはずないわよね。ここは外なのに」
しばらくじっとしていると目が慣れて、空がほんのり明るいのが見て取れた。自分たちのシルエットもうっすらとだが見えるようになった。けれど目当てにしていたスイミーの家はもう見えない。
「こんなに暗いんじゃもう歩けないよ。今日はここで休もう」
雷三がまとっていた黒い布を地面に敷き、依子がまとっていた黒い布に二人で包まって暖をとる。依子にとって、人の温かさがこんなにも身に沁みたのは生まれて初めての経験だった。二人は不安な気持ちを忘れ、暖かな眠りについた。
空は突然明るくなった。雷三が驚いて飛び起きる。辺りを見回すと、遠くにスイミーの家がぽつりと見えた。
「依子、歩こう」
雷三は依子を揺り起こし、また手を繋いで歩き出した。スイミーの家はすぐに見えなくなってしまい、二人はどちらを向いているのかもわからなくなった。けれどただまっすぐ前を見て歩き続けた。
「いたっ!」
突然、雷三が立ち止まり額を押さえた。
「どうしたの?」
雷三は何もない空間に両手を付いてぺたぺたと触っている。
「ここに何か硬いものがある」
依子も手を伸ばして見ると、確かに板のようなものが行く手を遮っていた。それは背伸びしてももっと高くまで続いていて、下に探ると地面まで続いていた。二人で手分けして左右にどこまで続いているのか確かめようとしたが、お互いが見えなくなりそうなほど離れても透明な何かは続いていた。雷三が依子の元へ走って戻ってきた。
「この透明な壁、丸いな」
「ええ。まあるくこの辺りを囲んでいるみたい。まるでドームみたいな……」
「依子、壁に沿って歩いてみよう。何か見つかるかもしれない」
二人は壁に左手を付いて歩き出した。寒さのせいで体は小刻みに震え、昨日から一滴の水分も取っていない唇は渇ききって痛いほどだった。左手から伝わる冷気が二人の疲労を増した。依子が歩けなくなって座り込んだころ、また世界は闇に包まれた。雷三は依子をかばうように抱きしめ透明な壁にもたれて空を仰ぐ。
「星も見えないな」
「なんにもないわね。ただ暗いだけ。この空は本物じゃないのかしら」
「本物じゃないって?」
依子は空を指差す。
「これは大きな屋根なのかもしれない。私達、大きな大きな建物の中にいるのかも」
二人は答えのない疑問にいつまでも眠れずに、夜を過ごした。
次の日、起き上がって黒い布を身につけている時に、遠くから音が聞こえた。二人は動きを止め耳をすませた。どこから聞こえるのかわからないその音は異形の声にも似た金属を擦り合わせたような音だった。低くとどろく音は少しずつ大きくなっているように思われた。
「何かが近づいて来てる」
「何かしら」
「しばらくここで待ってみよう」
「危険じゃないと思う?」
雷三は依子の手をしっかりと握り直す。
「何があっても、守るよ」
じっと音が近づいてくるのを待っていると、音が透明な壁の向こうから伝わってきている事がわかった。まったいらな地平線のほうから黒いものが空を飛んできた。姿が見えるようになったと思ったら、あっという間にそれは二人の真上を飛び過ぎていった。
「飛行機? なんだったのかしら」
「わからないけど、生き物じゃなかった。ついていってみよう、あれが向かう先には何かがあるはずだ」
雷三は依子の手を引くと、壁に背を向けて歩き出した。
しばらくは音を頼りに追いかける事ができたが、すぐにその音は聞こえなくなりあとはただ勘にまかせて進むしかなかった。何の目印もないまったいらな場所を歩いていると、自分が同じところをぐるぐる歩いているのではないかという不安に襲われる。依子は雷三の手の暖かさに縋った。
また先ほどの音が聞こえたかと思うと、二人が進んでいる方角から黒いものが飛んできて二人の後方へと飛び過ぎていった。今度は二人ともしっかりとその姿を見ることができた。
「球体だわ。乗り物かと思ったけれど違うのかしら」
「すごく大きかった。乗り物なら異形でも何人も乗れるんじゃないかな」
話しながら球体が現れた方へ向かって進む。行くべき方角に間違いがなかったと言う事実が二人の足を軽くした。
世界が暗くなる間際、向かう先に小さな小さな白っぽい点が見えた。世界が暗くなってからも、二人はその点のある方を見つめ続けた。
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