金の籠
かめかめ
第1話
ぼんやりと目を開くときらきらと輝く金色が見えた。視界の中心から放射状に金色の紐のようなものが伸びている。太陽みたいできれいだな、と依子はぼんやりした頭で思う。背中にやわらかな、けれどしっかりとした感触があり、自分が仰向けに寝ているんだなとわかった。そろりと首を横に動かすと、金色の紐は天から垂れる光のように床まで届いている事がわかった。
床。
依子は床に手をつきそっと身を起こす。
「……え?」
自分の体を見下ろして依子は思わず声を上げた。裸だった。あわてて身を縮め自分の胸を掻き抱く。素早く周囲を見渡すと、すぐ近くに厚手の布が置いてあった。急いでその布をとり体にまきつける。古代ギリシャの衣装のように布をぐるりとまとい、右肩の上で布の端を結んで、やっと人心地ついた。肩にかかるほどの髪に手をやって軽く梳く。ずいぶんとぼさぼさになっていた。
あらためて周囲を見回す。金の紐は柱のように円形に、ぐるりと依子を取り囲んでいた。といっても、円の直系は端から端まで五メートルはあり、圧迫感はあまりない。上を仰ぎみると、金色の紐が一点に収束しているのだとわかった。依子は巨大な鳥籠のようなものに閉じ込められていた。
円の外周に沿って歩いてみたが、どこにもこの籠の出入り口のようなものはない。金の紐に近づいて恐る恐る触れてみた。紐はやわらかに揺れ、手を離すと元のようにまっすぐに戻った。紐を掴んで思いきり手前に引いてみる。紐は十センチほどたわんだが、それ以上は伸びなかった。両手で一本ずつ紐を握り横に引いてみると、今度はびくともしなかった。
「いったい、なんなの……」
こんなところに来た覚えはなかった。こんなところを見たこともなかった。誰かにいつの間にか連れて来られたのだろうか。依子は今日の行動を思い出す。
いつもどおり高校に行って授業を受けて、委員会で遅くなり暗くなってから校門を出た。自転車で少し進むと、道に金色のものが落ちていた。なんだろうと自転車を下り金色のものを拾おうと手を伸ばしたところまでは覚えている。そこからぷつりと記憶がなかった。
依子は金色の紐をしげしげと見つめた。道に落ちていたのはこれと同じ紐ではなかったか。
ぶうん、と低く唸る機械音がした。依子はそちらに顔を向けた。
「きゃああああ!」
思わず叫んで後退る。籠の向こうに、異形の生き物が立っていた。
身長は人間の三倍ほどもある。平たい顔、横に異様に長い口、鼻は穴があいているだけ。離れた目はどろりと濁り、何を見ているのかわからない。
いや、この異形の生物は今、まちがいなく依子を見ていた。それほどに強い視線を感じる。依子は恐怖で目を見開いた。
異形の生き物は籠に近づいてきた。依子の呼吸が荒くなる。じりじりと金の紐に背をこすりつけ異形から遠く離れようとする。けれど籠はびくともせず、依子を閉じ込め続けた。異形の生き物は金の紐に手をかけると、さらりと紐を左右にかきわけ、手に持っていた器を籠の中に静かに置いた。そっと金の紐を元の位置に戻すと、異形は灰色の布をまとった背を向け離れていく。その背には魚のような背びれがあった。異形は壁にぽっかりと開いた丸い穴から外へ出ていった。
静かだった。静かな部屋の中に、依子の荒い呼吸の音だけが聞こえた。足の力が抜け、依子は金の紐にもたれながらずるずると座り込んだ。しばらくそのまま茫然と座り続けて異形が出ていったあたりの壁を見つめていた。
壁。ふと籠の外の様子が目に入った。依子は立ちあがり金の紐を握って外を観察した。
円形の部屋だった。壁も床も天井も白い。そのどこにも継ぎ目は無く、のっぺりとしている。異形が出ていったところにも、穴が開いていた形跡はなかった。床にいくつか円柱状のものが置いてある。依子が入っている籠くらいの大きさはありそうだ。籠があるのは床からかなり高さがある台のようなものの上だということもわかった。
一通り見終わると、依子は異形が置いていった器に目をやった。それも白いお椀型の器だ。恐る恐る近づいて中に何が入っているのか覗いてみると、透明な液体だった。甘い良い香りがする。依子はそっと手を伸ばし、液体に触れ、すぐに手を引っこめた。液体はとろりとしていて気持ちがよかった。皮膚がただれるような事もない。液体がついた指を鼻に近付け匂ってみた。
その香りは甘い菓子や花の蜜を思わせた。
依子は思わず指を舐めた。甘くなんとも言えない魅力的な味がした。体の奥底から力が湧いてくるようだ。
その時初めて依子は喉がかわいている事に気がついた。口の中はからからに乾ききっていた。液体を手ですくって口に近付ける。香りに誘われるまま液体を口に入れた。その甘い液体で口の中が輝いているような気がした。こくりこくりと飲み干す。じわりと体中に甘みが広がっていく。頭がはっきりと目覚めてクリアになる。生まれ変わったような気がした。依子は夢中で手ですくっては液体を飲み下した。
お腹いっぱいになってようやく液体から口を離した。顎からしたたる水滴を手の甲で拭いとる。身にまとった布の端で手を拭いていると、自分の手がすべらかになっている事に気付いた。毎日の家事で荒れていたのが嘘のようにしっとりと潤っている。依子は両手で頬を包んだ。やわらかな感触にほっと心がほぐれていく。
依子は目を瞑りゆったりと腰を下ろした。
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