第33話 早乙女愛⑸

「要君」


 振り返るとすぐさま、背筋を伸ばし、かけていたサングラスを外した。手首を触っていた動作もすぐにやめ、体の横につけている。


「そんなに堅くなくていいよ。疲れてるんだからリラックスしてて」


「では……お言葉に甘えさせて頂きます」


 そう口にはするものの、さほど、というか全く変わっていない。まあ、無理に力を抜けってのも変か……そう思い、私は話したいことを話すことにした。


「あの中にいたのってさ、よね?」


 私はただの確認のつもりだった。けど、要君にとっては「犯人はあなたですね?」とでも言われたと思ったのだろう。異常な動揺をし始めた。


「落ち着いて」私は両手を前に出し、下に落とした。「別に怒ってるわけじゃないから。ただの確認」


 要君は数回小さい頷きを見せながら視線を落とした。そして、堪忍したかのように「……はい。そうです」と口から出した。


「やっぱりね」


「バレてましたか……」


「まあね」口角が自然と上がる。


「いつからお気づきに?」


 時折、上目遣いで見てくる目や眉が苦々しさをこれでもかと演出していた。


「正直言うと、話しかけてもらうまで要君のことは全然気づかなかった。服の感じがいつもと違ったから、でも、見られてるってことなら入る前から」


「申し訳ありません」要君は直角に頭を下げた。手は体の横にぴたりと付けている。「カシラに見張っておけと言われまして」


「見張る? 日岡ひおかさんから??」


 なんで?——そう口にしようとした時、私はハッと息を飲んだ。嫌な理由に気づいてしまったのだ。ま、まさか私が翔のことが好きなのがバレて……


「ええ」要君は顔だけ軽く上げ、耳元に口を寄せてきた。「組長が危険な目に遭わないようにと」


 ああ、そっちか。


「またなの?」日岡さんの直感は良く当たる。今回もそれがあったんだろう。


「……まあ」


 ただ友達と遊びに行くってだけなのに、ついてきたってことが一度あった。知らず知らずのうちに、私はボディーガードされていたのだ。そん時は近くの鏡に映った姿を見つけて、気付くことができた。隙を見て、「大丈夫だから」って釘をさす、じゃないけど、まあ私の意志を伝えておいた。だから、もうないって思ったんだけどな……もしかして、気づかなかっただけで実はいたのかな?


「カシラも組長に楽しんで欲しいと、満喫して欲しい思って、俺を送ったんです」


「分かってる」日岡さんも要君も、その他のみんなも私に悪意を持ってやっているわけではない。それに、今回はそのおかげで色々と助かった。


「かけてたサングラスは自分の? それとも……」


小木おぎのアニキから借りました」


 やっぱりな回答が来た。


「ですが、どうも慣れず、見づらくて目を凝らしてばかりいました。だからですかね、気づかれていたのは」


「かもね」私は頬を緩める。


「そういえば、サツからは何か言われましたか」


「うん」私は頷く。「『後日、事実確認を』って言われたよ。要君も?」


「ええ……」嫌そうに片目を瞑る。まあそうか。ヤクザが警察と話しするっていうのは、例え自分が全く悪いことをしてなくても、気分的にあまりいいものではないよね。


「お送りしましょうか?」


「それだとバレちゃうでしょ」私は肩をポンと横から叩く。


「あっ、そうでしたね。すいません……」要君は恥ずかしそうに後頭部を触る。


「私はもう少しここにいる。一緒に来た友達と少し話すことあるし」


「分かりました。俺は先にカシラのとこ戻ってます。報告をしてきます」


 顔が沈んでる。そうだよね、おそらく今回の騒動については知っているはずだもんね。


「では、失礼します」再び一礼すると、要君は足早に去っていった。


 これで1つ。次は、っと……私は辺りを見回し、翔の姿を探す。

 あっ、いた。けど、誰かと喋ってる。異様によく目立つ髪が紫色の男の人と。確か、私たちをここだと呼んで、助けてくれた人だ。手に包帯巻いてるけど、大丈夫なのかな?

 とりあえず、まだ話はできなさそう。丁度いい。先に電話だけしちゃおう。




「——ということなので、宜しくお願いします」


『承知しました。では、失礼します』


 私は日岡さんの言葉を聞いてから、電話を切る。要君が体を張って守ってくれた、って伝えておけば叱咤されることはないでしょう。


 これで2つ。残りは翔にさよならを言うだけだ。


「確認完了です」


 見ると、右後方から制服を着た警察官が「了解」と応対していた。完了……そっか、全部終わったんだね。事件も私のデートも……


 いやいやいや、私に何言ってんの? デートって何よ、デートってっ! まだ付き合ってないんだから、デートなわけないでしょ。いつものメンツにただ海陸がいなかっただけの、ただの買い物。

 けど、それさえ出来ずじまい。翔との買い物は並んでいた1時間と始まって5分程度。貴重な2人だけの時間はこれにて終了。代わりに起きたのは、人質になって捕まるなんていう一生に一度あるかないかぐらいの大騒動。いや、大事件。それだけだ。そんなことだけ……


「早乙女愛?」


 えっ!?


 肩が激しく一度上下する。不意に声をかけられて私の体が電気でも走ったかってぐらいの反応をした。すぐに振り返る。


「あっ、翔……」尻すぼみになる声。聞き慣れていたけど、なんか今は妙に初々しく、恥ずかしかった。


「怪我は?」


「ない。大丈夫」笑みを浮かべて頷いてみせた。「助けてくれてありがと」


「助けたのは俺じゃないよ」


「いや、翔だよ。間違いない」


 翔は気恥ずかしそうに頭を二、三度掻くと「今日は散々な一日だったな」とさりげない感じに話題をそらした。


「そう、だね。散々だった」


「結局、何もできなかった。買い物も買い食いも」


「うん……」


 思い出すとなぜか辛くなる……蘇ってくるのが、暗い場面だけなんて。首が沼にでもハマったかのように、ゆっくり沈んでいく。


「だから今度、どっか行かない?」


 え? 私の首は急上昇。


「どことかいつとか全然決まってないけど、なんかさ悔しいじゃん。こんなんで1日潰されたとか思うとさ。代わりに、あっ勿論早乙女愛がもしよければの話だけ……」


「行くっ!」私は無意識のうちに大声をあげていた。周りの警察官も普通の人も私を見てきていることにもすぐ気付き、顔を落とす。


「行きたいです……是非……お願いします」


 翔は驚きで止まっていた表情を柔らかくした。


「じゃあ、近いうちに。あっ、行きたい場所あったら遠慮なく言ってね」


「……うん」静かに返事をする。


「大丈夫?」


「ふぇっ!?」


「あっ、いや……頬が赤いから、体調優れない?」


 私は両手で隠すように触る。熱い。熱を帯びてる。照れた嬉しさからくる一瞬のもの。でも、悟られちゃいけない。どうにかはぐらかそうと、目線を配る。あぁ、こんなことアイトドスに来て並んでいた時もやっていたような気が……あっ!空に指をさした。


「夕日のせい……」


「……そっか」納得したのかしてないのか分からないけど、翔はそう反応した。


「この後は?」


「あぁ……」視線だけ斜め下に落とした。「実はこれから用があって……」


「分かった」


「ごめんね」


 わがままは言っちゃいけない。申し訳なさそうな表情の翔に、私は「大丈夫」と返した。


「それじゃ」


 翔は手を振りながら、去っていく。


「……バイバイ」


 私も振り返す。いつもと違い、手に力が入らない。だって、全部の力が心の中でしているガッツポーズに集中したからだ。嬉しくて嬉しくて、もうどれくらい嬉しいかっていうとダンスフロアがあるなら今すぐ踊れちゃうくらい。これが世に言う、狂喜乱舞、という状態なのかと知った。私は心身ともにこれでもかと疲れていたのに、スキップをしながら家路を辿る。


 ——そのせいで心身ともにこれでもかと疲れていたのに、興奮して眠れなかった。今度、どこ行こうかと悩んだ結果、翌日遅刻し、そういう時だけ年に数回しかない間に合った海陸から、休み時間のたびにいびられることになるとはこの時の私はまだ知らない——

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