第11話 西⑵

 急停止。体が前傾に倒れ、首は不自然に曲がり、そのままインパネに額をぶつける。戻そうとすると首の左に痛みが走る。


「っつぅ……」


 額と首の2箇所を押さながら、戻す。相変わらず、先輩の運転は荒い。安全運転の“あ”の字も無い。直る気配がない。いや、直す気がないのか。


 先輩は負傷した私に構うことなく、鍵を抜いて車を降りる。で、すたすたと野次馬という名の人ごみの中へ消えていく。多少時間が経過しているのか、人の数はそこそこ多かった。先輩の眼中には、“何故パトカーが何台も走ってったのか”しか、もう無いのだ。だから無慈悲だとは思わない。私も足元の袋と後部座席のHDVカメラを持って降りる。三脚は、人の量を鑑みて、車中に置いたままにしておく。


 異様な台数のあるパトカーや赤サイレンを付けた黒や白の車を横目に、私は先輩を追って突入していく。先輩が割り込んでいったところから、すいませんすいません、と連呼しながら人を縫い進んでいく。どこにいるかな……途中で少し立ち止まり、見回す。あっ、いた。私は歩みを再開させ、腕を組んでいる先輩の横へ。前がよく見える。状況がくっきりと見えるほど、視界が開けている。それもそのはず、私がいるのは最前列だから。規制線のテープが腰の辺りに伸びている。


「やっと来た」


 後から来たのに、まるで最初からいましたけど何か的な雰囲気を醸し出している。


「籠城だって」


 先輩は私の方に顔を少しだけスライドし、一言そう呟いた。


「へ?」思わず顔を横に向ける。


「立て籠もり」メガネを直しながら、言い換えられた。


「いや……その、なんで知ってるんです?」


「そう話しているのが聞こえた、さっきちらっと」


 耳いいな……にしても、情報得るの早過ぎじゃない?


「他は」先輩は少し身を乗り出し、左右を見る。「まだ来てないみたいね」


 私も同じ行動をとる。他局は来ていないようだ。


「ですね」と答えると、先輩は「俄然やる気出てきたわ」と腕まくりをした。


「カメラは?」と聞かれたので、私は「ここに」と胸の位置まで持ち上げる。が、「じゃなくて、電源」と返された。


「あぁ」


 私は慌てて、スイッチをオンに。液晶画面を見て起動したことを確認する。


「入りました」


「じゃあ、録画始めて」


「は、はい……」


 私はスイッチを押す。でも、なんで今から?

 録画ランプが付いたのを目視し、顔を上げると、先輩は既に黄色いテープを持ち上げていた。で、身をかがめる。


「ちょちょ、何してんですか?」私は慌てて制止する。周りの人たちの視線も前方にいる警察官たちではなく、私たち、正確には先輩に、に集まっていた。


「何って、取材よ取材」と怪訝な顔で返答される。


「それはそうですけど」私が言っているのはそこではない。「勝手に入ったらマズいですよ」


「大丈夫よ。見張りの警官いないし。絶叫のチャンスじゃない」


「そうですけど」


「バレなきゃいいのよ、バレなきゃ」町内で札付きのワルな子供のよう。


「とにかく、追い出されるまでやるわよ」


 こうなったら腹をくくるしかないのか。先輩に従って、中に……


「何度も言わせるんじゃないっ!」


 左から叫ぶ声が聞こえた。先輩も私も視線を移す。

 スーツを着た2人の男性が目を見合っている。一方は顔にシワがあり濃紺のスーツを着ている。そこそこお年は召している。もう一方は淡いねずみ色のスーツを着用し、まだ若い。私よりも少し上ぐらいに見える。20代後半ぐらいだろうか。その2人は、どうやら何かで揉めているようだ。


「何度も言わせないでくださいよっ!」


 若い刑事が同じようなセリフを叫ぶ。どういう流れなんだろう?


 すると、また別の少し歳のいったこげ茶のコートの刑事が手をグーにして口元に持ってくる。喉の違和感もないだろうに、えへんっ、と大きな声で咳き込む。2人の刑事は仕草を見て、声を抑える。何を話しているかは分からなくなってしまったが、引き続き口論しているというのは身振り手振りから読み取れた。


 それから少し会話を交わし、濃紺スーツの方が去っていく。ねずみ色とこげ茶の2人はその場で立っている。遠目で見た限り、あまり納得はしていないよう。


「どう思う?」再び顔を寄せてきた。


「堂々と中に入っているので、おそらく警察官ではあると思います」


「だよね」先輩はメガネレンズの縁を持ち、整える。


「けど、雰囲気的に受け入れられていないように見えます」


「激しく同意」コクコクと頷く先輩。「……どう?」


 後には、行けるかな、が隠れてる。


「どうですかね……」そう簡単に捜査内容を、しかも現在進行形の事件について教えてくれるとは到底思えない。「正直、可能性は低いと思います」


「てことは、ゼロじゃない?」


 ははーん。真意は伝わりましたよ、先輩。


「分かりました。押してみます」


 先輩は満足そうに微笑む。「得意なこと記憶力にしても胸張れるわね」

 もう覚えるとかの次元を超えて、これはただの刷り込みだ。“ゼロじゃなければとりま押す”——先輩が常に口にするセンテンスだ。洲崎語録だ。


「あっ、移動してる」


 先輩が視線をそらす。見ると、確かにあの2人の刑事が歩き出していた。しかも、人混みのいない方。これはチャンスだ。


「じゃあ頼んだ。私は、中継車来れるか電話してみる」


「了解です」


 私は元来た道を引き返す。

 人の列を抜け出し、私は歩いて行った方へ、目立たぬように小走りをする。“いつもは普通か最小限。ここぞという時、最大限”——これも洲崎語録である。

 人混みを抜ける。2人がよく見える。私は歩くのをやめず、袋からテープを出して録画ランプのところへ貼る。理由は勿論、こっそり撮影しているのをバレないようにするため。こうすれば映像として使えなくても使わなくても、何かの手がかりや情報を保存しておける。それに、この先別件で使えるネタが出てくるかもしれない。“得られるものは全部手に入れる”——みたび洲崎語録である。


 録画スイッチを押し、目前まで攻める。で、待機。話しかけるタイミング次第で、相手が私に抱く心象が異なる。不快にしないタイミングを、またできれば1人になった時を見計らう。1人の方が色々と話してくれることが多い傾向にある。これは語録ではない。先輩から教わったというのは同じだが、こちらはノウハウだ。


「ま、もしダメだったら、あの探偵さんでも呼ぼうや」こげ茶の方が話す。


「先輩ですか?」ねずみ色の男性が虚空を見つめる。


「いつもみたいにささっと解決してくれんだろ」


「そうかもしれないですけど、そもそも真野さんが許しませんから」


 ねずみ色の男性は不機嫌に目を細める。


「冗談だって冗談。そんな顔すんなや」


 思いっきり肩を叩くこげ茶の男性。ねずみ色の男性は2、3歩前に体が出る。


「んじゃ、交渉してくるわ」


 こげ茶の男性がいなくなる。1人になった。


 チャンス到来!


「あのぉ……」


 私の声に気付いたのか一瞬背が伸び、そして、振り返る。目が合う。だから、「私、タカテレビの西と申します」と早々に名乗って逃げられないようにする。一般人と名乗る時もあるが、今回はカメラを持っている。下手に嘘をつかない方が得策だと考えた。


 沈黙が流れる。理由は分かる。なぜか固まってるからだ。


「あのぉー……」顔を下げて少し上目遣いにし、私は再度声をかけた。


「い、いや……すいません。田荘といいます」慌てて視線をそらした。


「テレビ局の方、ですか?」


「はい。あのよろしければ、詳しいお話を伺えればと」


「あー……」苦々しい表情に変わる田荘さん。「それはちょっと……」


 だよね。当然だ。「籠城してるんですよね?」だからまずは、寒いですね〜、代わりの会話からしてみる。


「流石テレビ局の方。情報が早い」


「いや」


「ええ。してます」


 ……それ以上はない、か。誘導して引き出せるかと思ったけど……なら、押してみるまでっ!


「さっきは大変でしたね」


 さっき?と一瞬頭に疑問符が浮かんだものの、すぐに気づいたみたいで、「聞こえてましたか」と恥ずかしそうに軽く俯いた。


「まあ……少し」


 持っていたカメラレンズが少し傾き始めた。軽いものの、片手で持ち続けるのはなかなかの重さではある。私は手首を上手く稼働させ、位置を元に戻す。


「捜査から外されてませんでしたか?」


 私はそう口にした時、もう少し言葉を選べばよかったと後悔した。同時に、「違っていたらすいません。そういう風に見えてしまって……」と付け加えた。


「いえ、正しいです。ただ交渉の時だけ俺……自分も加わっていいと言われました。最初に電話を取ったのが自分で、犯人も交渉役を変えるなと要求してきたので」


 なるほど。ていうことは、ある意味最前線にいる上、犯人と話をした数少ない人間であるということ。ついてるぞ!


「交渉ってことは、やはり身代金?」私は質問で、詳しい状況を追求していく。


「いや。人質はいるのですが、目的は金ではないようでして。それにもう彼らは、ので」


 は? 私の眉が真ん中に寄る。


「それはどういう……」


 田荘さんは辺りを確認し、「実はですね」と、顔を寄せてきた。


 これはいい情報が得られそうだ。

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