第23話 鈴木⑵

 なんなんだ……


 1日経った今でも、大輝の「もう終わるから」が俺の頭から離れなかった。

 終わる——それに、もう、を付けるとすればある程度長さがあったこと。思い当たる節は、1つだけだった。イジメだ。そう考えると、大輝が知らないと思っている俺にはぐらかすような曖昧な言い方をし、それについて言及されぬようにそそくさとその場からいなくなったのも頷けなくはない。

 こう言っちゃなんだけど、あの姿からしてもうこれでイジメが終わるとかいう風には一切見えなかった。だとしたら、尚更何が終わるというのだろう。どういう意味を含んでいたんだろう……自分の中で納得できるような答えは一向に出ない。もしかすると、それとは関係なく、俺も共通に知っていると思って、話したことかもしれない。

 だとしたら一体何のこと——


「おいってば!」


 「わぁっ!」俺は思わず声をあげる。見ると席のそばに同じ列の1番前に座ってる佐藤が顔を寄せて立っていた。

 「ようやくですか」姿勢を戻し、学ランに手を突っ込み、「どうした? 随分と何ボーッとしてたけど」と訊かれ、俺は「いや、まあちょっとな」とそれとなくスルーしておく。

 「で、どうしたんだよ?」そして、話題を変える。


「どうしたんだよ、じゃねぇよ。そろそろ時間的にも行きなきゃだろ」


 えっ? 俺は時計を見る。だが、今は昼休みってことしか心当たりがない。俺は佐藤に視線を戻す。


 「何が?」と聞こうとした。だが、その前に「おいおい覚えてないのかよ」と突っ込まれる。おそらく、見せた顔がそういう表情をしてたんだろうな。


「さっき化学の飯島が言ってたろ?


 飯島……あっ! 持ってって欲しいものがあるから昼休みに科学準備室に来てくれ、って言われていたことをようやく思い出す。


「悪ぃ、忘れてた」


「ったく……ちゃんと仕事してくれな、学級委員さんよ~」


 いや、仕事すべきなのは、黒板辺りでたむろってる奴らだけどな——っていうのは言わない。耳に入りでもしたら何言われるか分からない。いやそれで済めばまだいい。何されるか分からない。

 仕事の担当は教科ごとに割り振られている。だが、建前的でしかなく基本そういう系な奴らはやらないので、最終的に学級委員である自分の元へやってくる。何で俺が、と最初は思っていたが、ここ最近は思わなくなった。全く、慣れは怖いもんだ。


 「今から行ってくる」俺は席を立ち上がる。「大変だなお前も」と佐藤が言うので、「じゃあ手伝ってくれるか?」と尋ねるが、「いや、内容不明だから嫌だ」とあっさり断られた。「あそう」慣れっこだ。


 「いってら~」佐藤の声を背中で聴きながら、俺は教室を出た。




 3階にある科学準備室へは、階段を上ってから外廊下を渡れば着く。何度も授業で使ってるから、行き慣れてはいる。


 ん?


 怪しげな人がいた。というか、制服の格好からして、女子生徒だ。科学準備室の前で膝を折って隠れ、階段の上のほうをこっそり盗み見るような素振りをしていた。


 あれって……


 「どうしたの?」俺は近づきながら声をかける。同じクラスで数回か話したことがないが、名前と顔ぐらいは流石に一致してる。


「しぃー!」


 よく分かんないけど、とりあえず静かに後ろに行き、同じように屈む。俺は小声で改めてしっかりと「どうしたの、さん?」と訊いた。


 「見張ってるの」視線はさも、当たり前でしょ、かのような言い方をされた。


「……なんで?」


「さっきね、ここを登る学生を見たの」


 水橋さんが指で指し示してくれた。


 指の先を見る。そっかここって。


「屋上に向かったってこと?」


 科学準備室の前にある階段は屋上に繋がっている。


「おそらくね」


「でも、屋上ってこの前の件で立ち入り禁止になったはずだよね?」


 この前の件といえばつまり先週起きた生徒の飛び降り騒動であるということは分かってくれるだろうと思い、ざっくりとした言い方で確認を取った。確かその飛び降りた生徒は運良く木に引っかかって衝撃が和らいだか何かで一命は取り留めたものの、まだ意識不明だとか。


「そう。鍵もかけたはずだから、登っても意味がないの。なのにもう5分弱戻ってこない。変だとは思わない?」


 「だとしたら一体……」と言うと、少し顔をこちらに向けて、「鈴木君もさっき言ってたじゃない」と言われた。で、ハッと気づく。


「まさか……同じことをしようとしてるの?」


 つまりは、飛び降りようとしてる。


「最悪もっと酷いことになるかも。まああくまで推測だけどね」


 最悪もっと酷いことの意味が一瞬にして分かった俺は、「ど、どうする?」と続ける。

 「決まってるでしょ。行動あるのみ!」そう言うと、俺を置いて階段のほうへ向かっていく水橋さん。


「ちょ、ちょっとっ!?」


 俺も慌ててついていく。水橋さんは静かに素早く階段を半分登り、そっと上を覗き見て確認を取ると、またすぐに駆け上がっていった。

 は、早い……

 水橋さんは女子で華奢だけど、柔道部に所属し、1年生ながら夏の大会で県大会で準優勝の成績を残している。俺は帰宅部でただ家に帰って、ただだらけてるだけ。一方は毎日運動。もう一方は毎日ゲーム。いくら、男子と女子というハンデがあっても、そりゃこれくらいの体力差は、ね……


 結果、追いつけず「少し運動しよう……」と決心した頃には、一度視界からいなくなった水橋さんが既に屋上のドアに辿り着き、少し俯いていた。俺もようやく辿り着き、「先生とか呼ばなくていいの?」と訊く。

 だけど聞いてないのか聞こえてないのか、俯き加減は直らず、一言も発しなかった。聞こえなかったことを願い、俺は「先生とか呼んだ方が……」と口にしようとした。

 だが、口を開いた瞬間被り気味に水橋さんは一言、「開いてる」。


 えっ?


 意識せずとも、俺の視線はもう勝手に落ちていた。水橋さんの手の中には、南京錠が。新品であることからして、あの騒動以降につけられたものだろう。


 なんで?——というのは今はあまりにも愚問。代わりに「もう屋上に……」と俺は呟く。心の声に留めておこうとしたが、自然と出てしまった。「みたいね」と真剣な顔になる水橋さんを見て、本格的に現実味を帯びてきた。同時に今度こそ先生を呼んだ方がいいと思い、改めて訊くことにした。


「あのさ、今度こそ先……」


 バンッ!


 またしても水橋さんは言い終える前に、ドアノブを勢いよく押して開け、そして外へ駆けていった。


 いや、アクティブ過ぎだろっ!?——と思いながらも、俺もついていく。辺りを見回すと、左手に人影が。

 振り返ってこちらを呆然と見ている相手を見た時、全て分かった。いや、全てに合点がいったという方が正しいか。


「何やってんだよ、!」


 俺は駆け寄った。


「来ないで!」


 昨日とは違う、声のボリュームに俺の体は思わず固まる。

 屋上に風が吹く。校舎内にいた時は感じることのなかった、冬の風。だが、冷たさは感じなかった。全員の髪が揺れる。


 流れる沈黙。


 次に口を開いた、いや開けたのは風が吹き止んでからだった。


「なんで……なんでこんなことを……」


「あいつらに後悔させるためだよ」


 後悔?


「今まで僕をイジメてたことを後悔させるんだ」


 「僕ね、イジメられてたんだよ、実は」その一言に俺は胸が締め付けられる思いになる。


「だ、だけど、そんなことのために命を投げ出すってのかよっ!?」


 「そうだよ」静かな感情を込めた口調で言葉をぶつけてくる大輝。風では感じなかった冷たさも中にはあった。


「僕が自殺すれば、あいつらだって僕にしてたことはこれぐらい罪のある重いものだったんだって思うはずだ」


 いつのまにか、目も冷たくなっていた。


「先生たちには相談しなかったのか?」


「したよ。だけど、仕返しを恐れたのか、ろくに解決しようとしてくれなかった」


 前から思ってたが、この学校の教師は最悪だ。


「なら、外部に相談しよう。そういう窓口は学校だけじゃない。他にも沢山ある。ダメだったんなら、そこに頼ろう。俺も協力す——」


 「ダメだよ」遮る大輝。


「決定的な、インパクトのあることを起こさなきゃアイツらはまた同じことを繰り返す。そしたら、また誰かが犠牲になっちゃうんだ。だから、どこかでこの負の流れを塞き止めなきゃいけないんだ」


「それが大輝、お前だってことなのか?」


「うん。それにね、こうすることであいつらがこれから生きてくのに邪魔な枷になっていくと思うんだ」


「そうかな?」


 ずっと黙っていた水橋が口を開いた。


「私はそうは思わない」


 見ると、水橋さんはいつのまにか俺の隣にいた。


「なんでそう言えるんですか?」


「人の気持ちを考えられるくらいなら、そもそもイジメなんてしないはずだからよ。でも実際はどう?」


 大輝は少し顔を動かし、地面を見る。微かに喉が動くのが見えた。一方、水橋さんはその隙に前進した。


「今あなたは追い詰められ、柵の向こうに立ち、命を投げ出そうとしてる」


 大輝がこちらを見る。水橋さんは歩みを止める。


「こんなになるまでやめなかったってことは、イジメてた人間たちはあなたが死んでも、すぐ日常生活に戻っていくでしょうね。お咎めがあっても本人たちが変わることはないの。むしろ、『あのアホ、勝手に飛び降りて勝手に死にやがった』ぐらいなことを思うかもしれないわ」


 まるで大輝を落とそうと、引き離そうとする強い口調とは裏腹に水橋さんの目は何度も悲哀と落ちないでと願ってるような、そんな目をしていた。多分、止めようとしてくれてるんだ。誤って地面に向かって飛び降りないように、引き止めてくれてるんだ。


 「だったら……」大輝は悔しそうな表情を浮かべる。


「だったら僕はどうすればいいんだよ……どうすればいいんだよっ!」


 やり場のない気持ちを手を振って表す大輝。その目には涙が溢れて、口元は震えている。


 すると、ビュッ、と突然勢いよく風が吹く。屋上に僅かに残ってた木の葉が舞い、大輝の目に飛んでいく。思わず目を閉じる大輝。その瞬間、大輝は体勢を崩してしまう。そして後ろ——つまり地面のほうへ体が傾く。


「危ないっ!」


 水橋さんの叫びで、俺は今までにないくらいのスピードで駆け出し、僅かに伸びている手を掴もうと腕を伸ばす。


 届け……届けっ!


 でも——大輝の手は……掴めなかった。

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