第30話 鈴木⑶

 手は掴めなかった。


 だけど、こちらに少し膨らんでくれた胴体部分の服はなんとか掴むことができた。なんとか間に合ったのだ。そのまま力一杯引き寄せ、もう一方の手で大輝の腕を掴む。少しだけ遅れてやってきた水橋さんと一緒に大輝を、思いっきりこちら側へ引き寄せた。落とすまいと、半ば無理やりにだった。

 柵を乗り越え、上半身から地面へ倒れこむ大輝。目の前で生きてることを確認した俺と水橋さんは、ヘナヘナとコンクリにベタっと尻餅をつく。

 「ハァ……ハァ……」口から荒く酸素を取り込む大輝。


 俺も一瞬だけど相当の緊張感から解かれると同時に、入ってこなかった酸素が体内に入ってきた。大輝と同じで呼吸が荒くなる。しばらく喋らずそのまま。整えるために大きく深呼吸。そして、「大丈夫か?」と大輝に尋ねる。

 「うん……」同じ体勢の大輝はそう返答してくる。


 「ありがとうございます」水橋さんに一言。次に「ありがとう、鈴木君」と俺に一言。


 違う——俺は体を起こし、「俺は……ありがとうなんて言われる立場じゃない」と隠していた想いを吐く。


「前にお前が……お前がイジメられてるのを見たんだ。見たんだけど、俺は何もしなかった。したら、次は俺がターゲットにされると思ったら、怖くなったんだ……怖くなって何もしなかったんだ。ゴメン……本当にゴメン」


 俺は膝に手をつき、腰を直角に折り曲げる。目は自然と閉じていた。怖かった。大輝の顔を見るのが怖かった。


 「顔、上げて」大輝の声が聞こえ、

俺は恐る恐る顔を上げる。どんな形相をしてるのか、どんな怒りを浮かべているのか。


「鈴木君は何も悪くないよ」


 だけど、表情に怒りはなかった。


「僕だって鈴木君と同じ立場ならそうしてた。それに『遠慮せずに言ってくれ』って心配してくれたじゃないか。家族にさえも相談できなかった僕にとってあの一言でどれだけ救われたか……何もしてないなんてことないよ。むしろ十分してくれた。誰も手を、声を差し伸べてくれなかった中で鈴木君だけがそうしてくれたんだ。だから言わせて。いや、言わせて欲しい」


 大輝の目には涙が浮かんでいた。「助けてくれてありがとう、鈴木君」


 俺は必死に涙を堪えながら、「……ああ」大輝の言葉に真っ直ぐ目を見て応えた。


 階段から駆け上がってくる足音が聞こえた。それも1人じゃなく、複数。


 姿が見えた。


 「何してるんだ、お前たちっ!」ジャージ姿の体育教師が早々に激昂を飛ばしながら、が俺たちのほうへ近づいてくる。


「屋上は立ち入り禁止だと聞いてるはずだろ? なのに、鍵を開けて遊ぶなんてのは——」


 「違うんです」大輝が遮る。


「2人は僕を助けるために来てくれただけなんです。だから、全ては僕が悪いんです」


「助けるってどういうことだ?」


「実は僕……ここから飛び降りようとしたんです」


 俺らを助けるためなのか、全てを洗いざらい話す大輝。一方で、“飛び降り”の一単語でざわつく先生陣。色々と言葉のやり取りがその中で行われている。そんな中で、「また厄介なことを……」と吐き捨てる声が聞こえた。主は化学教師。他にも、後ろの方で現文教師やら古文教師やら何人かがこそこそと、どこか面倒くさそうに話している。


 「厄介?」これは水橋さん。


「な、何だその目は?」


 横をちらりと見ると、水橋さんはこれでもかと鋭く先生陣を睨みつけていた。


 「何が厄介なんですか?」目は国語教師をじっと見ていた。


「それは、その……こうしてまた校舎の屋上から飛び降りることがだね——」


「イメージ悪化に繋がることが厄介なんですか?」


 黙る先生陣。


「私は飛び降りしようとした彼とは会ったことがありません、今の一度も。つまり、友人でもなんでもない本当に全くの他人です」


 水橋さんは少し大輝を見ている。


「それに今までにイジメられたこともありません。だから、深い傷や痛みは正直言って分かりません。でも、イジメられ辛い思いをして追い込まれていたことは、この数分間でも痛いぐらい伝わってきたんです。なのになんで……相談を受けたはずの先生が——あなたたち先生たちが見て見ぬフリしてたんですかっ!」


 水橋さんは手を強く握り、地面に伸ばしている。


「そ、そうは言ってもそっちがこっちをもっと信じてくれないと——」


「どうやってですか? 飛び降りようとした理由に蓋をして、さらにこっちが悪者かのように厄介者扱いする人たちをどう信じろっていうんですか? 私は無理です。そんなの到底不可能です!」


 強く言い放ち、先生の中には気まずそうに視線をずらしている人もいた。


 すると、水橋さんは大輝の方を見て、今までとは打って変わり、優しそうな笑みを浮かべる。


「私にできることあったら言ってね。力になるから」


 「じゃあ」とこの場を後にする。先生陣の間を抜けていきながら。


 再び流れる沈黙。


 先生たちから俺は屋上に勝手に入ったことへの、大毅はこれに加えて屋上の鍵を盗んだことへの注意を受けた。だけどそれ以上の処分は何も無かった。水橋さんの言葉が効いたのか、それともこんな短期間で再び、ということを伏せたかったのか……


 大輝はその日の夕方、中央区にあるイジメ相談窓口に行ったそうだ。そこで、大輝は隠さず正直に話したのだろう。俺は行ってないけど、というか一緒に行こうかというと、大丈夫と言ったから行かなかったんだけど、とにかくそうだっていうのは断言できた。


 だって、それから数日の間に、うちの学校であんなことが起きたんだから——

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