第19話 田荘⑵

 何もかもが行き詰まった。まさに息が詰まるほど。


 マッドさんに言われた通り、風邪薬が大量購入された薬局やドラッグストアがないか薬銃(=薬物銃器対策)課や現在捜査協力しているマトリ(=麻薬取締官)とともに手分けして調べた。でもそんな店はなかった。


 マッドさんと別れて署に戻る時にも実は少し思ったんだけど、このご時世、ネット通販を利用した可能性もあるんじゃないかって。購入履歴を調べるってこともできる。だけど、今の状況ではそれはかなり困難。だって、購入履歴を調べる対象は圧倒的な不特定多数なんだから。どういう人物かある程度焦点を絞ってからじゃないと手間暇と時間だけが無駄に消費されかねない。要は、何かしらの尻尾をつかむか目星をつけて、範囲を狭めないと。


 それにだ。例えば複数人で回数を分けて購入していれば怪しまれることはないし、探し出すのは難しい。その上、違法でも何でもないただの風邪薬を大量購入したからってそれが直接の逮捕理由にはならない。というか、ならせてくれないだろう。


 でも、こんなに捜査して、ここまで何も分からないとは流石に予想外だった。組対もマトリも同じ気持ちらしくで、かなり当惑していた。麻薬捜査のプロたちをここまで四苦八苦させるなんて、一体どんな奴がジャンピングを……あれ? あの後ろ姿ってもしかして……いや、気のせいか。


 カランコロン。


 「いらっしゃいませ」と声が聞こえる。柔らかくダンディながらも針のように鋭い声からマスターさんであるのは分かったんだけど、姿が……

 すると、ひょこりとカウンターの下から体を出した。手にはコーヒー豆の入った袋を持っていた。


 来たのが俺だと分かり、「あぁ」と表情を柔らかくし、続けて「まだ来てないよ」訊く前に答えを言われた。そりゃそうか。一昨々日も一昨日も来てるんだから。

 「そうですか……」なんとなくそうだろうと分かっているのが半分、いやもしかするともしかするかもしれないと思っていたのが半分だった俺は肩を下ろす。先輩、どこいんだろ……


 「あっ! ちょうど良かった」くるりと回転し、「これサービス」マスターさんはカウンターにコースターを敷き、上にアイスコーヒーを乗せた。


「これは……?」


「アイスコーヒー」


「いや、あのーそれは分かるんですけど、その……なんで?」


「実はさそれ、さっきまでいたお客さんが頼んだのなんだ。ちょうど作り終えたら急ぎの用で帰っちゃって。ほんとさっき作ったばかりだから……もし嫌なら下げるけど?」


 「いえ、いただきます」厚意を無下にするのは失礼だし、喉渇いてて、来たかどうかのついでに何か飲み物貰おうと思ってた。


 「どうぞ」と促される。俺はストローや銀の容器に入ったミルクとガムシロップをそばに置かれるのを見ながら指定された席へ向かう。

 席に着き、まずはストローの紙を破って中身をコップへ。ミルクとほんの少しのガムシロを入れて、コップを持ち上げる。コースターはくっつかずそのままだったが、くっきりと輪が描かれていた。

 一口。うん、美味い。冬にアイス、だけどあちらこちらを歩き回ったことで体はなんとなく服の中が蒸すような暑さを感じていた。だから、別に寒さを感じなかった。むしろ夏の時にのように体に染み渡っていく。それになんかホッとする。二口三口と進む。


 「ここに来たってことは、まだ連絡取れないってことだよね」マスターは真っ白なカップを真っ白な布巾で磨いている。「そうなんです」俺はコップをコースターの上に置く。もう半分ない。予想してたよりもずっと喉が渇いてたみたいだ。


「電話もメールも何度もしてるんですが、一向に出てくれなくて。ここ以外で、先輩の行きそうなところも調べてはいるんですけど、どこも同じ感じでして」


 行きそうなところといっても両手あれば数えられるぐらいの場所しか知らないけど……


「じゃあウチの電話使ってみる?」


「電話ですか?」


「うん。そこにある黒電話」


 マスターさんの視線の先には、確かに電話があった。昔ながらの、ダイヤルを回す式の黒電話だ。


「それ使えば、出ると思うよ」


「ほ、本当ですか!?」


「一昨日来た時にも言おうとしたけど、すぐ帰っちゃったでしょ? このこと言えないのが心残り、とまではじゃないけど少し気になっててね」


 あぁ……


「あの、じゃあお借りします」


「どうぞ」


 店の奥に向かい、黒電話の前へ。ケータイの電話帳で番号を見ながら、ダイヤルを回す。最後の数字を回して、受話器を耳につける。


「……出ませんね」


「えっ?」


 マスターさんは拭いてた手を止める。そして、こちらに向かって来た。


「ちょっといい?」


 出された手に受話器を渡し、場所を譲る。俺と同じくダイヤルを回すマスターさん。あっ、先輩の番号覚えてんだ。


「電話線が切れてるとかそういうわけじゃなさそうだね」


「そう、ですね…」


 マスターさんは受話器を置き、カウンター裏に戻る。俺も戻って席に着く。そして、一口。


 「なんで出ないんだろ……」これでもかと眉をひそめているマスター。その表情からは心配や不安の色も伺えた。それに、カップを拭いているはいるが、どこかうわの空な感じがした。


「出ないのがそんなに異常なんですか?」


 俺はマスターさんのあまりの変わりように気になって、尋ねた。


「まあね……あっしまった」


 えっ?


「どうしました?」


「実はさっきまで便利屋がいたんだ。依頼者に会いたいって言われたらしくてね。訊いておこうと思ってたのにすっかり忘れてた……」


 もしかして――


「さっきっていうのはいつぐらいですか?」


「本当についさっき。田荘君がやってくる十数秒前ぐらいかな」


 やっぱり。あの風貌どこかで見たことあると思ったら、ドラゴンさんだったんだ……

 今思えば、背中から漂う普通じゃない感が凄かった気もする。


「では、もしまたお店に来たら、訊いておいてもらえますか?」


 ドラゴンさんの連絡先などもちろん知るはずがなかった俺は無理を承知で頼んでみた。


「なんなら、それ使う?」


 再び黒電話を指差すマスターさん。


 「もしかして、ドラゴンさんも?」俺の眉が勝手に上がってた。それに、「うん」と、さも当たり前で慣れっこだと言わんばかりにコクリと縦に頷くマスターさん。


 先輩もドラゴンさんも必ず出る黒電話――都市伝説のようなまさか話だけど、マスターさんが嘘つく必要ないし、そもそも嘘をつくような人ではない。だから、本当なのだろう。凄いな……


「どうする?」


 えっ? あっ……


「いえ。お忙しいのに邪魔しては申し訳ないので」


 これは嘘じゃない。本当にそう思っている。だけど、それだけじゃないのは確か。なにせドラゴンさんと話すのは緊張する。たとえそれが顔を合わせてないとしても。

 俺ら世代にとってドラゴンさんは、最近会うことも誰かが会ったという噂も聞かないタイガーさんももちろん、そこら辺のチンピラやカラーギャングなどよりも遥かに怖い存在。下手したらこの島にいるヤクザよりも。だって、タイガーかドラゴンの名を聞いただけで、恐れ慄く組があるくらいなんだから。


「分かった。じゃあ今度会ったら訊いておく」


「すいません。お願いします」


 コーヒーを飲み干し、俺は「お会計を」というと「いいよいいよ」と言われた。「でも」と食い下がるも「いいって」と断られた。お言葉に甘えて、「ごちそうさまでした」とトミーを後にした。


 そうして俺は再び、先輩の捜索とジャンピングの調査を始めた。


 それにしても……


「先輩、一体どこにいるんですか」


 ボソリと独り呟いて、俺は深くため息をついた。吐いた息が白かった。

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