第36話 田荘⑶
遠い……相変わらず休憩所は遠い。
何故そんな遠い休憩所にわざわざ足を運んでいるのか?——ワケは、至極単純。喉を潤し眠気を飛ばしてくれ、体を温めてくれるホットコーヒーを買うため。不便ながら、署内で自販機があるのはそこしかない。
じゃあ何故こんな夜遅くにコーヒーを買って眠気を飛ばさなきゃいけないのか?——それも同様至極単純。先輩たちが関わらなければ俺に回ってくることのなかったはずの、報告書をまとめる作業が残っているから。
ついこの前、マッドさんが連れてきた盗撮犯についての報告書も書いたばかりなのにまたしても……しかも、盗撮犯は1人だったのに、今度はヤクザから高校生まで数十人。全く、骨の折れる仕事だ。
事件が事件なため裏付けから何から全て行ったために時間が異常にかかっている。おそらく今日も家には帰れそうにない。
ハァァー……
なんでこの島にしか無いんだ? いや、理由は分かってる。警察署を作る時、金戸力が島の治安を包括的に捜査できる部署を創って欲しいと頼まれたため、らしいということを任された時に嫌という程聞かされたから。らしいの理由は、俺が警官になる遥か前の話であるため、よく知らず、伝聞で聞いた話だから。そのため、これもあくまで噂の範疇だが、俺じゃ一生就けないポストにいる警察上層部や国のお偉いさん方が二つ返事で快諾したらしく、その理由は金戸力の持つ計り知れない権力にあやかるためだったとか。世の中やっぱり、金とコネだ……
任命されている仕事内容は至ってシンプル。金戸島の平和と秩序を保つこと、それのみ。けれども、そのためならば単独行動しても怒られないし、この島内部で起きていることに関しては一課二課など課はおろか部署を超えて、どの捜査会議にも自由に出てもいいという特殊な特権が認められている。
だけど実情はかけ離れてる。基本、起きた事件の様態でそれぞれの部署が対応するため、うち主導で動くようなことはあまりない。その上、勝手に人の畑を荒らされたりされかねないため、他部署からは好かれていない。踏んだり蹴ったりだ。
仮にあるとしても、他がやりたがらないような雑務を肩代わりするぐらい。例えば、タイガーとドラゴンの後処理とか。あぁ……あれは本当地獄だったな。仲裁に入れなんて言われた時は、本気で死を覚悟したし、死ぬかと思ったことなんて何度もあるし。もう2度と経験したくないよ……
けどそれも過去の話。タイガーとドラゴンの争いがなくなった今、うちは先月の脱走事件のような公にするとマズいような案件や事件性皆無、とは言ってもたまに大きな騒動になるのだけど、そういうような騒動を市民の皆々様からお伺いするお悩み相談的部署と化している。でも、ここでなければ先輩たちに協力を求めることもできないので、個人的にはそこまで悪いことではないと思うんだけどさ。
別の休憩所を通過する。まだ4分の1も来ていない。そこは、同じ青いソファはあるものの、自販機がない。代わりにあるのは天井に一脚という、いつ落ちてくるか分からない見た目不安定な状態の誰もいないテレビだけ。ただ垂れ流されている画面をチラッと見た。
ちょうど今朝の一件を、金戸高校の校長以下全ての教職員を入れ替えるという大規模改革の実施の発表についてのことを報道していた。
詳しいことを知ってる友人に聞いたところ、先週の金曜に金戸高校に通っている生徒の1人がイジメ相談窓口に来たそうだ。飛び降り自殺まで考えていたという告白から事態を重く見た結果、大掛かりなメスが入ったらしい。これにより、金戸高校が今までに隠してきた様々な事実が公になった。
例を挙げると、イジメの発端となる学校裏サイト、“ウィスペリング”が創られておりそれを知っていたにも関わらず放っておいたこと、飛び降りをし意識不明の重体であった生徒について隠蔽していたこと、別の生徒が覚せい剤製造・販売しているという事実を見抜けなかったこと、さらにはその覚せい剤を教師の一部が又買いしていたなどなど。
そして、前述にある通りの改革が決定した、というわけだ。噂によると、金戸の臨時会において全会一致の即決だったそうで、そのスピードは通常ありえないくらいのものだったらしい。いち高校といえども、金戸財閥の管理下にある上、「金戸」の名が刻まれた法人。これら全ての事態・問題が財閥全体の信用問題に関わると考えたのだろう——っていうのが俺の勝手で見立てである。誇大なように見えるかもだけど、経験上あながち間違ってないとは思う。これによって良い方向に転ぶのかは分からないが、あの学校の環境は変わるというのは間違いないだろう。
そして、風邪薬等はやはりネット通販で購入し、ジャンピングの製造を行っていたミツヤコウイチについてだが、保護観察処分になる可能性が高い。根拠は初犯であることとは別に1つ大きな要素がある。もしかすると、そっちの方しか検討されない恐れもある。彼はまだ高校生、つまり未成年。そう、彼には少年法という心強い味方がいるのだ。その上、暴力団が裏で糸を引いていたことから脅されていたということにして、というか実際と拷問器具で脅そうとしていたけど、まあ全ての責任をヤクザに被せて送検したほうがより容易で確実に裁ける。
1人の子供より何十人のヤクザを取り締まったほうが社会道徳的に理にかなっていると、
でもまさか、犯人が高校生だったとは……こんな事態、誰が予想できたんだろう。おそらく誰もしてなかったのではないだろうか。先月の脱獄、今回の覚せい剤製造、そして連続ゴミ箱爆破事件。ここ最近、シャレにならないような重大事件が増えている気が……
まるで、コップに入った水が入れられた油を水面にまで弾くように、事件が目に見える形に浮いてきているような。もしかしたらこれから、この島で何か大変なことが起きるのではないだろうか……
いや待てよ? 俺が来た時にはもう平和な上、色々と壮絶だったのは遥か前、俺が子供の頃だったからもあるんだけどさ、元々この島は、普通じゃなかったんだよな。そう考えると、むしろ今まで普通だったのが奇跡だったんじゃないか?
だから、ここ最近起きている事件は何かの前触れなどではなく、あくまで奇跡が通常に戻るだけの、ただの軌道修正なのかもしれない——なんてことを脳内で独りブツブツと呟きながら、目的地に到着。
自販機はコの字型配置で並んでおり、その間に背もたれのない黒いソファが2列設置されている。長く使われているため、あいた穴から中の黄土色の綿が出てきたりしていて、クッション性は無いに等しい。もちろん、自販機の大半はお茶やジュース類なのだが、コの字の両端にはなかなか外出できなかったり寝泊りする人のことも考えて、観光地や高速のサービスエリアとかによくあるたこ焼きや焼きそばなどが買えるものや、昔ゲームセンターとかに置いてあったそばうどんを買える懐かしいのなどもある。種類は少しだけど酒類もある——なんちゃって。
メーカーはどこでもよかった。俺は適当な自販機を選んだ。硬貨を入れ口に放り込み、赤く光ったボタンを押す。
いつもはブラック。だけど、今日は微糖。糖分を脳が欲しがっているんだ。
ガコンッ——出てきたコーヒーを手に取る。思ってたよりもちょっとだけ熱かった。プシュ——閉じ込められていた空気が一気に抜ける。
一口飲む。
「ふぅー……」
一息つく。
たられば問答を繰り返す呪縛から一旦解放され、気持ちが落ち着く。
すると、さっきまで聞こえていなかった分を取り戻すかのように、周りの音が脳に流れ込んできた。心なしかいつもより大きめで。
「そしたら、落ちてきたんだよ」
「何が?」
「追いかけてた下着ドロが」
えっ?
落ちてきた――木の実とかではなく下着ドロ、つまりは人間だ。気になる。会話している位置は真後ろ。両方とも男。俺は目を合わせぬよう、すぐそばにあるソファに2人の後ろにすーっと移り、座る。そして、盗み聞きを開始した。
「ちょっと待て。確認だが、お前は下着ドロを追いかけていたんだな?」スーツ姿のほうが訊ねる。「あぁ。後輩と一緒にゴミ箱爆破の巡回してたら偶然な」と制服警官は答える。
「相手は逃げ足が速く、距離はかなり開いていった。そしたら、なぜか突然下着ドロが目の前に落ちてきた——のか?」
何?
俺は思わず眉をひそめた。木からとかでさえもなく、突然目の前に――妙に嫌な緊張感を感じた。その答えを探るべき、俺は耳をさらに傾けた。
「俺もそのわけが分かんなかったんだ。犯人に聞こうにも、大怪我で金戸病院に緊急入院することになって、しばらく面会できないくらい大変でな。分かることと言っても、その下着ドロは金戸高校の物理教師だってことぐらいだった。それがついさっき目を覚ましたんだ」
「なら、落ちてきたワケは? 訊けたのか??」
「あぁ。投げられたんだと」
「……は?」スーツの男と同じく俺も、は?、だった。
「だから、投げられた」
「いや聞こえなかったわけじゃなくて……えっ、投げられた?」
「そうだ。背負い投げみたいな感じで」
「でも、距離は開いてたんだよな?」
「少なくとも50メートルはあった。つまりだ、遠くの向こうから背負い投げで投げ飛ばされたってことになるんだ」
「……ありえないだろ?」
「俺もそう思ったさ。でも本人だって、前後の状況とか投げられる直前に『オレのプリンアイス返せぇコノヤロー!!』って相手から叫ばれたってのを聞いたとかをはっきりと自信持った口調で喋ってくるし、それに医者から記憶障害などの後遺症はないだろうって言っててさ……もう参っちゃって」
確かに人が何メートルも投げ飛ばされるなど、荒唐無稽な馬鹿話。普通はありえない。だけど、そもそもこの島自体が普通じゃない。だから、ありえないことも往々にして起きてしまう。
それに、プリンとアイスという組み合わせから察するに——イヤイヤ、決めつけるにはまだ早い。早過ぎる。通常の捜査ならば、もっと証拠を集めより確実なものにしていかないといけない。いち警察官としてそれはある種当たり前な行為であるとも言える。
だけど……そう考えると嫌な緊張感の理由も納得がいくのは確か。もし本当にそうだとしたら、証拠だの警察官だのと悠長なこと言ってられる場合じゃない。事態は一刻を争うんだ。
俺は立ち上がり、ゴミ箱へ。同時にケータイを取り出し、電話をかける。耳につけると、スピーカーからプルプルと相手に繋ぐ音が聞こえてきた。
缶を捨てる。まだ一口しか飲んでいないが、もういい。目は十分覚めた。そして、急ぎ足で休憩所から離れる。
杞憂かもしれない。それで怒られるかもしれない。だけど、本当だったと後悔するより数千倍マシだ。
プルプルと音が耳に届くたび、頭の中で不安と入りまじり、頭痛を誘発する。痛みに思わず、眉間にしわが寄る。だが、足は止めない。
どこか……どこかいい場所はないか?——俺は首をあちらこちらに振り、探す。
プルプルがまだ聞こえる。頭痛は一方的にひどくなる。
“取調室”の文字が目に入る。こんな時間だ。おそらく使ってない。
俺は勢いよく扉を開け、中に。すぐさま扉を閉める。内容が漏れないようにするためだ。
プルプル——これで12度目。
まだ11時だけど、もう寝てるのか、それともまた落としたとかそういう?? いや、そんな早くに落とすなんてこと……ない、よな?
『ったく……』
よかったぁー……
「すいません、寝てました?」少し不機嫌な声色の先輩に声をかける。
『いや、バーで飲んでた。こんな時間にどうした?』
「それが……ちょっと小耳に入れておきたいことがありまして」
『なんだ?』
「まだ確定ではないんですが、それがもし事実だとまた色々と大変なことが起きるかもしれないと思ったので、先輩にいざという時止めてもらおうと。ほら、先輩って2人の知り合い——」
……あれ?
「先輩?」相槌さえも聞こえなくなった俺は、電波が悪いとかそういう可能性を考えた。
『成る程な』
えっ?
俺に言ったようには聞こえなかった。声のトーンも音量も独り言のような、思わず心の声が漏れてしまった、そんな感じだ。
『先言っとくぞ』ヒソヒソ声になる先輩。これは俺に言ってる。
『俺は止めないからな。てか、止められん。無理だ』
「無理?」
『ま、頑張れ』
「頑張れ?」嫌な答えが頭を埋め尽くしていく。
『じゃあ1つアドバイスだ。そういう時が来たら、話せばまだどうにかなる便利屋から説得しろ。いいな?』
えー……つまり~ええっと……おおお……はいはいはい……
そのー……先輩がどういう経緯で知った、もしくは知ってたのか全く分かんないけど、とにかくタイガーが帰ってきたってことは完全に分かった。うん、そうだ。そういうことだ。杞憂じゃなかった。本当だった。現実のものとなったんだ。
はは……ははは……はははははは……はははははぁぁ——
突然、グニャリと空間が歪む。めまいだ、めまい。ただのめま……
そのまま膝から崩れるように地面へ倒れこんだ。
それから俺が1日寝込んでいたことを知ったのは、病院のベッドの上で目覚めた時だった。
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