第34話 制御

龍馬はよく悪夢をみた。

奈落の底に落ちていく自分を、何度も何度も味わって

いつも夜中に目が覚める。

背中や頭が、何とも云えぬ感覚に陥り、スーッと引き込まれる。


 あーーああ、夢か・・・・夢で良かった・・・・。

心臓は激しく動悸を打ち、背中にうっすら汗をかいている。


 高い処から転落して行く感覚は、言葉に出来ぬ不快感がある。


一度、乙女姉やんに言うてみたが、相手にされなかった。

姉やんは、そんな夢は見ないと言う。

何やら寂しくなって、それからは相談しなくなった。


 父にも言えなかった・・・。

まして、病に臥せっている母にも言えなかった。


それでも、鏡川で泳いでいる時には、そんなことも忘れて

いるかのように振舞う。

事実、平気で泳いだり潜ったり出来るのであるから

身体が弱いとか病気ではなさそうだと自分では感じていた。


 種崎の海で味わったあの浮かぶ感覚は、悪夢の感覚とは異なり

龍馬に限りないやすらぎを与えた。


あの全身の力が全部抜けた快感は、忘れられない。

まるで自分と海が溶け合ってひとつになったような気がした。


 母の胎内に居た頃のやすらぎを、海は与えてくれるという。


 男は、海に限りない安らぎを覚える生物であるという。

この世に生まれ出てからも、そのやすらぎは続いていたものの

乳母と母の間を行き来しだして後、不安定に変わった。

得体の知れない幸の不安感が、敏感に龍馬を刺激していた。


 堤から飛び込む時に感じるどうしようもない不安感は

何やらそのあたりから発しているやも知れぬ。


「りょうま、向こうから走ってきいや。水を見んと

 思い切り前向いて飛んだらええ。

 そしたら、飛び込めるぜ」

乙女がそう励ましてくれて、堤の上を思い切り

走ってみたが、ぎりぎりの所で、自分に自分で

制御をかけた。


 堤の先端で水面がチラッと光って見えて

急に停まってしまった。


「後ろから飛び込んだらどうぜ?」

ますます怖い。

後ろが見えぬと余計に怖さが増す。


「きょうは、もう無理じゃあ りょうま、いぬるぜ」

何やらホッとした龍馬の首筋を冷たい川風が撫でた。

「雨が来るかもしれんき、早う、いの」


 今日も飛びこめんかった・・・・。

情けない男じゃ・・・。

自分で自分を蔑む・・・。


龍馬に、少年の自我が目覚め始めていた。





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