第13話 ファーストキス、このサル!

*13*


(マコ、どこかな。言うならさっさと言ってしまおう)


 体育授業が終わると体操着を汚した生徒たちは、ぞろぞろと一号館に引き上げて行った。


「先行ってて!」と数人の友達に断って、萌美はグラウンドに降りた。砂埃と桜の花びらが混じる春の校庭をぞろぞろと男子たちが歩いて来る。数名はクラブハウスのほうに向かったから、運動部だ。


「おう、桃っち。俺の活躍みてた?」


(誰だっけ)と思いつつ「観てた観てた」とやり過ごす。(ええと、マコは……あ、いた!)やっぱり杜野と並んでリフティングしつつ歩いている涼風を見つけた。杜野はひょろっとしているので、今度は杜野を目印にすればすぐに見つかる。


「桃。俺のシュートに釘付け?」とお調子者口調のマコの前にずいっと仁王立ちした。


「ちょっと話があるんだけど。顔、貸してくんない?」


 ボールを受け止めた涼風の顔が強ばった。涼風は馬鹿だけど、馬鹿じゃないので、「お話」の内容を察したのだろうと思う。


「あ、うん。ねえ、リフティング巧いね」

「はは、褒めてんの? そうだ。昼休みは蓼丸と過ごして楽しかったか」


 ――う。そうきたか。


 コレは答えないわけには行かないだろう。萌美はちょっとだけふんぞり返った。


「そうね、蓼丸はあんたと違って優しいからぁ、あたしはいつでもお姫様ですしぃ」


(うわ、めっちゃやな女)と思いつつ、萌美は「ホホホ」と笑って見せた。実際にやな女なんだから、隠しようがない。蓼丸に対しては可愛いチビ桃も、これから言う言葉はマコにとってはきっと最上級のやな女だ。


 涼風はサッカーボールをひょいっと抱えた。


「そうか、楽しかったなら良かったな。桃原を享受する相手が蓼丸で良かった。優しい男のほうがいいだろうし。眼帯外すとアレだけど」


「あのね、マコ」


「おまえ覚えてない? 俺がさ、小学校でジャングルジムから落ちて、死にかけた話」


(なんでそんな話……)


「俺さあ、あの時まじで死ぬと思ったんだよな。首が挟まっちゃってさ。で、手に蜻蛉が止まってさ、ぎゃ! って瞬間に滑り落ちた。お陰で俺未だに蜻蛉が嫌い」


「あのね、マコ」


「遠足でもおまえが手を翳したせいで蜻蛉が来ただろ。いっぱい、時間はあったよ、な」


「マコ! 話があるって言ってんじゃん!」


 とうとう声を荒げざるを得なくなった。涼風の勢いが止んだところで、萌美はしゅんとしながら、トーンを落として告げた。


「あのさ、やっぱりこういうのは良くないよ」

「こういうの?」

「取り合いになっちゃってるところ。もう、分かってんでしょ? 負けがみえてる勝負して楽しいの?」


 ――なるべくきつく。なるべく禍根を残さないように。蓼丸に逆恨みとか、マコが進めなくなるとか、絶対阻止するくらい、きつく、嫌な女になるんだ。


「はっきり言って迷惑」


「わかってる!」涼風は萌美の台詞に被るように、地面に這いつくばった。


「良くなくても、傍にいたんだ。そして、これからもいたいんだ!」

「だからね……」


 押しつぶされるような声音になった。


「頼む……っ! 俺、桃原のそばにいたいんだよ!」

「あたしには迷惑なの!」


(言った!)瞼の裏に、無表情の蓼丸が浮かぶ。分かっている。蓼丸は、誰もを哀しませたくない平和主義者。でも、恋は違う。決定権はあたしにあるんだよ。


(やれやれ)と動かない涼風にしゃがみ込んだ。制服じゃ無くて良かった。


「ね、あたしはどうあっても、あんたじゃなくて……」

「……間接キス、したよな。蓼丸より先に。事故だったけどさ」


(なぬ?)と眉を潜める前で、涼風は顔を上げた。涙を滲ませてこそいるが、意志が強い光だ。想いに嘘はつかない。断固諦めない。そんな瞳。


 涼風はくっと笑った。


「俺、わざと仕掛けたと言ったら? 蓼丸より、俺のほうと先に間接でもキスしてんだろ!」

「あの後、蓼丸とも間接チューしたもんっ!」


 言い切ると、萌美は「わかってよ……」と目頭を擦りはじめた。


「頑固なマコなんか嫌い。嫌いきらいきらい! だぁーい嫌いっ!」


 とは言ったものの。(マコ……)嫌い嫌いもきっと好きのうちなんて言葉を思い浮かべる。


(マコとの時間がつまらなかったわけじゃない。ほんのちょっと、蓼丸が好きなだけ)


ああ、若葉と桜がうるさい。


(望んだ結果なのに、つらいな)


 涼風はピクリとも動こうとしない。


「ねえ、クラス戻ろ? 顔、上げてよ。そうだ、戻ったらトランプ、トランプの……」


 立ち尽くす姿勢の涼風は本当に魂が抜けたように思えて、萌美は胸が痛くなった。でも、マコのためにもこのままでいいはずがない。いずれ蓼丸だって。


 ひゅ、と春風が強く吹いてきて、グラウンドの砂を舞い上がらせた。


「いてっ 砂が目に入った」

「やだ、ちょっと、大丈夫?」


「あまり……」ぐいっと腕を引かれた。目を見開いたままのキスなんてどんな漫画にもありゃしない。


 ――キス? キス――っ?!


「ん、甘」と涼風がミルク貰った子犬のような仕草をした。


 あ、あ、あ、あたしの、ファーストキス――っ! 


「ってぇ」と涼風は叩かれた頬を晒して、くっと肩を揺らした。


「何すんの! ば、馬鹿だと思ってたけど、馬鹿! バカ過ぎ! ばかサルっ!」


 思い切りまた平手振り上げて突き飛ばす。

と、涼風が頬を手で押さえた。


「唇切ったかも。でもまあ」


 涼風はボールを拾うと、背中を向けた。


「全部蓼丸が悪いんだよ。あっちが天使なら、こっちは悪魔になるしかねーだろ。幼なじみゴッコなんかしてたら海賊王子には勝てない。しかも蓼丸は海賊王子にもなる。手段なんか考えてたら奪えないだろ」


 ――誰、こいつ。


 涼風はちらっと振り返ると、「覚悟しろよな。俺を選ばせるよ」と猿頭を揺らして平然と歩き始めた。


 ――はっ。


ぽっかり時間を空けてしまった。萌美は慌てて泣きっ面で涼風を追いかける。


「ちょ、ちょっと……この、ファーストキス、どろぼー!」


「あ、いいな。それ。トランプ怪盗って? 奪われるのはキスだけじゃなかったりして」


 完全に諦め口調なんかどこ吹く風だ。


「あ、諦めるって」

「んなわけねーだろばーか。そうそう簡単に諦めるわけねー。こっちだって桃原を、追いかけたんだ。先生には「無理無理」と言われたこの篠笹に受かったのは紛れもなく愛の力!」


「そこは同感! ……じゃなくって! お願い、蓼丸には内緒にして~~~~~」


「どうすっかなぁ~」と涼風は思わせぶりに笑っていた。



 ***



『涼風が桃原萌美のキスを強奪しました。すみません。防げませんでした 杜野』



 蓼丸は杜野からのメールに視線を落とした。

「使えない」と力を込める。 


――パキ。スマートフォンに罅が入る。替えたばかりなのだが。


「涼風を見誤っていた様子だな」


 グラウンドは実は生徒会のある本館からは非常に良く見える。1年の雛たちが知らないも無理はない。生徒会室は本館の五階で、眺めもいい。


「なら、俺にも享受して貰えるのかな。お姫様のキス」


 ――どうせお姫様はあたふたと隠すに決まっている。間接キスくらいいつでもさせてやるのに。望めばその先だって。


「どうかしている」と蓼丸が自ら窓に頭をぶつけるを観て、生徒会長織田と糯月はほくそ笑んだ。


「ほうら面白くなって来ただろ、副会長」

「ええ、やはり学園はこうでなくちゃ。蓼丸も自己嫌悪で楽しそう」


「我々は非常に良いことをしているよ。さあ、今の内に逃げよう。有能な書記に任せよう」


 背後で気配が2つ消えた。蓼丸はぶつけた額を撫でて、はっと振り返る。空っぽの生徒会をみて、ため息と一緒に自席に戻った。


「厄介な話になりそうだ。桃原がどうでるか」



 健康診断2日前。見事に蓼の陰で、涼風は桃の葉を散らしたのだった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る