第143話 ティンへ告白
俺はモンジューの暑苦しい会話を思い出してげっそりしながら、エルラインの転移魔術でローマの自宅へと帰宅する。
戻るとティンとミネルバが迎えてくれたけど、俺が彼女らにみせる笑顔も固まったままになってしまった。
心配したティンが俺を覗き込んでくるけど、顔が近い!
「ティン……顔が近い……」
「ダメですか……?」
ティンはしゅんとした顔になるけど、顔が近いままだ。その言い方はズルいぞ。言い返せない。
俺は誤魔化すために彼女の頭に手をやり、長い茶色の髪を頭から肩口あたりまで撫でる。彼女は目を細めて気持ち良さそうにしているが、俺が手を離すとじーっと俺を見つめて来る。
……俺が再度撫でるとまた彼女は気持ち良さそうに目を細める……俺が手を……
「エル。どうしようこれ……」
俺は困った顔で隣にいるエルラインに目をやると彼はニヤニヤとした顔を崩さず肩を竦める。
「ピウスの欲望のままでいいんじゃないかな」
こら! エルライン! 煽るんじゃない。エルラインに聞いた俺がバカだった……ここで欲望のままにティンを押し倒したらどうなる? ミネルバとエルラインに観察されるじゃないかよ。
「……そういや、エル。ベリサリウス様に渡した声を大きくするオパールあったなじゃない」
「ん。あったね。欲しいのかい?」
「いや、いろんなことができるなあと思ってさ。エルもエリスも俺に遠距離会話してくると、一方通行でさ。俺からも会話できるようにオパールで何とかならないかなと思ってさ」
「何とかなるけど?」
エルラインは何を当然の事をといった感じであきれたように頭に手を当てている。余りに基本的なことで頭痛がするって言いたいのか。
「え?」
「遠距離会話の魔術は……まあ魔法でもいいんだけど。僅かしか魔力を使わないんだよ。それこそ過熱のほうが魔力を使うよ」
ええと。風呂のお湯をつくるのに過熱のオパールを使っている。エルラインは過熱の魔術をオパールへ構築するまでにかかった時間は僅か二秒ほどだ。オパールには魔力が溜まり、使うと無くなる。
ここまではいい。魔力の使用量が大きい魔術だと、オパールに溜まる魔力じゃ不足していて発動しない。
あ。やっと分かった! 過熱より魔力を使わない遠距離会話の魔術をオパールに詰め込むことが出来ないわけがないって言いたいんだな。俺は遠距離会話に使う魔力の量なんてしらないんだよ!
あと遠距離魔術が過熱に比べてどれだけ複雑かとかもわからない。
「だいたい想像がついたよ……つまり簡単に出来るっていいたいんだよな」
俺はティンの頭を未だに撫でながら、エルラインに問いかける。
「その通りだよ。作ろうか?」
「いや、なんでもかんでも頼むのはさすがに悪いよ」
「こんなことくらい、転移魔術に比べたら大したことないよ。僕だって少しは悪いと思ってるんだよ。君が妄想癖を持ってしまったことにね」
どんだけ気にしてんだよ! だから、シルフは妄想じゃないと何度言えば……いや、言えば言うほど誤解が酷くなるな。ここは黙っておいた方がいい。
転移魔術ってものすごく便利だけど、大規模魔術なんだろうか。
「エル。転移魔術って難しいの?」
「そうだね。魔術を使える者の中でもほんの一握りだと思うよ。転移魔術を使えるのは」
「魔力を大量に消費するの?」
「魔力はそこまで問題じゃないよ。描く図形が複雑なんだよ」
「なるほど。高い技術が必要ってわけか」
「まあ、そんなところだよ」
転移魔術は高度な魔術。聖王国でも魔術を使える者は少数だけどいると聞いた。転移魔術がどういった仕組みで発動するのかは、俺にとってどうでもいい話だ。問題は転移魔術を使えるものが多数いるのかってことと、転移魔術の転移先の指定をどのように行うのかってことだな。
転移魔術で目の前に飛んで来られて襲い掛かられたら、ベリサリウスはともかく、俺だと一発じゃないかな……幸いエルライン以外に転移魔術を使える者はいないっぽいから、敵側の転移魔術を心配しなくてもいいのかな……
いや、過信は禁物だ。もしかしたら転移魔術で敵が飛んでくるかもしれないと思っておかないとね。
「エル。確か……ラヴェンナの時に見せてもらったけど、転移魔法は拠点登録ってのが必要なんだよね?」
「うん。その通りだよ。君にしては覚えがいいじゃない」
「……拠点登録した場所にしか転移できないんだよね?」
「ああ。君の言いたいことは分かったよ。僕以外に転移魔術を使う者がいたとしたらってことかい?」
「そそ」
「心配しなくてもいいよ。ラヴェンナかローマに僕以外に転移魔術の拠点登録をする者がいたら、君に教授しようじゃないか」
「おお。分かるのか! 助かる」
俺が喜色を浮かべてエルラインの肩を叩くと、彼は困った顔をしながらも微笑んでくれた。
あ、エルラインの肩を叩くときに体を捻ったら……ティンが。ヘタリとしゃがんでしまった。エルラインと会話してる間ずっと頭を撫でてたものなあ。
「ピウス様あ」
ティンはとても切なそうな声で俺へ縋り付いて来る。目には薄っすらと涙を溜めて、頬は上気している……な、撫で過ぎたか。
「ごめん。ティン……急に手を離して……」
「いえ。それはいいんですけど……ちょっと席を外します」
ティンは俺から離れたかと思うと、お尻を少し触り「また冷たくなっちゃった……」と呟いてリビングルームから出て行った。
「君もいつまでもお預けは良くないんじゃない?」
エルラインは出て行くティンを目で追いながら、呆れた様子だ。
俺の方もなんかこう、もういいんじゃないかと思い始めているけど、カチュアもいるし……と何かと複雑なんだよ。まさか自分がこんなことで悩むなんてここに来る前は思ってもみなかったよ。
ティンもカチュアも二人同時でもいいって言うのにも俺は最初少し引いていたくらいだからなあ。
しかし俺の気持ちをちゃんと伝えてなかったのは事実だから、この機会に伝えよう。
「エル。ティンのところに行ってくる」
俺はティンの出て行った方向へ向かう。
ティンは風呂場の脱衣所で下着を変えたところだったみたいで、俺の姿が見えると慌てた様子で貫頭衣の帯を整えていた。
「ティン。少し話をしないか?」
「はい! 私で良ければ!」
ティンはいつも元気一杯に返事をしてくれる。ここへ来た頃は彼女の元気さが俺の支えになってくれたよな。
俺たちは家の外に出ると、ローマ中央広場にある噴水前のベンチまでゆっくりと歩く。
ベンチに並んで腰掛けると俺はティンの方へ振り向く。
「ティン。正直に今の気持ちを話すよ。聞いてもらっていいかな? 気持ちのいい話じゃないけど」
「私で良ければ! ピウス様。何か悩み事ですか?」
ティンは満面の笑顔で俺をしっかりと見つめてくる。
「ティン。俺は君もカチュアも好きだよ」
「え! えええ! ピウス様ー!」
ティンは突然の俺の告白に一瞬戸惑ったようだったけど、俺にヒシと抱きついて来た。
俺は彼女の頭を撫でながら続ける。
「ティンもカチュアも俺の支えになってくれた。俺は君達二人共大好きだよ」
「ピウス様ー」
ティンは俺に撫でられたまま、感極まったように俺の名を呼ぶ。
それから俺は自分の倫理観やティンとカチュアの倫理観の違いに戸惑ったこと、どちらも選べないことなど全て正直にティンに打ち明けた。
彼女は俺に抱きついたまま、俺に頭を撫でられていたけど、いつの間にかティンが俺の頭を撫でていてくれた。
俺の告白を彼女は一つ一つ頷きながら聞いてくれて、時にギュッと強く抱き締めてくれた。
「ピウス様。ごめんなさい。ピウス様がそんなに悩まれてるとは知らず……私……」
「いや、謝るのは俺の方だよ。いや、ティン……」
俺はティンの頬を撫で、彼女の顔を至近距離にまで引き寄せる。
「ありがとう。これまでもこれからも」
「ピウス様! 私、ピウス様に会えただけでも幸せです!」
俺とティンは軽く口づけを交わすと、手を繋いで俺の自宅まで戻るのだった。
どうするか決められない俺だけど、戦争が終わるまでには気持ちに整理をつけるよ。ティン。今日は聞いてくれてありがとう。
俺はティンの横顔をチラリと一瞥し、心の中で彼女へ再度感謝の気持ちを述べるのだった。
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